1653年にあった出来事や活躍した人物 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1630年代 1640年代 1650年代 1660年代 1670年代 |
年: | 1650年 1651年 1652年 1653年 1654年 1655年 1656年 |
1653年(1653 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
この節は、**ウィキプロジェクト 紀年法のガイドライン**に基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。 凡例 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。 |
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- 干支 : 癸巳
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2195年 - 2196年
- イスラム暦 : 1063年 - 1064年
- ユダヤ暦 : 5413年 - 5414年
- ユリウス暦 : 1652年12月22日 - 1653年12月21日
カレンダー
できごと
- 4月4日 - 11月15日 - 日本・江戸時代:玉川兄弟が玉川上水を開削(1654年通水開始)
- 4月20日 - イングランド共和国:オリバー・クロムウェル、クーデターでランプ議会(長期議会)を解散。7月4日にベアボーンズ議会を召集。
- 9月26日 - 西日本一帯(九州西部から中国地方西部)が暴風雨に襲われた。徳川家綱の事蹟を記録した「厳有院殿御実紀・巻六」の承応二年八月の項に、“十三日”として“肥後熊本、洪水の注進あり。八万四千百六十石程その害蒙り。人畜多く溺死せりとぞ”。また“廿六日”として“安芸広島。長門の萩。このほど洪水の注進あり”。と記されている[1]。この暴風雨により、特に熊本では多くの死者が出た。広島市付近でも被害は大きく、死者約5,000人[2]。
- 12月12日 - イングランド共和国:オリバー・クロムウェル、ベアボーンズ議会を解散。12月16日に『統治章典』が公布され護国卿となる(-1658年)。
- ムガル帝国:タージ・マハル竣工。
誕生
- 2月17日 - アルカンジェロ・コレッリ、作曲家、ヴァイオリニスト(+ 1713年)
- 4月2日 - カンバーランド公ジョージ、デンマーク王クリスチャン5世の弟、イングランド女王アンの夫(+ 1708年)
- 5月8日 - クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール、スペイン継承戦争を指揮した軍人(+ 1734年)
- 6月1日受洗 - ゲオルク・ムッファト、作曲家(+ 1704年)
- 7月5日 - トーマス・ピット(Thomas Pitt)、貿易商人(+ 1726年)
- 7月25日 - アゴスティーノ・ステッファーニ、聖職者、外交官、作曲家(+ 1728年)
- 9月1日受洗 - ヨハン・パッヘルベル、作曲家、オルガニスト(+ 1706年)
- 月日不明 - 近松門左衛門、劇作家(+ 1725年)
- 月日不明 - フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix)、東洋学者(+ 1713年)
死去
- 1月1日(承応元年12月2日) - お楽の方(宝樹院)、徳川家光の側室、徳川家綱の母(* 1621年)
- 2月19日 - ルイージ・デ・ロッシ、作曲家(* 1597年頃)
- 2月21日(承応2年1月24日) - 愛姫(陽徳院)、伊達政宗の正室(* 1568年)
- 3月24日 - ザムエル・シャイト、作曲家(* 1587年)
- 5月26日 - ロバート・フィルマー、イングランドの政治思想家(* 1588年)
- 6月1日 - リチャード・ディーン(Richard Deane)、軍人(* 1610年)
- 7月10日 - ガブリエル・ノーデ、人文学者、司書(* 1600年)
- 7月21日(承応2年6月27日) - 伊奈忠治、関東郡代(* 1592年)
- 9月3日 - クラウディウス・サルマシウス(Claudius Salmasius)、古典学者(* 1588年)
- 月日不明 - アルテミジア・ジェンティレスキ、女性画家(* 1593年)
脚注
- ^ 国立国会図書館・近代デジタルライブラリー「続国史大系 第11巻・徳川実紀 第3編・厳有院殿御実紀 巻六・承応二年八月 90頁~91頁」、 細川藩政史研究会編「熊本藩年表稿 74頁:承応2年」、大田報助編「毛利十一代史 第1冊・巻之四・泰厳公記・承応二:243頁」、広島市編「広島市史 第1巻・浅野氏時代(玄徳院)・第四節 承応の洪水と明暦の大火 363頁:承応の洪水」、小倉一德編、力武常次+竹田厚監修「日本の自然災害・第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歴史・2.近世の災害 84頁:西日本暴風・洪水」[1]
- ^ 伊藤和明 『明日の防災に活かす災害の歴史〈3〉安土桃山時代~江戸時代』小峰書店、2020年4月7日、12頁。ISBN 978-4-338-33703-8。
関連項目
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