観音町停留場とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
観音町停留場* | |
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かんおんまち Kan-on-machi | |
◄M15 天満町 (0.2 km) (0.3 km) 西観音町 M17► | |
所在地 | 広島市西区天満町北緯34度23分43.81秒 東経132度26分18.88秒 / 北緯34.3955028度 東経132.4385778度 / 34.3955028; 132.4385778座標: 北緯34度23分43.81秒 東経132度26分18.88秒 / 北緯34.3955028度 東経132.4385778度 / 34.3955028; 132.4385778 |
駅番号 | ●M16 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 4.2 km(広島駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員-統計年度- | 1,316[1]人/日-2019年- |
開業年月日 | 1921年(大正10年)以前 |
* 1964年 - 1965年は西天満町停留場として営業(廃止および休止に伴う休業期間あり) | |
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観音町停留場(かんおんまちていりゅうじょう、観音町電停)は、広島市西区天満町にある広島電鉄本線の路面電車停留場である。駅番号はM16。
歴史
当停留場付近は隣の天満町停留場と合わせて改廃が多く、資料によって時期に異同があるが、ここでは主に『日本鉄道旅行地図帳』を参考にした。
年表
- 1921年(大正10年)以前:観音町停留場として開業[2]。
- 1929年(昭和4年)頃:廃止[2]。代わって隣の西天満町停留場が観音町停留場に改称[2]。
- 1936年(昭和11年)7月11日:再開業[2]。それまで観音町停留場を名乗っていた隣の停留場は西天満町停留場に再改称[2]。
- 1942年(昭和17年)5月:休止[2]。
- 1964年(昭和39年)4月21日:西天満町停留場に改称し復活[2]。このとき隣の西天満町停留場はすでに天満町停留場に改称済み[2]。
- 1965年(昭和40年)4月1日:観音町停留場に再改称[2]。
停留場構造
本線はほぼすべての区間で軌道が道路上に敷かれている併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。
ホームは低床式で2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置されている[3][4](相対式ホーム)。線路の北側に紙屋町方面の上りホーム、南側に広電西広島駅方面の下りホームがある[3]。周辺の道幅が狭く、ホームの幅も極端に狭い[3][5]。加えて上りホームは電車がカーブを曲がった先にあるため、電車との干渉を避けるように切り欠きがなされている[5]。
運行系統
本線には広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れるが、このうち当停留場には2号線、3号線、それに0号線が乗り入れている。
上りホーム | ![]() |
広島駅ゆき |
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![]() ![]() |
日赤病院前ゆき | |
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広電本社前ゆき | |
下りホーム | ![]() |
広電宮島口ゆき |
![]() ![]() |
広電西広島ゆき |
停留場周辺
周辺は住宅街となっている。すぐそばには中広通りが走り、南へ少し歩いたところには平和大通りがある。
隣の停留場
広島電鉄
■本線
天満町停留場 (M15) - 観音町停留場 (M16) - 西観音町停留場 (M17)
脚注
- ^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、12・77頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103-104頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
- ^ a b 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、61頁。ISBN 4-533-05986-4。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、**観音町停留場**に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
- 観音町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄