梅雨も一休み・・・ (original) (raw)

今日は遅めにおきて、ゆっくりした。

午後から出かけるので、用意もしてからと・・・梅雨も湿度が高くて、熟睡できないな・・・それでも6時間は寝たようだ!

最近は良く夢を見るようになったな・・・昨日も、何か会合に参加していて、装置の不具合をチェックしたり、ゲストが大勢いて幾度となく頭を下げて、丁寧な挨拶をし続けている・・・兎に角「夢は不可解ですな?」

4時ぐらいに起きて、曇り空に”一日遅れの満月”を見た!クッキリして、気持ちの良い物だな・・・

それから・・・暫しウトウト寝た。

庭のミニトマトも、雨のおかげで意外に伸びてきた!下の方に小さな実があり、久しぶりだな!!!涼しい事もよかったようだ・・・

そう言えば、47歳を境に東京へは行かなくなった!それまでは、仕事で出張、日帰りも含めて頻繁に往き来した。その時に、強く感じた印象・・・薄汚れた建物・人・車で溢れかえっている・深夜も騒音で騒がしい・・・仕事に向いているが、住居に不向きだな!!!

その後、コロナ…困難な時期も過ぎ・・・東京オリンピックも開催された。老朽化を克服して新世「トウキョウ」になったのか?

美味しい物もあり、幼少期(~幼稚園途中)も過ごした懐かしい場所でもある。大井の阪急デパートで「食べたあんパン」・・・」この餡は関西では無かった。既に、存在しない「呉竹寿司、ラーメン…現代軒」の名前も思い出す。

父が当時、会社の人と飲んでいたが「キャビア?」 私には、何のことか分からなかったり・・・「パーコレーター?」上部に透明のガラス(コニーデ型)にボコボコと”茶色の液体”が上がったり・・下がったりしているのが、面白くて眺めていた。戦後、1957年頃かと思う、あまり定かでは無い。

その当時、山形・米沢から良く祖母が来ていた。母は、細くてあまり元気ではないように記憶している。

関西、三宮が阪急電車終点=当時”東急も高架で、ターミナル駅”まで、何度も祖母と一緒に見入った・・・ 思い出す。

他にも様々な記憶は蘇る・・・「走馬灯の如く」とは幾度となく使われてきた言葉だが?

35歳頃、関東系スーパーで勤務していたので、研修があり「記憶にあった辺りを友人に案内してもらい歩いてみた」・・・大井阪急はあるが、全てが別世界となり果てた。

73歳の今、再度同じ場所を訪れて見ようか?東急大井もどうなっているのかな?

軸足は、関西に移り幼稚園・年長から変わっていない。すっかり、関西人だが・・・濃いめも!出汁の薄味も気に入っている。