衡山郡とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 15:35 UTC 版)
衡山郡(こうざん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から漢初にかけて、現在の河南省南部や湖北省東部にまたがる地域に設置された。隋代に再び衡山郡が置かれた。
古代の衡山郡
秦のとき、衡山郡が立てられた。
紀元前206年(漢の高帝元年)、呉芮が衡山王となり、邾を都とする衡山国が置かれた[1]。
紀元前202年(高帝5年)、衡山王呉芮が長沙王となる[2]と、衡山国は淮南国に編入された。紀元前164年(文帝16年)、劉勃が衡山王となり、衡山国が立てられた。紀元前122年(元狩元年)、衡山王劉賜が反乱を計画した罪で逮捕されると、衡山国は廃止され、衡山郡と改められた[3]。紀元前121年(元狩2年)、衡山郡は六安国・廬江郡・江夏郡に分割された[4]。
隋の衡山郡
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、衡陽郡が廃止されて衡州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、衡州は衡山郡と改称された。衡山郡は衡陽・耒陰・湘潭・新寧の4県を管轄した[5]。
621年(武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、衡山郡は衡州と改められ、衡山郡の呼称は姿を消した[6]。
脚注
[ヘルプ]
表話編歴秦朝の行政区分 | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
関中地区 | 内史 | 隴西郡 | 上郡 | 北地郡 | 雲中郡 | 九原郡 | 新秦中郡 | ||||||||||
河南地区 | 三川郡 | 潁川郡 | 碭郡 | 東郡 | 薛郡 | 郯郡(東海郡) | 四川郡 | 淮陽郡 | 南陽郡 | 臨淄郡 | 済北郡 | 博陽郡 | 琅邪郡 | 即墨郡 | 膠西郡 | 城陽郡 | |
河北地区 | 河東郡 | 河内郡 | 太原郡 | 上党郡 | 代郡 | 雁門郡 | 邯鄲郡 | 鉅鹿郡 | 恒山郡 | 清河郡 | 河間郡 | 広陽郡 | 右北平郡 | 上谷郡 | 漁陽郡 | 遼西郡 | 遼東郡 |
淮漢地区 | 漢中郡 | 蜀郡 | 巴郡 | 南郡 | 九江郡 | 衡山郡 | 会稽郡 | 長沙郡 | 黔中郡 | 洞庭郡 | 蒼梧郡 | ||||||
嶺南地区 | 象郡 | 南海郡 | 桂林郡 | 閩中郡 |