無駄に几帳面な男と科学技術の進歩 (original) (raw)

科学技術の進歩について思いを馳せることが時々ある。一気に進歩してきたのは18世紀半ば~19世紀の産業革命からだと思うが、まあビックバンみたいな感じで何もないところから科学技術が一気に湧き出たわけではなく、人類の歴史で(石器時代にも科学技術はあったはず)、この技術を応用してこれが生まれ・・・という気の遠くなるような数珠繋ぎの結果、産業革命で花開いたということだと思うのだけど違うのかしらん?ところで、数珠繋ぎがついに花開くという意味では、鬼滅の刃で鬼を倒すという使命が脈々と受け継がれてきた鬼殺隊・産屋敷家と似ているなあと思うのだ。

このような500万年の壮大な話だけでなく、例えば僕が生きて来た51年の間だけでも科学技術の進歩は半端ない。

僕が子どもの頃と現代を無駄に几帳面にまとめてみた。

平成生まれ以降の人は、黒電話・ぼっとん便所・バランス釜の風呂とか見たらびっくらたまげるのでは?

エアコンが初めて我が家にやって来た時のことは今でも覚えている。当時は今ほど暑くはなかったけど扇風機で真夏の暑さをしのぐのとは快適度が違ったもんな。

そう考えるとこの中で一番進化してないのは自転車では?電動自転車は発売されたけど、基本的な構造は変わって無いし。自転車は進歩しなくても十分便利だからこのままでよい。

さて、ここまで書いてきたが実は今回のテーマで書きたかったのはこれではないのだ。それについては、このまま書くと長くなりそうなので次回に。ズッコケ。

吉岡 一蛍