1304年とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1280年代 1290年代 1300年代 1310年代 1320年代 |
年: | 1301年 1302年 1303年 1304年 1305年 1306年 1307年 |
1304年(1304 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
この節は、**ウィキプロジェクト 紀年法のガイドライン**に基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。 凡例 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。 |
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カレンダー
- 1304年のカレンダー(ユリウス暦)
できごと
誕生
- 2月24日 - イブン・バットゥータ、モロッコ出身のイスラム法学者、旅行家(+ 1368年[1])
- 7月20日 - ペトラルカ、イタリアの詩人、学者、人文主義者(+ 1374年)
- イブン・シャーティル、マムルーク朝の天文学者(+ 1375年)
- ギュンター・フォン・シュヴァルツブルク、神聖ローマ帝国の対立王(+ 1349年)
- トク・テムル、モンゴル帝国の第12代カアン(+ 1332年)
- 細川頼春、鎌倉時代、南北朝時代の武将(+ 1352年)
- マリー・ド・リュクサンブール、フランス王シャルル4世の2度目の王妃(+ 1324年)
死去
- 2月7日(嘉元2年1月1日) - 頼瑜、鎌倉時代の真言宗の僧(* 1226年)
- 3月6日(嘉元2年1月21日) - 西園寺公子、後深草天皇の中宮(* 1232年)
- 5月17日 - ガザン・ハン、イルハン朝の第7代君主(* 1271年)
- 5月21日(嘉元2年4月16日)? - 国分胤光、鎌倉時代の武将(* 1241年?)
- 5月23日 - ジャンノ・ド・レスキュレル、フランスの詩人、作曲家、トルヴェール(* 生年未詳)
- 6月11日(嘉元2年5月8日) - 佐々木貞宗、鎌倉時代の御家人(* 1285年?)
- 7月7日 - ベネディクトゥス11世、第194代ローマ教皇(* 1240年)
- 8月17日(嘉元2年7月16日) - 後深草天皇、第89代天皇(* 1243年)
- 8月22日 - ジャン2世、エノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯(* 1247年)
- 9月23日 - エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ、レグニツァ=ヴロツワフ公ヘンリク5世の妃(* 1263年)
- アンドレイ・アレクサンドロヴィチ、ウラジーミル大公(* 1255年?)
- 菊池時隆、鎌倉時代の武将(* 1287年)
脚注
注釈
出典
関連項目
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