詐欺師に会う前に、新宿歌舞伎町で散歩を楽しむ (original) (raw)


新宿駅からの散策で見えてくるもの

新宿駅を降りると、何気ない散歩が始まる。_まるで『書を捨てよ、町へ出よう』という言葉の通り、街に出ると活気が溢れ、目に飛び込んでくるのは文字ではない、生きた人間の営みだ_。ふと目を止めたのは、バレーボール漫画の巨大なパネル。そこには若者たちが集まり、写真を撮り合っている。SNSにアップするため、友達に見せるため、そこには確かに“今”がある。_麻生副首相が「漫画は日本の文化だ」と言ったのも、こうした光景を見れば納得せざるを得ない_。


スポーツの多様化と価値の再定義
私が子供の頃、スポーツ選手と言えば、野球選手が圧倒的な人気を誇っていた。しかし、今の時代はどうだろうか?スマートフォンが普及し、情報が氾濫する現代では、各々が価値を創造し、取捨選択する力が求められている。単に大人の敷いたレールに乗って、努力をすれば幸せになれるという時代ではなくなってきたのだ。

歩けば見えてくる歌舞伎町の風景

歌舞伎町を歩いていると、ホストクラブの前を通りかかる。店の前にはNo.3までが写真入りで紹介されており、ジャニーズ系の可愛らしい男性たちが微笑んでいる。その一方で、私は心の中で思う。彼らは果たして本当に幸せなのだろうか?親戚や親に見捨てられ、孤独を抱えて生きる彼らの姿が、どこか虚しさを感じさせる。しかし、それでもこの店に通い詰め、ここだけを支えに生きている女性たちもいる。その現実は、まさに人間の心の虚無を突きつけるものである。

三島由紀夫の言葉を胸に
「_人間を統治するのは簡単なことだ。人間の内部の虚無と空白を統括すればそれで済むのだ_」。三島由紀夫のこの言葉が、頭の中をよぎる。人間の心の虚無に向き合わずに生きることが、どれほど危険か。その真実を彼は見抜いていた。

Kさんとの対決に向けて

Kさんに会う前に、私は_赤穂浪士四十七士が仇討ちを果たした後、切腹をした泉岳寺を訪れた。境内に並ぶ赤穂浪士の墓を前に、太宰治の『人間失格』の一節を思い出す。「明治神宮楠木正成の像、泉岳寺にも行けずに終わりそうだ」_。昭和10年代に地方に住む人々が観光で訪れたであろう場所が、今もなお私たちを惹きつけるのだ。

最後の決断

いよいよKさんとの対面の時間が迫っている。30分後には彼女が現れるだろう。心は錦ヶ浦から飛び降りる覚悟で、命をかけて彼女と向き合う。果たして、この選択が正しかったのか?それはもう、私にも分からない。