「西フランク王国」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
西フランク王国
Francie occidentale
公用語 | ラテン語古フランス語古オック語ブルトン語 |
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首都 | パリ |
国王 843年 - 877年 シャルル2世 881年 - 887年 カール3世 893年 - 923年 シャルル3世 922年 - 923年 ロベール1世 986年 - 987年 ルイ5世 変遷 ヴェルダン条約 843年8月10日 メルセン条約 870年8月8日 リブモント条約 880年 カロリング朝断絶 987年5月21日 カペー朝フランス王国成立 987年7月3日 | |
通貨 | ソリドゥス |
フランスの歴史 |
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先史時代 フランスの先史時代(フランス語版、英語版) |
古代 ガリア人 · ガロ・ローマ人 · フランク人 |
中世 フランク王国 メロヴィング朝 481–751 カロリング朝 751–987 西フランク王国 フランス王国 カペー朝 987–1328 ヴァロワ朝 1328–1498 |
近世 ヴァロワ=オルレアン朝 1498–1515 ヴァロワ=アングレーム朝 1515–1589 ブルボン朝 1589–1792 |
近代 フランス革命 1789 立憲王政 1791–1792 第一共和政 1792–1804 • 国民公会 1792–1795 • 総裁政府 1795–1799 • 統領政府 1799–1804 第一帝政 1804–1814/1815 • 百日天下 1815 復古王政 1814–1830 七月革命 1830 七月王政 1830–1848 二月革命 1848 第二共和政 1848–1852 第二帝政 1852–1870 第三共和政 1870–1940 パリ・コミューン 1871 |
現代 ナチス・ドイツの侵攻ナチス・ドイツの占領ヴィシー政権自由フランスパリの解放 1940–1944 共和国臨時政府 1944–1946 第四共和政 1946–1958 第五共和政 1958–現在 |
テーマ別 旧州 · 植民史 · 文化史 · パリ史 |
年表 |
フランス ポータル 表 話 編 |
西フランク王国(にしフランクおうこく、ラテン語: Francie occidentale、ドイツ語: Westfrankenreich)は、西ヨーロッパにかつて存在した王国(843年 - 987年)である。フランス王国の原型にあたる。
歴史
カール大帝が西ヨーロッパを統一したフランク王国も、大帝の死後は早くから内部紛争により国家分裂の危機が生じていた。帝国分裂を防ぐため、度々帝国整理令が出されるが効果は上がらず、843年、皇帝ルートヴィヒ1世(ルイ1世)の死後、彼の3人の遺児が帝国を分割統治し、ヴェルダン条約により、正式に帝国は分裂した。帝国西部の旧ローマ属州ガリア地方に西フランク王国が、イタリア半島北部を中心に中部フランク王国(ロタール相続領)が、そして帝国東部のゲルマニア地方に東フランク王国が成立した。
西フランク王国の初代はシャルル2世(カール2世)で、禿頭王とも呼ばれる。地方分権化が進み、王権は当初から弱体で、このことは後のフランス諸王朝の悩み種となる。
987年にルイ5世(ルートヴィヒ5世)が夭折すると、カロリング家のシャルルを抑えてカペー家のユーグ・カペーが西フランク王に選出された。これ以後カロリング家からは王位に選出される者が現れなかったため、これをもってカロリング朝は断絶したとみなされている。以後の西フランク王国は歴史学的にはフランス王国と呼ばれる。
歴代国王
- シャルル2世(843年 - 877年)
- ルイ2世(877年 - 879年)
- ルイ3世(879年 - 882年、カルロマン2世と共同統治)
- カルロマン2世(879年 - 884年、882年までルイ3世と共同統治)
- カール3世(884年 - 887年)
- ウード(888年 - 898年、893年からシャルル3世と共同統治)
- シャルル3世(893年 - 923年、898年までウードと共同統治)
- ロベール1世(922年 - 923年)
- ラウール(923年 - 936年)
- ルイ4世(936年 - 954年)
- ロテール(954年 - 986年)
- ルイ5世(986年 - 987年)