聖天尊と波動 その2 〜自己意識を超えて幸福を選択する道〜 (original) (raw)

前回「聖天尊波動」の続き

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とりわけ、浴油供は観自在になるためのお祓いと認識してよい。阿の境涯、空の世界に入らんがためのお祓いである。

観自在であり大日である事への覚醒の一助となる。

本来的に持つ仏の境地が顕現する。アカシックレコードへつながる。

覚醒する事、物の見方が変わる、苦しみから解放される、何事にも幸福感溢れる道を選択できるようになる、などなど言い方は様々である。

現実や目の前のことで怒り、恐怖、疑念、様々な悩みがあるが、一つのことへの執着や意地が自分自身を縛り、それがまた苦しみとなる。

多くの方が自分の意識が自分自身を縛り付けていることも気付いていない。

怒りに怒ると、ずっとその怒りに支配されてしまう。

嫉妬に嫉妬を重ねると、ずっと嫉妬している状態になってしまう。

そのような時には、正しい物事の判断もできず、結果的に良くない結果へと陥る事になる。

逆に、自分の心や現状への判断が変われば、物事は変わる、好転する第一歩となるということである。

その自分自身が絡み合い縛り付けてしまっている苦しみを取るのが聖天尊である。

浴油は聖天尊への最上の供養であるが、それはうちの寺におられる聖天尊や仏像としておられる聖天尊だけでなく、祈願する者の心の中に本来的にいらっしゃる聖天尊への浴油でもある。

当山におられる聖天さんとを通じて、行者の私自身、そして祈願者が別個のものではなく、つながりあった瑜伽(ゆが)=ヨーガの状況で祈願する。

密教では阿字観と言う瞑想法があり、一般の方でもできる瞑想であるが、体験された方はスッキリしたと感じる方や、中には不思議な体験をされたと言う方も少なくない。

一般であれ僧侶であれ、真言密教のヨーガの基本はこの阿字観にある。

その基本理念を踏襲し、聖天尊と繋がり、祈願者とも繋がり一座の浴油祈祷をなすわけである。

だからご利益は物理的な距離があっても届くのである。

何のご祈祷をするにせよ、この想いを大切にしご祈祷している。想いは必ず伝わるのである。

当山では7日祈願から半月を1サイクルにお申し込みのご祈祷をしている。

ご自宅ではお一人お一人がお札やお守りに向かいお手を合わし、聖天尊とつながる事で、しっかりとご利益をいただくことができる。

どの神仏よりも祈願者のそばで守護をする聖天尊は慈悲深く人情派な守護神だからである。

そんな守護神とご縁を結んでいただくことが、様々なご縁を結ぶ事となる。そのように言えるのは、私自身が聖天尊にお導きいただいていると実感しているからである。

そんな私の祈願は、来院いただいたとしてもお申し込みだけだとしても、申込者と聖天尊がしっかりとご縁を結ぶことから始める。

様々な良縁を結び、歓び多き日を共に過ごしたいものである。

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