敬老の日と老人の日 (original) (raw)

敬老の敬を捨て去り老人の日

(「老」という字の成り立ち )

まったくもって恥ずかしい話だが、敬老の日老人の日とがそれぞれ別物であるということを初めて知った。

9月15日が老人の日、9月の第3月曜日が敬老の日なのだと言う。私はてっきり敬老の日がなくなって老人の日になったのだと思っていた。掲載した句はそんな間違いからよんだもの。

それにしても、自分のことはさておき、高齢者が急増している。今年の100歳以上は9万2000人だという。調査を始めた1963年が153人で、81年に千人を突破。98年には1万人を超えた。長生きはもちろん祝うべきだが、現実的には死にたくてもなかなか死ねない辛い時代ともいえる。老々介護も増えているはずだ。

さて、「老」という漢字の成立にはいろいろ説がある。(上記参照)

ネットで調べると最近では、甲骨文の分析から、「長い白髪の腰の曲がった老人が、杖をついている」様子を表した象形文字、だという通説となってきているという。老人は髪が長いというのだが、私とはだいぶ様相が違う。

この「老」という文字は、いま日本ではマイナスイメージだ。衰弱し、覇気がなく、判断も朦朧とした、弱々しいというイメージが付きまとう。それを避けようとして「高齢者」という客観的な無機質な表現が、マスコミ、ひいては世の中に流布している。たとえば老人医療ではなくて高齢者医療という言い換えの類だ。

しかし元々は、年長者は尊敬されるべきものだった。その経験知識、保守的なバランス感覚などが安定した世の中に重要だったのだろう。落語に出てくるご隠居さんは物知りで、長屋のまとめ役を務めていたのが分かりやすいイメージだろう。地域の祭りを執り行うのも伝統をよく知る年寄りの出番だった。

だが今の社会は変革があまりに急なので、今日の知識は明日には古くなってしまう。技術も常識も日々新しくなる。年配者はついていけずに、私自身パソコンはいつも職場の若い衆に教わっていた。極端に言えば、社会では老若の知識が逆転してしまった。そうして都会の年寄りは地域の縁を持たずに老人となり、いまは無用の長物、医療費ばっかりかかるお荷物となり果てている。(もちろん例外も多い)

中国では「老」という漢字は、元来、尊敬の念を含んだ表現であり、 日本語とは逆によい印象を与える言葉 となっている。今でも、誰もが崇拝している人物に対しては、 「老人」という言葉を使い、たとえば孔子を 「孔子先生」や 「孔子老人」とよび、敬意を「老」という言葉で表現している。(「高齢者」、「老人」、「年寄り」という言葉のニュアンスの違いについて:李蓮花 劉麗芸を参考にしました)

これを読むと「老」とはやはりいい言葉なのだと思えてくる。鉄腕アトムにはお茶の水博士、ジャングル大帝にはマンディ?など、助言者としての長老がいた。

ふと思いだしたが、ドイツでもバッハは晩年「老バッハ」と呼ばれていた。

バッハが最晩年にベルリンを訪れ、フリードリヒ大王に拝謁した折に、大王からテーマをいただいて即座にそれを6声部のフーガで演奏し、さらにその後「音楽の捧げもの」という大曲に結実させたということは、よく知られている。

ある晩のこと、いつものように室内楽の音楽会を準備していた時に、官吏が客人の到来を知らせる報告書を持ってくる。

「国王はフルートを片手に持ちながら書類に目を通していたが、そこに参集していた宮廷楽団員の方にすぐさま向きを変え、心の動揺を押さえかねたような態度でこのように言った。「諸君、あの老バッハがやってきたのだ!」(フォルケル「J.S.バッハ」)

自民党の総裁選挙を見ていても、こんな状況でも例えば中国やロシアと話ができる、渡りあえる長老的存在が、やっぱり政治には必要で、そういう存在がないとしたたかな外交など全くもって無理な話だと思わざるを得ない。

老人が老人を祝う敬老の日