松田英二とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

トールカのコスモビトラル庭園の胸像

松田 英二(まつだ えいじ、1894年4月20日 - 1978年2月12日)は日本生まれで、メキシコで働いた植物学者である。

生涯

長崎で生まれた。長崎中学から台湾総督府国語学校で学び、台湾で教師を務めた後、1922年にメキシコに移民し、チアパスのエスクイントラで農場を開いた。1932年にエスクイントラに松田植物研究所(Instituto botánico Matuda)を開きメキシコ南部の植物生態調査を行った。1951年にメキシコ国立自治大学の客員教授に任じられ、1954年から1959年の間、Instituto de investigación forestal (森林研究所)の上級研究員となった。1955年から1965年まで3年の間、植物学部長を務めた。1953年に、メキシコ森林学会から名誉学位を贈られた。

メキシコの、植物についての多くの研究論文を執筆し、多くの新種植物を記載し、1960年に東京大学から名誉博士号を受けた。 1978年ブラジルでの植物学会に参加した後、リマで客死した。

1962年2月 東京大学 理学博士 論文の題は「メキシコ国チャバス州南部の「フロラ」の研究」[1]

マンサク科の属名、_Matudaeaパイナップル科の種、Aechmea matudaeサボテン科の種、Mammillaria matudae_など多くの植物に献名されている。

著作

洋書

和書

関連資料

参考文献

脚注

  1. ^ 博士論文書誌データベースによる