茂庭照幸とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

茂庭 照幸
FC東京時代(2007年)
名前
愛称 モニ[1][2]
カタカナ モニワ テルユキ
ラテン文字 MONIWA Teruyuki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1981-09-08) 1981年9月8日(43歳)
出身地 神奈川県厚木市東京都品川区生まれ)[3]
身長 181cm[4]
体重 82kg[4]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足[1][3]
ユース
1994-1999 ベルマーレ平塚
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 湘南ベルマーレ 52 (0)
2002-2009 FC東京 172 (1)
2010-2013 セレッソ大阪 116 (0)
2014 バンコク・グラスFC 32 (0)
2015-2018 セレッソ大阪 35 (2)
2019-2022 FCマルヤス岡崎 27 (0)
2023 FC刈谷 3 (1)
通算 443 (4)
代表歴2
1999-2001 日本 U-18/19/20
2002-2004 日本 U-21/22/23 3 (0)
2003-2006 日本 9 (1)
監督歴
2024 FC刈谷
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月15日現在。2. 2006年12月30日現在。■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

茂庭 照幸(もにわ てるゆき、1981年9月8日 - )は、東京都品川区生まれ、神奈川県厚木市出身の元日本代表プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(主にセンターバック)。

2006年ドイツW杯日本代表メンバー。

プロ入り前

東京都品川区に生まれ[5]、小学校3年生の時に仲間内でキックベースが流行ったことをきっかけに[6]神奈川県厚木市のゴールプランダーズ(GP)でサッカーを始める。フォワードとして活躍していたが、6年生の時(1993年)にセンターバックへのコンバートを言い渡され[7]、以来このポジションを中心にプレー。県内のサッカー大会では同い年で後にチームメートとなるライバル[8][9]石川直宏と熾烈なマッチアップを繰り広げた[10][11]。同年の全日本少年サッカー大会では全国ベスト8に進出するも、小松原学が所属する群馬県代表のFC邑楽に敗れた。

中学時代からベルマーレ平塚のジュニアユースに所属。小松原とはチームメートになった。一時期は中学の陸上部、バスケットボール部を掛け持ちしていた時期もあった。平塚ユースに昇格すると1年時には3年の先輩と、2年時にはサテライトの選手と、3年時にはトップチームの選手というように飛び級でプレーするようになる[12]。この頃は洪明甫のプレーに憧れを抱き[13]、その後も尊敬する選手の一人として度々名前を挙げていた[14][15]

神奈川県立大秦野高等学校(現・神奈川県立秦野総合高等学校)卒業。

プロ入り後

湘南ベルマーレ

1999年、ユースに籍を置いたままトップチームに登録され、8月18日の市原戦でJ1初出場[1]

2000年J2降格・体制変更とともに改称し湘南ベルマーレとなったクラブのトップチームに昇格し、第3節大分戦でスターティングメンバーに起用されると、その後もコンスタントに出場機会を掴み、U-19日本代表として同年開催のアジアユースにも出場。

2001年にはセンターバックでコンビを組んだパラシオスから厳しく叱咤され「モニー!ウェーーークアーープ!」と怒声を飛ばされたこともあったが、必死に食らい付き実力を磨いていった[12]。同年、FIFAワールドユースアルゼンチン大会に臨むU-20日本代表に選出されたが、開幕直前の肉離れによって帰国を余儀なくされた[16][注 1]

FC東京

2002年、J1でのプレーを希望し[13]FC東京期限付き移籍[17]。センターバックにはジャーン伊藤哲也が入ったため、不慣れなサイドバックでの出場が続き[11]、イージーミスも散見されたが[18]、伊藤のコンディション不良もあって次第にセンターバックでの出場機会を増やした。

2003年よりFC東京へ完全移籍[19][20]。ジャーンと抜群のコンビネーションを見せ[18]、リーグ最小失点の堅守を築いたことによって[21]同年10月にはA代表へ初選出され、アウェーのチュニジア戦で国際Aマッチ初出場を果たした[注 2]。この経験がアテネ五輪予選を戦うU-22日本代表でも活かされ[21]、予選突破に貢献。2004年には本大会メンバーに選出され[23] 3戦にフル出場した[24]

五輪からの帰国後に行われた同年のナビスコカップでは、原博実監督から課題として挙げられていた全力プレーを見せ[注 3]、最終ラインの砦として優勝に貢献[25]浦和との決勝戦では俊足の相手FWエメルソンを徹底して追尾し[27]、持ち前の卓越したスピードに裏付けられた対人守備の強さを発揮した[28]

2005年東アジア選手権中国戦で国際Aマッチ初得点を記録[29][注 2]、続くFIFAコンフェデレーションズカップ2005にも中澤佑二の負傷を受けて追加招集された[27][30]。クラブでは自己最多となる公式戦40試合出場を記録し、リーグ戦での無警告によってフェアプレー個人賞を受賞した[31]

翌年、2006 FIFAワールドカップ本大会のメンバーからの落選を受け、ハワイで休暇を過ごしているところ、大会現地でメンバーの田中誠の負傷による追加招集の報せを受け、急遽バカンス先から開催地ドイツに直行[32][33][34][35]。チーム最年少であった。さらに初戦のオーストラリア戦で先発の坪井が負傷退場したため、後半途中から出場も果たした[27]。同年末入籍[36][37]

2007年は、前年に古傷の左大腿部を痛めながらも強行出場を続けた経緯から早い時期より念入りに調整を行っていたが[36]、1月の練習中に左肩を脱臼し[38]キャンプに参加することができなかった[39]。万全のコンディションを作れないままシーズンを迎えたことや[6][40]、最高のパートナーだったDFジャーンの退団[41]、守備戦術の変化といった要因が重なり[42]、反応の遅れによるファウルやPKを与えるなど精彩を欠いた[40][1]。自慢のクリーンなハードマークを取り戻すには時間を要し[43]、それ以降A代表には呼ばれていない。

2008年はキャンプでの追い込みが奏功し、[40] レギュラーへと返り咲いた。DF佐原秀樹をパートナーに得て好プレーを続けたが、城福浩監督は、茂庭のボール捌きや繋ぐ能力は他のJリーガーと比べても高いと評しながらも、スタミナ不足に起因する集中力の欠如からのミスが多いと指摘。茂庭に対して前監督の原も課題に挙げていた練習から全てを出し尽くす姿勢を要求し[44]2009年序盤にはMF米本拓司の抜擢に伴うメンバー再編により[45]、センターバックには今野泰幸ブルーノ・クアドロスを起用。茂庭は先発から外された。同時期に左足底腱を負傷したことも重なり[46]、今野・ブルーノのコンビが定着したため茂庭の出場機会は限られたが、今野が代表招集によって不在となった同年9月のナビスコカップ準決勝清水戦ではフル出場[47]。ブルーノが出場停止となった10月のJ1第28節名古屋戦でもFWケネディのマークに注力[48]。しかし、プレー中の交錯によりケネディの肘が茂庭の顔面に当たり[49]眼窩底を骨折[33]。以後の公式戦出場は無く、この年をもってFC東京との契約を満了した[33]

セレッソ大阪

2010年セレッソ大阪へ完全移籍[50][51]。同じく新加入の上本大海とのセンターバックのコンビでこの年リーグ2位の失点数となる堅守を構築し、チームのJ1復帰1年目でのAFCチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。さらに自身初となる公式戦全試合出場も果たし復活のシーズンとなった。

2011年には退団した羽田憲司に代わってキャプテンを務め[注 4]、同年及び2012年にはフィールドプレーヤーとしてはチーム最多最長出場を記録した[52][53]

2013年も先発出場を続けていたが、7月に右足の出術を受けて戦列を離れた[54]。復帰戦となった古巣FC東京との試合で健在ぶりを見せつけ、タイ・プレミアリーグのバンコク・グラスFC(現:BGパトゥム・ユナイテッドFC)から熱烈なオファーを受けた[3]。この年限りでC大阪との契約を満了し、12月に同クラブへの完全移籍が発表された[55][56]

バンコク・グラスFC

第1節チェンライ・ユナイテッドFC戦で早速フル出場し完封勝利[57]。早々に主力として定位置を確保し、FAカップ優勝に貢献した[58]。同年4月のタイ・リーグカップサムットサコーン戦では自陣から長距離シュートを決めている[59]

セレッソ大阪復帰

C大坂強化部長の大熊清への「直談判(茂庭談)」を経て[60]、2015年1月よりセレッソ大阪へ完全移籍で復帰[4]。同年は試合終盤に投入されることが多く、大熊も期待を寄せる味方への力強い鼓舞で守りきる役割を担った[61]。第42節東京Vでは自身初の1試合2得点を記録した[62]

2017年5月14日、第11節のサンフレッチェ広島戦で史上93人目となるJ1通算300試合を達成した[63]

2018年は、プロ入り後初のリーグ戦無出場に終わり、公式戦出場はACLの1試合のみだった。同年を以て契約満了によりC大阪を退団[64]

FCマルヤス岡崎

2019年、JFLFCマルヤス岡崎へ移籍[65]

FC刈谷

2023年1月1日に東海社会人サッカーリーグ1部のFC刈谷に完全移籍を発表[66]

2023年12月15日、2023シーズン限りで現役を引退することが発表された[67]。その2日後の12月17日、2024シーズンからFC刈谷監督に就任することが発表された(JFA公認A級コーチジェネラルライセンス取得済み)[68]。 2024年11月29日、退任が発表された[69]

トピックス

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 平塚 24 J1 11 0 1 0 1 0 13 0
2000 湘南 2 J2 12 0 2 0 0 0 14 0
2001 22 29 0 2 0 2 0 33 0
2002 FC東京 2 J1 19 0 1 0 1 0 21 0
2003 27 0 7 0 1 0 35 0
2004 22 1 6 0 1 0 29 1
2005 32 0 6 0 2 0 40 0
2006 24 0 4 0 0 0 28 0
2007 17 0 3 0 3 0 23 0
2008 22 0 7 0 2 0 31 0
2009 9 0 3 0 0 0 12 0
2010 C大阪 3 34 0 6 0 3 0 43 0
2011 33 0 1 0 5 0 39 0
2012 33 0 8 0 3 0 44 0
2013 16 0 5 0 2 0 23 0
タイ リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2014 バンコクG 3 プレミア 32 0 0 0 0 0 32 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2015 C大阪 33 J2 14 2 - 0 0 14 2
2016 3 20 0 - 2 0 22 0
2017 J1 1 0 9 0 4 0 14 0
2018 0 0 0 0 0 0 0 0
2019 マルヤス 35 JFL 15 0 - - 15 0
2020 3 0 - 0 0 3 0
2021 9 0 - - 9 0
2022 0 0 - - 0 0
2023 刈谷 3 東海1部 3 1 - - 3 1
通算 日本 J1 300 1 67 0 28 0 395 1
日本 J2 75 2 4 0 4 0 83 2
日本 J3 6 0 - - 6 0
日本 JFL 27 0 - 0 0 27 0
日本 東海1部 3 1 - - 3 1
タイ プレミア 32 0 0 0 0 0 32 0
総通算 443 4 71 0 32 0 546 4
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 C大23 3 J3 2 0 2 0
2017 4 0 4 0
通算 日本 J3 6 0 6 0
総通算 6 0 6 0

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2011 C大阪 3 8 0
2018 1 0
通算 AFC 9 0

出場歴

代表歴

出場大会など

試合数

日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 2 0
2004 1 0
2005 4 1
2006 2 0
通算 9 1

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2003年10月08日 チュニス チュニジア ○1-0 ジーコ 国際親善試合
2. 2003年12月07日 埼玉県 埼玉スタジアム2002 香港 ○1-0 東アジア選手権
3. 2004年02月07日 茨城県 茨城県立カシマサッカースタジアム マレーシア ○4-0 キリンチャレンジカップ
4. 2005年08月03日 大田 中華人民共和国 △2-2 東アジア選手権
5. 2005年08月07日 大邱 韓国 ○1-0 東アジア選手権
6. 2005年10月08日 リガ ラトビア △2-2 国際親善試合
7. 2005年10月12日 キエフ ウクライナ ●0-1 国際親善試合
8. 2006年02月22日 神奈川県 横浜国際総合競技場 インド ○6-0 アジアカップ予選
9. 2006年06月12日 カイザースラウテルン オーストラリア ●1-3 ワールドカップ

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2005年8月3日 韓国大田 中国 △ 2-2 東アジアサッカー選手権2005

タイトル

クラブ

FC東京

バンコク・グラスFC

セレッソ大阪

個人

指導歴

脚注

注釈

  1. ^ 茂庭に代わってバックアップメンバーから那須大亮が登録された。
  2. ^ a b FC東京において、クラブ史上初の国際Aマッチ出場選手であり[18]初の得点選手[22]
  3. ^ 原曰く「今までは試合が終わっても『オレはまだ走れるよ』という感じだった」[25]。なお、全力を出し尽くしたことで同大会の決勝戦後には「ワインみたいな(茂庭談)」血尿が出たとのこと[26][25]
  4. ^ 2010年シーズン中盤以降は本来キャプテンである羽田が主にベンチスタートだったため実質のゲームキャプテンを務めていた。
  5. ^ 茂庭の他、山田卓也,山田暢久,奥大介,久保竜彦,都築龍太,小笠原満男,大久保嘉人の合計8名[74]

出典

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  8. ^ 小宮,193頁
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  18. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、24-25頁。
  19. ^ 茂庭照幸選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2003年2月6日アーカイブ分) 湘南ベルマーレ (2002年12月17日)
  20. ^ 茂庭照幸選手 FC東京へ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月6日アーカイブ分) FC東京 (2002年12月17日)
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関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、**茂庭照幸**に関連するカテゴリがあります。

FC刈谷 - 2024
スタッフ 監督 茂庭照幸 ヘッドコーチ 飯塚亮 アシスタントコーチ 岸本昌蔵
選手 GK 1 山本伊織 16 中山音弥 21 兒島拓哉 DF 2 大島遼介 4 佐々木宏樹 6 石田和成 7 飯島蓮 15 小山珠里 19 秋本愛斗 22 米澤哲哉 24 武下智哉 33 宮㟢海斗 MF 5 井塚脩斗 8 齋藤雅之 10 尾崎僚 11 大友千裕 13 馬場琢未 14 木下海斗 17 清水雅仁 18 向井颯 20 田中彰馬 23 園田新一郎 25 石坂亮人 26 佐田正舟 27 笹ヶ瀬友都 33 新城暖基 FW 9 鈴木直人 28 野邊滉生 29 新井直登 -12 サポーター
関連項目 スタジアム 選手一覧
Jリーグフェアプレー個人賞
J1 1990年代 96: 岡野雅行 97: 永島昭浩 98: 相馬直樹 99: 受賞者なし 2000年代 00: 米山篤志 01: 南雄太 02: 坪井慶介 03: 根本裕一, 曽ヶ端準, 石川直宏, 池田昇平 04: 高木義成, 下田崇 05: 茂庭照幸, 大黒将志 06: 山岸智, 根本裕一 07: 坂田大輔, 佐藤寿人, 伊東輝悦 08: 川口能活 09: 川島永嗣, 服部公太 2010年代 10: 槙野智章 11: 梁勇基, 太田宏介 12: 佐藤寿人 13: 柿谷曜一朗, 佐藤寿人 14: 西川周作, 工藤壮人, 平岡康裕, 森岡亮太, 水本裕貴, 豊田陽平 15: 谷口彰悟, 中澤佑二 16: 秋元陽太, 田中佑昌 17: 中澤佑二, 柿谷曜一朗, 水本裕貴 18: 西川周作, 秋元陽太, 澤田崇 19: 受賞者なし 2020年代 20: 山口蛍 21: 山根視来 22: 受賞者なし 23: 西川周作, 前川黛也, 大迫敬介 24: キム・ジンヒョン, 大迫敬介, 安西幸輝
J2 2020年代 23: 櫛引政敏, マテウス, 権田修一, 波多野豪
J3 2020年代 23: 山本海人, 安在達弥, 永井建成
Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞)
日本代表 - 出場大会
U-21日本代表 - 2002年アジア競技大会 サッカー競技 準優勝 1 藤ヶ谷陽介 2 茂庭照幸 3 池田昇平 4 那須大亮 5 駒野友一 6 阿部勇樹 7 大久保嘉人 8 森﨑和幸 9 松井大輔 10 前田遼一 11 田中達也 12 根本裕一 13 鈴木啓太 14 石川直宏 15 三田光 16 野沢拓也 17 田中隼磨 18 黒河貴矢 19 中山悟志 20 青木剛 監督 山本昌邦 日本代表 - 東アジアサッカー選手権2003 1 楢﨑正剛 2 山田暢久 3 坪井慶介 4 茂庭照幸 5 宮本恒靖 6 三浦淳宏 7 石川直宏 8 小笠原満男 9 久保竜彦 10 藤田俊哉 11 黒部光昭 12 都築龍太 13 本山雅志 14 三都主アレサンドロ 15 福西崇史 16 奥大介 17 山田卓也 18 阿部勇樹 19 遠藤保仁 20 大久保嘉人 21 加地亮 22 中澤佑二 23 土肥洋一 監督 ジーコ U-23日本代表 - 2004 アテネ五輪 サッカー競技 1 曽ヶ端準 2 田中マルクス闘莉王 3 茂庭照幸 4 那須大亮 5 阿部勇樹 6 今野泰幸 7 森﨑浩司 8 小野伸二 9 高松大樹 10 松井大輔 11 田中達也 12 菊地直哉 13 駒野友一 14 石川直宏 15 徳永悠平 16 大久保嘉人 17 平山相太 18 黒河貴矢 監督 山本昌邦 日本代表 - FIFAコンフェデレーションズカップ2005 1 楢﨑正剛 2 田中誠 3 茶野隆行 4 遠藤保仁 5 宮本恒靖 6 中田浩二 7 中田英寿 8 小笠原満男 9 玉田圭司 10 中村俊輔 11 鈴木隆行 12 土肥洋一 13 柳沢敦 14 三都主アレサンドロ 15 福西崇史 16 大黒将志 17 三浦淳宏 18 稲本潤一 19 本山雅志 20 坪井慶介 21 加地亮 22 茂庭照幸 23 川口能活 監督 ジーコ 日本代表 - 東アジアサッカー選手権2005 1 楢﨑正剛 2 田中誠 3 茶野隆行 4 遠藤保仁 5 宮本恒靖 8 小笠原満男 9 巻誠一郎 12 土肥洋一 14 三都主アレサンドロ 15 福西崇史 16 大黒将志 17 駒野友一 19 本山雅志 20 坪井慶介 21 加地亮 22 中澤佑二 23 川口能活 25 村井慎二 26 今野泰幸 27 田中達也 28 玉田圭司 29 茂庭照幸 30 阿部勇樹 監督 ジーコ 日本代表 - 2006 FIFAワールドカップ 1 楢﨑正剛 2 茂庭照幸 3 駒野友一 4 遠藤保仁 5 宮本恒靖 6 中田浩二 7 中田英寿 8 小笠原満男 9 高原直泰 10 中村俊輔 11 巻誠一郎 12 土肥洋一 13 柳沢敦 14 三都主アレサンドロ 15 福西崇史 16 大黒将志 17 稲本潤一 18 小野伸二 19 坪井慶介 20 玉田圭司 21 加地亮 22 中澤佑二 23 川口能活 監督 ジーコ