田の神様に出会う! (original) (raw)

芦北郡津奈木町の津奈木美術館を久々に見学。イベントのチラシでたまたま、田の神様の紹介があり、その場で田の神様に心奪われてしまった。まずはともあれ出かけて行くと、棒に当たる。この日の出会いは幸運だった。日本石仏協会の会員(誰でも入会できます)の僕にとっては、無知、知ったかぶりの晴天の霹靂、天狗の鼻をひん曲げられた格好となった。

石仏の中で「田の神様」なるユニークな存在があるなんて!可愛い、親愛なる神様と出会えるなんて!田の神様は主に鹿児島、宮崎に点在し、熊本ではまだ2体しか発見されていないとの事だった。1体は津奈木町、もう1体は水俣市

初めての農村、目印も何もなかったので最初は探すに困ったが、近くに諏訪神社があり、神社の階段からあたりを見降ろすと、広大な緑の田の真ん中に鎮座されている姿が見えた。田の神様のスタイル、由来は修験の流れ、お寺の信仰からなど、いろいろな流れがあるらしい。右手にしゃもじ、左手にお茶碗。

米不足と言われる昨今だけど、ここは今年も豊作。葉が緑にとんがり、その中の茶色の稲穂が実り、秋風が吹くとさやさや、うねり、揺れる緑の稲穂の海がある。

この村は美しい。道は整然として、ゴミや放置された農具もない。はっと空気が澄み渡っている。稲穂の緑を用水路が区切り、勢いよく山水が流れている。田の神様は守り神。豊作を願い、農家とともに豊作の喜びを分かちあう。辛い農作業の中でも田の神様は微笑み、大丈夫、大丈夫と支えてくれる、我らが神様なのだ。過去には田の神様の貸し借りもあったそうで、不作の地域の農民が豊作の地区の田の神様を誘拐…そして、豊作になると田の神様と一緒にお米やお酒を添えてそっと田の神様が返されていたという。

「米が高いなら、少ないなら、外国の米を買えばいい。そして安く、買いたたけばいい。」昔はこんなことを平気で言う、政治家がたくさんいた。(今もそう思って居るのだろう) その考えでここ数十年、農政は運用されて来た。進歩どころか大きな退歩なのだ。

10数年前、僕は友人の運営する農業を支援するNPO法人の理事を頼まれた。田植えイベントや農作業の手伝い、商品企画、販売、先進地へのバスツアー。一通りの事業はやった。農業県熊本と言いながら、農業をテーマにしたNPOはそこしかなかったのだ。そんなNPOがやる事業は農協がやればいいのだ。やっている事は地域興し協力隊の活動と同じなのだ。結果そのNPOの活動は行政からの補助金が無くなると活動は完全停止した。

僕はその活動が停止する前に理事を辞めた。彼らからしたら、逃げたと思ったにちがいない。そして2010年、小さな農産物の販売会社を設立した。単純に言えば気に入った農産品、品質の安定したものを仕入れて売る。どこにでもある、零細な一商店としてスタートしたのだ。特別なことではない。

数年前、あることがきっかけで、棚田の復興を取り組む地区の人から声を掛けられ、また田植え、稲刈りに参加した。幼稚園児が田植えの真似をするのと同じ、いい大人が田植えの真似をして汗をかき、充実感に浸る。それでも絵になる風景、ニュースになる風景。マスコミは飛びつき参加者の活動をほめ讃えた。昔と同じ構図。

気が着くと、お祭りの後、僕らが植えたゆがんだ苗をこっそり、地元の農家のおじいさん、おばぁさん達が植えなおしていた。収穫の秋、稲穂の中身はスカスカだった。休耕田に水をはり、田植えしただけでは土に栄養分も無かったのだろう。素人がただ植えた稲の実の入りは少ない、結果は正直。そう簡単に美味しい米がたくさん収穫できるはずはない。つまり誰も「真剣に農家」をしていなかったわけなのだ。マスコミに取り上げられ、喜色満面、彼らの望む汗まみれの笑顔を振りまくだけ。田植えのイベントは幼稚園児にまかせて、大人はもっと真剣にやらないとダメと言う事なのだろう。農家が減少と言いながら、各地痩せた、耕作放棄地ばかり、一般からの農業参入を阻む壁は何なのだろうか?

日本に米がないなら、外国の米を買えばいいと言うなら、日本の政治家に能力がなく、

今の米騒動が起こっているのなら、外国の能力のある人材を政治家にしたらよいと思う。

「まぁ、まぁ、そう、カッカしなさんな」と僕を諭す、田の神様の顔は、テキスト書いているうちに、何だか、泣いているようにも見えてきた。