280Eとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「280E(1977年ロンドン~シドニー)」の解説
詳細は「1977年ロンドン・シドニーマラソンラリー(英語版)」を参照 コーワン車(優勝) フォークス車(2位) 280E(1977年ロンドン・シドニーマラソンラリー) 1972年のスパ24時間レースでその名を轟かせたAMGは、メルセデス・ベンツのチューナーとしてプライベーターからの注文を獲得するようになり、1977年のロンドン・シドニーマラソンラリー(英語版)に参戦するための車両を依頼され、280E(W123)をベースとした車両を製作した。開発はダイムラー・ベンツも支援し、この車両のテストはウンターテュルクハイムの本社施設でも行われた。 起業家のウィルトン・ディクソン(Wylton Dickson)によって主催されたこのレースは、スタート地点であるロンドン・コヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスから、ユーラシア大陸を経由して、ゴールであるオーストラリアのシドニー・オペラハウスを目指すというもので、コースは全長30,000kmに及んだことから、「史上最長のレース」、「史上最も過酷なレース」と呼ばれた。 このレースは69台で争われ、その中で6チームがそれぞれ1台ずつ280Eをエントリーさせた。彼らはいずれもプライベーターで、ダイムラー・ベンツは「ワークスチーム」として登録することはなかったが、車両開発部門のエンジニアであるエリック・バクセンベルガーの主導の下、経由する各地域の販売店ネットワークが活用され、彼らに対するサポートを行った。 8月12日に始まったレースは9月28日にシドニーでゴールを迎え、280Eはアンドリュー・コーワン(英語版)らの車両を先頭に1-2フィニッシュを達成した。
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