絶望しないための読書記録 (original) (raw)

如月小春『都市の遊び方』を読みました。

きっかけは先日地元の友人に誘われて見に行った、大阪芸術大学舞台芸術学科による卒業制作公演です。舞台芸術、いわゆる演劇を見に行くのはほとんど初めてだったのですが、その体験があまりに刺激的で、演劇や戯曲の鑑賞に強く興味を惹かれました。

この熱が冷めないうちに何か自分と演劇との回路を開かなければ!と思ったのですが、演劇とは無縁の人生を送ってきたので何から手を付けてよいのかわかりません。 一番いいのはまた実際に演劇を観に行くことなのでしょうが、わたしは出不精なので一緒に行く友人がいないと無理です。

とりあえず本を読もうと思いました。 その卒業制作は小劇場演劇の影響を受けているようだったので、最初、小劇場演劇史の本を読んでみようと考えたのですが、どれも値段が高そうでちょっと手が出ませんでした。 そこで、卒業制作で上演されていた戯曲『DOLL』の作者である如月小春の著書を読んでみようと思い、古本が安く売っていたので買って読んだのが『都市の遊び方』でした。

如月小春と東京

如月小春は、寺山修司らによって確立された小劇場演劇の第三世代に位置付けられる、80年代に活躍した劇作家のようです。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

また、彼女はニューアカや新人類文化と結びついた週刊誌『朝日ジャーナル』による85年のインタビュー企画『若者たちの神々』で取り上げられています。 このことは、彼女が単なる劇作家ではなく、80年代の若者文化におけるいわゆるインフルエンサーであったことを示しています。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

『都市の遊び方』はまさにその『朝日ジャーナル』において85年に半年間連載されたエッセイがもとになっています。 キラキラした世界を目指して地方から東京に出てきた若者たちに、インフルエンサーたる如月が東京の遊び方を教えるという体の「ガイドマップ式」のエッセイです。 各短編では東京および首都圏の具体的な場所を一つ取り上げ、著者なりのその遊び方を提示しています。

しかしこの本の真のコンセプトは、80年代東京論および都市生活論です。 「80年代の」と聞くと、何かもう古びた、失効したもののように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。 それは「昭和三一年、東京生まれの女性」による、モノと情報が溢れ日々姿を変える「都市」を楽しく生きる知恵です。

著者は自身が「昭和三一年、東京生まれの女性」、つまり高度成長期の東京で生まれ育ち、80年代の東京で生活している女性であることについて、次のように述べています。

二〇歳の時から続けてきた演劇の作業の現場で、私は幾度となく自分が「昭和三一年、東京生まれの女性」である、という現象の露出に出合った。団地のベランダから見える風景に叙情を感じて涙したり、人間とアンドロイドが共存する祝祭を夢見たり、東京湾沿いの工場地帯に郷愁をそそられたり、といった心情を戯曲の形にして書き連ねながら、私は私自身がいかに東京とつながり、東京で喜び、東京で泣き、東京で遊んできたか、そして今も生きているか、を確認していた。

団地から見える風景、アンドロイド、東京湾沿いの工場地帯、これらは一見非人間的で、冷たく、無機的なもののように思われます。 著者の文章を無視して単にこの三つのフレーズだけを眺めると、いずれも管理社会的ディストピアを想起させます。 しかしこれらのものは「昭和三一年、東京生まれの女性」である著者にとっては人間的で、温かく、有機的なものとして体験されるのです。 著者の筆致はまるで地方に生まれた人間が故郷の風景に強い愛着を覚え、故郷の風景から自身の人生の歩みを回顧しているかのようです。

なぜ著者は故郷でもないこれらの無機的なものに強く心を揺さぶられるのでしょうか。 言い換えると、東京の無機的な空間に暮らしていながら、なぜ孤独や不安を感じずにいられたのでしょうか。

「都市」の遊び方

著者は当時新設の八王子大学センターにできた中央大学のキャンパスを訪れて、次のように述べています。

昨秋、中大の大学生の講演会に呼ばれて出かけた時に、現役の学生たちに聞いた話が気にかかる。本当かどうかはわからないけれど、大学と下宿の間を行き来する単調な毎日に疲れてノイローゼになったり、時には自殺したりする学生もいるとか、ビラやチラシを壁に張っても、大学が雇ったプロの掃除屋さんの手ですぐはがされてしまうので、そのせいで校舎が綺麗なのだとか、ひと昔前の学生運動華やかなりしころに自治会が解体され、それ以後一部の学生の無関心も手伝っていまだに復活していないとか、九号館という二二〇〇人収容の大講堂があるけれど、学生が自由に使用することができないなどである。(省略)私にとっての大学は古くて汚くてだけれど、だからこそ自分でいかようにもつくりかえられそうな場所であった。しかしここ中央大学では何もかもがあらかじめきちんと用意されている。親切で明るい。けれど生活も勉学もコミュニケーションも、まるで絵のように整頓された場所では、私が自ら作ったり壊したりすることができない。それではあまりにつまらない気がする。(省略)。管理の行き届いた八王子大学センターには、たまの日曜に遊びに出かけるほうが、もしかしたら楽しいのかもしれない

管理の行き届いた学園都市、これもまた無機的な生活空間です。 そこでは生活のすべてが完結し、快適ではありますが、同時に閉塞的です。 このような生活が人をノイローゼにしたり、自殺させたりし得るというのは現代では分かりきった話です。

著者はその閉塞感の理由を、かつての古くて汚いキャンパスと比較して、「私が自ら作ったり壊したりできない」ことによる「つまらなさ」に求めています。 「私が自ら作ったり壊したりできない」というのはつまり、大学の生活空間に対して主体的に関わることができないということです。 そのような空間は学生の「無関心」を生み、主体性を発揮する意欲を削いでしまい、残るのは「綺麗な」校舎と漫然とした閉塞感、つまらなさだけです。

そして著者は、八王子大学センターにはたまに遊びに来るくらいが丁度いいのではないかと述べています。 生活空間としてはつまらないが、たまに訪れてみると楽しめるのだと。

上で述べたようにこの本はガイドマップ式で東京の遊び方を教えるものでもあるので、当然八王子大学センターの遊び方も書かれています。 最寄りの駅から中央大学までの道中の楽しみ方を実況形式で教えてくれている箇所を見てみましょう。 著者がいかに楽しむのか、文章の醸し出すワクワク感をぜひ味わってほしいので、省略なしで引用してみます。

日曜日が来るたびに、どこか空気の綺麗なところへ行きたいなあ、と思うのだけれど、いっつも雨。でも、もしもこの次の日曜日が晴天だったら、ぜひぜひお勧めの場所があります。多摩動物公園駅。お弁当持って新宿駅に大集合。京王線に乗り高幡不動で乗り換えてひと駅目。といってもまさかコアラじゃありません。多摩動物公園駅で降りたら公園の入り口を素通りして左の方角、山の方へ山の方へと歩いて下さい。しばらく歩くと右手に立派な陸上競技場が見えてきます。サッカー場にテニスコート、野球場までが、山の中に登場するのです。えっ、何?これ、と驚くのはまだ早い。さらに歩いて坂を下り、今度は左手を見上げて下さい。すると、おお、一瞬ここは青山か!と錯覚するほど白く輝くツインビルが正面に見えるはずです。ツインビルを囲むようにして建つ七階建て、一二階建てのビルの数々。しかもそれらは丘の頂上にあり、周囲が山の緑と空の青ばかりなので、ひたすらかっこよく目立ち、思わずあなたは息を飲むはず。丘のふもとのこの場所で立って待っていたら、ツインビルの中から〈ニコル〉とか〈コム・デ・ギャルソン〉の服を着て、短い髪をツンツンにディップでかためた、とびきりに「流行通信」している美女が、颯爽とあらわれるのではないか、と期待してしまうほどのこの光景。何だ、この建物は!と改めて入り口のところにとって返せば「中央大学」の文字がドーンと書かれているのであります。

正直なところ、具体名が大量に出てくるし、風景描写が細かいので、わたしにとってはじっくり読む気のしない文章ではあります。 しかし著者が道中あらわれる具体的な建築や風景に一つ一つ感動していることは伝わってきます。

これはグーグルマップを見ながら有名なロケーションをしらみつぶしに巡っていくような、今風のお出かけとは全く違います。 実際に「都市」を出歩いて、現れる具体的な事物に一つ一つ興味を持って感動するということ。 そして「都市」の見せる様々な姿を主体的に発見し自分のものにしていくこと。 それこそが「都市」で楽しく生きていくコツなんだと著者は暗に示しているのだと思います。

現代と「都市生活」の作法

「都市」とは何でしょうか。 「都市」は必ずしも東京のようなモノに溢れたモダンな場所である必要はありません。 「都市」とは自分の生まれ育った場所以外の生活空間です。 それは生まれ育った場所が今や全く変化してしまって故郷的な愛着を抱けなくなった場合も含みます。 その意味で、「昭和三一年、東京生まれの女性」である著者は生まれた瞬間から常に「都市」で生活してきたといえます。

現在の都心空間の基本的構成はビル街、宅地部分を含めて、戦後に造作されたものである。それを土台にして高度成長期には一九六四年の東京オリンピックと、七〇年の大阪万博といった象徴的なイベントと、それに伴う大規模な変革が行われたのだ。高層ビル群や高層団地といった近未来のユートピアを仰ぎ見るかのような鉄筋の建造物、ハイウェイや新幹線といった、SF的形態の交通機関などが街の景観を変えた。それとともにハイテクノロジーの躍進を背景とするマス・メディアの発達で、高度情報化社会ができあがった。一九六四年には具体的に東京の風景が一変し、七〇年にはその変化が生活文化の細部にまで及んだ。

また、このように絶えず変化し故郷の生成を拒む東京において、著者が孤独や不安を感じずにいられたのは、ひとえに変化に対するワクワク感が大きく勝っていたからだと思います。

日々、街が、生活が変わっていくのは本当に面白かった。毎年毎年、家の中の道具たちが変わっていく。洗濯機の次は冷蔵庫、そしてテレビはモノクロからカラーへ。変化に対応して生きることこそが幼い頃の私にとっての人生の醍醐味だったともいえる。

著者は変化を面白がって、それに絶えず対応しながら育っていくなかで「都市生活」の作法を学んだのだと言えるでしょう。

では、ワクワクする変化を経験できなかった私たちは著者のような「都市生活者」たることはできないのでしょうか。 わたしはそうは思いません。ニュータウンや団地での生活が一般化し、地縁や社縁が脆弱な今の日本において、故郷的なものをよりどころにしない「都市生活」を余儀なくされる人は多いと思います。 むしろ現代においてこそ、著者の示す「都市生活」の作法が必要とされているのです。

今、それを阻む要因は具体的に二つあると思います。 一つは上でも触れた、主体的に生活空間に関わる余地がないことによるつまらなさや無気力、閉塞感の問題です。 この問題は、生活空間のあらゆる局面における「八王子大学センター」化、つまり管理社会化が進んでいることに起因していると思います。 個人的には、管理社会化は世界的な流れでもはや抵抗不可能だと考えているので、『都市の歩き方』的に外に出て、主体性の発揮できる範囲を地道に増やしていくしかないのではないかと思います。

もう一つは、モノと情報の過剰による虚構への自閉の問題です。 モノと情報の過剰については言うまでもありません。 わたしたちはインターネットのもたらす過剰な情報に辟易しています。

この過剰は80年代の東京においても顕在化していたようです。 この本の中で著者は、そこら中で流れるポップミュージックが嫌になってきたという話と、東京の全てのイベントを可視化する雑誌「ぴあ」が登場したことで時代に乗り遅れるのではないかという強迫観念が生じた話について書いています。

虚構への自閉もまた現代においては自明です。 わたしたちはインターネットでお気に入りの虚構にアクセスし、日々自分を癒しています。 今や、虚構への自閉は陰謀論などを通じて人々の現実認識を歪めてしまうことすらあります。

この本においては「ウォークマン」、「東京ディズニーランド」が80年代の東京における閉じた虚構として言及されています。

東京ディズニーランド」の方法、それは架空の物語の中に観客をとり込み、知らず知らずのうちに、虚構を実在と思わせてしまうというやり方だ。徹底的に日常性を拒絶して閉じられた空間の中で、お客(=「ゲスト」と呼ばれる)は自ら登場人物と化してつかのまの夢の国に遊びはじめる。その様は、例えばウォークマンがぬくりあげる世界にもよく似ている。電車の中でウォークマンをつけて外部からのノイズを遮断し、自分だけの音の世界に浸りつつ、周囲を自分好みの風景に塗り替えて自閉的な空間を守る都市人たちは、同様にして、邪魔者にはいりこまないディズニーランドの中で憩いを得るのだ。次から次へと送り込まれる新たな価値観や多量な情報の海で港を求めて漂う都市人たちにとって、ウォークマンもディズニーランドも、登場するべくして登場した、港である。しかし、その港は、実は蜃気楼に過ぎないのだけれど。

現代人の日常はある種の楽しくないディズニーランドと化していると言えると思います。IT技術SNS、マス・メディアの作り出した蜃気楼の内側から現実を見ているということです。 しかしその蜃気楼は、一時的に錯覚して癒されるだけでとどめておくべきです。

著者はディズニーランドの登場を、身体的な刺激のない、心理的な刺激で人々を耽溺させる遊園地として、驚きをもって受け止めています。 つまり、従来の遊園地とは身体的な刺激を人々を満足させるものなわけです。

現代人には身体的な体験が欠如しているのではないでしょうか。 五感を総動員して私だけの風景を発見していくこと、それが『都市の遊び方』的な「都市生活」の作法です。 月並みな結論ですが、わたしたちは一旦スマホをおいて、目の前の事物に一つ一つ主体的に向き合うことから始めるべきだと思います。

青土社ユリイカ2024年10月号 特集=いよわ』を読みました。(全記事は読んでないです。)

ユリイカは「詩と批評」を標榜する、文学や思想、サブカルチャーについての芸術総合誌です。 10月号では最近のボーカロイド音楽(ボカロ)シーンに関する論考が多数掲載されており、シーンでも特に注目されているボカロP「いよわ」がフィーチャーされています。 ここ数年のボカロシーンに関心があったので読むことにしました。

ボカロシーンの豊かさについて

今、関心の範囲を「ここ数年の」と限定した理由は、2020年代以降、ボカロシーンが大きく変容したという印象を持っているからです。

実際、この印象は客観的にもある程度正しいようです。 例えば、曽我美なつめ氏による寄稿では、2010年代におけるボカロの隆盛と停滞が動画投稿サイト「ニコニコ動画」のそれと強く結びついていたこと、ニコニコ動画公式にバックアップされたボーカロイドコンテンツの投稿祭「ボカコレ」を中心として、2020年以降ボカロシーンが新たな盛り上がりを見せていることが示されています。

このような形式的な変化と呼応して、2020年代のボカロは音楽的にもそれ以前とは大きく異なるものになっていると感じています。

2010年代、ボカロは明確に一つの音楽ジャンルとして存在していました。 具体的には初音ミクをはじめとした波形接続型音声合成の奇妙な質感と、打ち込みによる変則的なメロディに強く特徴づけられた音楽ジャンルです。(もちろん例外はあると思います。)

私は小学生の頃、ハチやじんなど当時流行っていたボカロPの曲を好んで聴いていましたが、中学生になるころにはそのようなジャンル的な特徴に飽きて、以降ボカロを全く聴かなくなりました。 思春期的な流行りものへの逆張りがあったことは否めませんが、少なくともボカロ曲が一貫して帯びていた「ボカロっぽさ」にうんざりしていたということは確かです。 この記憶も手伝って、2010年代のボカロは保守的な音楽ジャンルとしてあったと認識しています。

ところが最近になって、音楽好きの友人からボカロシーンが熱いということを言われたので、いくつか聴いてみると、確かに印象が違うわけです。 もちろん「ボカロっぽさ」はある程度健在なのですが、もっと自由なものになっていると感じました。

それからは意識的にボカロを聴くようになり、ボカロシーンの懐の深さに感嘆しました。 いよわや原口沙輔など「ボカロっぽさ」の連続性の中で実験的な音楽を展開するものから、きくおやippo.tsk、puhyunecoなど従来のボカロの影響をほとんど感じさせないものまであって、非常に多様なのです。 今やボカロを特徴づける音楽的特徴は合成音声を用いているという一点のみなのではないかと思うほどです。

ここで私が、従来のボカロの影響を受けていないアーティストの音楽をボカロシーンに含めていることに疑問を感じる人もいるかもしれませんが、これには理由があります。 それはボカロの聴衆の態度です。 彼らはたとえそれがボカロの文脈に全く乗っかっていない音楽だったとしても、なじみのある合成音声を用いているという点でボカロとして注目し、聴き、評価しています。 ここには消費者の視点から見た時に、非常に多様な音楽を包摂するボカロシーンが存在しているとみなせますし、聴衆は実際にそう感じていると思います。

現代は音楽配信サブスクリプションが普及し、誰もが時代やジャンルの枠を超えて雑多に音楽を消費する時代です。 そのような時代において、ボカロシーンのようなわかりやすい音楽シーンの存在はとても貴重だと思います。 というのも、アーティストも雑多に音楽を聴いているので、もはやシーンという形でくくれるような同時代性による音楽の類型化が困難になっているからです。

シーンは基本的には消費者のための類型です。 いつの時代もアーティストは自分の音楽がジャンル分けされたり、特定のシーンに位置付けられたりするのを嫌がります。 しかし消費者はシーンがあることで、注目すべき音楽の範囲を明確に限定することができ、その中で思う存分趣味を広げていけます。 一方、現代のボカロシーンのような音楽性への要件が最小限のシーンの存在は、アーティストの側にも合成音声さえ使えば独創的な音楽を多くの人に聞いてもらえるというメリットがあります。

ボカロシーンは現代の音楽文化の豊かさにすでに大きく寄与しているし、さらに寄与していくポテンシャルを秘めていると思います。 これから、ボカロの名の下、たくさんの素晴らしい音楽が発掘されていくことでしょう。 今後の動向が楽しみです。

異質な存在、余白、哲学的気分

ユリイカのいよわ特集を読んで特に哲学的気分を喚起させられたのは、岩倉文也氏の論考「物語の断片と、跳梁する言葉の影で - いよわ作品における物語の位相」でした。

この論考は楽曲とミュージックビデオ(MV)の総合芸術としてのいよわ作品の魅力を、楽曲(歌詞)とMVそれぞれの物語性の相互作用の観点から分析したものです。 論考の中で岩倉氏は、いよわの「IMAWANOKIWA」という楽曲とそのMVを例にとって、楽曲とMVがそれぞれ異なる物語性をもたらしており、その「軋轢と余白」が「不思議な詩情」を喚起するのだと述べています。

www.youtube.com

確かに、楽曲は失恋の、MVは娘と死別した母の物語性を表現しており、この二つは異質なものであることは間違いなさそうです。 しかし、MVにおいて娘との死別という物語性が明確に表れている、動画の2分28秒~3分6秒の部分において、この二つの物語性は愛する人を喪失し天使のイメージで切望するというモチーフで瞬間的に合流します。 この合流は最後のサビ前の演出として、視聴者の高揚を誘い、サビにおけるカタルシスを増幅しているように思います。

私はあまり楽曲とMVが軋轢しあっているという印象は受けませんでしたが、確かに二つの物語性は論理的には関係がないのでそのようにいうこともできるかもしれません。 言い換えると、二つの物語性は論理的なレベルでは軋轢しあっていて、それが余白を生んでいますが、その余白ゆえに体験的なレベルでの同質性(=喪失)が浮き彫りになり、「不思議な詩情」、つまり視聴者の中にある喪失の気分と作品との共鳴が起こるのではないでしょうか。

また、岩倉氏はいよわの「あだぽしゃ」という楽曲とそのMVについても、二つの異質な物語性が生む余白が詩情を喚起するという同様の構造が現れていると指摘し、この構造を根拠に、いよわの前衛性を結論づけています。 確かに、楽曲とMVに対しこの「二つの異質な存在 -> 余白 -> 詩情」という構造を導入していることについていよわが前衛的であることには私も同意します。 しかし、私はこの構造が表現一般における普遍的な何かなのではないかと思うのです。

それは隠喩です。 例えば「IMAWANOKIWA」でも使われている天使の隠喩は愛する人を表現しています。 この隠喩が表現として効果的なのは、天使と具体的な愛する人が論理的には全く異なる存在であるが故に、体験的な同質性である、愛や純粋性、神聖さの気分が喚起され、そのレベルで愛する人がイメージされるからだと思います。愛する人をあえて天使ということで、鑑賞者の中にある愛の気分、あるいは実際の愛する人が想起され、鑑賞体験に厚みが生じるということです。

また、思索を喚起する芸術作品というのも同様の構造を持っていると思います。 「二つの異質な存在 -> 余白 -> 哲学的気分」という構造です。 おそらく二つの異質な存在同士の関係が、論理的なレベルであれ体験的なレベルであれ、ある程度直感的なら、詩情か何かが即座に生まれて、それで表現として完結するのでしょう。 逆に、関係が非直感的な場合は、単に二つの異質なものがあるのだと認識するだけで何も生まれません。 ところが、関係が直感的ではないがじっくり考えればわかりそうなとき、思索が喚起されるのだと思います。

転じて、思索というのは二つのものを並べるところから始まるのではないか、そんなことを考えました。 岩倉氏の論考が哲学的気分を喚起したのは、いよわ作品の分析と私が最近考えていたことの間に埋まりそうなギャップがあったからだと思います。 この文章はそのギャップを埋めるべく書かれたものだということです。

読書記録の体でブログを始めることにしました。はてなブログでは初投稿にブログを始めた理由を書く人が多いようです。私も例にならって理由を書いてみたいと思います。

私的な活動の軸を求めて

私はいわゆる「デジタルネイティブ世代」なのですが、つい最近までインターネットでの発信活動に一切関心がありませんでした。必要性を感じなかったのです。コミュニケーションの欲求はリアルでの友人関係で事足りていましたし、承認欲求もまたリアルの関係の中で満たされていたのでしょう。私にとってインターネットは傍観するものであって、コメントやいいねすらもほとんどしたことがありませんでした。

しかし最近になって、徐々に発信の重要性を考えるようになりました。一番大きいのはライフステージが変わりつつあることです。私は今情報系の大学院生で、あと半年後に卒業を控えています。伝統的に日本の大学生は、その有り余る時間を生かしてサブカルチャーや芸術、学問などを貪欲に消費するものです。少なくとも私の周囲ではそうでした。例に漏れず私の大学生活にも雑多な文化の消費がありましたし、また、同じくらい夜を徹した語り合いがありました。そうした日本の大学的モラトリアムならではの環境は、大学院卒業後のエンジニア生活にはもちろんありません。数年後には仕事に忙殺されて「本を読む余裕なんてない」と諦観とともにつぶやく自分が容易に想像できます。人生に対するぼんやりとした絶望をともなった生活です。それは避けるべき未来であって、私は大学時代の文化的な豊かさを手放したくないし、絶望もしたくないのです。

そこで、周囲の人間のライフスタイルと雰囲気を観察してみました。それで気づいたのは、何らかの私的な活動、例えばスポーツや作曲等、を長期的に続けていてその足跡をソーシャルな場に残している人は日々楽しそうにしているということです。あるいは、仕事を私的な活動の延長だと感じていそうな人も同様です。私はこの気づきを発展させ、逆に私的な活動の足跡をソーシャルな場に残しているからこそ、それが程よい責任感みたいなものになって、長期的な趣味を可能にしているのではないか、と考えるようになりました。実はこの関係は大学時代にも類推できて、夜を徹した語り合いがソーシャルな場での足跡として機能し、足跡を残し続けることへの慣性のようなものが、貪欲な消費を可能にするということです。結果、最も簡単に残せる足跡として、インターネットでの発信の重要性を意識するようになりました。

ここからはブログに至る経緯になります。初めはXで絵文字と写真限定で投稿をするということから始めました。文章をインターネットで曝すことに抵抗を感じたからです。ところがすぐに、絵文字の表現力の低さにもどかしさを感じるようになり、短文を投稿するようになりました。もちろんXでも私的な活動の足跡ということを意識していたので、例えば本を読んでその一部を引用し、感想を文字数制限に収まるように投稿する、といった使い方をしていました。しかし基本的に考えたことが短文には収まりきらず、やはりもどかしさを感じてしまいます。そこで長文を投稿できるメディアとしてブログを始めるに至ったというわけです。現状、読書記録に限定するつもりでいるのは単に本を読んで長文を書くというのが一番やりやすそうだからです。慣れてきたら音楽等の鑑賞記録を書いてみるのもよいかもしれません。

「書くことで考える」を実践するために

上で、夜を徹した語り合いを文化的な豊かさと結び付けて書いたことから察することができるかもしれませんが、私は語り合い、知的なおしゃべり、みたいなものが子供のころから大好きなのです。小中学校の下校時には決まって友達と通学路の分岐点で日が暮れるまでおしゃべりをしていました。彼らは私とのおしゃべりを決まって「まじめな話」と形容していましたが、これはおそらく大学生がやる徹夜の語り合いと同質のものだと思います。何か本質に触れている気がする、笑いはないのに楽しい、知的に興奮するという意味で「まじめ」と言っていたのでしょう。

「まじめな話」の楽しさの一端は、しばしば双方の予期していなかった結論に達するという点にあると思います。どうしてそうなるのかは明らかではありませんが、おそらく対話というのは二人の考えの純粋な総合ではなく、会話のリズムや場所等の要素が複雑に絡み合った行為なのだと思います。つまり、無数に存在する偶然の作用が話者にその場でのアドリブを強いた結果、予期しなかった結論に至るということです。また、その予期しなかった結論は往々にして、少なくともその場では、本質のように感じられてしまいます。

語り合いにおいてアドリブ的に「本質的」な結論が得られるその機能を、私は思考の整理に利用している節があります。普段からぼんやりと考えていることを「まじめな話」の場で投げかけてみて、うまく会話が展開すると「本質的」な結論に到達して思考が整理されるのです。(この習慣もあってか、私は話題ごとにそれについて一緒に考える友人が具体的に思い浮かびますし、自分の考えを友人たちとの共同作業の結果だと半分感じています。)少なくとも私にとって、「まじめな話」とは「語り合うことで考える」ことなのだと思います。

さて、「語り合うことで考える」を「書くことで考える」にスライドできるのではないかというのが私がブログを始める二つ目の動機です。「語り合うことで考える」ことの本質はアドリブ的な行為の中に思考を埋め込むことで偶然の作用を利用する点にあると思います。書くこともまた書いている最中においてはアドリブ的な行為です。例えば、たった今思いついた表現をエディタに入力し、それが視界に入ってくるというのは、偶然が私に作用しているとみなせると思います。もちろんこの二つは異なる性質を備えているに違いありませんが、偶然の作用が考えることを助けてくれるという点では一致しているでしょう。

この記事を書いている最中にも「書くことで考える」の効果を実感しています。これを習慣化できれば、仮に絶望のエンジニア生活を送ることになったとしても、考えることをやめずにいられそうです。