新興勢力会議とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "新興勢力会議" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年4月) |
|---|
CONEFO
| 新興勢力会議 | |
|---|---|
| Conference of the New Emerging Forces | |
| 略称 | CONEFO |
| 愛称 | 北京平壌ハノイジャカルタ枢軸[1] |
| 名の由来 | 「Conference of the New Emerging Forces」の頭文字 |
| 標語 | 特に無し |
| 前身 | 無し |
| 合併先 | 無し |
| 後継 | 無し |
| 設立 | 1965年1月7日 |
| 設立者 | |
| 設立地 | ジャカルタ |
| 解散 | 1966年8月11日 |
| 合併元 | 無し |
| 種類 | 地域グループ、集団安全保障 |
| 法的地位 | 国際機関 |
| 目的 | 新興国の共同発展、第二国連の設置、反帝国主義、脱植民地化、反米等 |
| 本部 | ジャカルタ |
| 所在地 | 現在のインドネシア国会 |
| 会員数 | 9ヶ国 |
| 公用語 | 中国語、朝鮮語、ベトナム語、インドネシア語 |
| 事務局長 | スカルノ |
| その他幹部 | 多数 |
| 重要人物 | 毛沢東金日成ホー・チ・ミンスカルノ |
| 主要機関 | 無し |
| 加盟 | 無し |
| 提携 | 無し |
| 関連組織 | 新興国競技大会、非同盟運動、77ヶ国グループ |
| 予算 | 不詳 |
| 職員数 | 多数 |
| ボランティア数 | 不詳 |
| ウェブサイト | 無し |
| 特記事項 | 現在でもこの4ヶ国が関係が深い。 |
| かつての呼び名 | 無し |
| 冷戦時代において、第三世界の中核となった。 | |
| テンプレートを表示 |
新興勢力会議(しんこうせいりょくかいぎ、略称:CONEFO)とは、1965年に結成された新興国によるパートナーシップである。
沿革
第二次世界大戦が終結し、かつて列強の植民地だった諸国は、次々に独立を勝ち取っていった。だが間もなく冷戦が始まり、アメリカを中心とする資本主義・右翼諸国西側と、ソ連を中心とする社会主義・左翼諸国東側に分かれ、戦争寸前の状況に陥った他、朝鮮戦争などの東西の代理戦争も発生、ベトナムでも共産主義化した北側とアメリカが介入した南側で緊張が高まり、後にベトナム戦争に発展し、中国での中華人民共和国(東側)と中華民国(台湾、西側)の対立が発生するなど、冷戦の影響はアジアにも及んだ。
この頃、インドネシアの初代大統領スカルノは、冷戦は欧米西側列強による帝国主義であり、対抗する必要があると考え[2]、列強が強大な権限を持つ国連を脱退。当時未加盟だった中華人民共和国[3]、北朝鮮、北ベトナムと協力関係を築いてパートナーシップを結び、「北京平壌ハノイジャカルタ枢軸」と呼ばれる同盟構想を打ち立て、これが後に新興勢力会議として結成され、ユーゴスラビアやアラブ連合共和国、キューバやPLOなどの国々も加盟した。
1966年8月11日、スカルノに代わり実権を掌握していたスハルトにより会議は解散された。
脚注
- ^ “ダリパダ、ダリパダ”. 花崎泰雄 (2007年3月). 2022年1月30日閲覧。
- ^ “出典”. Rahadian Rundjan (2017年10月30日). 2021年11月9日閲覧。
- ^ 当時、中国の代表権は中華民国が保持していた。
関連項目
- 新興国競技大会 - 同時期に国際オリンピック委員会を脱退したインドネシアが主導して実施されたスポーツ大会
- 社会主義
- 東側諸国
- 竹のカーテン