自分だけ独身なので、職場の「家族の話をする文化」がつらいです (original) (raw)

「職場で家族の話をする文化がつらい」と題する女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。職場で10人のチームに所属している38歳のトピ主さん。トピ主さん以外は全員、パートナーや恋人がいる状況で、職場の話題のテーマはもっぱら「婚約・結婚・妊娠出産」だそうです。10年以上、彼氏のいないトピ主さんは「なぜ自分は人のことを祝うばかりで祝ってもらえないのか。結婚も恋愛も妊娠もできない自分は祝う価値がないと言われているようです」と心境を吐露。この気持ちはどうすれば楽になるのでしょうか、と問いかけています。

「今の私」を否定しないで考えてみよう

写真はイメージです

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職場の人たちはみな、土日は家族やパートナーと過ごし、週明けにはいつも「どこに行った」「何をした」という話が出るのだとか。年に1回開かれる職場のBBQ大会は、家族同伴OKで、婚約した社員はそこで相手を紹介するのが恒例になっているような“ウェットな環境”だといい、トピ主さんは「家族を大切にする職場の文化がつらい」「プライベートを大切にするように言われるたびにしんどくなる」とも打ち明けています。

まず投稿を読んで気になったのは、トピ主さんが「自分の生き方がこんなふうだから」と悩んでいる点です。「職場なのだから、もっとドライな関わりにしたい」といった見解にもなり得る話と思いますが、トピ主さんはあくまで職場側に主軸を置き、それに合わせられない自分が悪い、といったスタンスです。

他責思考でないことは素晴らしいと思いますが、過度な自責思考も問題解決を阻みます。「10年以上彼氏がおらず、仕事のためだけに生きてきた」という記述がありますが、いったん「その生き方の何が悪いの? それはそれで別に良くない?」といった自問をあえて呈してみるのは一案です。そういう生き方をしてきた自分がいて、こういうウェットな文化の職場がある。その相性がどうやら良くないようだ――。そんなふうに、少し客観的かつ冷静に状況を見つめてみてはいかがでしょうか。

「部署異動するにもこんな理由では異動できません」「知人に話しても良いチームだと言われるばかり」とのことですが、職場の人たちも職場の文化も悪くないけれど、私には居心地が悪いから、この職場を離れたい。そんなふうに思ってしまうことは、何らおかしなことではないと思います。周りの人がどう評価しているにせよ、トピ主さんが毎日つらくなるような場所ならば、「私にとっては良い場所ではないのかも」と考えてよいのでは?

職場の誰もがトピ主さんの私生活には深入りしてこないので、「心の底ではバカにされているんだろうなと思う」といった記述も見られますが、事実はさておき、そう感じてしまうような職場にいることが、トピ主さんにとって最良の選択なのだろうかと気になりました。

職場は仕事のための場所ですし、プライベートな関わりが濃すぎるゆえに精神的に追い込まれている社員がいたら、異動希望に耳を傾けてくれる会社はあるように思います。人員配置の都合はあるでしょうが、会社側もトピ主さんが心身健やかな状態で活躍してくれることを望んでいるはず。環境を変えようと思えば、異動だけでなく、これまで培った経験値やスキルを強みにして転職する、という選択肢もあるのではと想像します。

いずれにせよ、今いる環境に苦しめられているからといって、今の自分を否定する必要はありません。「実現するかどうかはわからないけど、自分ができるだけ心身健やかにいられるような別の職場を探してみよう」などとシンプルに考え、行動してみてはどうかと思いました。

自分で自分を追い込まないと決心しよう

トピ主さんは婚活をしてはいるものの、仕事が忙しくて思うようにいっておらず、子どもが欲しいので卵子凍結をしているとのこと。日々むなしさを感じていた折、20代の同僚に第2子が誕生し、出産祝いのカンパの連絡が来たことで、いたたまれなくなった……といった心境がつづられています。

自分に結婚・出産の願望がある中で、周りの人を祝ってばかりという状況では、つらい心境になることもあって当然だと思います。しかしながら、「祝う価値がない」「バカにされている」などと自分に責めの言葉を浴びせているのは、他ならぬ自分自身であることにもぜひ気づいてほしいです。

周りの人が心の中でトピ主さんをどう思っていようとも、それを直接的に言葉として言われているわけではない様子。それならば、わざわざ自分で自分に悪口を浴びせる必要はないのではないでしょうか。ぜひとも「自分で自分を追い込まない」と決心してほしいなと思います。そして、「私は頑張っているよ、職場になじもうと努力して偉いよ」などと優しい声をかけて、自分の絶対的な味方でいてあげてください。それができれば、多少なりとも気持ちが救われると思います。

「祝う・祝われる」にも元気が必要だから

最後に、「なぜ自分は人のことを祝うばかりで祝ってもらえないのか」という問いかけについて。祝われる側にも、実はその言葉を受け取る態勢が必要です。トピ主さんはもし今、誰かに「おめでとう」と言われたら、笑顔で「ありがとう」と言えそうですか? 誕生日を迎えたり、昇進したり、くじ引きや抽選で当たったりした際には、独身でも「おめでとう」と言ってもらえる機会はありますよね。そんなときに「もうめでたい年齢じゃないから」「仕事しかしていないから」「こんなものしか当たらないんだよね」などとネガティブに一蹴してしまえば、祝う側はそれ以降、祝いづらくなってしまいます。

環境を変える努力をするのが一番の解決法になるとは思いますが、その気力が湧かないならば、「自分が良い言葉をかけてもらったときに、素直に『ありがとう』と言える人間になろう」くらいの心構えで、しばらくは淡々と日々の暮らしを進めていってみてはいかがでしょうか。心に元気がないときは、「人の幸せを心から祝える人間でいなくては」などと高潔な目標を持たなくてよい気がします。理想通りでなかったとしても「きちんと仕事をして、自立して生活しているだけも十分偉いよ、私」と自分を褒めてあげながら、かけがえない自分とその人生を大切に、慈しんで生きていってほしいなと思いました。応援しています。(フリーライター 外山ゆひら)

プロフィル

外山ゆひら(とやま・ゆひら)

フリーライター

対人関係や生き方に関する記事を中心に寄稿。ビジネス・キャリア関連のインタビュー実績多数。産業カウンセラー/心理相談員資格有。「最後は自分で決める」が大事だと思っています!

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