すごいトシヨリBOOK (original) (raw)
やや独善的? エンドポイント理論は応用できる!
正しいのかはわからないが次のような立場
- 群れるのをやめて一人ひとりが過去を背負い、一人ひとりが自分の老いを迎えるのが本来であって、群れて、集まって、はしゃいで、というのは老いの尊厳に対する侮蔑ではないか。P37
- 予想外のところで自分を見た時、見知らぬ他人がいる驚き。そういう見知らぬ他人に近くなった自分と、いかに折り合いをつけていくのかというのが、老いていく日々の特徴です。P41
- ヨーロッパの人は、教養にもよりますが、「横取り症(人の話題を横から入って取ってしまうこと)」については非常に厳格です。「人の話に口を挟まない」というルールが、社会全体に徹底されている。P65
- 現在の老いの問題は、人間の長生きしたいという夢が実現したわけではなく、医学の進歩や、衛生状態が格段に良くなったこと、その他の理由で、否応なく長寿に恵まれてしまったことにある。P94
などなど、わからなくはないが独りよがりも目立つ。この本を出版した二年後に78歳で亡くなっているが、この本自体も70代後半の老人の独りよがりがよく出ているように思う。私にとっては、池内紀は結局良さがわからなかった人。
今の60代は、もっと若くて、もっと前向きな70代を過ごすべきだ。そういう時代を生きてきたはず。池内氏が「はじめに」で言っているように仮のエンドポイントを77歳と仮置きし、古希(70歳)から喜寿(77歳)を自分なりに楽しむ、そのために私も現時点(65歳)から古希(70歳)までをまだまだ利他的にかつ健やかに過ごしたい。
「七十七には世の中にいない」という「予定」を建てました、普通は生きていることを前提にして予定をたてるのでしょうが、僕はむしろ、「もういない」としたほうが、決断しやすいというのが自分の判断です。
七十七の時にはもういないから、その前にコレをしておこう、億劫だけどアレもしよう、ちょっと贅沢してみよう・・・こんなふうに、「もういない」としたほうが、決断しやすいというのが自分の判断です。
まあ、池内氏自身は想定エンドポイント直後に亡くなったのではあるが・・・