野宮神社とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

この項目では、嵯峨野の野宮神社について説明しています。西院の野宮神社については「西院野宮神社」をご覧ください。
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?: "野宮神社"ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年1月)
野宮神社
黒木鳥居
所在地 京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1
位置 北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度 / 35.01778; 135.67417 (野宮神社)座標: 北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度 / 35.01778; 135.67417 (野宮神社)
主祭神 野宮大神(天照皇大神)
社格 村社
創建 (根拠不明)大同4年(809年)
例祭 春5月第3・4日曜 秋10月第3日曜
地図 野宮神社
テンプレートを表示

野宮じゅうたん苔

野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨野にある神社。旧社格は村社、現在は神社本教の被包括法人となっている[1]

概要

天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王伊勢に赴く前に身を清める場所であり、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで建てられた。その様子は源氏物語賢木の巻」にも描かれている[2]。学問・恋愛成就・子宝安産等の祭神を祀り、地域住民からの崇敬はもとより、観光ルートの便から他府県または海外からも多くの参拝者が訪れる。

祭神

歴史

豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる[2]。天皇が代替わりすると、未婚の皇女女王(平均12-13歳、最年少2歳、最年長で28歳)の中より新たな斎王が卜定され、宮中の初斎院で1年間、そして嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り1年間潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。その時の行列を「斎王群行」といい、1998年(平成10年)より毎年10月の例祭において氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子を再現している。

野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の制度は南北朝時代後醍醐天皇の代の祥子内親王を最後に廃絶し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、度重なる戦乱の中で衰退した[注釈 1]

後に後奈良天皇中御門天皇らの綸旨により再興され、現在まで皇室からの厚い崇敬を受ける。近年では、1980年(昭和55年)3月18日に浩宮徳仁親王、1994年(平成6年)2月12日には秋篠宮文仁親王並びに同妃が参拝した。

摂末社

近年までは、松尾大神を祀っていたが、江戸期の都名所図会をもとに再興された。

上記は、石製基壇上に西向きで本殿両脇に並び建つ。

境内北部

上記は、本殿などが建つ場所から、じゅうたん苔を横目に進んだ所に西向きに並び建つ。

境外攝社

境内

祭礼

茅の輪

清涼寺門前に愛宕神社とともに御旅所があり、拝殿神輿庫が建つ。御旅所を起点に愛宕神社と合同で執行される。

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 狩野永徳筆の洛外名所遊楽図屏風にも当社が描かれている。

出典

  1. ^ 宗教年鑑参照
  2. ^ a b 野宮神社公式サイト - 由来

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、**野宮神社**に関連するカテゴリがあります。