【アラハバキ解(補遺)】岩木山神社 中門前の狛犬 蟹守(かにもり)と倭文(しとり)の暗示 (original) (raw)

はじめに

津軽 #岩木山 麓 #岩木山神社 を再訪したのは、中門前の狛犬さん(明治二十一年)の基壇に刻まれた #蟹守(かにもり、安産)と #倭文(しとり、子安)の暗示を再確認するため。子孫繁栄の祈りはあらゆる信仰の原点 #アラハバキ

目次

本文

岩木山神社 中門と拝殿

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玉垣の逆さ狛犬を見て、随身が鎮座する朱色の楼門をくぐると、岩木山神社の中門と拝殿の正面に立ちます。

岩木山神社 中門と拝殿

中門前の狛犬さん

中門前の狛犬さん。

もちろん、右の阿形、左の吽形の違いはありますが、他に違いがあること、おわかりいただけるでしょうか。

二年前参拝した時、現地ではその違いに気づかず、後で遠目の写真をみて、もう一度、はっきりと確認する必要があると考えていて、今回、あらためて参拝したのです。

岩木山神社 中門前 狛犬さん

その違いとは、基壇に刻まれた紋様です。

神社でよく見かけますが、狛犬さんの基壇にはボタン(唐獅子牡丹)の花弁と枝を刻むのがひとつの様式ですが、

左は 蟹(かに)、右は クルミに包まれた乳児変えられた 形跡が見えます。

岩木山神社 中門前 狛犬さんの基壇に刻まれた紋様

蟹は 蟹守(かにもり)、オクルミの乳児は 倭文(しとり) を暗示しています。

この狛犬さんの奉納は 明治二十一年。したがって刻み直されたのは、その後の時代ということになります。

狛犬さんの奉納は明治二十一年。刻み直されたのはその後

大和二上山麓の加守神社(葛木倭文座天羽雷命神社)

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私が アラハバキ を書き始めたのは、大和二上山麓の加守神社(葛木倭文座天羽雷命神社、かつらき・しとりにいます・あめのはいかづちのみこと・じんじゃ、奈良県葛城市加守1045)の参拝。

古い大和国の神社の祭式が、なぜか遠く離れた多賀城宮城県)荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)と共通しているのに気がついたことがキッカケでした。

加守神社の由緒に『初代神武天皇の御父上、鵜草葺不合尊(うがやふきえあずのみこと)出生の時、箒(ほうき= ハバキ)をつくり、蟹(胎盤のこと)を掃らったことから、蟹守、そして、掃部(かもん)の職制ができた』と紹介されています。

したがって蟹守の紋は 安産(助産 をあらわします。

加守神社 御拝殿 蟹守の額

加守神社は倭文神社(しとりじんじゃ)と合祀されており、倭文(しとり)とはすなわち、織物あるい織物を織る職制をあらわします。

おくるみは新生児が人生ではじめて身に付けるもの。

倭文神社の御祭神・天羽雷命(あめのはいかづちのみこと)は、こっとんこっとんと機音(はたおと)を響かせて天羽(あめのは)すなわち和衣(にぎたえ、絹)を織る女性の神格化(姫神)であると考えられます。

葛木倭文座天羽雷命神社 御由緒

ちなみに倭文は『あやぬの』『しずり』とも読み、後者は後に『(縦横に筆をすべらせて)文をつづる』の語源になったと云われます。

岩木山神社の紋様は、蟹守に対応させて 子安(育児) をあらわすものに改変されたのでしょう。

わざわざ花弁の部分(蟹の足二本)を削って四本の手足として表現しています。

(何軒かの石屋さんに以前撮った写真を見てもらったところ、全員『彫り直している』との見立て)

セットで信仰された蟹守と倭文

ここまで確信を持って言う理由は(今はかなり失われていますが)蟹守(安産)と倭文(子安)をセットにした信仰は、縁結びと子孫繁栄の祈りとともに、古くから列島各地に広がっていて、

私はこのような信仰は アラハバキと云われる縄文起源の古信仰 を源流としていると考えるからです。

今のところ、十分な確証はありませんが、中央に男根石を置く縄文遺跡の環状集石やストーンサークルは、アラハバキ信仰と関係したものと想定して見学しています。(諏訪・八ヶ岳山麓の阿久や金生、岩木山山麓の大森勝山は共通して山体遥拝を伴っています)

津軽を含む東北は、かつて蝦夷(えみし)とされた中央集権以前のまつろわぬ人々の信仰の古層が 現在も息づいており

岩木山神社狛犬さんの蟹守と倭文の紋様は、その復古あるいは懐古を着想した誰かが、改変してまで残したかったものであると考えています。

(『いつ・誰か』について一度社務所に問い合わせましたが、すでに知る人もなく、何もわかりませんでした)

蟹守のハバキと倭文のアラ

後産で、蟹(胎盤)を箒(ハバキ)で祓う蟹守の紋様。

倭文の紋様は、荒御魂(アラ ミタマ、新しい命)を、和衣(ニギ タエ)が包むデザインと読むこともできます(古神道の荒魂と和魂の考え方)

【山体遥拝、子孫繁栄を祈願する岩木山神社

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中門の東側、白雲大龍神の手前に、コケの生えた結界。

宗像大社の高宮祭場、下鴨神社の切芝に似ており、歴代津軽藩主が造営した立派な社殿以前の、当社信仰の最古層に触れることができる空間である気がします。

楼門と中門の東側、コケの生えた結界空間。当社の古い祭式を感じさせる

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