図画工作・美術教育の大切さを考える(訴える) (original) (raw)

図画工作・美術教育の大切さを考える(訴える) http://zoukeidaij.exblog.jp次期指導要領改訂を前に、図画工作・美術教育の存在意義やこれからのあり方を考えていくためのブログです。 ja zoukeidaiji 2012 Thu, 22 Nov 2012 06:43:37 +0900 2012-11-22T06:43:37+09:00 hourly 1 2013-06-01T12:00:00+00:00 図画工作・美術教育の大切さを考える(訴える) https://pds.exblog.jp/logo/1/200510/26/01/a005150120080119161745.jpg http://zoukeidaij.exblog.jp80 62 次期指導要領改訂を前に、図画工作・美術教育の存在意義やこれからのあり方を考えていくためのブログです。 2012年12月 「美術と教育を考える会」発足記念シンポジウム http://zoukeidaij.exblog.jp/16840712/http://zoukeidaij.exblog.jp/16840712/ _a0051501_634768.jpg
]]> 未分類 zoukeidaiji Thu, 22 Nov 2012 06:36:02 +0900 2012-11-22T06:36:02+09:00 「中学校美術」はどうなっているのか?新聞で掲載。 http://zoukeidaij.exblog.jp/16840720/http://zoukeidaij.exblog.jp/16840720/ _a0051501_6431224.jpg
]]> 未分類 zoukeidaiji Thu, 22 Nov 2012 06:42:55 +0900 2012-11-22T06:42:55+09:00 ご意見をお寄せください http://zoukeidaij.exblog.jp/3074154/http://zoukeidaij.exblog.jp/3074154/
今後も皆様からご意見を伺っていきたいと思います。今度のこのブログの役割は、子どもにとってのよりよい教育を考えてくものになっていくと思います。日頃皆さんがお考えのことをお聞かせください。

共に考えて行く場にしていきたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。

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投稿について zoukeidaiji Mon, 23 Jan 2006 21:07:23 +0900 2006-01-23T21:07:23+09:00 「豊かな人間性と創造性を備えた人間を育成するために」 http://zoukeidaij.exblog.jp/6484595/http://zoukeidaij.exblog.jp/6484595/
北海道おといねっぷ美術工芸高等学校長

石 塚 耕 一

■ はじめに

平成11年に告示された学習指導要領において、それまであった「芸術につ いて、すべての生徒に履修させる単位数は、3単位を下らないこと 」という規定が削除された。 学習指導要領には 「すべての学校において、芸術に関するIIやIIIを付した科目を、生徒が自己の興味・関心等に応じて選択履修できるよう配慮すること」と示されてはいるものの、実際には各高等学校の教育課程からは芸術教科が削減され続けている。
芸術教育は、日本の教育において、生徒の個性を伸ばし、創造力を育てるという重要な役割を担ってきた。これからの日本文化の創造という視点においても、高等学校における芸術教育は大切である。ここでは本校の実践を踏まえながら、美術・工芸芸術教育の課題と成果について検証してみたい。

■ 芸術教育の現状

1 削減される芸術教科

現行の学習指導要領では、普通科における芸術教科の履修単位数が2単位だけでよくなった。このことによって、それまで行われていた1年次「芸術I」(2単位 )、2年次「芸術II 」(2単位 )3年次「芸術III 」(2単位)という 一般的な履修パターンが崩れた。3年次の「芸術III」については、以前から学校の特色により柔軟に対応していたが、学習指導要領の改訂後は 「芸術II」、「芸術III」を履修しない傾向が強まった。
さらに「音楽 」「美術 」「工芸 」「書道」の選択制を廃止し、1年次に「音楽 I」を全員履修とし、他の芸術科目は設置しない高等学校が増加している。
学力向上のために、芸術教科の単位数をできるだけ減らし、それを国語、数学、英語等の教科に振り分けようというわけである。それまでの高等学校では、芸術科教員を3名 一般的には音楽・美術・書道 配置している場合が多かった 。
しかし進学指導や学力向上を掲げることにより、芸術科教員の退職や転出を機に他教科の教員にかわりつつある。芸術科教員は講師で十分という意見まで語れる時代になった。一度高等学校から消えてしまった芸術科教員は 「総合学科」か「単位制高校」にでもならない限りもどることはない。
こうして日本の高等学校から芸術教教員が減少し続けている。
これまで3年間で4~6単位学ぶことができた芸術教科が、2単位しか学べない時代になりつつある。しかも「音楽 」「美術 」「工芸 」「書道」の選択をすることさえ許されない時代の到来は、日本の教育において由々しき問題であると考える。
このことは、学習指導要領改訂の趣旨である「豊かな人間性を育むとともに、一人一人の個性を生かしてその能力を十分に伸ばす新しい時代の教育」と矛盾することではないだろうか。
…今の教育に求められていることは 生徒の興味・関心に応じ 個性を伸ばし、豊かな人間性を育成することである。数学は苦手だが歌は得意である。運動は苦手だがイラストを描くと素晴らしい。ピアノを弾かせると多くの生徒に感動を与えることができる。国際交流で外国の人に書道を披露することができる。
来校者にやすらぎを与える油彩を描くことができるなど。日本にはそういう個性を持った素晴らしい生徒がたくさんいる。彼らにとって芸術の時間は、自分が認められ、自分の可能性を伸ばせる最高の時間でもある。国際社会に生きるこれからの人材を育成すべき日本において、このことはもっと尊重されるべきではないだろうか。
私は多くの生徒に美術を教えてきた。彼らは美術の授業をとても楽しみにしていた。美術があるから高校生活が楽しかったという生徒も多い。目を輝かせながら意欲的に制作する姿には、芸術教育だからこそ成し得る喜びがあったのである。そして彼らは、卒業してからも各地域の文化の担い手として活躍している。そのことを忘れてはならない。
これから入学してくる生徒に、美術の授業が保証されないとしたらあまりにも悲しい。
高等学校教育から芸術教科が削減されていくことは、生徒ばかりではなく日本にとっても大きな損失になるであろう。

2 文化活動が衰退する

高等学校から芸術科教員が減少するということは、教育活動に様々な影響を与える。本来、高等学校は様々な専門教員がいる地域の文化センターであったはずである。そのことが高等学校としての存在感にもつながっていた。そこから芸術科教員がいなくなることは、高等学校から文化を失うことになるのではないだろうか。個性を生かし、美しいものを美しいと感じさせ、生徒の内面に迫りながら豊かな心を育成しながら、高等学校に活気をもたらしてきたのは芸術科教員の存在があったからである。
芸術科教員が3名から1名になったときに影響を受けるのは部活動も同じである。芸術科教員が担当しているのは、主に吹奏楽部、合唱部、美術部、工芸部、書道部であるが、これらの指導者がいなくなることは、明らかに文化系部活動の質の低下を招く。長期的な視点に立てば、日本の人材育成においてもマイナスである。全国高等学校総合文化祭に象徴されるように、日本の高等学校の文化活動はとても高いレベルにある。世界一といっても過言ではない。日本を代表する芸術家も多数輩出している。その背景には芸術科教員がいたことも事実なのである。
『所ジョージの笑ってこらえて吹奏楽の旅』というテレビ番組がある。全国大会を目指す吹奏楽部のドキュメンタリー番組であるが、吹奏楽の部員が目標達成のために一丸となって取り組む姿は感動的である。そこには努力によって生まれる感動の素晴らしが描かれ、多くの人に共感を与えた。日本では運動部の活躍ばかり注目されてしまう傾向にあるが、実は文化系の部活動からも同様の感動が生み出されているのである。
行事への影響も無視できない。学校祭のステージにおける吹奏楽の演奏や合唱、ホールや教室での美術展や書道展、あるいは壁画、仮装、行灯などの行事や活動を支えてきたのは芸術科教員である。音楽、美術、工芸、書道というそれぞれの芸術活動の広がりが学校に活力を与え、学校を豊かにしてきたのである。美術や書道の教員が削減された 高等学校では、文化活動が衰退し学校から活気が消えたという報告がある。私たちの生活から芸術や文化がなくなったら味気ないものになってしまうが、それは高等学校も同じなのである。

3 地域の文化活動に影響する

高等学校から芸術科教員がいなくなることは、地域の生涯教育にも影響を与える。個人的なことではあるが、私は赴任した4つの高等学校で地域の文化活動を支援してきた。ある高等学校では学校開放講座(美術教室)を担当し、絵画指導を5年間担当したが、そこでの地域住民は生き生きと活動していた。描くことが生きる喜びにつながっていたのである。さらに、そのことが学校理解と学校支援にもつながることになった。芸術科教員は地域の生涯学習をサポートすることができるのである。
音楽の教員が地域の合唱を指導していた高等学校でも同じであった。彼女たちが地域で必要としていたのは音楽教員だった。高齢であった彼女たちにとって歌は生き甲斐であり、生きるエネルギーになっていた。
地方において、合唱、吹奏楽、絵画、書道等の指導者はなくてはならない存在である。それを担当しているのが高等学校の芸術科教員である。
したがって芸術科の教員の減少は、地域の文化活動に深刻な影響を与えることになる。こ のように、芸術科教員は地方の文化活動の主役となっているのである。

■ 夢を語れる学校づくり

1 デイヴィッド・ナッシ

イギリスを代表する彫刻家デイヴィッド・ナッシュは、1994年に音威子府の森で優れた作品を制作した。本校でも公開制作も行い、生徒に特別講義を実施している。その彼が本校についてこう述べている。

「学校という場所は本来、社会に貢献し、そこで活躍する若者たちを育てていくところです。おといねっぷ美術工芸高校はそういう意味で、魅力ある素晴らしい見本となる学校です。数多くの教育機関では自然の材料を学校教育にうまく取り入れることができないままです。実はその自然自体が偉大な教師であるにもかかわらずそうなのです。物事を立体的に考える力は創造力を鍛えることになり、そうすることで自己に対する自信と生きていくことへの健全な態度が育成されるのです 」。

2 夢を語れる学校づくり

本校は、人口千人に満たない音威子府村にある村立高校である。村にとって本校は大きな存在であり、ある意味では村の文化や産業の一端を担っている。
村の86%を占める森林、工芸作家砂澤ビッキの美術館 「村技」といわれるクロスカントリースキーの存在は、そのまま本校の高いレベルの美術・工芸作品や全国総合2連覇を果たしたクロスカントリースキー部の活躍と重なる。過疎と少子化の中で、本校に寄せられる期待は大きく、その取り組みそのものが村の活性化につながっている。
このことから 本校の学校経営は 生徒・保護者・村民・教職員がともに 「夢を語れる学校づくり」をめざしている。その実現のために以下の教育を推進している。

1 全ての教職員が一人ひとりの生徒を大切にする。
2 生徒の可能性を見つけ、伸ばし、自信を与える。
3 生徒とともに学び、感動できる教育を実践する。
4 高大連携事業を推進し、魅力ある教育活動を展開する。
5 国立教育政策研究所教育課程研究指定校として、教育の質的向上を図る。
6 地域との交流を図り、村の文化センターとして貢献する。

「 全道唯一の工芸科として工芸コース 美術コースを設置し「 描く 、つくる 、対話する。」 ことによって 創造力を育成し人間力を高める教育を実践している。入学してくる生徒は全国各地から集まる。美術・工芸が好きな生徒はもちろんであるが、中には中学校時代不登校だったり、コミュニケーション能力が十分でない生徒もいる 。
教育目標は 「造形体験を重ね 、創造力を育成する 。」である。
北海道唯一の工芸科として、生徒の興味・関心に応じた多様な科目を設置し、一人ひとりの個性を尊重しながら、ものづくりをとおして豊かな人間性を育成している。
具体的には、一人ひとりの個性や進路に対応できるコース制。
カヌー制作。日本画 陶芸など 生徒の興味・関心に柔軟に対応できる学校設定科目の設置 。
「総合的な学習の時間」を活用した地域行事との連携。少人数指導と複数教員配置によるきめこまかい指導である。系統性を生かした学習によって、質の高い美術、工芸作品を制作している。

■ 創造力を育成し人間力を高める

1 描く、つくる、対話する

一つの椅子を制作するにあたって、描くデッサンは50枚にも及ぶ。描くことは椅子を理解することにつながる。描けば描くほどアイディアは生まれる。その作業はまさに生徒が持っているイメージを全て引き出す作業のようでもある。そうすることによって思わぬアイディアが生まれることもある。このことによって椅子への意識も高まる。デッサンは自分の世界を一歩広げることができる道具のようなものである。
描くことは創造力を育成し、忍耐力や粘り強さも育成する。
また、描くことは自分自身と向かい合う行為である。
描くことに よって、自分を知ることができ、他人を知ることができるのである。
それが自 分を成長させることにつながっている。

現行の学習指導要領によって、小学校の図画工作や中学校の美術の時間数が削られた。その結果、日本の児童生徒の描く絵に力強さが消えていった。特に描写力が弱くなったことはよく指摘される。対象にしっかり向き合わないまま限られた時間で見栄えのよい作品をつくろうとするため、作品に強さがなくなってしまったのである。今では美術教育の中で集中力を身につけさせることも難しくなってきている。そのため、デザイン的には優れた作品があっても、安易な作品が多くなり、情熱や迫力がみられなくなってしまったのである。
その差は、20年前の子どもたちの作品と比較すると歴然としている。
本校では週3回、夜にデッサン講習会を実施している。全校生徒の3分の1が参加し、石膏像を前に黙々とデッサンする。このことによって、空間や明暗 をとらえる力 、描写する力 、そして思考力を育成している 。
静寂な空間の中で真剣に対象と向き合うことにより集中力が育成されている。そしてこのことが制作意欲につながっているのである。
学力を向上させるためには、学ぼうとする意欲がなければならない。その力は集中力から生まれる。それを美術教育は育成することができるのである。

2 大作への挑戦

本校のホールに展示してある作品を見た人は 「この作品は本当に高校生が、つくったのですか」と一様に驚く。見入ったまま動こうとしない人もいる。これは、作品に観る人を引きつける力があるからだ。そういう作品を本校生はつくっている 。高校生には素晴らしい能力とエネルギーがある。
それを引き出し 質の高い作品へと結びつけることが、本校教育の大切な要素になっている。
「美術コース」の生徒は、3年生になると100号の油彩にチャレンジする。
その大きなカンバスの前に初めて立ったとき 「こんな大画面に作品を描けるのだろうか」と誰もが尻込みする。それは生まれて初めて体験する高い壁のようなものである。これまでの人生で直面した最大の壁と感じる生徒もいるだろう。しかしその壁から逃げることなく、創造力を発揮し、持っている能力の全てを出して乗り越えて行くのである。この体験と成就感は生徒を大きく成長させる。そこで得られた自信は、これからの人生においても大きな財産となる。
一人ひとりが持っている能力を引き出し、自信を与え、意欲を高めさせることは、教育でもっとも大切なことである。
「工芸コース」の生徒は、3年生で家具を制作する。家具は立体であり三次元の空間認識が求められる。平面作品より科学的な思考力がなければならないのである。そのためには作品制作の計画が明確でなければならない。家具は、デザイン、製図、木材加工、組み立て、仕上げと、作業に連続性があり、やり直しがきかない。しかも途中のミスは仕上げにも影響する。これは油彩などとは大きく違うところである。つまり家具を制作するためには、仕上がりはもちろんのこと、その制作過程まで的確に把握していなければならないということである 。この制作をとおして 生徒は計画性の大切さを学ぶことになる。
また 、家具は生活をより楽しく快適で豊かにするものでもある。生活の一部としての 機能や美しさを自覚することは、他の生徒との美意識の違い、生活様式などの違いを認識することにもつながなり、自分の個性の確立にもつながる。
本校での家具づくりは、一人でできるものではない。お互いに協力し合い、批評し合い、対話しながら制作していく。こうした制作過程から、他者を尊重する心が生まれる。カヌーの共同制作においては、それぞれが役割分担し、助け合うことによって、思いやりの心を学んでいる。工芸教育は豊かな心の育成に大きな役割を果たしているのである。

3 感動が生徒を成長させる

教育において大切なことは、いかにして子どもたちに感動を与えられるかということである。それは子どもたちの成長にとって必要不可欠なものであり毎日の食事以上に大切なものかもしれない。いろいろな経験の中から多くの感動を体験してきた生徒と、感動をまったく体験してこなかった生徒では、人間としての圧倒的な差が生まれる。
人間として特に必要な要素は 「思いやりの心」や「より良く自分を変えていこうとする力」である。それを生徒に生み出すのは感動ではないだろうか。
学校教育で部活動が盛んなのは、授業では得られない感動があるからである。
自分自身の夢の実現に向けて努力することによって生まれる感動は、心の成長をうながし、その後の生き方にまで影響を与える。
今の日本は 「笑い」をつくり出すことにあくせくしている。テレビ番組は、 そのお手本のようなもので、ゴールデンタイムにお笑い番組が多数放映されている。確かに「笑い」は私たちの生活を楽しいものにしてくれる。しかし、それだけで人間は成長しない。何歳になろうとも求めているものは感動である。
感動は人生を豊かで有意義なものにしてくれる。感動があってこそ、より良い自分を創造するすることができるのである。
芸術教育の素晴らしさは、その感動を体験することができることにある。悩みながら、粘り強く制作した作品が完成したときの喜びは、一生忘れられない思い出になる。主体的な努力から生まれた感動は、真の人間をつくり出すエネルギーとなる 。
「描く、つくる、対話する」という造形教育は、創造力を育成しながら、生徒一人ひとりの心を豊かにしているのである。
本校には中学校時代に不登校だった生徒も入学している。中にはほとんど登校していない生徒もいる。この生徒たちは、本校の3年間で見事に立ち直っている。これは美術・工芸教育によって、自分を発見し、自信を持ち、意欲的に活動できるようになったからである 「描くこと 」「つくること 」「対話すること」は、生徒の心を成長させるのである。
芸術とは自分を表現することである。作品は自分自身そのものであり、そこにはかけがえのない個性が存在する。
つまり創造することは自分をつくることにつながっているのである。さらにいえば、創造することは夢をつくることでもある。これが芸術教育の素晴らしさである。

■おわりに

新たに制定された教育基本法の前文には 「豊かな人間性と創造性を備えた、人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する 」とある。美術教育、工芸教育はまさにその中心的な役割を担う教育分野である。
外務省のホームページ「文化外交最前線第17号」の中で、近藤誠一氏(外務
省国際貿易、経済担当大使が 「現在米国では、芸術教育によって開発される創造的思考が、科学者や技術者に必要とされているものに通じるということで、芸術教育が見直されている」と書いている。
国際社会の中で生きるこれからの日本に求められるものは、創造力があり、豊かな心を持ち、意欲的に活動できる人材の育成である。その実現の主役をなすものが芸術教育であることを自覚したい。

☆ 豊かな人間性と創造性を備えた人間を育成するために
↑この記事のオリジナルをPDFでお読みいただけます。

《関連サイト》

☆ 学びの森←石塚先生によるblog

☆ 北海道おといねっぷ高等学校

《関連記事》

☆ 2007年10月19日実施「美術工芸教育実践研究発表会」

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高校 zoukeidaiji Sun, 25 Nov 2007 02:45:46 +0900 2007-11-25T02:45:46+09:00 現在の中学校における美術教育について訴えたい http://zoukeidaij.exblog.jp/6694465/http://zoukeidaij.exblog.jp/6694465/
私は、昨年度までの3年間非常勤講師として現場で仕事をしてみて、大変ショックを受けた。

私は1969年生まれ。当時の教科書の内容と比べると、現在のものは、基本的なことに変わりはなく、CGやCADを用いたもの、アニメーションや福祉に関するものが含まれ、他教科と重なる面が増えたな、と感じました。
そう感じられるのは、大学受験のとき通った美術研究所で、色彩の持つ力や構成、課題に対する解決方法を学んだからだ。当時、私の受けた中学の美術の授業は、2時間続きであり、年配の先生は、あまり教科書の内容を説明することに時間をとらず、限りある時間のめいいっぱいを、身近な素材で工夫し制作する中、各自でどんどん作品を発展させていくことに費やしておられたように思います。それは、私のような人間にとってとても楽しい時間だったのですが、平面デザインの時間は何を描けばよいのかわからず、授業中はぼーっとしていて、自宅で締め切り前に徹夜してこつこつ仕上げることが、多かったように記憶しています。

教職免許を取りながら、現場で働かず、紡績会社で事務をし、テキスタイルデザイン事務所でポスターカラーを使用したデザイン画を書く手伝いをし、出産育児をして、はじめて教職についた私は、私のように創作を楽しめる人間が、クラスにほとんどいなかったのだとはじめて気づきました。80%以上の人が自分の作品に自信が持てず、どうすればよいかわからず、友達と世間話をして、美術の時間をすごしていたとしたら、それはやはり、時間削減になっても仕方ない教科だと思います。しかし、それは、教科書を無視した、ただ、創作することのみに重点を置いた授業を行った場合の美術です。

美術の教科書はあの薄い本の中に多くのことが記されています。

たとえば描写すること。それは、人間が、実際に見て、感じて自分の能で処理された内容を自分の手で書く作業です。その絵は、植物であれば、写真よりもはるかに特徴を捉え、写真に写らない部分まで詳細に描くことができること。人物であれば、写真よりもはるかに自分が普段見ている人物そのものを表現できること。など作品を鑑賞させる中で子供たちに気づかせることができるのです。

シュルレアリスムの手法で描くことは、心理学の導入編。遠近法を知ることによって、自分の伝えたい世界をかなりわかりやすく他人に示すことができる。美術史は生徒の歴史への関心を高める一助となっているはずだ。

以上のような内容を、芸術大学受験をクリアしてきた人間は、美術の教科書から読み取り、授業の中で作品制作に生かすことができるのですが。

問題は、授業数削減によって、中小規模の中学で、授業時間数の少ない美術科の教師は、非常勤講師でまかなわれること。免許を持たない他教科の先生が教えていることにある。美術科の教師の採用は、このところ全くない。そのため講師登録している教師も少ない。非常勤講師の美術科の仕事は、時間外の作業が非常に多く割に合わず若い美術科の教師が育たない。すると、専門でない先生が教えることになる。
教科書がそんなに奥深いことなど気づいていない先生は、自分が中学の頃受けていたような教科書を無視した授業を行う。

結果美術の授業を軽視し、教科書に書かれている内容を知らないまま卒業していく生徒が増える。美術は意味のない時間だという。とても悲しい現状だ。その状況を文部科学省は知っているのだろうか。

週1時間の美術が他教科に及ぼす影響は大きい。

よく見て描写することによって、理科で学ぶ植物の構造を改めて確認することになるかもしれないし、数学のように平面に描かれた立体の図面から実物を想像して問題を解くときの能力の一助となっているはずだ。工芸においては、木彫をする、木版を彫ることも言葉でではなく植物の構造を知るきかいになっている。一枚の紙から立体を作り上げる作業は、かなり高度な数学の応用問題だ。

美術の内容は、特に理科、数学に貢献していることを一般の大人たちは知っているのだろうか。美術の表現で欠かせない色は、そもそも光の影響によって様変わりして見え、光なくしてはみえないものなのだから。

そして、生徒の作品には、そのときの生徒の心理が見え隠れする。作品から生徒の心のメッセージが発信されている。

また、心を沈め、木を削る作業などは、かなり癒しとなっているはずだ。実際にわたしの授業の中で、鉛筆削りを使用させず、カッターナイフで鉛筆を削らせたところ、私の削った鉛筆を目標に子供たちは無我夢中で鉛筆を削っていた。それは、刃物の正しい使い方の指導にもつながる。それができるのは美術専門の教師であると思う。

今一度、1校あたりの教員の数について検討いただきたい。単純にクラス数で決めてはいけないと思う。いくら教科書や指導要領を改訂しても、内容を十分に理解できていない教師が授業を行ったのでは改訂の意味がないではないか。

私は、昨年、美術を教える先生がいないからと、無理に枠を取ってこられたのだろう。「学力補助」週3日で10時間、全校8クラス、美術と選択美術の授業を担当した。
3学期は、1日5時間授業に入る日があった。美術部の指導にも行かざるをえなかった。試験は3学期とも3つつくり、約250人の成績を付けた。5クラスは超ベテランの家庭科の教諭とTTであったが私がすべて指導計画を練り、授業をしなければならなかった。私は気を使いすぎる性格で、授業を任せておきながら、前に出てものをいいたがってしまうベテラン教諭と合わず、2学期うつ状態になってしまった。なんとか3学期までもちこたえ、現在専業主婦、のんびりと心を休めているところだ。

美術科の教師のおかれている立場は厳しい。世間ではIT化がどんどん進んでいるのに学校のパソコンでは、容量が小さすぎ、簡単な作図さえビジイ状態になってしまうが、バージョンアップするお金がない。指導要領どおりに指導できる人材確保のための職場環境の整備をお願いしたい。

H19年6月 M.K.なら]]>

中学校 zoukeidaiji Sat, 19 Jan 2008 12:02:23 +0900 2008-01-19T12:02:23+09:00 07年4月 北海道造形教育連盟が文部大臣に陳述書 http://zoukeidaij.exblog.jp/5433007/http://zoukeidaij.exblog.jp/5433007/ このことが、「北海道通信」の第一面で紹介されました。
なお、新聞記事の転載については「北海道通信」様のご了解を得ています。

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クリックすると拡大表示されます。

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]]> 請願書 zoukeidaiji Mon, 16 Apr 2007 19:09:34 +0900 2007-04-16T19:09:34+09:00 07年3月14日-18日「図画工作・美術なんでも作品展」 http://zoukeidaij.exblog.jp/5165502/http://zoukeidaij.exblog.jp/5165502/ さいたま市 うらわ美術館

《開催期間》
2007年3月14日(水)〜18日(日)

《展覧会の主旨》

今日、学校教育における図画工作科及び美術科の位置付けは必ずしも高いとは言えません。
学力低下の危機感の中で、学力を数値化しにくい図工・美術は蚊帳の外といった観もあります。私たちは図工・美術で培う学力をわかりやすく国民に十分説明してきたでしょうか。

図工・美術は明治以降今日まで、その時代時代に合った重要な役割を果たし、日本の発展と、子ども達の人格の完成に寄与してきました。
そして今日、図工美術に求められる学びの内容も、今の子どもたちの親世代と比べてもても、大きく変化してきている。図工・美術は時代とともに変容し進化しています。

本展覧会では今日までの図画工作科、美術科が歩んできた道のり踏まえ、現在の図画工作科・美術科の魅力を伝え、今の子ども達にとってなくてはならない教科であるということをを広く社会にアピール する機会としたいと思います。

また、これからの図画工作美術の行く先を予感する取り組みや、図工・美術を支える組織などの展示を通し図工・美術を様々な角度から紹介する展覧会にします。

文教大学 三澤 一実
図画工作科・美術科 なんでも展覧会 実行委員会

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☆この展覧会に関する最新情報は ここをクリックしてください。]]> 未分類 zoukeidaiji Sun, 25 Feb 2007 13:16:55 +0900 2007-02-25T13:16:55+09:00 図工の時間を増やす署名開始 http://zoukeidaij.exblog.jp/4734397/http://zoukeidaij.exblog.jp/4734397/
「図工の時間」の維持・拡大を目指し、「図画工作科の授業時数を増やすことに賛成します。」ということで署名活動をしています。
このフォーラムでは、署名だけ集めるのではなく、「図工の時間」のあり方についても考え、また教科の可能性をさぐるため、シンポジウムやワークショップを開催します。
ですから、ただ増やしてください!というのとは違います。それは、教科の存在について子どもにとってなぜ大事なのかについても明らかにしていこうとするものです。

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今の子どもにとってどうして図工が大事なのか、委員である佐藤雅彦氏(東京藝術大学大学院教授)の言葉が、 「日経Kids+」1の中で次のように紹介されています。

「価値あるものを作れるのはstudiumを知っている人間だと僕は思っています。それを図工は育てられるのです。(ストゥディウム…ラテン語で熱中している、夢中になる、集中しているという意味)」
「図工の時間は、先生ではなく子どもたちが自分の世界を切り開く時間なんです。」
「誰かに何と言われても自分はこれが好きだと言えるものを持っている子どもは大人になっても夢中になれるものを見いだす力が持てると思います」

☆がんばれ図工の時間( 藤幡正樹委員長 東京藝術大学大学院教授)←署名はこちらから

このフォーラムはすでに旗あげされ、以下のような日程でフォーラムなどが開催されます。

10月22日(日)講演・ワークショップ・シンポジウム…日本科学未来館

12月27日(水)ワークショップ… せんだいメディアテーク

1月13日(土)〜14日(日) ワークショップ…金沢21世紀美術館

2月10日(土)講演・ワークショップ・シンポジウム

《関連サイト》

☆中野”きょういく”研究所Vol.8に下のように「がんばれ図工の時間」の紹介記事が書かれています。

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]]> 未分類 zoukeidaiji Thu, 23 Nov 2006 22:02:49 +0900 2006-11-23T22:02:49+09:00 中学校美術科の必要性について http://zoukeidaij.exblog.jp/4745487/http://zoukeidaij.exblog.jp/4745487/ 必修教科美術の存在価値について日々考えています。
我々指導者の立場から、この問題について訴えていくことは当たり前なのですが、その際、生徒たちがこの教科の学びについて「どう感じているか」をしっかりと受け止めておく必要があると考えます。

一方で「他教科にはない美術でこその学びとは何か」「すべての生徒にとって、美術における学びが、豊かな人生を創造していく上で不可欠なものとなり得えているのか」といったことを真摯に問い直すことが求められていると思うのです。

美術科の教育的役割として情操教育の面が特にあげられると思います。
指導書に掲げられているこの教科がめざす「豊かな情操を育む」については方向目標であり、卒業した生徒たちに対し追跡調査でもしなければ、この目標を達成できたかを問うことは困難です。これまでも、この点を前面に押し出した主張をしてきたもののこの危機を打開する決め手としては説得力に欠ける感がありました。

では、今、目の前にしている生徒たちのどのような成果を示すことが、この危機を脱する手だてとなるでしょうか。私は、単に発想構想の能力や創造的技能、鑑賞の能力の高まりの成果にとどまるのではなく、美術科を学ぶ価値意識が高められたかどうかを確かめることだと感じています。こうした、生徒の実態を示していくことが必修教科美術の必要性を訴える主張材料になり得ると思うのです。

ここ数年、本校では「形・色・材料を介して学ぶ喜びや価値を実感する生徒の育成」を目標とし、特に第1学年の基礎基本をしっかりと定着させる段階において、小学校段階まで無自覚に親しんできたこれら造形要素が言語外のコミュニケーションのツール(視覚言語としての形色材料)であることを実感させるカリキュラムを工夫してきました。その際、各題材の学習内容に系統的な関連性をもたせた題材配列を行い、表現と鑑賞を一体とした単元構成のもとで授業を展開しています。この実践を通じて、それまで「うまい、下手」で自他の作品を価値づけていた生徒が、「自分のテーマを形や色のはたらきを意識することで伝えることができる」とか「日常においてものの見方感じ方が変わった、日常においていろいろな美しさやよさに気づくようになった」といった自己の変化を自覚してきています。
さらに、「美術は単に制作したり鑑賞したりするだけだと思っていたが、自分や他者をより深く理解するために学ぶ教科だ」といった価値意識を深めてきています。このような生徒の実態をみるとき、この教科の存在意義を証明することは可能であると感じるようになりました。
また、現行の時間数においても十分成果を示すことは可能であること、後続の学習において系統的発展的な授業構成が明確に行えると感じています。

義務教育終了時点で、「なぜ美術を学ぶ必要があったのか」といういう問いに対し、生徒一人ひとりが自分の答えを出せるような授業をつくっていきたいと考えています。

最後になりましたが、2007年11月22日 岡大附属中学校において、上記の研究テーマで研究発表会(公開授業と協議会)を開催します。
もし、ご関心のある方がおられましたら、お電話でお申し込みください。086-272-0202です。お待ちしております。
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中学校 zoukeidaiji Sat, 25 Nov 2006 22:39:19 +0900 2006-11-25T22:39:19+09:00 「選択科目化や時数の削減は不適切」 http://zoukeidaij.exblog.jp/3543415/http://zoukeidaij.exblog.jp/3543415/
「音楽、美術を選択制にしてもよいのではないか。選択で選ばせて倍の時間を行うのはどうか。」(2005年7月)

3月31日に開催された 中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会(第39回)で、3月29日までに募集されていた「審議経過報告」に対する意見募の概要が、議事録配布資料として公開されました。

その中に以下が意見として取り上げられていました。

「芸術科目は豊かな情操の育成を担っており、その選択科目化や時数の削減は不適切。」(2006年3月)

☆中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会(第39回)>議事録配布資料1

この言葉。待っていました!楽観視はできません。あくまでも、こんな意見が出ていたということですから。しかし400以上集まった意見の中から100ほどにしぼられたものですから、それなりの重みは持ってくるでしょう。多くの方々が意見を出してくださった結果です。やはり美術教育にとってはこの選択教科化が一番の驚異でしたから。
意見を出された方に、どんな意見を出したかも伺いしまいしたが、同じ方向性でした。やはりつながることは大きいです。そして何より「抗議」ではなく「ご理解ください」というスタンスでよかったと思います。なにより「子どものため」ですから。

ここで長い道のりだったとも、一瞬思ったのですが、次期指導要領改訂が今年度内にということですから、まだまだ続きそうです。とりあえず、これから何が起ころうとしているのか、情報があまり無いので、様々な情報を集めて予測するしかありません。とにかくますますスピードが要求されそうです。(北海道 山崎正明)]]>

未分類 zoukeidaiji Sat, 29 Apr 2006 11:43:54 +0900 2006-04-29T11:43:54+09:00 「全国一律の教職員配置や施設設備の保証が最重要」 http://zoukeidaij.exblog.jp/3543411/http://zoukeidaij.exblog.jp/3543411/
「学校教育の質の保証には、全国一律の教職員配置や施設設備の保証が最重要。」

このことについては「日本美術教育学会」がとったアンケート調査で、美術専科によらない授業が数多くなされているという問題点をはやくから指摘していました。

☆「審議経過報告への意見」(日本美術教育学会)

また学力の保証や評価などについても取り組んでおられる文教大の三澤一実先生からはアンケート調査なども取り入れた意見書が提出されています。

☆「審議経過報告への意見」(三澤一実先生)

*「学校教育の質の保証には、全国一律の教職員配置や施設設備の保証が最重要。」と書かれていますが、「重要」ではなく「最重要」として意見をまとめていただいていることは非常に大きいと思います。(北海道 山崎正明)]]>

未分類 zoukeidaiji Sat, 29 Apr 2006 11:43:03 +0900 2006-04-29T11:43:03+09:00 日本美術教育学会の意見 http://zoukeidaij.exblog.jp/3428960/http://zoukeidaij.exblog.jp/3428960/
日本美術教育学会
会長 神林恒道
本 部 立命館大学アートリサーチセンター
事務局長 大橋 功

日本美術教育学会では、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会「審議経過報告」(平成18年2月13日)について、会員、委員に個別の意見を求め、それを集約すると共に、美術教育学の専門的立場より検討を行い、以下のように意見をまとめた。

平成18年3月28日

1 教育課程をめぐる現状と課題、(2) 現行の学習指導要領の考え方について

○芸術教育軽視へと傾斜する危険性

ここで指摘される「各教科等の指導においては、指導に必要な時間が確保されていない」ような事態をまねいたり、「総合的な学習の時間で身に付けさせたい資質や能力等が不明確なままで実施」してしまったりするといった問題が生じる事については、第16期日本学術会議の中に設けられた「教科教育研究連絡委員会」によってまとめられた『教育課程改革への理論と実践-総合的学習を中心として-』(東洋館出版社、1998)、及び「教育課程の基準の改善の基本方向について(中間まとめ)に対する意見」において、日本美術教育学会としてその危惧
について明確に指摘していたところである。
そして、今回のように、こうした問題の指摘に応じる形で教育課程の見直しが行われる際に、「総合的な学習の時間」創出という大義名分の下に削減された教科内容や授業時数が、その揺り戻しを受けてどのように振り分けられるのか、芸術教育軽視へと傾斜する危険性も指摘してきた。

○豊かな人間としての価値形成を担う芸術教科の再認識を求める。

本来、学校教育における芸術教科の意義から見て、これまでの教育課程の理念や本報告に見られる「生きる力」や「人間力」を育てる上で、十分な内容とそれに見合う授業時数が確保されてきたとは言えず、そのことが、豊かな人間としての価値形成が十分に果たせず、美的価値の実現に向かう態度(自己実現)や能力(知識;knowledge、技術;skill、これらを生きて働く力として活用する能力;competenceなど)の形成をめざしてきたにもかかわらず、教育課程においてその機会の保障が不十分である点を重く受け止める必要があると考える。

日本美術教育学会では、学校教育における芸術の教育的意義を十分に踏まえ、上記の現状を重く受け止め、その課題解決の為の具体的な方策を検討すべきであることを指摘し、豊かな人間としての価値形成を担う芸術教科の再認識を求めるものである。

2 教育内容等の改善の方向、(1) 人間力の向上を図る教育内容の改善

② 具体的な教育内容の改善の方向、3)総合的な学習の時間などの改善

イ中学校における選択教科について

○選択能力の育成は必修教科の充実によって図るべきである。

「「義務教育に関する意識調査」においても教員で選択教科などで学習内容の選択幅を広げることに賛成(「賛成」、「まあ賛成」の計)なのは24.3%に過ぎないなど選択幅を広げることに消極的である」ことや、「限られた時間数の中で教育課程が複雑になるとそれぞれが薄くなってしまうので、必修教科を重視し、時間を掛けて徹底すべきなど、時間数の在り方を工夫すべきとの意見があった。」ことが報告されているが、これについては、日本美術教育学会における意見集約でも同様の意見が多く寄せられた。
もとより、「選択教科の子どもの選択能力の育成という趣旨を踏まえる必要があるとの意見」に対しても、選択教科を広げることによって選択能力が育成されるのではなく、それぞれの教科の必修教科の充実を持ってこそ可能になると考える。

○選択教科の拡大は、思春期にある中学生の自己実現の機会を奪い、精神的に健康な成長の機会を奪うものである。

また、教育課程審議会の委員の中からも「芸術教科は選択で良い」との意見が出されているが、人類の歴史と文化を振り返るとき、それがいかに偏狭で軽薄な考え方であるかはすぐに理解できるはずである。芸術が人間形成に重要な役割を果たすものであり、特に、思春期という価値観の形成にとって重要な発達段階にある青年前期の教育(中学校・高等学校)にとって、芸術教育は、美的価値観の形成を中軸に自己実現を経験しながら、その人格を自律的に成長させていくために不可欠なものである。中学校における選択教科の拡大が、ただでさえ不十分な芸術教科の学習内容や授業時数の削減につながり、学校教育における周縁化を招
くのであれば、それは芸術による自己実現を通して、精神的に健康な人間として成長していくための機会を奪うものであり、教育課程編成において再考すべき最重要課題と考える。

○芸術教科の選択教科化は、アジア諸国に学力だけでなく芸術面においても水をあけられる結果を招く。

○国際化社会において真の国際人となるためには芸術文化に対する素養は欠かせないものである

日本美術教育学会会員によって構成される研究チーム(「東アジアにおける鑑賞教育の現状調査ならびに比較研究」)による調査では、東アジアの諸国(中国・台湾・韓国)において、義務教育レベルにおいて美術、芸術を選択教科にしている国はない。特に、韓国に至っては、高校1年生まで芸術教科を必修教科として定めている。
芸術教育の充実は、国際化社会において、自国の伝統文化を理解し、愛好する心情を養う国民教育の視点からも極めて重要な課題である。既に述べたように、多様な価値観の形成がすすむ青年期の教育において、芸術教科は欠くべからざるものである。
アジア諸国、とりわけ韓国などは、スポーツ界における躍進だけでなく、近年の韓流ブームが示すように、芸術文化面でめざましい成果を上げている。中国、台湾でも同様の傾向が生まれてきている。そのような中で、今回の経過報告を見る限り、芸術教科を周縁化するおそれのある点においては、高度経済成長時代、科学技術化時代の教育思潮の流れのまま、さらに芸術教科の必修時間を削減し選択教科化するような改訂の方向性は時代錯誤であり、こうした選択教科の拡大は、学力だけでなく芸術文化の振興においても諸外国、特に東アジア諸国から水をあけられてしまう事態を招きかねない。

(2) 教育課程の枠組みの改善、① 指導方法、授業時数の見直し等
イ授業時数の見直し
及び
3 学校教育の質の保証のためのシステムの構築、(2) 学校教育の質の保証
ウ教育課程編成に関する現場主義の重視について

○各学校が責任をもって適切な教育課程を保障することができるか?

ここで示される事柄についても、前述の理由から、慎重に検討されるべきと考える。特に、「授業時数の在り方については、その量的な側面だけでなく、各学校における教育活動の創意工夫により、効果的な学習指導ができるよう、その弾力的な運用等についても検討する必要がある。」とされている点や、「現在は標準として定められている授業時数の扱い、学年ごと教科ごとに示されている授業時数の示し方について柔軟化することも検討する必要がある。」などについては、確かに検討の価値のあるものであろう。しかし、各学校が責任を持って適切な教育課程を保障することが出来るであろうか?総合的な学習の時間の実施実態を見ても疑問が残る。
教師や学校が適切なカリキュラムを構想し実施する能力が十分に獲得されない状況下で、「学校教育法施行規則で「標準」として規定されている」授業時数の無制限な弾力化の導入は、絶対に反対である。
たとえば、子どもの生活や健全な成長発達を無視した偏った授業時数の割り振りが行われる可能性は払拭されない。また、学力調査での成績を向上させることや、外国語教育の導入など、学校が課せられたプレッシャーが、さらに芸術教科の授業時数の実質的な削減を促進させてしまう可能性は否定できないのである。
具体的に懸念されるものとしては、「特定の学期や時期に小学校「図画工作」や中学校「美術」の授業を集中させ、年間を通して行われない事例」、「各教科等ごとではなく、複数の教科等の授業時数をまとめて示すことも一つの方法ではないかという意見」などからは、「美術と音楽の授業時数をまとめて大きな枠組みで設定し、その範囲内で自由に授業時数を安易に割り振ってしまう事例」などが考えられる。
「入学試験等の内容に影響を受けるので、引き続き教科等ごとの時間設定を基本とすべきとの意見」もあったようだが、それだけに、入学試験に関係しない芸術教科からこうした方法を導入していこうとの発想が生まれてしまうことは容易に想像できる。
また、「美術の専任教諭を持たない学校(複数校を受け持つ時間講師などによって授業を担当させているなど)では、専任教諭のいる教科に傾斜する事例」なども想定される。

○授業時数の削減を前提にした「合科」では教育の不毛を招くだけである。

「諸外国では、①各学年・各教科ごとの授業時数の設定を学校に任せている例、②複数の学年・教科をまとめて年間の授業時数を定めている例」などを示し、「合科的な指導をより柔軟に行うためには、どのような教科等の組合せが考えられるかなど、各学校の教育課程編成に当たっての柔軟性を高めるための仕組みや、その際の学校の説明と公表の在り方などについて、更に検討を行うことが必要」としているが、このようなケースでも、芸術教科が安易にその対象に挙げられてきた。芸術における共通課題や、総合的な芸術活動を軸とした学習活動を
積極的に取り入れることの教育的な意義は否定しないし、その方面での研究も積極的に行っていく必要はあるが、各教科の現行授業時数の和を基準とした安易な合科的発想では十分な教育効果は期待できない。
授業時数を「節約」するための「合科」では教育の不毛を招くだけである、より良い教育理念の実現をめざした、新しい教科教育の可能性の追求からの検討が必要である。

○芸術教科の最低授業時数を明確に示す必要がある。

授業時数が、その教育内容のありかたなどの十分な検討に基づいて決定されるべきであることに異論はないが、弾力的な運用を導入する場合は、保障すべき最低授業時数を設定すべきである。「授業時数の在り方については子どもや学校の実態社会の要請等を十分把握しつつ専門的・実証的に検討を行う必要がある。」とされているように、こうした授業時数の設定には、当該分野の専門的・実証的な研究実績を有する研究機関の意見を尊重すべきである。その際、当然教科教育の専門研究機関も含めなければならない。
日本美術教育学会では、専門的見地から、美術教育の目標を達成するためには、必修教科の最低年間授業時数は70時間、週時数2時間が基準とならなければならないと考える。

② 発達や学年の段階に応じた教育課程編成や指導の工夫について

○小学校「図画工作」専科教員の促進と、中学校「美術」の免許外担当の是正「教育方法の面において、小学校高学年における教科担任制について検討することが必要である。その際、中学校の教員が小学校で指導に当たることについても、小中連携の充実という観点から積極的に検討する必要がある。」と指摘されるように、小学校「図画工作」でもすでに教科担任制をとりいれている自治体などもみられるが、概ね良好な成果を上げている。2003年に日本美術教育学会が行った全国調査では、専科担任は全体の16.5%であったが、その中で中学校
「美術」免許所有者は13.6%で、2.9%は「美術」の免許は持っていない教員であった。
教科の専門性が高ければそれだけで良いとは考えないが、芸術教科の意義を十分に理解し、教科の専門性を有する教師が高学年を担当することは重要な事であると考える。その一方で、先の本学会の調査では、中学校「美術」を担当する教員のうち、他教科との兼任も含め、「美術」の免許を所有しないで担当している教師が26.9%もいることがわかった。これは教育の質の保障から見て大きな問題であり、その背景には、小規模校などでは美術の授業時数が少ないため専任教諭を置けないという原因がある。このような傾向はかつては僻地校などに限られたが、近年では少子化の影響もあり、都市部の中学校においても見られるように
なっている。こうした歪みの実態を調査し早急に是正することが求められる。

まとめ

今回の「審議経過報告」を見ると、「総合的な学習の時間を導入した結果学力問題が起こった」というような短絡的な論調に左右されているとまでは言わないが、「生きる力」を育てる目玉として創設した「総合的な学習の時間」の見直しと「教科教育の充実」、加えて「人間力」という概念を掲げながら、基礎基本のより充実、わが国の学力水準の国際的地位向上をめざしていることがわかる。
その中で、現行教科につながる多様な分野や領域の教育に言及しながらも、「② 具体的な教育内容の改善の方向」、「1)国家・社会の形成者としての資質の育成等」の「イ豊かな人間性と感性の育成」では、「文章や詩歌の音読・暗唱を通じ自然や芸術の美しさの実感的な理解を重視」や「算数・数学でねばり強く考え抜くことによる達成感や自信も重要。」などと明らかに国語や数学教育の学力向上を強く意識していることがわかる。ここで芸術教育に関する記述がないことはまったく理解ができない。
実際、「なぜ子どもの基礎学力が低下しているのか」ということの真の原因の解明もままならない中、結局は、週五日制の維持、総合的な学習の時間の継続という前提の下で、国語と理数系科目の授業時数の拡大と、英語科目の導入のための授業時数をいかに獲得するか、ということに終始している。「合科」など、授業時数を中心とした教科の枠組みの検討や、学校の裁量権を認めた弾力的運用の提案も、前半に掲げられた教育理念との具体的・有機的な関
係が不明確なまま、ただ授業時数捻出のための詭弁にしか見えない。
このままでは、「生きる力」を育み、総合的な「人間力」を育てることに欠くことの出来ない「芸術を理解し愛好する能力と態度」の育成、文化的発展といった面で、諸外国に大きく水をあけられることになり、わが国の未来にさらなる大きな禍根を残すことになるまいか、との危惧を抱かざるを得ない。
今日の学力問題は、単純に教育制度だけの問題ではない。むしろ、少子化や高齢化、経済の破綻などによる社会不安、家庭や地域社会の教育力の低下、社会モラルの低下など、子どもたちの学習へのインセンティブを低下させている要因は、我々の社会全体に複合的に存在し、また深刻化している。教育制度以前に、社会全体の変革が求められているのであり、それを、教育の問題にすべて被せているのは、政治全体の問題の教育問題へのすり替えだとも言える。
確かに教育の大枠における「総合的な学習の時間」の比重は見直すべきと考えられるが、単純にその枠組みを特定教科に傾斜させることだけでは、問題の解決には繋がらない。急激な速度で揺れ動く不安定な社会の刹那的要請に振り回されるような対処的な改訂にならないよう、慎重に検討していただきたい。

日本美術教育学会が今回意見として提出したのは、あくまでも「審議経過報告」に対応させた意見としてのものであるが、問題は、もっと教科教育そのもののあり方の質が議論されなければならないと強く考える。教科教育のあり方そのものの反省をふまえた改善無くして、制度をどのように改変したところで問題の解決には繋がらない。それは、残念ながら美術教育においても同じであり、教師のイメージを子どもを使ってつくらせるような作品主義や、学習内容を無視した放任放縦の実践がまだまだ見られる点は大きな反省点である。
本学会がおこなった実態調査などから鑑みても、決してすべての「図画工作科」や「美術」の学習指導が適切に行われているとは言えないのであり、こうした点を是正していくための詳細なガイドラインを示すことを優先しなければならないと考える。
しかし、また子どもの成長や発達を正しく理解し、その目標の達成に向けた指導の工夫が十分になされた実践も数多く存在する。こうした優れた実践モデルと専門的な研究成果の有機的な連携により、より有意義で効果的な教育が実現できるようにしていくことが望まれる。日本美術教育学会は、その中心的な役割を担っていく責務があると自覚しているが、その同じ立場から、小学校・中学校ともに、芸術教科の年間70時間、「図画工作」「美術」については週時数として連続した2時間の授業時数を最低保障した上で、選択教科、総合的な学習の時間、特定教科の重点化を行うべきであると考える。

☆日本美術教育学会
http://www.aesj.org
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団体 zoukeidaiji Sun, 02 Apr 2006 23:47:57 +0900 2006-04-02T23:47:57+09:00 【重要】中央教育審議会教育課程部会が意見募集開始! http://zoukeidaij.exblog.jp/3275205/http://zoukeidaij.exblog.jp/3275205/
中央教育審議会教育課程部会「審議経過報告」に対する意見募集について

先日、 教育課程部会「審議経過報告」が出されましたが、その中で「意見募集」についてアナウンスされていましたが、早くもこの募集が開始されました。

来年までに指導要領改訂の完了が予定されていますから、そのことから考えると、今回の意見募集は今後の方向をつくっていくうえで、きわめて重要なものとなると思います。
今後各教科の部会も開催されていくと思われますが、予測としてはここで上げられた意見等は参考にされるのではないでしょうか。

なお教育課程部会でも美術音楽を大事にしている発言等もありますから、これらのご意見を補強するような意見も大事なのだろうと思います。

なお、意見募集は3月29日までとなっています。

《押さえておきたい内容》

中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 芸術専門部会(第3回)資料6と7

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よろしければ、送付したご意見をこのブログに投稿してみませんか?そられのご意見を交流することも非常に価値があると思います。(ただし、教育課程部会に送付する意見には氏名の他にも身分を明らかにしなければなりませんが、このブログへの投稿は、公開してよい物だけを送付してください。)

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未分類 zoukeidaiji Wed, 01 Mar 2006 22:36:35 +0900 2006-03-01T22:36:35+09:00 美術教育に関するアンケートからいろいろ考えてみませんか http://zoukeidaij.exblog.jp/3247445/http://zoukeidaij.exblog.jp/3247445/ 美術教育のこれからを考えていくにあたり、客観的判断材料にもなると思います。
この場所を「美術教育関するアンケート」のトラックバックセンターにしたいと思います。

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教育関係者だけではなく、皆さんとともに考えていけたらと思っています。
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未分類 zoukeidaiji Fri, 24 Feb 2006 11:13:18 +0900 2006-02-24T11:13:18+09:00 「審議経過報告」をもとにいろいろ考えてみませんか。 http://zoukeidaij.exblog.jp/3235720/http://zoukeidaij.exblog.jp/3235720/
2月13日「中央教育審議会 初等中等教育分科会教育課程部」から「審議経過報告」が出されました。来年の指導要領改定前に注目すべき内容です。

そこで、このたび、私のブログ「美術と自然と教育を」(http://yumemasa.exblog.jp/)で、「審議経過報告」についての分析をすることにしました。
分析すべきことは、たくさんあるため、シリーズ化します。更新するたびのこの記事にTrackBackさせていただきますので、下のTrackBackをたどって、ご覧いただけると助かります。

教育関係者だけではなく、皆さんとともに考えていけたらと思っています。

☆美術と自然と教育と]]>

未分類 zoukeidaiji Wed, 22 Feb 2006 00:55:46 +0900 2006-02-22T00:55:46+09:00 https://www.excite.co.jp/ https://www.exblog.jp/ https://ssl2.excite.co.jp/