極楽 (original) (raw)
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極楽(ごくらく、梵: sukhāvatī、スカーヴァティー、蔵: bde ba can、デワチェン[注釈 1])とは、阿弥陀仏の浄土であり[1]、「スカーヴァティー」とは「幸福のある(ところ)」の意味[1]。須呵摩提、蘇珂嚩帝などと音写され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。『大阿弥陀経』では須摩提[2]、『平等覚経』では須摩提[2]、須阿提[2]と音写されるが、これらはサンスクリット形ではなく俗語形とされる[2]。「極楽浄土」とも言われる。
極楽を描いた場面。『報恩経変相図』(唐代)
阿弥陀如来が法蔵菩薩であった時に立てた四十八願の一つである三十五願「女人往生願」により、女性が極楽浄土に生まれかわると男性となるとされている。ただし天女(アプサラス)はいる。『法華経』サンスクリット本の観世音菩薩普門品によると、極楽浄土では性交が行われない代わりに、蓮華の胎に子供が宿って誕生するという。
極楽を描いた場面。『薬師浄土変相図』(唐代)
親鸞の解釈
親鸞は『唯信砂文意』に「極楽無為涅槃界」を下記のように釈している。
「 | 「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり、曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。 | 」 |
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つまり極楽とは、苦しみのまじらない身心共に楽な世界ということであり、悟りを開く境涯である。
『阿弥陀経』には「其の国の衆生、衆苦有ること無く、但だ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」という。このように語られているところから、日本人は、思いが適えられる結構な世界と考えてきた。平安時代の貴族たちは、さまざまな工夫を凝らして、死後に「極楽」に生まれることを願ってきた。[3]
注釈
- 訛化して「デチェン」(bde chen、大楽)とも呼ばれる。