里木佐甫良とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

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さとき さぶろう里木 佐甫良
本名 佐藤 喜三郎
別名義 里木 三郎里木 左甫良(旧芸名)
生年月日 (1912-03-31) 1912年3月31日
没年月日 (1999-12-23) 1999年12月23日(87歳没)
出生地 日本山形市八森
身長 160cm
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1957年 - 1998年
主な作品
テレビドラマ隠密剣士』『銭形平次』『特捜最前線』『特別機動捜査隊』『太陽にほえろ!』『Gメン'75』『大江戸捜査網映画幸福の黄色いハンカチ』『お葬式』『タンポポ』『マルサの女2
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里木 佐甫良(さとき さぶろう、1912年3月31日[1][2] - 1999年12月23日[2])は、日本俳優。本名は佐藤 喜三郎[1][2]。旧芸名は里木三郎、里木左甫良。他に里木三朗、里木三甫良、黒木三郎、黒木三朗、黒木左甫良、黒木佐甫良、悟木三郎などの別表記もある。

山形県[1]山形市八森出身[2]。旧制・山形県立山形中学校(現・山形県立山形東高等学校)卒業[1][2]東京俳優生活協同組合[1]に所属していた。

来歴・人物

中学校卒業後の1930年に上京し、1931年、日本俳優学校(歌舞伎役者・六代目尾上菊五郎が設立した四年制の学校)へ二期生として入学し、演技を学ぶ。同期には山形勲植村謙二郎加藤嘉三津田健がいた。その後は日本楽劇協会演劇研究所(山田耕筰が設立)に在籍し、1944年に陸軍移動演劇隊に入隊、満州および北支中支前線を慰問で廻った。

戦後は東宝劇団、劇団東京、二代目曾我廼家五郎劇団、劇団東芸[1](設立にも参加)などに所属し、昭和30年代からテレビドラマや映画で脇役として活躍。晩年は伊丹十三監督作品の常連俳優だった。デビュー当時の芸名は『里木三郎』。1960年代中盤頃に『里木佐甫良』に改名。

特技は[1]山形弁[1]

1999年12月23日、死去。87歳没。

主な出演

映画

テレビドラマ

舞台

参考資料

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、92頁。
  2. ^ a b c d e 新撰 芸能人物事典 明治〜平成. “里木佐甫良”. コトバンク. 2020年5月16日閲覧。