Anders Fridénとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

アンダース・フリーデンAnders Fridén
2011年
基本情報
出生名 パール・アンデシュ・フリデーン (Pär Anders Fridén[1])
生誕 (1973-03-25) 1973年3月25日(47歳)
出身地 スウェーデンイェーテボリ・ブーヒュース県イェーテボリ
ジャンル メロディックデスメタルオルタナティヴ・メタルニュー・メタル
職業 ボーカリスト作詞家作曲家音楽プロデューサーレコーディング・エンジニア
担当楽器
活動期間 1989年 -
共同作業者 イン・フレイムスパッセンジャーダーク・トランキュリティ セプティック・ブロイラーセレモニアル・オースニュークリア・ブラスト・オールスターズ

アンダース・フリーデン (Anders Fridén1973年3月25日 - )は、スウェーデンヘヴィメタルミュージシャン (ボーカリスト)。イン・フレイムスのボーカリストとして著名。また、同バンドでは、作詞作曲も行っている。この他に、音楽プロデューサーレコーディング・エンジニアとしても活動している。また、ラッツィア・レコードA&Rとしても活動している[2]

スウェーデン語に近い発音では、フルネームでパール・アンデシュ・フリデーン(Pär Anders Fridén)となる。またイン・フレイムスの2ndアルバム『The Jester Race』の日本盤においては、アンデッシュ・フリーデンと記載されていたが、3rdアルバム『Whoracle』以降は英語読みのアンダース・フリーデンへと表記が統一された。

略歴

1989年デスメタルバンド、セプティック・ブロイラー (Septic Broiler)を結成し、活動を始める。セプティック・ブロイラーは、翌1990年ダーク・トランキュリティ (Dark Tranquillity)にバンド名を変更している。ダーク・トランキュリティは、1992年スパインファーム・レコードと契約し、1993年に1stアルバム『Skydancer』でデビューしている。その後、アンダースは音楽的意見の相違を理由にダーク・トランキュリティを脱退している。ダーク・トランキュリティ脱退後、セレモニアル・オース (Ceremonial Oath)に加入。セレモニアル・オースでは、2ndアルバム『Carpet』に参加。その後、セレモニアル・オースは解散している。

セレモニアル・オース解散前後の1995年に、イン・フレイムス (In Flames)に加入。1996年リリースの2ndアルバム『The Jester Race』から参加するようになる。以後、イン・フレイムスのフロントマンとして活動していくこととなる。また、『The Jester Race』では、ダーク・トランキュリティのニクラス・スンディンと共作で、作詞を手掛けるようになった。4thアルバム『Colony』からは、アンダース一人で作詞を行うようになる。ただし、ニクラスは作詞はしないものの、スウェーデン語から英語への翻訳を手助けを続けていた。

またサイドプロジェクトとして、ニューメタルバンド、パッセンジャー (Passenger)を結成し、2003年には1stアルバム『Passenger』をリリースしている。パッセンジャーには、イン・フレイムスのニクラス・エンゲリン (G)、元ガーデニアンのホーカン・スコガー (B)、ドリーム・イーヴルのパット・パワー (Patrik J. Sten) (Ds)が参加していた。現在、パッセンジャーの活動は停止している。

2002年の『Reroute To Remain』でイン・フレイムスの音楽性が大きく変わったのと同時期にを伸ばすようになり、髪型ドレッドロックスになった。また同アルバムからボーカルスタイルも大きく変わった。低トーン、ハッシュボーカルは、ハイピッチのスクリームへと変化した。また、クリーンボーカルも使用するようになった。更に、同アルバムからは作曲にも携わるようになった。

また、1997年頃からレコーディング・エンジニア音楽プロデューサーとしても活動している。イン・フレイムスでは、2002年の『Reroute To Remain』からミキシングに参加するようになった。

2007年には、ニュークリア・ブラスト設立20周年を記念して結成されたプロジェクトニュークリア・ブラスト・オールスターズに参加した。

2010年に、2002年頃から続けていたドレッドロックスを切り、外見が大きく変わった。

人物

家族

妻と息子1人、娘1人がいる。また、弟がいる。

趣味

DVD鑑賞を趣味としている。アンダースは、"The one with the most DVDs when you die, wins."が好きな言葉であると述べている。

また、ウイスキーの熱心なコレクターとしても知られている。

地元イェーテボリサッカークラブ、IFKイェーテボリのサポーターでもある。

イン・フレイムスライヴで度々来日しているが、日本では寿司と日本のが好物であると述べている[2]

ディスコグラフィー

イン・フレイムス

アルバム

シングル・ミニアルバム

ライブ

ビデオ

ダーク・トランキュリティ

アルバム

デモ

セレモニアル・オース

アルバム

ゲスト参加

プロデューサー・エンジニア参加

脚注

  1. ^ http://www.ratsit.se/BC/ReportSmall.aspx?ID=DP-Cj_7PYp2Ym6zM5VyGQdlmrdnwaNUimSmonC91v6I
  2. ^ a b フリーデン, アンダース (2014年9月). IN FLAMES. インタビュアー:米沢彰. 激ロック.. http://gekirock.com/interview/2014/09/in_flames.php 2014年9月7日閲覧。

外部リンク