絶望しないための (original) (raw)

2025年6月25日水曜日。

11時ごろに起床。一昨日の夜から悩みや葛藤のないのっぺりとした日常をどう打破するかについて考えている。起床直後からこの問題が頭に上ってきて、悶々としながらオフィスへ向かう。

この問題は俺にとっては音楽が聴けないということと表裏一体である。俺にとって音楽を聴くことは、悩みや葛藤のエネルギーを行動に昇華するきっかけとして機能していたからだ。部屋の中で鬱屈した気分を抱えがちな俺は、音楽を聴くことで初めて外に出る気分になるということが常であった。だから道中では音楽を探した。

今の俺にバッチリハマる音楽はないか、RYMで評価したアルバムの一覧を上から見ていく。平沢進『Perspective』が目に留まった。再生してみる。すると少しだけ反抗的な気分が湧いてきた。インダストリアルで無骨なサウンド。荒々しいヴォーカル。不協和音を奏でるギター。まさに日本の退屈な「空気」に突っ張るための音楽だ。だが俺の視界は緑と青で埋め尽くされている。イヤホンを外せば爽やかな鳥のさえずりが聴こえてくる。いくら反抗的な気分で突っ張ろうとしても暖簾に腕押し状態である。

オフィスについて、昼食を食べて、同僚と研究のやり方について議論する。そして午後はプロジェクトのミーティングのために、近くにある別の研究機関の建物に向かう。道中、指導教官と理想的な科学研究のプロセスについて話す。まさに欧米のIT企業といった趣のオフィスに到着し、初対面のプロジェクトリーダーと指導教官と雑談しながらコーヒーを飲む。ミーティングに参加し、片手間に自分の研究について、やるべきことを整理するための文章を書く。18時くらいに終わって、雨が降りそうだったのでそのまま帰宅。

その後は小市民シリーズの続きを観たり、石川義正『政治的動物』を読んだりする。少し寝て、研究の整理作業を終わらせる。そして惰性で日記を書いている。

今日は、音楽を聴く、アニメを観る、本を読む、という俺にとって最もなじみのある3つの鑑賞形式を一通り試したが、全然駄目である。重さがない。鑑賞が深いところまで入ってこない。全く思考が喚起されない。これでは単なる暇つぶしである。逆に鑑賞が軽いということには量をこなせるという良さがあるのかもしれないが、それは俺の望むところではない。暇つぶしはいくら重ねたところで暇つぶしである。

今日の日記はこれで終わり。

俺が悩みや葛藤を欲しているのは、それが重い鑑賞を促すだろうと思っているからだ。悩みや葛藤が無くても、真に作品を味わえて、深く考えることができるのなら問題ない。だが俺にはその二つが両立するとは思えない。

2025年6月23日月曜日。

9時ごろに起床。起き上がり、洗顔。バナナを食べる。着替えて、リュックを背負って、外に出る。天気は相変わらずの快晴。気温は少し低めだが、ひんやりとして気持ちがいい。坂本龍一千のナイフ』を聴きながら職場まで歩く。

職場に到着。自販機でコーヒーを買って、階上のオフィスへ向かう。誰もいないオフィスでラップトップを起動。研究に必要な音声圧縮の技術について、意味がよくわかっていない用語を一つ一つ丁寧に調べながら、論文を精読、要約していく。

学食で指導教官と同僚と喋りながら昼食を摂る。ストライキの慣習についてなど話した。食後は同僚の喫煙に付き添っておしゃべり。10分くらい話したら解散してオフィスに戻り、論文の精読と要約を続ける。今日は先週の反省を活かして、長時間作業し続けないように気を払って、90分くらいおきに休みを挟みつつ働く。うまく脳を休められたのか、19時くらいまであまりパフォーマンスを落とさずに働けて、満足して退勤。

帰宅。ベッドに飛び込んで時間を溶かさないように気をつけて、即シャワーを浴びる。それから、換気がてらドアを開けて、サラミを食パンに挟んで食べながら、久しぶりに『小市民シリーズ』の続きを観る。仕事終わりの優雅なひとときである。観終わって、なんとなく先延ばしにしていたSIMカードの契約を済ませる。惰性でサブスクの整理をしていると弟から電話がかかってきた。

弟が最近は宇宙のことについて調べるのにハマっているのだと話してくるが、完全にオフモードになっていて頭に入ってこない。適当に流していると、「お前は悩みがなくなってしょうもないやつになってしまった。今のお前は散々否定していた大企業の面白くないサラリーマンそのものだ。」みたいなことを言われた。それっぽく返そうとするが、口も全然回らず、すぐに切られてしまった。

弟の指摘は的を射ている。正直、今の俺には一切の悩みも不安もない。そして仕事も趣味も楽しめてしまっているので、欠乏感や虚無感もない。生活はまだ十全とは言い難いが、これも時間の問題だという気がしている。一ヶ月後にはうまく自己管理の方法を確立して、「生産的」な生活を送っている予感がある。

日本にいた25年間、俺が抗ってきたあらゆるものが、ここにきて解決してしまったかのような感じがある。俺はまず日本の「世間」に抗っていた。例えば「世間」が「まとも」として押し付けてくるようなライフステージ観。20代前半でサラリーマンになって、20代後半で結婚して、30代前半で子供を作って…、というやつである。これについては京都にいた頃にはある程度決別してしまっていて、「まとも」の包摂を受けずにある意味孤独に生きる覚悟を決めていた。フランスに来て「まとも」はますます遠いものになった。俺の主観において、「まとも」は極限まで相対化され、もはや抗うまでもないほど弱い観念になってしまっている。

俺は日本のアカデミアに蔓延している(と感じていた)自己実現的な雰囲気に抗っていた。就活の時期、大企業に入るのはなんとなく没人格的なものに堕してしまいそうで嫌悪感があり、それ以外の選択肢として博士進学があったが、日本の博士には絶対に行きたくなかった。研究職のキャリアを選ぶのはあくまで、相対的に面白そうだからであって、自己実現ではない。俺はもっとドライに関わりたかった。研究に全力を尽くすのではなく、他の知的関心とのバランスの中で、あくまで仕事として取り組みたかった。

そしていざフランスに来てみたら、むしろ俺のような態度が普通なんじゃないかという感じがする。現状今の職場には一切の不満がない。しかも工学研究に対する態度が、ものづくり的である日本とは対照的に、非常に学問的・科学的・形式主義的で、嫌悪感とは全く反対の感情を抱く。日本だと常に反省され続ける「これは本当に社会の役に立つのか」みたいな便益の観点が持ち出されない。フランスでは工学においても学問知そのものに価値が見出されているように感じる。俺の言い方をすれば、研究は人間社会の文化的豊かさの一つの表現=「カルチャー」としてある。

もはや研究を「仕事にすぎない」と割り切って相対化する必要がない。これは俺がやりたいことそのものである。フランスに来て、人文学的であったり芸術的であったりしたはずの俺の私的関心と、工学研究という仕事の断絶が解消されてしまった。これは「カルチャー」という抽象的なレベルでもそうだし、具体的なレベルでも、分析哲学プラグマティズムに対する関心が仕事で扱う形式主義と接続する。

抗ってきたものに話を戻す。前の日記で書いたように、日本の集団主義的な「空気」がフランスには無いことも、大きな変化である。「空気」には間違いなく抗っていた。俺はよく「自我が強い」と言われていたが、これはたぶん「空気」に対抗していたのだ。「空気」は精神的な自己を抑圧して、場に生じる流動的な超越性の下、集団の精神に同一化を強いるようなものだ。その一つの現れが同調圧力である。「自我」を強く持つというのはこの圧力に「つっぱる」ことだ。俺はつっぱっていた。日本には「空気」と「自我」との緊張関係が常にあって、その葛藤の中で思考が絶えず喚起されるようなところがあった。

この「空気」との間の緊張は、本当に色々なものを駆動していたのだと思う。俺の性根は逆張りだ。俺が音楽を聴くのも、アニメを観るのも、本を読むのも、根本的には、漫然と漂っている退屈な「空気」に対してオルタナティブを求めようとする運動なのだと思う。今、俺は環境に満足してしまっているし、抗うべき「空気」が感じられない。身体がオルタナティブを必要としていない。だから、音楽が聴けないし、アニメも観れないし、本も読めない。

だが、俺は確かに満足しているにもかかわらず、これではダメだとも思っている。仕事も楽しいし、哲学も楽しい。欠乏感はない。身体は満足しているが、理性が、退屈しているということだろうか。そもそも「楽しい」なんて言っている時点でぬるくはないか。俺はフランスに来てからまだ一つも素晴らしい音楽と出会っていない。音楽を聴くというのは日常を彩るという程度のものではないはずだ。音楽を聴いてchillになって、身体は満足するのかもしれないが、理性はもっと大きなものを求めている。崇高だ。美だ。時間の上でのっぺりと引き伸ばされた日常的な生に、いったいどんな喜びがあるというのだろう。

2025年6月21日土曜日。

午前中に起床。ベッドでスマホをいじっているうちに昼になり、インスタントのソーセージルーガイユなるものを食べる。悪くない。そしてまたベッドに戻って、スマホをいじったり、寝たり。20時くらいまでこの調子だった。

やりたいことはたくさんあったのに。やる気の問題というより、体力の問題である。今週は、フランス生活にも慣れ、研究も面白くなってきて、さらに人文学的な関心も戻ってきて、中盤ややハードワーク気味になってしまった。俺は体力がある方ではないので、少しでも無理をすると翌日以降に響いてくる。無理をすると、その日は充実するかもしれないが、体力が回復するのに数日かかるので、全体で見れば生産性が下がってしまう。だから、行動しすぎないこと=体力管理が大事なのだというのが大学院時代の教訓だったのだが、そこまで意識が回らなかった。フランスには慣れてきたとはいえ、まだ余裕があるわけではないようだ。

20時半くらいに家を出て、レンヌの中心街で今日の16時くらいから開催されているらしいFête de la Musiqueという無料の音楽フェスに向かう。フランスでは6月21日が音楽の日として定められていて、全国各地で音楽フェスが開催されるらしい。レンヌのものは特に規模が大きくて有名なようだ。正直なところ、ライブの気分ではなかったのだが、1時間くらい見て回るだけならいいかなと思い、行くことにした。

中心街に到着。Saint-Anne駅周辺の広場に出ると、左手ではロック、正面の奥の方ではヒップホップ、右手の奥の方ではEDMのライブが行われ、非常に混沌としている。これが何か会場的な場所ではなく、街のど真ん中で催されているのがすごい。騒音に厳しい日本ではまずあり得ない光景だ。

人流に乗って広場から移動してみる。するとわかるのは、バーやカフェごとにDJがいて、爆音で音楽が流れているということ。だから、歩いていると次から次へと違う音楽が聞こえてくる。そして、バーやカフェとは別に、広場的な場所に陣取って、いたる所でライブが行われている。ジャンルもさまざまだ。俺が観測したのは、インディーロック、ブームバップヒップホップ、ハードコアテクノ、ダブ・レゲエ、ダンスホール、フォークロックなど。全体的にEDMが多めではあった。クラブカルチャーが根付いているヨーロッパでは、ライブといえばまずEDMなのかもしれない。

ひと通り見て回ってバスで帰宅。ヨーロッパの夜の街は初めてだったので、治安が少し心配だったのだが、杞憂だった。ヨーロッパの若者は見た目こそイカついものの、危ない雰囲気は微塵もない。スリはずっと警戒していたが、もっと警戒レベルを落としても大丈夫そうな感じがした。これから3年間住むのがレンヌで本当に良かったと思う。ここはヨーロッパの中でもかなり住みやすく、かつ楽しめる街の一つに違いない。

今日の日記はこれで終わり。

無理をしない。日記を書く。この二つを徹底していきたい。

2026年6月18日水曜日。

9時ごろに起床。サラミをパンにはさんで食べながら手続き系の作業をやる。研究室に行き、昼休みまで実装作業。いつも通り芝生の上のテーブルで同僚と昼食を摂る。戻って、少しだけ実装作業をやった後、15時からのHさんとの通話のためにデリダの『盲者の記憶』を読んで、鳩羽つぐの動画をいくつか観る。校内を散歩しながら、Hさんと2時間半ほど通話。議論の内容が非常に面白いものだったので、オフィスに戻ってエッセイ調の文章にまとめる。書いているといつの間にか20時半くらいになっていて、警備員的な人に追い出される。帰宅し、文章の続きを書いて、Hさんにシェアして、今。

今日の日記はこれで終わり。

さっき3000字くらいのエッセイを書いたので、今日は短めに。エッセイをこの日記に貼り付けようかと思ったが、良く書けた気がするので、洗練させてどこかに寄稿しようかと思って、やめにした。

2025年6月17日火曜日。

9時ごろに起床。即起き上がり、洗顔。昨日買ったチョコパンを二つ食べる。薬を飲み、着替えて、家を出る。相変わらずいい日和である。朝は気温が低く、それが日差しで中和されて非常に心地よい。うるさいくらいの鳥のさえずりを聴きながらオフィスまで歩く。

オフィスに到着。今日は指導教官二人との定例ミーティングがある。今週は確率論と統計モデルの復習に加え、研究にキャッチアップするための文献レビューに取り組んだ。想定したよりも進捗は出せなかったが、仕方ない。読んだ分をもとに、現状の理解を文章にしていく。

俺のメインの指導教官Sはまさに「書くことで考える」を実践しているような人である。彼は論文などの公の文書以外に、非常に整理された、科学的な体裁の整ったレポートを日常的に作成する。書くことを通じて、人に共有可能な体系だった理解を作っているのだ。

思えば日本にいたころ、フランス出身の研究者たちはみな、毎週のレポートをとても美しく作成していた。これはフランスアカデミアの慣習なのだろうか。しかしそもそも、あらゆる学問の基礎が過去文献の調査にあることを考えると、書くことを重視するのは当然のことように思える。むしろ読むことと書くことこそが、学問の行為としての実体なんじゃないだろうか。

Sは学生の自由を制限することを嫌っていて、研究の進め方は俺に任せられているのだが、俺は自分の意思で、彼の博士時代のやり方を真似することにしている。毎週の仕事を科学的な文章にまとめるのである。これが案外楽しい。

修士の頃は論文執筆が最も苦しい作業だったのだが、一気に大量の文章を書くことを求められないからだろうか。書くことがある程度決まっていて、それをある文体に流し込むという点では、日記を書くのと似たようなところがある。こうやって毎週の成果が科学的な文章として集積していけば、論文執筆も楽しくできそうである。

昼休み。研究室の人たちと屋外のテーブルで昼食を摂り、それからレポートの作成を続ける。定例ミーティングの時間になる。作成したレポートをもとに指導教官二人と議論。大量の先行論文を紹介されて、少し気圧されてしまった。オフィスに戻って、紹介された論文と議論の内容を整理する。今週やることをレポートのフォーマットで整理していると、日々の研究業務をどういう形で進めれば良いのかがはっきりとわかってきた。

上に述べたように、学問の行為として実体は読むことと書くことである。これらに加えて俺の分野では実験のための実装作業が必要になる。読むこと。書くこと。実装。この三軸でタスクを構成すればよさそうである。今週の場合は次のようになる。

タスクが体系化されれば、ある程度工数が見積もれる。タスクをサブタスクに分解していって、一日の中に配置していくことができる。生活の見通しが一気に良くなった。これで、動画レーティングサイトの開発とか、同人誌のための執筆とか、本を読むとか、アニメを観るとか、音楽を聴くとか、個人的なことにも時間を割きやすくなる。日記も再開した。明日からは京都にいたころのような生産的な日々を送れそうな予感がする。

今日の日記はこれで終わり。

仕事終わり、脳が晴れたような気分になって、betcover!!の「葵」を歌いながら帰ってしまった。音楽を心地よく感じたのはフランスに来て初めてである。音楽は経験上リラックスしていないと心地よくない。なんだかんだ気が張っていたようだ。

2025年6月16日月曜日。

10時ごろに起床。さっとベッドから起き上がり、洗顔。朝食のバナナを食べて、薬を飲み、支度をする。今日の予定は、日中は仕事、それから食料が切れているので、帰りにスーパーに買い出しに行かないといけない。小さめのボディーバッグにトートバッグを二つ詰めて、なんとなく肌寒い気がしたのでジャンパーを羽織って外に出る。

フランスは日射しがとても強い。日本と比べると湿度が低く、日光が水分の層にほとんど吸収されないためらしい。だから、日かげと日なたの体感温度差が大きい。今宿泊している地下室は、ほとんど日がささないので常時少し寒いくらいなのだが、オフィスまでの道のりは、特に晴れた日は、気温によらず暑い。ジャンパーは不要だと早々に気づいて、脱いで手に持って歩く。

やや高級めの住宅地を抜け、ラウンドアバウトを二つ横切り、10分程度でオフィスのある技師学校(École d'ingénieur)に到着。ゲートをくぐると、Windows XPの壁紙みたいな、よく整備された芝生が視界に広がる。ゲートから校舎まで100mほど。道のない部分はすべて芝生で埋め尽くされている。

ここは技師学校なので研究者や博士学生に加えて、講義を受ける学生も通っているのだが、中途半端な時間帯なので外には誰もいない。だがもし誰かがいる時間帯であっても、芝生が「利用」されることはない。道があって、芝生はその間を埋め尽くしているだけだ。それを毎朝トラクターみたいなもので整備しているのだから驚く。フランス的な美意識の表れとしか言いようがない。

昼休み。研究室の同僚たちと学校のカフェテリアで昼食を摂る。この学校の学食は安くて美味しい。そして研究室の人たちと仲良くなる良い機会だ。仕事は極論フルリモートでも問題ないのだが、毎朝歩いてわざわざオフィスまで行っているのは、ほとんどこの学食のためである。

この研究室では、正午になると必ず誰かが食事に誘いに来てくれて、みんなで集まって学食に行くという慣習がある。そして食事中には、楽しく雑談している人もいれば、全く話に入らずに黙々と一人で食べている人もいる。自然と人が集まり、集まったからといって必ずしも密なコミュニケーションを取るわけではない。疎外感を感じることはなく、会話に億劫になることもない。ここでは、すべての日本人にとって多かれ少なかれ関係する、共同体にまつわる諸々の苦しみが皆無である。つまり「空気」がない。

空気がないのは驚くほど気楽である。逆に、気楽すぎて本当にこれでいいんだろうかという気分にさえなる。というのも、おそらく日本人にとって、悩んだり考えたりするということは、今の空気がどうなっているのかということの上に成り立っている。今ここにある空気に対して、抗うのか、順応するのか、その距離感に関する葛藤が俺たちの実存的な思考の原動力なのだ。

だから、空気がないということは悩みの原因がないようなもので、少し物足りない。もちろん、手続きが面倒だとか、フランス語やんないとなあとか、研究をどうやって進めようかとか、生活や仕事にかかわる悩みはあるのだが、もっと精神に深く根付いたような悩みがない。贅沢な悩みかもしれないし、あるいはそれこそが今唯一精神に深く根付いた悩みなのかもしれないが、退屈だ。なので最近は、インターネットで日本の空気をキャッチして、悩みを意識的に思い出しているようなところがある。

今日の日記はこれで終わり。

生活に張りが無くなってきたので日記を再開することにした。久しぶりだからか今日一日が全然思い出せないし、文章が全然出てこない。日記を続けるうちに、また前のような記憶の明晰さと、文章を書く気持ちよさが戻ってくることを期待したい。

2025年5月28日水曜日。

13時ごろに起床。くら寿司で昼食を摂って、コメダ珈琲で少し作業をしてから本を読み、それから母親と焼肉を食べた。帰宅後は、肉の消化に体力が持っていかれているのか、だるくて2時間ほど寝た。日付が変わる前に目が覚めて、荷造りをしながら、最近活発化の兆しを見せているA1談話室ディスコードのボイスチャンネルで、元同居人のOと後輩のNくん、先輩のAさんとおしゃべりした。

今日は昨日の日記で宣言した通り、北九州-京都-カルチャーの問いについて記述してみる。正直、「問い」というのは大袈裟すぎる気もするけれど。むしろ、北九州-京都-カルチャーにまつわる実存の危機とその解消と行った方がいい気がする。

この実存の危機というのは、簡単に言ってしまえば、ある種のホームシックだったのだと思う。以下は、5月5日の日記からの引用。

新幹線で京都を去るとき、涙が溢れてきた。高速で過ぎ去る車窓からの景色が、京都での分厚くて豊かな6年間が一瞬で過去に葬られていく感覚と重なったのだ。そして今、眼前に広がるのは小倉南区の殺風景なニュータウンの風景である。豊かな何かが失われ、もはやぼんやりとしか思い出せない。まさに心にぽっかりと穴が空いてしまったような感じがする。

景色というのは一つの象徴のようなものだ。要するに、大学生活の同一性が毎日反復される京都市左京区の風景と結びついていた。その反復がもう戻ってこないのだと、北九州市小倉南区の「殺風景な」風景を前にして、強く自覚された。「分厚くて豊か」な大学生活に連なるはずだった生活の同一性が破綻した。

たぶん、ホームシックとはこういう、あるべき生活の同一性が破綻することによる実存の揺らぎ=不安である。例えば、昨日まで食べられていたもの、例えば日本食が、今は食べられない。日本食は、ある人にとっては、食事というものを成り立たせる不可欠な要素でありうるだろう。つまり、日本食でなければ食事ではない。日本食以外を食べても食事をしたという気がしない、と言い換えてもよい。このとき、彼にとっての生活の同一性は破綻している。今の生活には、彼にとってみれば、昨日まであったはずの文字通り「食事」が存在しないのだ。

生活を有限の要素に分解できるとは到底思わない。しかし、人には必ず、生活とはこういうものであるという同一性があって、そこには実存の安定のために欠けてはならない、いくつかの要素が存在していると思う。そして、その要素は人それぞれ様々である。例えば、食事は多くの人にとってそのような要素にあたるだろう。それが俺の場合は「カルチャー」だった。

この「カルチャー」は必ず鉤括弧で括って用いなければいけない。これは俺の私的言語である。上で示した図式に当てはめると、「カルチャー」は京都での生活にはあって、北九州での生活にはないように思われた。ゆえに俺の生活は同一性を見失い、実存の揺らぎが訪れた。そして、この揺らぎは、この1ヶ月の北九州生活を通じて、「カルチャー」が北九州での生活にもありうることを実感することで解消された。

あとは「カルチャー」とは何なのかを明らかにすればよい。それは北九州に帰ってきた最初の日のツイートを見ればわかる。

https://x.com/yotofujita/status/1919346400237846832?s=46

ここで「現実」は、俺にとっての目の前の現実のことなので、生活と言い換えてよい。そして「インターネット」は、ここでは芸術や思想、学問、文学、エンタメ、サブカルチャーなど諸々の文化活動の象徴として読み替える。すると「京都にいたときは文化活動が生活と地続きな感じがしたけど、北九州だと全部画面の中の別世界に感じられてほんとうに悲しい」となる。

要するに「カルチャー」とは文化との地続き感のことだ。それも生活に組み込まれたものとしての。だからこそ、風景が重要だったりする。日常の中で文化との接続、あるいは連続性を感じられるような環境。それが「カルチャー」である。

ここで、俺にとって文化とは何かということを明らかにしておく必要がある。俺にとって文化とは人間の創造性の結晶化という述語がしっくりくるものだ。この意味では、あらゆる人工物、人間の営みは文化である。だが文化には濃度がある。創造性の源泉に近いほど濃く、遠いほど薄い。例えば、ライト兄弟が初めて飛ばした飛行機は文化的に濃いが、飛行機の製造技術が確立した後、月並みなデザインで量産された格安航空の飛行機は文化的に薄い。もちろん格安航空の飛行機を美的に鑑賞するような体系を考えることができるのかもしれないが(安吾の私的文化史観みたいな)、それもまた人間の創造性あってのものである(カント的崇高?)。

北九州に帰ってきた当初、わかっていたはずなのに、この街の文化的薄さに愕然とした。文化的に薄いということは、つまり文化が感じられないということだ。同時に京都の特異な文化的濃さに気づいた。文化との地続き感、すなわち「カルチャー」は、俺が創造的になったから増したというよりも、京都の文化的濃さゆえに生活に漂っていたものだったのかもしれない…。

「カルチャー」は俺がこの意味のない生を楽しく生きるために不可欠なものだ。宗教や大きな物語が機能しておらず、生に意味を与えてくれない現代において、創造性に近づく以外に楽しく生きる方法を俺は知らない。自らが創造性を発揮するのでもいいし、他者の創造性を肌に感じるのでもいいが、創造性は生きる活力を与えてくれるのだ。なぜだかはわからないが。

今日の日記はこれで終わり。

夜中にスマホで書いているので、俺の実存の肝を表現できているのかわからない。気が向いたら加筆するかも。