241006 『青春ブタ野郎』シリーズの高校生編の復習しました。 (original) (raw)

2024年10月10日にライトノベル『青春ブタ野郎』シリーズの最終巻が出ます。

私のスタンスは以下のエントリの通りです。 このエントリの通り、私はこのシリーズに「フルコミット」することを宣言しました。

ということで、大学生編を読むに先立って、高校生編を原作・アニメで復習しておりました。

これまで原作は今年の夏頃までに『シスコンアイドル』まで読んでおり、去る9月30日にようやく『おるすばん妹』から読み始めたという次第です。アニメと合わせて、感想等を簡単にまとめていきます。また暗い部屋でアニメ観てる……。

まとめ

『青春ブタ野郎』の(高校生編の)シリーズとしての面白みって、ラブコメとして始まりながら、サブジャンルをスイッチさせていったところにあると思っています。最初、素直なSF風ファンタジー風な「思春期症候群」を梃子に恋愛SLGの先輩キャラ(メインヒロイン)、後輩キャラ、攻略不能キャラ、先輩の妹キャラ、隠しキャラ……らと人間関係を築きながら、そうやって構築した人間関係をいわゆる「グランドルート」で回収していく(ここまでが『ハツコイ少女』)。

その背後で家族小説(『おるすばん妹』)を走らせる。そして『おでかけシスター』と『ランドセルガール』は、SF風なファンタジー風な、あるいは恋愛SLGなサブジャンルから、完全に家族小説にスイッチし切っている。

このスイッチの面白みがあったのが高校生編だと思うんですよね。

そして、大学生編。SF風なファンタジー風な、あるいは恋愛SLGなサブジャンルに戻るらしいじゃないですか。

高校生編の機微とは「思春期症候群」なるデッケエからくりを用意しつつもセカイ的に描かずあくまで主人公・梓川咲太ら個人の問題に留めた、というバランスにあったと思っていて、そして、大学生編については、からくりの中を知りたかったのではないし、大学生は「思春期」ではないんだよな……。大学生は「思春期」ではなくて、作品そのもののコンセプトから外れてしまっているのが大学生編ではある。正直ね、読むの怖いっすよ。

ただ、高校生編を復習して気持ちが「仕上がって」きたので、今週金曜(最終巻が出た翌日です)には、PM休を作って七里ヶ浜~江ノ島に行こうと思います。

『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』

アニメ

序盤の桜島麻衣さん、幼いね。

『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』

原作

読みました。高校編の読ませ所ですね。この巻からシリーズのジャンルがギャルゲーのフォーマットを踏襲したラブコメから家族小説へとスイッチしていく。

『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』

原作

『ゆめみる少女』の原作をよーやく読んでるんですが、これ確かにすごいですね。このシリーズの到達点になると思う。ゆえに、『ゆめみる少女』『ハツコイ少女』で終わらせなかったの、残念ではあるな。

高校生編がクライマックスの7巻『ハツコイ少女』、エピローグの8巻『おでかけシスター』、9巻『ランドセルガール』の9冊でまとまったのに、そこから大学生編で6冊やるの正気のバランスじゃない。どうするんだ、これ?

完璧なクライマックス。次の『ハツコイ少女』とセットで感想書きます。

アニメ

『ゆめみる少女』観ました。『青春ブタ野郎』シリーズの大ネタって「SFだと思うかSFではないと思うか」で大きく印象が変わると感じていて、初見時には前者で評価してしまって、正直、あんまり好きになれなかったんですが、後者を頭に叩き込んだ二回目だと相当よかったですね。

前半はカットの切り替わりが多すぎるし、後半は説明のための台詞が多すぎるしで(というより前半後半でジャンルが変わって)、トータルではアンバランスな映画だとは思うんですが、そういうアンバランス込みでこのシリーズではあるんだよな、と。

アンバランスさを愛そう。

『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない』

原作

完璧。登場人物と彼らの人間関係のポテンシャルを使い切った。SF的なギミックについてはぜんぜん納得していない(ので、それを前面に出した映画もあまり好きではない)が、原作のモノローグ(激・万物に感謝……状態)や葛藤は小説だから出来たものだろう。ふつうにダバダバ泣きながら読みました。いや、本当にいいもの読みました。

恋愛SLGの文脈を(暗に)有して立ち上がったラブコメが、家族小説を経て、そして最後は真っ直ぐに恋愛をやる、ジャンルを微妙にズラして展開する手練手管ですよね。

おれはね、古賀ちゃんのことが相当好き(ある側面では麻衣さんよりも好きなのかもしれない)で、それは彼女が、こうしてズラされるジャンルの中で一本筋の通った「ギャルゲー/ラブコメの後輩キャラ」だからなんですよね。物語の「らしさ」を担っていると言ってもいい。ポップさがある。そういうことを書いててわかってきて、『ハツコイ少女』でリョーシ的存在になった咲太を見つけるのは彼女以外にはあり得なくて、このシリーズの「らしさ」である彼女こそが、主人公を見つけ決断を促すのに相応しい。

麻衣さんは人物として好きだけど、古賀ちゃんはキャラクターとして好きなんですよね。言ってること伝わります? み砕いて書くと、人物として好きというのは、その人物の価値観や行動が(物語の文脈から離れたとしても)好きという意味で、キャラクターとして好きというのは、物語の文脈を豊かにする(物語に奉仕する)役割が好きという意味です。

『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』

原作

シリーズのクライマックス『ゆめみる少女』『ハツコイ少女』に続くエピローグの前半。地味な話ながら(地味な話だからこそ)映画が綺麗に映像化してくれたなという感じです。

『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』

原作

読みました。アニメと同様に、各人の集大成がよく描かれたエピローグだが、高校生編の終わりを飾る一冊の小説として読んだ時には、大学生編への目配せが多すぎて「ちょっとやりすぎだな……」と感じてしまった。
『おでかけシスター』と『ランドセルガール』は、総じて、アニメスタッフがお話をとても洗練したように感じる。ヘンな話ではあるが、彼らスタッフなら(これから私が読む大学生編が仮に微妙であったとしても)いい具合にメイクアップしてくれるだろうと信じられた。

アニメ

この映画、ここまでとは違って、どうしても親目線で観ちゃうんだよな(だから好きという話でもある)。

(おわり)