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ノート:NHK紅白歌合戦に、このページに関する提案があります。(2024年11月)提案の要約:各回の記事の出演歌手一覧のテーブル形式の変更
第22回NHK紅白歌合戦
会場の東京宝塚劇場(写真は太平洋戦争以前)
ジャンル 大型音楽番組
司会者 総合 鈴木文彌アナウンサー[注釈 1] 紅組 水前寺清子 白組 宮田輝アナウンサー
オープニング スタイン・ソング
エンディング 蛍の光
国・地域 日本
言語 日本語
製作
制作 NHK
放送
放送チャンネル NHK総合テレビ
音声形式 モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間 1971年12月31日
放送時間 金曜 21:00 - 23:45
放送枠 NHK紅白歌合戦
放送分 165分
回数 1回
NHK紅白歌合戦公式サイト
番組年表
前作 第21回1970年
次作 第23回1972年
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第22回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1971年12月31日
放送時間 金曜 21:00 - 23:45
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
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第22回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうにかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1971年昭和46年)12月31日東京宝塚劇場で行われた、通算22回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

2024年令和6年)には、放送100年記念プロジェクトの一環として同年12月14日に前編、翌15日に後編と分けて、いずれも16時30分から17時54分に総合テレビで再放送された[1][2]。再放送にあたりビデオレストア技術を活用に映像の乱れを修復し、「4K同様のクオリティ」に再生するという。なお歌詞テロップは添えなかった[注釈 2]

出演者・スタッフ

司会者

当初番組側は2年連続で美空ひばりを起用する考えであったが、ひばりは早々に辞退(後述)。ひばりに代わる候補として由紀さおり(『歌のグランドステージ』司会者)、朝丘雪路(この年の連続テレビ小説繭子ひとり』出演)、佐良直美(『世界の音楽』司会者)らが上がり、特に真帆志ぶき宝塚歌劇団専科[注釈 4]、『歌のグランドステージ』レギュラー)は確定と報じていた[注釈 5]。最終的には今回の紅組トリの最有力候補とされた水前寺が3年ぶりに司会に復帰した。今回の紅組司会人選はスタッフ内でも意見が分かれ、スタッフが白組司会の宮田輝に「紅組は誰がいいだろうか?」と聞いたところ、宮田がためらわず水前寺を指名し起用が決定したという[4]

出場歌手

先攻後攻の交代する地点の前には、中間得点集計コーナーが入っている。

紅組、 白組、 初出場、 返り咲き。

曲順 歌手名 曲目
1 尾崎紀世彦 また逢う日まで
2 南沙織 17才
3 にしきのあきら 2 空に太陽がある限り
4 ピンキーとキラーズ 4 何かいいことありそうな
5 美川憲一 4 想い出おんな
6 和田アキ子 2 天使になれない
7 坂本九 11 この世のある限り
8 ちあきなおみ 2 私という女
9 西郷輝彦 8 掠奪
10 岸洋子 7 希望
11 加藤登紀子 知床旅情
12 デューク・エイセス 9 「にっぽんのうた」から[注釈 6]
13 青江三奈 5 長崎未練
14 五木ひろし よこはま・たそがれ
15 小柳ルミ子 わたしの城下町
16 はしだのりひことクライマックス 花嫁
17 藤圭子 2 みちのく小唄
18 舟木一夫 9 初恋[注釈 7]
19 島倉千代子 15 竜飛岬
20 北島三郎 9 北海太鼓
21 ダーク・ダックス 14 雪の讃歌メドレー[注釈 8]
22 トワ・エ・モワ 2 虹と雪のバラード
23 菅原洋一 5 忘れな草をあなたに
24 由紀さおり 3 初恋の丘
25 フォーリーブス 2 地球はひとつ
26 朝丘雪路 10 雨がやんだら
27 ヒデとロザンナ 2 望むものはすべて
28 雪村いづみ 9
29 アイ・ジョージ 12 自由通りの午後
30 伊東ゆかり 9 誰も知らない
31 いしだあゆみ 3 砂漠のような東京で
32 村田英雄 11 人生劇場
33 本田路津子 一人の手
34 フランク永井 15 羽田発7時50分
35 ザ・ピーナッツ 13 サンフランシスコの女
36 堺正章 さらば恋人
37 渚ゆう子 京都慕情
38 千昌夫 4 わが町は緑なりき
39 都はるみ 7 港町
40 三波春夫 14 桃中軒雲右ェ門
41 橋幸夫 12 次郎長笠
42 眞帆志ぶき 嘆きのインディアン(英語版[注釈 9]
43 布施明 5 愛の終りに
44 弘田三枝子 8 バラの革命
45 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 4 追憶
46 佐良直美 5 片道列車
47 水原弘 8 こんど生れて来る時は[注釈 10]
48 水前寺清子 7 ああ男なら男なら
49 森進一 4 おふくろさん
50 美空ひばり 16 この道を行く

選考を巡って

演奏

舞台しも手に紅組、かみ手に白組の歌手席が設けられ、それぞれの後方上部に原バンド・小野バンドが陣取る[注釈 13]

上記以外の出演者とスタッフ

冒頭から選手宣誓までの間に字幕紹介のあった者のみ、クレジット順に[注釈 14]記す。それ以外の者は次項「ゲスト」参照。

ゲスト

札幌五輪関連

日本で初開催の冬季五輪となる札幌五輪開会式を翌年2月3日に控え、紅白でも、ダーク・ダックスとトワ・エ・モワの歌(どちらも冬季五輪がテーマの選曲)を含む約12分半が、札幌五輪を主題とした構成となった。

コント出演ゲスト

審査員

男女各20名の計40名。有名人・無名(一般)人を問わず幅広く選ばれ、当日は全員が客席1階の審査員席に座る。各人の手元スイッチは「紅組」か「白組」かのどちらか1つを押す仕組み。審査員紹介は、最初の中間得点集計ののち鈴木アナが行った。

公式出場曲以外の歌

エピソード

本番まで

審査員の1人には、翌年の山陽新幹線開業[注釈 31]の話題性に鑑み、NHKが国鉄新幹線運転士の推薦を依頼し、大阪運転所のFが決まっていた。ところが、Fの所属する鉄労と対立する労組国労を名乗る人物からNHKに脅迫電話がかかって来たため、本番3日前にNHKは「企画が変更になった」とFに断りを申し入れた。同じ鉄労組合員でもあるFの上司は憤り、本番2日前の夕刻までNHKとの話し合いを続けたが、物別れに終った[10]。紅白本番では、山陽新幹線が話題にされることはなかった。

当日ステージ

宮田「長谷川さん、どうも有難うございます。皆さん、長谷川さんは男性ですよ。白組のために応援に来て下さいました。誠に有難うございました」
長谷川「(中央スタンドマイクに向かって)どうも恐れ入ります。でも、今日は、女形の役者で出て参りました。(歓声と拍手)どうも、女性のほうに、**ウーマン・リブの世の中ですから、女性に憎まられると困るんで、こちらのほうへ応援させていただき」(拍手)
紅組の面々(長谷川に頭を下げ、口々に)「有難うございます!」「有難うございます!」
長「宮田さん、- ええ、宮田さん、あたしに歌を歌わせてはくれないんですか?」
宮「いや、こちらへ来て頂ければ、どうぞお歌い頂き、- 白組ですよねえ? 白組でしたら、どうぞお歌い頂きます」
長(紅組側を向き)「いいですか?」
紅組の面々(口々に)「紅組!」「紅組!」
長「では、あたしが歌いたいんですけども、あたしの代りに、- (間) (曲の前奏が鳴り始める)あたくしの妹のようです。(スタンドマイクの少し下手側から客席にまっすぐに向き、階段側に左手をかざし)
美空ひばりでございます!**」
長谷川、舞台中央の階段に軽く頭を下げ、紅組側に退場。
ひばり、中央奥上部に登場し、階段を降り始める。鈴木アナの曲紹介口上入る。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 本番2か月前の発表では、総合司会は置かない予定だった[3]。番組本番のテロップ「鈴木文弥 アナウンサー」にも、「総合司会」の文字は入っていない。
  2. ^ 出演者名などの字幕は放送当時の画面をそのまま再現したのみで、歌詞の字幕は無かったが、2024年の技術水準では音声字幕表示対応受像機で視聴すれば歌詞を表示できた。
  3. ^ 番組字幕は「鈴木文弥」。
  4. ^ 真帆は専科に移る前の1962年 - 1970年、雪組男役トップスターを務めていた。
  5. ^ 真帆によれば「実は九分九厘、司会は決定だったんですよ。私もやる気がなかったわけじゃないんですが、最終的に宝塚からNGが出たんですよ」と語っている。
  6. ^いい湯だな」「女ひとり」「筑波山麓合唱団」のメドレー。
  7. ^ 島崎藤村の同名の詩に若松甲が作曲。1963年11月に小林旭のシングル「男の道」のB面でリリースされ、1971年11月に舟木がA面シングルでカバーした。Wikipedia「初恋」参照。
  8. ^ 「白銀は招くよ」(映画『白銀は招くよ』の主題歌)、「白い恋人たち」のメドレー。「白銀は招くよ」で始まり、「白い恋人たち」を歌って後、再び「白銀は招くよ」に戻る構成。どちらも日本語だが、訳詞者名の字幕は無し。
  9. ^ 番組での曲名字幕は「嘆きのインデアン」。訳詞は片桐和子
  10. ^ 番組での曲名字幕は「こんど生まれて来る時は」。
  11. ^ 関口宏との結婚により、歌手業を含めた芸能活動縮小のため。
  12. ^ 前川清の急病による出場辞退。下記参照。
  13. ^ ただしバンドごとの「組当番」制は、実際にはかなり柔軟に適用される場合もあった。例えば、岸洋子の曲では、間奏で左から右に回ったカメラが、小野バンドのピアニストも演奏している様子を捉えている(この時舞台後部上方には東京放送合唱団が配置されていた)。真帆志ぶきの曲でも、小野バンドのギタリストがエレキギターを演奏している。
  14. ^ 入場行進時のスクロール(下から上)は、水前寺 - 宮田 - 出場歌手(50音順に)紅組(水前寺は重複表示) - 白組 - 踊り以下に続く。演奏(上掲4楽団) - 鈴木アナは、編曲と美術の間。スクロールのトメは演出で、藤山、加藤はその後本人がアップで写る時に個別字幕。
  15. ^ この役職名は番組字幕には出ず、氏名のみスクロール内で表示。
  16. ^ 「作曲の宮川泰さんの指揮で」と紹介されていたが、布施「愛の終りに」の作曲者はクニ河内。宮川はリリース盤の編曲担当。
  17. ^ 平尾が五木の曲を白組側手前で指揮している間、実際には後方の小野満も指揮の手を動かしている。他の作曲家ゲスト指揮もおおむね同様。
  18. ^ a b 番組字幕通り。
  19. ^ 作曲者名(三善晃)はノンクレジット。
  20. ^ 字幕では○は漢字で、「くるまへん(車)」に、つくりが「ころも(衣)」。この字は『大漢和辞典』(修訂版第1刷)にも記載がない。字幕にある「小原○美」が、『ステージ101』に出演の小原初美と同一人物か否かは要検証(Wikipedia「小原初美」には、2024年12月現在、改名の有無に関する記述がないため)。2024年12月17日、高山アイコがFacebookに高山が所属していたマナセプロダクション時代のバトン教室の生徒だった小原が当番組に出演したと投稿し、小原も投稿に反応する形で、高山から黒の衣装がステージ映えするからと黒のコスチュームで出演したとの逸話を紹介した。
  21. ^ 番組中では団体名のテロップは表示されず。
  22. ^ 配役:コーチ(萩本)、助手(坂上)、生徒1 - 4(加藤、仲本、高木、荒井)、師範(いかりや)。
  23. ^ 中継の実況は坂本九が務めた。コントの3人は劇場の外に出て最初の中継に加わり、千昌夫の曲の間奏に入る中継では試乗している。
  24. ^ 当時は「大河ドラマ」の呼称はNHK内でもまだ定着しておらず、鈴木アナは「来年から始まる「NHK大型ドラマ」出演の」と仲代を紹介した。
  25. ^ 番組字幕は「龍男」。
  26. ^ 鈴木アナは「沖縄舞踊の」と紹介。
  27. ^ この中には当時はアマチュアだったプロゴルファー高橋信雄もいた。同年の日本オープンゴルフ選手権競技でローアマとなった。
  28. ^ 毎年ではないが一般人の審査員で選ばれた年が複数ある。
  29. ^ 番組字幕は、原語タイトル ANYTHING YOU CAN DO と、訳詞者(保富康午)の表記のみで、邦題はなし。
  30. ^ 皇太子の外遊は、経由地を含め出発から帰国まで半年かかっているので、この歌には長い続きがあると考えられるが、藤山が歌ったのは1番のみである。歌詞は「大正10年3月の/桃の節句のそのあした/高輪御所をいでまして/横浜港に着かせらむ」。「あした」は古語的用法で「朝」の意。即ち、大正10年(1921年)3月3日の朝に皇太子が出発されたことを示す。
  31. ^ 1972年の山陽新幹線開業は、新大阪 - 岡山間。
  32. ^ 3番後半の替え歌。原詞「根性が俺らのとりえだぜ/まけてもまけたと言わないさ/ああ男なら男なら」→替え歌「愛嬌が女のとりえだよ/勝っても勝ったと言わないわ/ああ女なら女なら」。

出典

  1. ^ 株式会社インプレス (2024年11月22日). “NHK、1971年の紅白歌合戦をまるごと再放送。4K同等品質にリマスタ”. AV Watch. 2024年11月28日閲覧。
  2. ^ 日本放送協会. “1971年の「NHK紅白歌合戦」をまるごと高画質で! 映像修復の舞台裏とは - みんなのベスト紅白”. みんなのベスト紅白 - NHK. 2024年12月12日閲覧。
  3. ^ 「紅白」の司会きまる 朝日新聞・1971年11月3日(朝刊)東京本社版第23面。
  4. ^ 合田『紅白歌合戦の真実』
  5. ^ 合田, p. 106.
  6. ^ 「紅白歌合戦の出場歌手きまる」朝日新聞・1971年11月26日(朝刊)東京本社版第23面。
  7. ^Facebook”. www.facebook.com. 2025年2月1日閲覧。
  8. ^ 常磐音楽舞踊学院公式ホームページ. “=常磐音楽舞踊学院公式ホームページ 常磐音楽舞踊学院のあゆみ”. AV Watch. 2025年3月9日閲覧。
  9. ^第22回(1971年)”. TVデータベース. 2024年11月9日閲覧。
  10. ^ 「審査員を頼まれた運転士 「紅白」下車のうき目 NHK マル生対立で敬遠?」朝日新聞・1971年12月30日(朝刊)東京本社版第3面。

参考文献

関連項目

外部リンク

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開催会場 NHK東京放送会館(1 - 3) 日本劇場(4、11) 日比谷公会堂(5) 産経ホール(6) 東京宝塚劇場(7、8、10、12 - 23) 新宿コマ劇場(9) NHKホール(24 - 71、73 - ) 東京国際フォーラム(72)
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