聖霊に逆らい続けた道を歩むクリスチャンの恐ろしい結果について。 (original) (raw)

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No.365 火で焼かれる

テキスト:”マタイ7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。”

本日は「火で焼かれる」という題でメッセージしたいと思います。

上記テキストには、私達が、聖霊により良い実を結ぶか、結ばないかのその違い、結末の違いが書かれています。

聖霊による良い実を結ぶ木、クリスチャンは幸いです。
良い実とは何か?ガラテヤ書はこう述べています。

”ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。”

これらの実を結ぶクリスチャンは祝福を受けます。

しかし、上記箇所には、また、「 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」とも書かれています。今日はこの箇所を見ていきたいのです。その良い実を結ばない木、すなわち、肉の実とは、同じガラテヤ書でこのように書かれています。

”19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。”

これらの実こそ、「良い実を結ばない木」の実であり、そして何と、「こんなことをしている者たちが神の国を相続することは」ないと断定されているのです。
それで、私達は、このこと、御霊の実を結ぶことができるか、どうかということを真に真剣に考えるべきことがらであることがわかります。このことは大きな区分、クリスチャンの上に永遠の大きな差をもたらすのです。

「みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」ということばを考えてみましょう。
これは、いわゆる来世のことなのでしょうか?それとも今の私達の世のことなのでしょうか?
恐らく今の世のことではないかと思われます。何故なら、「 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、(来世で)火に投げ込まれます。」とは書かれていないからです。
今、私達の世のことをいっている可能性が高いのです。

さて、それでは、「火」とは何をたとえているのでしょう?このことはもう度々書いているので、察しがつくと思いますが、聖書の中では、ペンテコステの日に関して、「聖霊が...火のように」と書かれているように、火は霊のたとえです。勿論、「火で焼かれる」という時の霊は聖霊ではなく、悪霊のことです。
それで、何とこの箇所は、私達がクリスチャンになり、何年たっても良い実を結ばず、いたずらに恵みを受けるだけの歩みをしている時、何と切られて(悪霊の)火で焼かれることが書いてあるのです。

これは、恐るべき記述ですが、しかし、事実と符合しています。
何故なら、変な、惑わしの霊にやられているとしか思えないクリスチャンが教会には多いからです。

「(木が)切られて」という表現も暗示的です。このことは何を表しているのでしょうか?
「切られた木」と「切られていない木」との違いを考えてみましょう。
何が違うのでしょうか?切られた木とは要するに根から、切り離され木です。それゆえ、もう元の根の水も養分も伝わってこないのです。元の根とは、キリストであり、キリストの水、聖霊の働きは切られた木には届きません。
そして、単に聖霊の水がないだけに留まらず、その代わりに火、悪霊の火で燃やされ、惑わしの火で焼かれるのです。

そんなわけで、この箇所は、我々クリスチャンが聖霊の働きを無駄に受けること、聖霊に逆らい続けた道を歩む時の恐ろしい結果について語っていることがわかります。
その結末は、一つは聖霊から切り離されること、もう一つは悪霊の惑わしの手に渡されること、その2つなのです。

切り離された木、もう根を通して、水分も養分も受けられない木というのは災いです。
もう水が来ないので、枯れていくしか道はないからです。
同じ意味あいで、もう聖霊から切り離されたクリスチャンという人々が存在します。
想像するだに悲惨で、災いである、この種のクリスチャンは確かに存在するのです。

何故、あの悪霊マリヤ、オカルトのような霊言を語り続けるマリヤがある種の人々には、あたかも神からのもののように聞こえ、見えるのでしょうか?
それは、彼等が真理の聖霊、見分ける聖霊から燃やされるようになったからではないでしょうか?確かにこの種の人々は存在しています。

良い実を結ばない木は、火で燃やされるとはっきり聖書には書いてあり、そしてその火は悪霊をさすように思えるのですが、今の時代の多くのクリスチャンの問題はこの惑わず悪霊の火に燃えることだということを覚えて下さい。

何故、聖書の主旨とも主張とも異なる「艱難前携挙説」があるクリスチャン達にとっては、正しい教えのように見えるのでしょうか。それは、惑わす霊によって惑わされているからといえないでしょうか。

かつてエデンの園でも同じことがありました。蛇が惑わした時、アダム、エバにとって、神がいわれた「善悪を知る知識の木の実」をとって食べると死ぬということばは、どっかに消し飛んで、死に至らせる実、「その実は見るにも食べるにも良く」見えたのです。
彼等は何故そうなったのか?彼等は惑わしの霊に燃やされ、惑わしのまっただなかに連れ込まれたのです。
神のみことばを守る気のないエバは結果として、惑わしの霊にやられ、あり得ないこと、
、死をもたらす木の実がすばらしい実のように思えてしまったのです。

同じく、今の時代も、いや今の時代こそ、多くの惑わしの霊の火に燃やされたクリスチャンがいます。

彼等が何故真実を見ることができないのか?その理由は他でもない、彼等が火で燃やされている、火すなわち、偽りの霊に燃やされているからです。

みことばは厳粛であり、良い実を結ばない木は確かに、火、惑わしの霊の火で燃やされているのです。
この方を恐れましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

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