図画工作・美術教育の大切さを考える(訴える) (original) (raw)

次期指導要領改訂を前に、図画工作・美術教育の存在意義やこれからのあり方を考えていくためのブログです。 by zoukeidaiji 現在の中学校における美術教育について訴えたい 時間数削減によって、現場で起こっている状況を、どれだけの人が知っているのだろうか?私は、昨年度までの3年間非常勤講師として現場で仕事をしてみて、大変ショックを受けた。私は1969年生まれ。当時の教科書の内容と比べると、現在のものは、基本的なことに変わりはなく、CGやCADを用いたもの、アニメーションや福祉に関するものが含まれ、他教科と重なる面が増えたな、と感じました。 そう感じられるのは、大学受験のとき通った美術研究所で、色彩の持つ力や構成、課題に対する解決方法を学んだからだ。当時、私の受けた中学の美術の授業は、2時間続きであり、年配の先生は、あまり教科書の内容を説明することに時間をとらず、限りある時間のめいいっぱいを、身近な素材で工夫し制作する中、各自でどんどん作品を発展させていくことに費やしておられたように思います。それは、私のような人間にとってとても楽しい時間だったのですが、平面デザインの時間は何を描けばよいのかわからず、授業中はぼーっとしていて、自宅で締め切り前に徹夜してこつこつ仕上げることが、多かったように記憶しています。 教職免許を取りながら、現場で働かず、紡績会社で事務をし、テキスタイルデザイン事務所でポスターカラーを使用したデザイン画を書く手伝いをし、出産育児をして、はじめて教職についた私は、私のように創作を楽しめる人間が、クラスにほとんどいなかったのだとはじめて気づきました。80%以上の人が自分の作品に自信が持てず、どうすればよいかわからず、友達と世間話をして、美術の時間をすごしていたとしたら、それはやはり、時間削減になっても仕方ない教科だと思います。しかし、それは、教科書を無視した、ただ、創作することのみに重点を置いた授業を行った場合の美術です。美術の教科書はあの薄い本の中に多くのことが記されています。たとえば描写すること。それは、人間が、実際に見て、感じて自分の能で処理された内容を自分の手で書く作業です。その絵は、植物であれば、写真よりもはるかに特徴を捉え、写真に写らない部分まで詳細に描くことができること。人物であれば、写真よりもはるかに自分が普段見ている人物そのものを表現できること。など作品を鑑賞させる中で子供たちに気づかせることができるのです。シュルレアリスムの手法で描くことは、心理学の導入編。遠近法を知ることによって、自分の伝えたい世界をかなりわかりやすく他人に示すことができる。美術史は生徒の歴史への関心を高める一助となっているはずだ。以上のような内容を、芸術大学受験をクリアしてきた人間は、美術の教科書から読み取り、授業の中で作品制作に生かすことができるのですが。 問題は、授業数削減によって、中小規模の中学で、授業時間数の少ない美術科の教師は、非常勤講師でまかなわれること。免許を持たない他教科の先生が教えていることにある。美術科の教師の採用は、このところ全くない。そのため講師登録している教師も少ない。非常勤講師の美術科の仕事は、時間外の作業が非常に多く割に合わず若い美術科の教師が育たない。すると、専門でない先生が教えることになる。 教科書がそんなに奥深いことなど気づいていない先生は、自分が中学の頃受けていたような教科書を無視した授業を行う。結果美術の授業を軽視し、教科書に書かれている内容を知らないまま卒業していく生徒が増える。美術は意味のない時間だという。とても悲しい現状だ。その状況を文部科学省は知っているのだろうか。週1時間の美術が他教科に及ぼす影響は大きい。よく見て描写することによって、理科で学ぶ植物の構造を改めて確認することになるかもしれないし、数学のように平面に描かれた立体の図面から実物を想像して問題を解くときの能力の一助となっているはずだ。工芸においては、木彫をする、木版を彫ることも言葉でではなく植物の構造を知るきかいになっている。一枚の紙から立体を作り上げる作業は、かなり高度な数学の応用問題だ。美術の内容は、特に理科、数学に貢献していることを一般の大人たちは知っているのだろうか。美術の表現で欠かせない色は、そもそも光の影響によって様変わりして見え、光なくしてはみえないものなのだから。そして、生徒の作品には、そのときの生徒の心理が見え隠れする。作品から生徒の心のメッセージが発信されている。 また、心を沈め、木を削る作業などは、かなり癒しとなっているはずだ。実際にわたしの授業の中で、鉛筆削りを使用させず、カッターナイフで鉛筆を削らせたところ、私の削った鉛筆を目標に子供たちは無我夢中で鉛筆を削っていた。それは、刃物の正しい使い方の指導にもつながる。それができるのは美術専門の教師であると思う。今一度、1校あたりの教員の数について検討いただきたい。単純にクラス数で決めてはいけないと思う。いくら教科書や指導要領を改訂しても、内容を十分に理解できていない教師が授業を行ったのでは改訂の意味がないではないか。私は、昨年、美術を教える先生がいないからと、無理に枠を取ってこられたのだろう。「学力補助」週3日で10時間、全校8クラス、美術と選択美術の授業を担当した。3学期は、1日5時間授業に入る日があった。美術部の指導にも行かざるをえなかった。試験は3学期とも3つつくり、約250人の成績を付けた。5クラスは超ベテランの家庭科の教諭とTTであったが私がすべて指導計画を練り、授業をしなければならなかった。私は気を使いすぎる性格で、授業を任せておきながら、前に出てものをいいたがってしまうベテラン教諭と合わず、2学期うつ状態になってしまった。なんとか3学期までもちこたえ、現在専業主婦、のんびりと心を休めているところだ。美術科の教師のおかれている立場は厳しい。世間ではIT化がどんどん進んでいるのに学校のパソコンでは、容量が小さすぎ、簡単な作図さえビジイ状態になってしまうが、バージョンアップするお金がない。指導要領どおりに指導できる人材確保のための職場環境の整備をお願いしたい。H19年6月 M.K.なら by zoukeidaiji | 2007-06-30 12:03 中学校
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