『資本論』とともに歩む (original) (raw)
第三次世界大戦勃発の危機
ウクライナへの侵略を続けるプーチンのロシアは、アメリカ、欧州連合(EU)からの軍事的・経済的援助を受けた、ゼレンスキーのウクライナ軍の越境軍事行動を含む反攻作戦に手をこまねいている。特に、ウクライナ軍からの度重なる高機動ロケット砲システム(HIMARS)によって、ロシア領土の防空システムが風穴を開けられるという屈辱的事態に陥っている。
このロシアは、ウクライナ全土へのミサイル攻撃で反撃しつつも、あいついで兵士(労働者)が使い捨てられ、前線に送り出す少数民族や、囚人(男女を問わず)が底をついてしまった。いまや、「戦略的パートナシップ」を6月に締結した北朝鮮からの公然たる派兵が行われている。その規模は、将軍3人、将校500人、「暴風軍団」という特殊部隊を含む1万2000人である。そのトップは「暴風軍団」のトップを歴任してきた、金正恩総書記の側近でもある、朝鮮人民軍副総参謀長キム・ヨンボクである、という。当面は、クルクス州の奪還作戦を担うことが目指されているが、東部への戦線の拡大も視野に入っているであろう。
プーチンのロシア帝国主義とアメリカ、EUの帝国主義国によるロシアに対する「宣戦布告」のない中での全面的な軍事的・経済的支援を梃子とした、ゼレンスキーのウクライナ帝国主義によるこの戦争は、今や新たな段階に突入した。
他方、イスラエルは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の国内および占領下の東エルサレムでの活動を禁止する法案を可決した。さすがに、イギリスは「重大な懸念」を、ドイツも「強い」非難を発した。アイルランド、ノルウェー、スペイン、スロベニアは非難の共同声明を発表した。
また、イランは10月26日のイスラエルのミサイル攻撃への報復を宣言している。そのイランは、同月23日のプーチン・ペゼシュキアン会談において、ロシアはイランに衛星画像や電子戦でのかく乱技術を提供することを確認している。イランのミサイル攻撃時には合意通りのロシアからの情報提供を受けており、「イスラエルの反撃に驚きはなく、準備はできていた」という。
これまでイランはロシアへの無人機を供与していた。ロシアとイランは、それ以上の軍事協力が深化していることが明らかになった。
さらに、**サウジアラビアとイランの「合同軍事演習」の動きもあるという。この両国は、すでに2023年3月に中国の仲裁**で外交関係を復元している。あきらかに、イスラエルがガザ地区のみならずレバノン、シリア、イランへの軍事攻撃を拡大していることへの危機感からの対応である。「中東の2つの強大国が合同軍事演習をするのは初めて」のことである。
こうして、ロシアのウクライナへの軍事侵略と対するNATOのウクライナへの軍事的支援とアメリカ・EUのロシアへの経済制裁、さらには西欧先進国のイスラエルのパレスチナジェノサイド容認と軍事的支援は、新たな矛盾をつくりだし第三次世界大戦への危機的様相を顕わにしている。
他方で、米・西欧のダブルスタンダードが明らかになり、かれらの唱える「自由、人権、民主主義」なるものの欺瞞性も全世界に明らかになった。このことの故に、米、EUと経済的・政治的に距離をとる国々も出てきている。自国こそが「正義」であると押し出し、従わない国には、手前勝手な口実で因縁をつけて、時には武力を伴う「制裁」を加えてくる。このようなG7主要国、とりわけアメリカ帝国主義国に対して距離をとる国々が相次いで現れてきている。特に、2022年2月24日のロシアのウクライナ軍事侵略に対する、アメリカ・EUによる経済制裁は、逆にロシアなどがドル以外の通貨での決済を通じてエネルギーを販売する流れに拍車をかけたのである。
今年6月13日にタイが、18日にマレーシアが、相次いでBRICSへ参加する旨を表明した。トルコも加盟を申請中である。米国主導の東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国が、反米のロシア、中国主導のBRICSへ加盟申請したのである。また、既に2014年には『新開発銀行(NDB)』がBRICSによって上海に設立されており、エジプト、バングラデシュ、アラブ首長国連邦(UAE)も『NDB』に参加している。このような「ドル体制」からの反発、抵抗としての経済的な、「ドルを使わない国際決済」の経済集合体のようなものであったBRICSが今や、G7と経済的に対抗するものを超えて、政治的「同盟」のような色彩が色濃く出てきたのである。すでに、エジプト、イランが加盟しており、ロシア、中国、インド、ブラジル、南アフリカ、UAE、エチオピアに続きアルジェリアが加盟している。10月22日にはロシアで首脳会議が開催され36か国が参加し、22か国が首脳の出席を発表した。
こうして、世界は、第三次世界大戦の危機をはらみながら、アメリカ・EUとロシア・中国プラスBRICSという対立構図ができつつある。
全世界の労働者・人民は団結し、第三次世界大戦の勃発を阻止しよう!!
Ⅰ ロシアのウクライナ侵略弾劾! ウクライナのロシア軍事反転攻勢弾劾!
ロシア帝国主義国、ウクライナ帝国主義国の労働者・人民は団結し、祖国防衛主義をのりこえ、自国のブルジョア権力を打倒しよう!
世界の労働者・人民は「ウクライナ戦争」反対の反戦闘争に起ち上がろう!
世界の労働者・人民は戦争に加担する自国政府を許さない闘いを創り出そう!
Ⅱ シオニスト・ネタニヤフ政権のパレスチナ、レバノンへのジェノサイド弾劾!
イラン、イスラエルの双方のミサイル攻撃に反対しよう!
全世界の労働者・人民は団結し、シオニスト・ネタニヤフ政権の打倒を目指し、アメリカ・ドイツのイスラエルへの「政治的、経済的、軍事的支援」を許さない闘いを創りだそう!
私たちは、国家的分断と人種主義的、民族主義的・宗教的な対立、それらの政治的=ブルジョワ的解決の限界を自覚し、これをのりこえてゆくべく共産主義による「人間の人間的解放」を目指す「母体」を創りだしてゆかねばならない。
孤立するイスラエル・ネタニヤフの悪あがき
シオニスト・ネタニヤフのイスラエル軍は、ハマス最高指導者シンワルを殺害した10月16日以降も嵩にかかって空爆・地上戦を敢行している。「ハマスの徹底抗戦を壊滅する」、と称して大量の民間人、特に子供たちや女性たちを虐殺し続けている。そればかりではない。9月28日にはヒズボラ最高指導者ナスララ、およびヒズボラの軍事精鋭部隊や革命防衛隊幹部らを空爆で殺害するのみならず、レバノンに軍事侵略し南部ナバティエ市庁舎を襲撃、市長以下6人を殺害した。また、国連レバノン暫定軍を2度にわたって襲撃するばかりかレバノン金融機関への爆撃すら行っているのだ。
そもそもレバノン南部には国連安全保障理事会決議によって、レバノン軍と国連レバノン暫定軍以外は展開してはならないという決議があるにもかかわらず。
ガザにおいては、次々と民間人が虐殺されている。とうとうBBCによって生きたまま焼かれる人間の映像が全世界に放映され、イスラエルの残虐なジェノサイドに対する怒りが全世界で沸騰しているのだ。国連人道問題調整事務所は声明を出し、「ガザ地区は実際に人々が行くことができる安全な場所がない」と訴えている。
このような、国連決議、国際法を無視した虐殺と破壊行為は、孤立するイスラエル・ネタニヤフの焦りが滲みでた悪あがきである、と私は断じざるを得ない。
2024年9月の国連総会
シオニスト・ネタニヤフが国連総会で演説した。演説を開始し始めると、出席していた各国の代表が、イスラエルへの抗議のため次々と退席した。
さらに、スロベニア・ゴロフ首相は「ネタニヤフ首相、今すぐ戦争を止めろ」と怒りを込めて発言し会場から大きな拍手が沸き起こった。また、パキスタン・シャリフ首相は「パレスチナの無実の人たちへの組織的な虐殺だ」と痛烈な批判を浴びせた。さらに、パレスチナ自治政府・アッバス議長は「イスラエルはガザ全体を再び占領し、ほぼ完全に破壊した。ガザはもはや居住に適さない場所になった」「国際社会は直ちに制裁を科さなければならない」「国連決議に従わないイスラエルは加盟国としてふさわしくない」とも訴えたのである。
他方ネタニヤフは、「善が悪として、悪が善として描かれている」と各国首脳の演説を一蹴し、「この戦争はもう終わりにできる。ハマスが降伏し、武器を捨て人質を全員解放すればいいだけだ」、と居直り「完全な勝利を収めるまで戦う」、との決意を示した。
過去におけるイスラエルの数々の蛮行を国連総会での演説において、「反ユダヤ主義」「テロとの戦い」を引き合いに出して議場を黙らせてきたのがネタニヤフであったが、今回の「パレスチナ人虐殺」「レバノンのガザ化」という事態を目の当たりにした、ドイツを除く、各国権力者の多くには通じなかった。
各国権力者の対応
・ドイツ
アメリカに次いで30%もの軍事援助を行っているドイツでは、既に昨年10月にパレスチナ連帯デモは「反ユダヤ主義」になりやすい、と各地で行政裁判所の略式手続きで禁止されている。また、警察の判断でデモを解散できるとして、パレスチナ連帯デモに対し徹底的な弾圧を行っている。このような暴力的な弾圧に対して「まるでナチスのようだ」という批判が吹き上がっている。それはまた、「すべてのドイツ国民は、事前の通知や許可なしに、平和的に非武装で集会する権利を有する」というドイツ基本法第8条第1項という精神の否定でもある。
それはドイツ権力者の次のような考え、認識に規定されているのだ。
ドイツ首相・シュルツは、「イスラエルは国際人道法を遵守している」「イスラエルへの批判は馬鹿げている。同国は国際法に則っている」などともはや妄言としか言いようがないことを言っているのだ。
緑の党の党員であるアンナレーナ・ベアボック外相は、「ハマスはテロリスト」であり、テロリストが病院などに立てこもったら、「それは攻撃対象」とする。これは「ドイツの理念である」、とあからさまに言ってのけている。
ちなみに、このようなドイツに入国を拒否されたグレダ・トゥーンベリはこのようなドイツ政府に抗議するよう呼び掛けている。(彼女は現在のイスラエルの虐殺に抗議するのは、人間としてあたりまえなのであって「反ユダヤ主義」でも何でもない、という主張を展開している。)
・フランス
国内にユダヤ人居住区をかかえ、かつシオニストに同調する部分の反発をも無視し、フランス大統領・マクロンは1947年11月国連総会での「2国家分割決議」に言及し、「ネタニヤフ氏は、自国が国連の決定に基づき建国されたことを忘れてはならない」「今は国連の決定を無視している場合ではない」と閣議で話した、という。これに先立ってマクロン大統領は、「パレスチナ自治区ガザ地区での紛争を止めるには同地区で使用する武器を禁輸するいがいにない」という政府決定に従い、11月からの海洋防衛見本市「ユーロバナル」の主催者はイスラエルのブース設置や装備品の展示を認めない、と発表した。
当然のごとく、ネタニヤフ首相は1948年のホロコーストの生き残りたちによる「独立戦争(第1次中東戦争)」での勝利の結果だ」と猛反発。ガラント国防相は「イスラエルが戦争している敵を助けるだけだ」「われわれはフランスの支持の有無にかかわらず、7つの戦線で敵から祖国を防衛し、未来のために戦い続ける」と主張した。
・アメリカ
「ガザ援助改善なければ軍事支援の一部を停止する」と国務長官・ブリンケンと国防長官・オ―スチィンは警告を発した。しかし、「ガザ援助の改善」の検証できるのは大統領選の後である。
・EU
欧州連合(EU)と湾岸協力会議は、当事者に即時停戦を求める「共同声明」を採択した。また、「国連の任務に対する全ての攻撃を非難する」という文言も盛り込んだ。
欧州委員会でオーストリアのユダヤ系議員が「戦争犯罪を犯すロシアを制裁したのは正しい。だがイスラエルはいつ制裁するのだ? フォン・デア・ライエン委員長、あなたは綺麗にこの質問に答えるのを避けてきたが、EUはいつイスラエルに制裁を行うのですか」と批判している。
アイルランドとスペインは「イスラエルとの自由貿易協定を停止するよう」欧州連合諸国に求めた。
また、スペイン・サンチェス首相は、すべての国に対し「イスラエルへの武器販売に対する国際的な禁輸処置を課すよう」求めた。
全世界に広がる反戦闘争
先に述べたドイツで、国家権力の凄まじい弾圧にめげず、労働者・人民は「パレスチナに自由を」という旗を掲げて集会デモを繰り返している。ロンドン、パリ、ローマ他ヨーロッパ各地で大規模な「ガザ反戦デモ」が行われている。参加した労働者・人民は、イスラエルの攻撃や米国、自国のイスラエルへの支援を批判し「ガザから、レバノンから、中東から手を引け!」「パレスチナに自由を」という声を挙げ、闘っている。
さらに、「虐殺にユダヤの名を使うな」といスローガンのもとアメリカを中心にユダヤの人々が繰り返し抗議の声をあげている。そして「X」に約27万人のフォロワーを持つ反シオニズムのユダヤ人団体「トーラー・ジュディイズム」は「イスラエルはナチス国家」、「ネタニヤフは現代のヒトラー」だなどと痛烈な批判を「X」に投稿し続けている。
イスラエル本国において、すでに私のブログで紹介しいるように、敬虔なユダヤ教徒や兵役を拒否している青年を含む多くのイスラエル国民が「戦争」に反対しているのである。そして9月1日には、ネタニヤフ政権に対して全国で70万人の反政府デモを行い、労働組合は全土でストを敢行した。
文字通りイスラエルのシオニスト・ネタニヤフ政権は全世界からの労働者・人民の抗議の声に包囲されているのだ。
イスラエルによるガザでの虐殺の数々。生きたまま焼かれている人間の様子がBBCで放映され、その映像の一部が「X」による投稿で世界中に流された。その「むごたらしい」(アメリカホワイトハウス国家安全保障会議)鬼畜のごとき蛮行が、全世界に知れ渡ったのである。ガザ地区での死者は42000人を超え、アメリカ帝国主義をはじめとする、ドイツ、イギリスなどの一部の帝国主義権力者とシオニスト以外の全世界の労働者・人民の怒りは極点に達している。
「敵の領土において短期決戦で決定的勝利を収める」というイスラエル建国以来の軍事戦略は既に破綻している、と言える。この軍事戦略の前提をなす「鉄壁防御」が何度も風穴をあけられているのだからである。昨年の10月7日のハマスの「奇襲攻撃」の際にハマスが放った数千発のロケット砲は、ことごとくイスラエルの「多重防空網」をすり抜けた。ヒズボラは毎日、ドローンとロケット砲でイスラエル北部を攻撃しており、今月14日にはハイファー帯が攻撃され、イスラエル兵4人が死亡し60人が負傷している。さらに今年4月のイランのミサイルとドローンの攻撃は、イランは「事前通告」し、アメリカ、ヨルダンの対応にもかかわらず、数発のミサイルが軍事基地周辺に着弾した。そして、イランの通告なし(アメリカは察知しイスラエルと連携していた)での180発の弾道ミサイルの攻撃では、ネバティム空軍基地の格納庫が破壊され、モサド本部近くも被害に遭った。このように、アイアンドームを含めた多重防空網は穴だらけであったのである。
それ故アメリカは終末高高度防衛ミサイル(THAAD)システムを提供せざるを得ない事態となった。
イスラエルは、レバノンを第2のガザとし、既に1200人以上の民間人をすでに虐殺している。にもかかわらず、ヒズボラのミサイル攻撃が激しさを増している。
イスラエルのジェノサイドは、ミサイル防空システムなどの軍事的な脆弱性にも規定されているのだ。
そもそもアメリカ、イギリスの支持と支援、ソ連・スターリンの裏切りによって建国したのがイスラエル帝国主義なのであり、シオニズムイデオロギーと一体の人種主義的差別を特色とした民族主義的国家として建国されたのがイスラエル国家なのである。その国家が、「入植者植民地主義(セトラー・コロニアル)国家」とでもいえる諸施策を行ってきたのである。それゆえ、ユダヤ民族主義・シオニストたちが建国したイスラエル国家は、自国の周囲に存するイスラム教国家・アラブ民族主義国家からの政治的・軍事的脅威に常にさらされているのである。とりわけ、パレスチナ人民からの「入植者植民地主義」に対する「解放闘争」を根絶やしにしなければ自分たちは生き残れない、という強迫観念に追い立てられているのである。このようなイスラエル国家、シオニスト・ネタニヤフ政権がパレスチナ人民へのジェノサイドを通じた「民族浄化」のための戦争が今行われているのだ。
シオニスト・ネタニヤフ政権のパレスチナ、レバノンへのジェノサイドを許してはならない!
全世界の労働者・人民は団結し、シオニスト・ネタニヤフ政権の打倒を目指し、アメリカ・ドイツのイスラエルへの「政治的、経済的、軍事的支援」を許さない闘いを創りだそう!
私たちは、国家的分断と人種主義的、民族主義的的・宗教的な対立、それらの政治的=ブルジョワ的解決の限界を自覚し、これをのりこえてゆく**共産主義による「人間の人間的解放」を目指す「母体」**を創りだしてゆかねばならない。
2024.10.17
黒田寛一の哲学をわがものに 5の4
4 唯物論的主体性論なき実践論
イ 梅本の提起を切って捨てる松代秀樹――唯物論的主体性論の破棄
松代秀樹は、「被限定を能限定に転ずる変革的実践の決意成立の場面」を明らかにすることを提起した梅本にたいし、すでに「場所=物質的世界をうちやぶり切り拓く、と〈意志しているわれわれ〉がどうするのか」と問題を立てて、バッサリと梅本の提起を切り捨ててしまう。「われわれは出発点において能限定の・すなわち変革的実践の・パトスと意欲にもえている」、と言い切るのだ(下線は筆者)。
「えっ、田中吉六の60年来の再現か?」 と思わず声に出てしまった。
それはともかく、「出発点において能限定の・すなわち変革的実践の・パトスと意欲にもえている」ような人間を措定して論ずる限り、如何にして対象的世界=客体を変革するのかということが問題になるだけである。なるほど「決意」など必要はない。したがって、「決意成立の場面」など自覚する術がないのは当然である。
だが、梅本は次のようなことを言っている。
「搾取者への憎悪と組織的実践は個我滅却のもっとも自然な発条であるが、根源的には有限的な個から無限な歴史への転入はそこに既存の個我の完全な破砕を要請する。それは神秘的な瞬間によるものではないが、ともかく決意の場面はここにある」、と。
松代には、自らの人生の中でこの「決意の場面」などなかったのであろうか? 尻の青い政治少年から、全学連の活動家へ、そして革マル派の組織成員になり、常任にまでなった松代。客観的には、その都度「結節点」があったはずである。しかし、その「結節点」において階級的全体性を己の支柱とする場面、己が「有限的な個から無限な歴史への転入」を内部知覚する、という意識内での場面があったはずなのに、そのような意識の事実もなく対象化できない、ということなのであろう。
それは、松代自身が、己が「全自然史過程」(マルクス)「物質の自己運動」(レーニン)の必然的所産であるところの、意識と自己意識を持った「自然」「物質」である、という歴史を創造する主体である、という自覚を勝ち取ることをせずに済ましてきたということだろう。ひとことでいうと、松代がプロレタリア革命の主体である、という自覚を主体的に創り出してきていない、ということだ。
「能限定に変ずる衝動を覚えて」いようが、「場所=物質的世界をうちやぶり切り拓く、と〈意志しているわれわれ〉がどうするのか」と考えていたとしても、「変革的実践の決意をうちかためる」、まさにその時に己の意識内に「決意成立の場面」は、必ずあるのである。それを、意識することができるか、自覚することができるか、どうかということである。
だが、松代が、そのことを自覚できないでいたし、今も自覚できていない、ということなのだ。
そうでないとすれば、今日、松代が黒田の「唯物論的主体性論」を破棄して理論化しようとする「実践論」を正当化することを企図して、意図的に梅本の「被限定を能限定に転ずる変革的実践の決意成立の場面」を切って捨てたのではないか、という推論もできる。しかし、私は、松代は「合理主義者」という思考法の持ち主であるということの故に、前者ではないかと考える。
ロ プロレタリアの疎外された実存から無縁な松代
プロレタリアがまさに、階級として起ち上がるとき、すなわちプロレタリアの全体性を己の支柱とし、歴史的使命を自覚するとき、被限定を能限定に転ずる、その瞬間に決意成立の場面はあるのだ。それを自覚できない松代にはまた、別の問題がある。
「出発点において能限定の・すなわち変革的実践の・パトスと意欲にもえている」ということは、「人間社会の本質形態における人間の本来の姿なのであり、場所的現在の資本制社会に実存するプロレタリアの本性」である、と松代は存在論的に断定する。しかし、このように彼が断定している数多のプロレタリアは、なぜ「被限定を能限定に転ずる」ことをしないのか? なぜ「パトスと意欲にもえている」出発点の「能限定」を貫徹し、感性的対象を限定し返さないのか? そもそもの梅本の問題意識の出発点は、そこにあるのである。
松代には、資本主義社会における「人間の疎外」という考えはない。具体的な人間、すなわち共同性の幻想的形態であるブルジョア国家の市民社会に存在するアトミニズム的な個人であり利己的な人間として実在している・宗教的自己疎外に陥っている・資本制的に疎外されたプロレタリアを、具体的・現実的に措定していないのである。
松代は、プロレタリアは「変革的実践の・パトスと意欲」など持てないほどに疎外され、非人間化されている、という現実を直視しないのだ。「生きるために働いているのか、働くために生きているのか、さえも無自覚」であり、常に餓死線上にあるプロレタリア。アトミニズム的・利己的な個人であり、宗教的自己疎外に陥っているプロレタリア。このような現存在にあるプロレタリアをよくぞ「出発点において」「変革的実践の・パトスと意欲にもえている」などといえたものだ。プロレタアは、己の非人間性を土台とし、己の存在の何たるかを自覚しなければ、「能限定の・すなわち変革的実践の・パトスと意欲」を燃え立たせることはできないのだ。
プロレタリアが「変革を意志する意志力を、おのれ自身につらぬく」ことができないのはなぜなのか? それはどのようにしたら可能になるのか? 松代は、人間として「実存することも生きることさえもできない」ほど、死を待つしかないほどまでに物化され非人間化されているプロレタリアの現実存在を想像すらできないかのようだ。このことは、主体性論なき実践論、すなわち「哲学的人間論」からの実践論の最大の問題点である。
ハ 「哲学的人間論」から天下った実践論――唯物論的主体性論なき実践論
私 は、このような「主体性論なき実践論」 という松代の欠陥を、以下のようにすでに明らかにしてきた。
[「この歴史的な社会的現実を切り拓き突破するためには、私たちは、この現実を変革する主体たりうるものへと自己を変革しなければならない。」と現代における労働者の革命的自覚を欠落させて、実践主体の実践的能力の問題へと論点を移行させてしまっている。
「私たちは、おのれ自身の分析=思惟能力を・論理的=理論的な力を・体得し高めなければならないのであり、〈みずからの実践的=組織的な諸能力〉をきたえあげていかなければならない。私たちは自己の〈思想的・実践的・組織的・人間的の質〉を変革していくのでなければならない。」
「実践的=組織的な諸能力」とは「思想的・実践的・組織的・人間的の質」であり、実践の指針が的確か、強靭なのかは「実践的=組織的な諸能力に限界づけられる」のであり、だから私たちは自己変革が必要なのだ、と「自己変革」を基礎づける。さらに、「おのれのあらゆる諸能力をたかめ、実践=認識主体としてのおのれの資質、組織成員としてのおのれの資質をつくりかえていくために、自己を訓練し鍛錬していかねばならない」、と結論付ける。
「このような自己変革の闘いこそが、おのれがこの瞬間・この瞬間に・死んで生きる〈こととなる〉」と解釈を付け加えてもいる](藤川一久執筆「訣別宣言4」より)
「主体性論なき実践論」——それは、松代が、「場所的現在において・私たち人間主体が・おのれ自身を・歴史創造の主体へと変革する、この自己変革の論理を解明する」と言いつつ、上記のような「哲学的人間論という理論レベル」から解き明かした、物質的自覚すなわち、唯物論的主体性論を欠落させた、人間に関する存在論から、演繹的に独特な自己変革論を基礎づけていることに根拠がある。
それは、「哲学的人間論」から天下った実践論とでもいうような、裏返しのヘーゲル主義とでもいえるのように、人間の本質から、もともと持っている変革的実践の「能力」をいかに高めるのか、という発想だ。そしてこの「能力」は、「おのれの目的(革命)を実現するための実体的基礎を創造する」「その基礎となる」、と理論化してもいる。
少し詳しく見てゆこう。『決断の根底』という著書の[1]を読んでゆくと最初から最後まで「われわれ」が主語として文章が展開されている。ところが後段になって「いまのべてきたところのものは、………哲学的人間論という理論的レベル」において「組織現実論にかんして解明した黒田寛一の諸規定を」、「私がいま・ここで一般化したものである」と「私」が登場する。さらにそのあとの論述は、再び「われわれ」が主語となる。
しかし、この「われわれ」は、「私」が「一般化した」と書いた数行の前は、明らかに「人間は」と論じなければならないところである。なぜなら、「資本制社会から階級的歴史的側面を捨象してつかみとられる人間社会の本質形態、この人間社会の本質形態から社会的側面を捨象するだけでなく社会性をも捨象して明らかにされるところの〈全=個〉という抽象のレベル」のことだ、というのだから。
松代は、これを「哲学的人間論」と呼び、この「哲学的人間論」を基礎にして、「もろもろの理論領域」を解明する、という段落において展開している箇所の「われわれ」は、「革命的共産主義者」が主語にならなければおかしい理論展開である。存在論ではなく、実践論であることを示すために、主体的に論じようとするにしても、非常に問題のある展開である。
なぜこのように私が主張するのか。
「革命本質論」「運動=組織論」「革命闘争論」、一般に実践論には「哲学的主体性論から組織論は展開できないけれども、唯物論的主体性論なしには、組織論も大衆運動の組織化論も展開できない」、という黒田の哲学が貫かれているのだからである。
にもかかわらず松代は、「組織現実論にかんして解明した黒田寛一の諸規定」を一般化する際に、そこに貫かれている、この「唯物論的主体性論」をも捨象して、具体的、現実的に「革命本質論」「運動=組織論」「革命闘争論」を論ずる際に「唯物論的主体性論」を切り捨て、その代わりに「哲学的人間論」からの演繹的理論化にとって代えているのである。
プロレタリア革命は、資本制社会に実存しているプロレタリア階級による、人間の人間的解放をめざす、歴史的大事業だ。そのプロレタリアは、物質的にも、精神的にも疎外されてる。物質的疎外については言うまでもない。精神的には「幻想的共同性」に宗教的疎外のごとく侵されている。そればかりか、梅本が、フォイエルバッハをして「意識されない根底の上に意識を持っている……彼の下にははかるべからざる深淵がある」と述べた文章を紹介しているように、〝神なき現代のニーチェ、ヤスパース、ハイデッカー、サルトル″らニヒリズム意識など、現代に生きる人間の疎外された意識や、いまだに宗教的自己疎外に陥っている現代の人間の観念的自己疎外をも措定しなければ「変革の哲学」など成立しないのは当然のことである。
この物質的にも精神的にも資本制的自己疎外に陥り・物化されている、現代に生きるプロレタリアの主体性は、いかに確立されるべきか? ということが実践的に問題になるのだ。
それは、プロレタリアが革命的自覚を勝ち取る以外にはあり得ない。
プロレタリアの「革命的自覚において、資本はまさに敵対的なものとなる」のであり、まさにそれゆえに、プロレタリアは「**ブルジョア的私有財産の積極的止揚の自覚が形成されるのである**」。己の解放は同時にやがて全人類の解放となる、という歴史的使命を自覚し、全と個をその主体性において統一し、階級的全体性を己の主体的支柱とした革命的共産主義者の創造なしには、「哲学的人間論」などなんの役にも立たない。
「革命本質論」「運動=組織論」「革命闘争論」を論ずる主体は、革命的共産主義者である。前衛組織を創造し、革命運動を推進するのは革命的共産主義者である。この革命的共産主義者であるわれわれが、その実践を高度化してゆく以外にないのである。
二 黒田寛一の哲学をわがものに
黒田は以下のように理論化している。
実践主体としてのわれわれは、「永遠に接する」意識の事実を「行為的現在の場所に生き実践しながら、同時に将に来たるべきもののうちに生き実践しているものとして、自覚するのである」。
「行為的現在の場所においてあることの自覚こそが、われわれを実践へ、変革的実践へと駆り立てるのである。このような実践、《いま・ここ》における『報いられることを期待することなき献身』的な実践が、行為的現在の場所の非連続を破って、この非連続を『次の今』に連続させることになる。このような実践の論理を明らかにしてゆくこと、これがわれわれの実践論なのでる」。
黒田は、また次のようにも述べている。「一般的には人間実践をその背後からつき動かし実践的決意を確固たらしめるもの――これは、有限な生命個体としての人間存在の内にひらかれ・おくられる無限なものなのである。自己疎外と物化についての実践的直観をばねにして、自然史的過程の無限な発展を自己の底に観じ、この無限なものに接する刹那に、賃労働者は真に変革主体となるのである」。
松代は、このような黒田の明らかにした実践論とは全く無縁な実践論ならぬ「実践論」を定式化したのである。彼は、彼の著書において、ここかしこで「われわれのおいてあるこの場所」という表現を用いている。しかし、場所からの「被限定」が観念的なのだ。彼自身は、20(21)世紀現代の人間の資本制的疎外、なかんずくプロレタリアの物化され、疎外された実存から無縁なところに立っており、「《場の自覚》を出発点」とすることが欠落している、という決定的な問題が露呈しているのである。その意味において、現代の「田中吉六」とでもいえる主体主義的な実践論ならぬ「実践論」を展開している、といえるのだ。
「疎外態としての私のこの自覚は、同時に私のどん底をつきぬけてプロレタリアの疎外された実存につきあたり、まじりあい、合一された」。
この黒田の「出発点」であり、「かつそこに回帰する原点」を、己の原点とすべく、日々精進しなければならない。
最後に、
探究派は、真弓海斗論文において、革命的共産主義者たらんと日々切磋琢磨することを否定した。西知生論文では、唯物論的主体性論を否定し、探究派を小ブル徒輩の集団で良し、とした。
革命的共産主義者の創造を投げ捨てたにもかかわらず、党名を「**革命的共産主義者同盟**・革命的マルクス主義派・探究派」という、その矛盾に早く気づいた方がよい。
2024.09.21 終わり
黒田寛一の哲学をわがものに 5の3
3 死んで生きる
西は、なぜに「死んで生きる」という言葉に小ブル的反発を昂じさせるのであろうか?
田辺の講演を、「学生を前にしての、戦地にいって死ねという、この死へのアジテーション」と捉え、黒田がこれを弾劾していなないと勝手に決めつけて、黒田を「『死んで生きる』という田辺の哲学を、黒田は自身の意識の底に沈殿させているからに他ならない。」とさえ言ってのける傲慢さはどこから出てくるのか?
黒田は、解説の冒頭から書いている。「軍靴の響きが高まっているかぎり、日本軍国主義への哲学的抵抗とその挫折の痛ましい過去が、今こそ掘りおこさなければならない。…明治以降の日本哲学の最高峰をなす西田・田辺哲学が、今ふりかえられるべきではないか」、と。
「哲学」は文字通り危機に瀕している。黒田は、「〝死んだ犬″として捨てられているかのようなマルクス思想を今こそ蘇らせるべきではないか!」と訴えている。ここに、黒田が、21世紀現代に生きる、人間の人間的解放を目指すわれわれプロレタリアートの「頭脳」たる「哲学」を蘇らせようとする情熱と決意を私は痛感する。
「哲学はプロレタリアートの揚棄なしには己を実現しえず、プロレタリアートは哲学の実現なしには己を揚棄しえない」のだ。
学徒出陣は1943年10月、学徒勤労動員も1943年。近衛文麿の「大政翼賛会発会式」は1940年10月のことである。そして田辺の講演は1939年5月10日から6月14日までの計6回にわたる。
田辺は、「具体的にいえば歴史に於いて個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げることが生死を越える事である。自ら進んで自由に死ぬ事によって死を超越する事の外に、死を越える道は考えられない。」「事実幾人かの人は真に生死を越えたのであり、時あって永遠なるものに触れるに過ぎない我々でも、……互いに手をとり合って益々永遠なるものの建設に向わしめられるのである」、とその講演の最後を締めくくったのである。
この田辺の言葉を、西は、「戦地へ行って死ね」と即物的に受け止めている。しかし、その趣旨からすると田辺は、「個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるもの」、つまり大東亜共栄圏の建設のために「身を捧げる」ことを、論じているのである。西の主張とは違うのである。これは、西が唯物主義の故、現実とその捉え返したところの観念( 四角のBとB′)の区別ができないという認識論上の問題があるのだ。いやいや、田辺が「大日本帝国のアジア侵略を、そして大東亜戦争への驀進の道を、哲学的に基礎づ」けたという、大きな犯罪を犯しているということを見落としているのである。
戦後、梅本克己は、荒れ狂う軍国主義・大日本帝国の弾圧に屈した、様々な共産主義者、己をも含む哲学者たちの責任を自覚し、「プロレタリア階級闘争が国家権力の弾圧にさらされたばあいでもなお、この弾圧に抗してたたかうことのできる共産主義者としての主体性をも唯物論哲学的に追及すること」(黒田)を自らに課したのである。それは、ブルジョア社会に存在する諸々の人間はアトミニズム的な個人であり本質上利己的な人間であるとの認識に踏まえ、「このような孤立的個人」に陥っているプロレタリアが、プロレタリア階級の全体性を通して全人類的な解放を目指す共産主義社会の建設に「身を捧げる」ことはいかにして可能か? と、具体化させた追求であり、まさに「死んで生きる」ことを唯物論的哲学として追求してきたといえる。確かに、この梅本が追求し思索したこの問題を、黒田は受けとめ批判的に継承してきた。「死んで生きる」といっても、西田のそれ、田辺のそれ、梅本のそれ、黒田のそれは、形式も内容も異なるのだ。このようなことが判らないほど西の思想内容は低劣で、主体性は腐ってしまっている。いや、唯物論的自覚や共産主義者の主体性など関係ないという松代秀樹に完全にオルグられた、という方が正解だろう。
しかし、わたしはお前につきつける。権力の謀略に恐れをなし、「被限定を能限定に転ずる」ことを放棄したのがお前であろう。小ブル的個人へと〝転落″したお前が、いつ、どのようにプロレタリア階級の全体性を通して全人類的な解放を目指す共産主義社会の建設に「身を捧げる」という自覚を勝ち取ったのか? いつ、どのようにして、いかなる国家権力の弾圧にも抗して闘うことのできる共産主義者の主体性を確立したのか? 黒田に悪罵を投げつける前に、そのことをプロレタリア階級に明らかにすべきであろう。
しかし、それは無理なことだ。
西は、「『死んで生きる』という哲学ではなく、『いま、ここ』において未来を創造し、その実現のために、おのれのもつあらゆる諸能力を貫徹する意志と、パトスをもつ『いま、ここ』において生きるプロレタリアートの『変革の哲学』を創造し実現しなければならない」、と決意を披歴しているのだから。
このような西には、場所の哲学もない、場所の自覚もない。
小ブル的個人である自分が「未来??」のために、一生懸命、全力で闘います、と言っているだけである。
哀れ!! というしかない。
続く
2024.09.17
黒田寛一の哲学をわがものに 5の2
2 支離滅裂
西は、「田辺の時間論について」という章で黒田を批判している。その主張は、「時間論の展開は正当」という黒田は間違っている、とし①「二つの時間の流れ」を同列におけないこと、②未来という概念を実体化している、にもかかわらず「正当」というのは間違っている、と。
しかし、西が書いているこの批判は支離滅裂、読むに堪えない。
前提的に西は、唯物論とは何かということがわかっていない。「天空の運動の法則性」という事柄と「物質の主客の運動」「全宇宙史的物質の自己運動」ということを区別することなく、それぞれからつかみとられたのが時間という概念である、としている。これが根本的な問題である。
時間という概念は発生史的にも、日常的にも物理学的法則性からつかみとられた概念である。古代エジプトで発達してきた太陽暦を見ればそうである。紀元前約3500年ころ方位碑を建て、太陽によってつくられる陰の位置から1日を午前と午後に分割した。このことで「時間の概念」が誕生した、と言われている。その後、日時計を編み出し太陽から降り注ぐ光の影で、1年、1月、1日、1時間、1秒などいう計測単位を決めて時間としていたのである。地動説が正しいと明らかになって、それらが地球の公転、自転や、月の公転の故であることが科学者によって証明された。そして、この「時間と(空間)」は観念論においても唯物論においても等しく使用されていた。問題は、われわれの意識から独立した「世界」が精神=神によってつくられたものではなく、「物質の自己運動」によってつくられたものである、ということを「無条件的に承認」しているのがわれわれ唯物論者である、ということである。「客観的現実」を「時間と空間」という形式で認識していた人間が、唯物論的立場に立つことによって、初めて「物質が自己運動している」、と捉えられることができたのである。
さらに、次のような問題も指摘しなければならない。
西のいうような「過去から現在へと流れ込む物質的現実」ということは、人間が認識した結果、そのように表現できるのであり、客観的現実を「過去から現在へと流れ込む物質的現実」と表現し実在化し、これを「認識し自覚する」ということは、混乱の極みだ。客観的世界を「時間と空間」との統一としてて、物質が自己運動していると認識することを媒介にして、この客観的現実、すなわち、己が実存する場所が「過去から現在へと流れ込む物質的現実」であり、かつ未来へと開かれている物質的現実であると、言えるのである。
では、田辺は「未来という概念を実体化している」という様に批判することは、どのようにおかしいのか。
西は、「未来はすでに『いま、ここに』つくられている」「未来を実現するために、自らの意志を貫徹し物質化する」という。これは、実践にかかわる事柄である。しかし、人間は、実践によって実現されるであろう「未来」(C′)というものを構想したり、想像したり、夢を描いたり、理念として持ち続けることもできる。だから、この「実現されるであろう未来(C′)」から現在(B′≡B″)をとらえかえすこともできるのである。
重要なことは、現実とはBだけなのであって、A→B→CのAおよびCは現実ではない、ということである。西は、「人間の思惟活動において過去にさかのぼることができる」ことについては言及している。しかし、「未来という概念を実体化」しているとの強引な批判の故か、直対応的な単純な思考法のために、上記のような人間の思考活動を考えることはできないのだ。
われわれは、この自らが於いてある現実を変革するために、この「現実」(B′)を分析し、変革の指針を解明する。その場合、過去への歴史的反省をするとともに過去から現在への歴史的構成を行う(B′→A′→B″)。さらに進んで、この現実を変革した将来(いまだ来らざる「未来」ではなく、まさに来るべき「将来」)を構想する(B″→C′)。この構想した「将来」から場所を規定する(C′→B′≡B″)こともできるのだ。つまり、B′→A′→B″→C′→B′(≡B″)というように思惟することができる。
これを〈過去→現在→未来〉、〈未来→現在→未来〉という時間の流れとして表現することはできる。しかし、黒田は、田辺は「『歴史的現実』とは、これが過ぎ去ったものからおくりこまれたものとしては**歴史的現実であるが、未だ来らざるものに促迫され・未来を行為的にひらく現在としては歴史的現実である、という存在論 (ゴチック部分は黒田は傍点を付している)」を展開している、と述べている。そのうえで、田辺は「未だ来らざるものを創造する行為」を「新しい時代=『東亜盟協体』を拓く希望と任務」を基礎づけともしている、と捉える。それは、「未だ来らざるものを創造する行為(当為)**は、被投的企投として存在論的に」しかとらえられていないからだと説明している。さらに田辺は、非常時局にある現在、「種族こそ」が「人間がおいてある場所」であるとの解釈を進めてゆくとしてきている、と黒田は批判している。
他方で黒田は、「田辺元の存在学」では「実存」がそれとして措定されていない、と三木清を紹介する形で問題にして、理論的な継承・発展に関わることをのべている。「現在にむかって未来から流れる時間」は、「現実存在」において開かれる「主体的時間」(「過去的想起と未来的予科にかかわる主体的時間論」)であるとしたのが三木である。「今の今」として、永遠に触れる瞬間、「決心」としてあらわれる「主体的時間」の「今の今」性から歴史を創造する行為を基礎づけたのが三木清である、と。
西は、この両者の違いをとらえることができない。田辺の「場において自覚しなければならない」という「逆方向の時間の流れ」とは、三木の「主体的時間」とは論理的に異なるのだ。両者を一緒くたにしておきながら、黒田を批判する、という愚を犯している。
さて、このことは、西田いらいの「無の哲学」において「歴史創造主体」の問題が彼ら、西田、田辺、三木ら日本観念論哲学者たちの「思索と批判」を通じて深められ理論化されてきたたことを示している。ちなみに、三木は敗戦後以降も投獄されたまま、『歎異抄』を片手に疥癬にまみれ、糞尿まみれで獄死した「反骨の哲学者」である。
しかし、黒田は、この田辺にたいして、「歴史的現実」を、「そこから逃れることの決してできない物質的な世界としての社会的現実そのもの」である、「空間および時間を統一したところの物質性を根本とした場所である」(※黒田が物質性と言っていることに注意せよ)、という「場所の存在論」という観点から直接的には批判してはいない。さらには、「被投的企投として存在論的に規定され」た「行為(当為)」を、「場所においてあり場所に内在し場所を不断に超えてゆく変革的実践」を行う人間、すなわち「人間史の創造」主体を積極的にあきらかにし、この「場所」こそ「人間史創造の出発点」である、ということが、読むものに解るように批判を展開しているのだ。
黒田は、原則からのポジティブな批判を展開していない、ということだ。
西は、ただただ、革命的共産主義者たらんとするわれわれの原則から切って捨てていない、と感じ捉える単純な思考法の故に、それが不満なのであろう。いや、お前が黒田によって書かれた文章そのものの理解がおかしいだけでなく、黒田その人の主体的分析ができていない、という根本的な非唯物論的な思考法こそが問題なのだ。
無の哲学を、その限界を超えでんとした彼らの生き様とその思想と苦闘を追体験的に教訓とすることを、忌み嫌い否定するのはやめた方がよい。
2024.09.16
黒田寛一の哲学をわがものに 5の1
探究派のブログに、「学習ノート 『歴史的現実』(田辺 元著) 黒田寛一「解説」を読んで」と題する、西知生が書いた黒田を批判した文章が載った。
この文章は探究派の「実践論」が黒田の実践論と全く別物である、ということを定式化したものとして記念碑的なものである。
私は、このことを明らかにし、彼らの黒田への批判の無意味性を確認して、以後関知しないこととする。
時間の無駄だ!!
1 無知、無内容、無節操
西は、冒頭にわざわざ佐藤優を引き合いに出し、「佐藤の田辺元の講義に対する怒りが、ほとばしり出ているではないか。私は、民主的キリスト教徒としての立場とはいえ、田辺を強く批判し警鐘を鳴らす佐藤の姿勢には共感を覚える」と紹介し、その対比で自らの黒田への批判の正当性を押し出している。
そうすることで、彼は無節操さ、低劣な思想と小ブルヒューマニズムを自己暴露した。
そもそもキリスト教徒である佐藤優が、田辺を批判する資格があるのか? また、佐藤は「悪魔的魅力を持った論理(ロジック)と表現法(レトリック)」を明らかにすることで、「予防接種を受けたひとは感染しないか、感染しても症状が著しく軽くなる」などと観念的なことを無責任にほざいている。
多くの共産主義者たちですら抗うことができなかった状況で、ましてや宗教者たちが、現人神たる天皇に首を垂れてる状況のなかで、佐藤いうところの「予防接種」などいうものは何の効果もないのは当たり前であろう。百歩譲って、佐藤の土俵の上でも、国家なるものが「共同性の幻想的な形態」であることの自覚を促さなければ、「処方箋」たりえないのはマルクス主義者にとって自明のことであろう。このような軽薄で無責任な佐藤優の「姿勢に共感を覚える」ほど、西は無思想、無節操である。
日本のキリスト聖職者たちは〝父と子と聖霊の聖名において、「共栄圏確立のために戦争を戦い抜け」、すべて神の御心のままに殉教しなさい〟というようなことを説教したであろう、ということを想像できるようなことをやってのけたのである。
なぜそういえるのか?
日本プロテスタント教会は1940年10月17日に、「皇紀2600年」を記念して青山学院に2万人のキリスト教徒の参加のもと「宮城を遥拝し、天皇を讃える讃美歌を歌い、大会後には明治神宮に参拝している」。翌年には、同33教派が合同して「日本基督教団」を創立し、「最高責任者の統理・富田満が伊勢神宮に参拝、教団発足を報告、その発展を『祈願』した」。さらに、「1942年11月26日、富田は、神道13派、仏教25宗派の代表とともに天皇裕仁に『拝謁』、『恐懼感激し』『宗教報国のために感奮興起』などと述べている」のである。さらには、「飛べ日本基督教団号」を合言葉に献金を募り、「陸軍には『愛国』の海軍には『報告』の名を冠した各2機、合計4機の軍用機を納めた」。
まだある。
「全世界を指導、救済できるのは、世界に『冠絶セル万邦無比』の日本の国体であるという事実を、信仰によって判断し、われらを信頼せよと述べ、正義と愛の共栄圏確立のために戦争を最後まで戦い抜かねばならない」、と「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表した。まさにプロテスタント教会は、戦争に協力加担したのであった。カソリック教会も同様であった。(すでに、1932年の「靖国神社参拝拒否事件」において「全面降伏」し、「平和の福音を換骨脱胎して侵略戦争を賛美正当化する道具」と化していた。)
日本のキリスト教徒たちは、「再臨信仰は不敬」だという不当な弾圧に首を垂れ、「全知全能にして、万物の創造主」である神の上に「日本神道の現人神である天皇」をおいたのである。
このような背教者たちの歴史的犯罪、悪魔に魂を売った歴史的現実に対して佐藤優はひと言も触れることなく、田辺を批判することなど許されるものではない。
しかし、西は無知にもほどがある!
西は、「西田、田辺」「宗教者」「唯物論・非唯物論者」「社会主義者、共産主義者(マルクス主義者)」たちがおかれていた「歴史的現実」に自らの身を置いて深く知ろうとしていないのだ。また、彼らがこの「歴史的現実」の中で「被限定を能限定に転ずること」がいかに困難であったのか、その葛藤、苦悶について考えてもみないのであろう。ある者は投獄、凄惨な拷問によって獄死した、またある者は「転向」した、さらに「偽装転向」し奴隷の言葉で「抵抗」した者もいた。
西田、田辺はその哲学に内包する問題性により難破せざるを得なかった。西田は多くの学生たちに「安心立命」を与えた。田辺は日本軍国主義と大日本帝国のアジア諸国への侵略を理論的に基礎づけ、学生たちに「死んで生きる」ことを説いた。この二人の「哲学」の影響を受けた梅本克己や梯明秀が、戦後の一時期、執拗に苦闘し、明らかにした「主体性」論の追求は、既成のマルクス主義(哲学)からではなく、「梅本・梯的思弁によってろ過された西田・田辺哲学」(黒田)を受けとめた黒田によって唯物論的主体性論として確立された、(実践=)自覚論であるのは間違いない。
「田辺の哲学を弾劾・批判してこそ、『今日的意義』があるのではないか」、という西のどこに、プロレタリア的価値意識があるというのか!? マルクス主義を蘇生される営為、苦闘からいかに無縁な輩であることか!!
特に黒田は、この書(『歴史的現実』)の解説で、田辺哲学を「近衛文麿の大政翼賛会の発会式」での演説の要旨の「先取り」であると、その反階級性と反動性を端的に言っている。帝国主義的再分割戦を「種族間の争い」と捉え「『種』における特殊化形態としての日本主義(日本ナショナリズム)イデオロギーにナチズム的加工」をする。「特定種族がこれに属する個々人を促迫して『国家』的普遍への忠誠を誓わせ(忠君)この国家は個々人にみずからが課す種族社会への奉仕を促し、こうすることにとって『愛国』を煽りたてることが論理的に正当化される」。「……歴史的現実における被投的企投の哲学は、かくして、大日本帝国のアジア諸国への侵略を、そして大東亜戦争への驀進の道を、哲学的に基礎づけるものとなる」。「『八紘一宇』の大事業に種個人はもし召されれば生命を賭して君に奉仕しなければならないとされる」。こうして「死を賭した戦いこそが、種建設の先端に立とうとする者の世界史的使命に他ならないとされる」。このように黒田は、田辺が講演した『歴史的現実』をとらえ「これこそは軍国主義と超国家主義の基礎づけでなくして何であろうか」と痛烈に批判している。田辺はこの哲学を、「国家即自己」を学生たちに講義したのである。
西は、このような黒田が、『歴史的現実』における田辺の主張していることを根底的に批判していることを理解できないでいる。ただただ、「戦地に言って死ねという、死のアジテーション」という非マルクス主義的レッテル張りを行い反発しているだけである。
不誠実にもほどがある。出直してこい!!
西は、「哲学もまた『時代の子』であるかぎり、歴史的な被制約性をまぬがれることはできない。問題は、過去にうみだされた哲学的諸成果を後代の見地から、しかも先入観にとらわれた党派的見地をもって断罪し、湯もろともに赤ん坊を流すような愚をおかさないことにある」と黒田は述べている。………ここでの黒田の批判は、人間の『主体性』を論じ得ない、『スターリン主義に無自覚な』正統マルクス主義哲学者に向けられているとは思う。」――と書いている。
何を間抜けなことを言っているのだ。
かつての客観主義者、党派性主義者以下の、哲学的主体性論・唯物論的主体性論など間違いだ、と切り捨てているような、西(=松代)が言うようなことではない。
文字通り、お前たちに妥当する言葉ではないか!!
2024.09.15
柏崎刈羽原発の再稼働を許さない!
6月13日、柏崎刈羽原子力発電所・稲垣武之所長は記者会見を行い、7号機の「健全性確認」が完了した、と発表した。「技術的に(原子炉を)起動し、運転していく準備は整った」、あとは「地元同意」の獲得にむけて「原発の現状を丁寧に伝えたい」との認識を明らかにした。また、花角新潟県知事は同日、斎藤経済産業相と面会し、国が前面に立って、柏崎刈羽7号機の「安全性や再稼働の必要性」を県民に説明するよう要請した。引き続き7月に入って、自民党新潟県連幹部4人が経済産業大臣のもとを訪れ、岩村良一 幹事長が「本県だけがリスクを背負っているという県民感情があるものですから、国・事業者・商工団体に対して経済的なメリットを感じることができるような取り組みの実施をお願いしたい」、と柏崎刈羽原発の再稼働に対する「経済的なメリット」ととして「企業誘致」を求めた。
こうして、岸田政府、柏崎市、刈羽町、原発現地の自治体組長と新潟県知事などが、柏崎刈羽原発7号機の再稼働に向け準備を進めている。
しかし、相も変わらず、「経済的なメリット」ととして「企業誘致」を求めたとしても、いつ地震と原発事故の複合的災害が襲来するかわからない新潟県に、工場などの新規建設をするようなおめでたい企業があるのだろうか?
能登半島北岸断層帯に起因する群発地震は今も収まらず、さらに富山湾から柏崎刈羽原発沖に**上越沖断層帯があるのだ。「地震調査委員会」は、この二つの「海域活断層」はともに、マグヌチュード7.8から8.1の地震が想定される、と発表している。そして上越沖断層帯は、能登半島北岸断層帯と同じようなメカニズムでいつ何時地震を引き起すかわからないのである。さらに、この上越断層帯と連動してF—B断層(東電が動かないと想定している海域断層)が動かないという根拠はどこにもない。**
5~7号機には15本の断層が見つかっている。それは特定重大事故等対処施設建設のためと称して、核防護上、一切公表されていない。
このような地震・地殻変動と原発事故による複合災害に危険性が非常に高い柏崎刈羽原発の再稼働を、絶対に許してはならない。
一刻も早く廃炉にすべきだ。
補:古くから、原発・核開発に反対している私たちには、既知のことであるが一言。
7号機原子炉建屋、タービン建屋は岩盤と呼べないほど柔らかい土壌を人工的に硬くしただけのもの(マンメイドロックと呼ばれている)の上に建設されたものである。
豆腐の上部を固ためたに過ぎない地盤の上の原発なのである。
2024.08.04