沈黙の艦隊を観た Amazonプライム タイムスリップ体験: 1990年ごろの感覚と愛国者の葛藤 (original) (raw)

Amazonプライムで絶賛放映中である。私は「空母いぶき」を面白いと思わなかったので、見る気は全然なかったのであるが、知り合いがめっちゃ面白いともうプッシュするので観たらめっちゃ面白かった。

海江田が諸葛亮ばりに賢いというのがこの映画の売りなのだろうが、その背景は現代の日本である。アメリカに追従するだけの日本に我慢ならないという政治家達が海江田の反乱を利用してアメリカとやり合うという極めて非現実的な内容である。

潜水艦の中の事など私は1ミリも知らないが、映像からはリアリティが伝わってくる。ソナーで探知するなど、手に汗握りながら見ることができる。シーズン2が楽しみである。

しかし、沈黙の艦隊が連載されたのは1988年から1996年である。核の「か」の字でもいったら閣僚の首が飛ぶ時代である。さらに、ジャパンバッシングから牛肉オレンジ交渉で、それまでのアメリカ一辺倒から舵を切り、バブルで経済大国となり、アメリカにへりくだり続けるのに疑問が出て来た時代である。

そして、1995年の小林よしのり戦争論、1996年の新しい教科書を作る会、などと日本人の国家感が徐々に変わっていく。

いまやアメリカやヨーロッパなど白人連中に対してアジアは一歩も引けを取らぬという時代となった。今アメリカにあこがれている若者などいるのだろうか?

という隔世の感が否めない。で、この作品を見ていると、どうしても1990年ごろの感覚にタイムスリップしてしまう。つまり、この作品はわれわれおじさん向けの作品なのではないかと思ってしまう。

もう少し具体的に言うと、現代の感覚からすると深町は焦れったく、深町の思考に違和感を覚えるだろう。そして、海原や防衛大臣の曽根崎仁美などを応援したくなる。しかし、当時の良識では、深町的思考がギリギリの愛国者で、海原や曽根崎などはスーパーエキセントリックで論外なのだ。当時は「第二次世界大戦は日本だけが悪かったわけではない」と言うくらいで変人扱いである。

ただ海江田が独立国やまとの元首を名告ったあとも海上自衛隊の制服を着用し続けてるのには違和感があった。

沈黙の艦隊 次回予告

沈黙の艦隊(1) (モーニングコミックス)