『千と千尋の神隠し』 (original) (raw)
※以下は、2012年の金曜ロードSHOW!での放映時に書いた感想に一部加筆したものです。
監督:宮崎駿、声の出演:柊瑠美、入野自由、夏木マリ、菅原文太ほか、スタジオジブリのアニメーション映画『千と千尋の神隠し』。2001年作品。
第75回アカデミー賞長編アニメーション賞受賞。
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小学生の千尋(柊瑠美)は引っ越しで両親(内藤剛志、沢口靖子)とあたらしい家にむかう途中に、道に迷って不思議なトンネルをみつける。そこを通ると、まるでテーマパークの残骸のような町が広がっていた。しかし、店にあった食べ物を勝手に食べた両親はブタにされてしまう。両親をもとの姿にもどすために少年ハク(入野自由)の導きで「油屋」に入り込んだ千尋は、そこの女主人・湯婆婆[ゆばーば](夏木マリ)の下で働くことになる。
以下、ネタバレあり。
これは宮崎駿版「不思議の国のアリス」といったところだろうか。
もっとも「アリス」は地口(じぐち)が多用されるナンセンス文学で、その内容は「少女の通過儀礼」を描いたこの『千と千尋』とはだいぶ肌合いが違うが、一方で共通点も多い。
「アリス」のモデルとなった少女アリス・リデルが10歳のとき、作者のルイス・キャロル(チャールズ・ドジソン)はこの物語の原型を彼女とその姉妹たちに話したのだった。
千尋もまた10歳という設定。
宮崎駿はインタヴューで、この映画を「友人たちの2人の娘のために作った」といっている。少女たちの年齢は10歳であった。奇妙な符合ではある。
さて、『千と千尋の神隠し』は宮崎駿が自分の監督作品ではじめて現代の日本を舞台にした作品である。
この映画を観てまず気になるのは、主人公の千尋、そしてその両親の顔のデザイン。
従来の宮崎駿が描く少女とはあきらかに違う、瞳が小さくてしもぶくれ気味の、ハッキリいえば「可愛くない」その顔が公開当時わりと話題になったと記憶している。
おなじように瞳が小さい母親の顔も、たとえば『魔女の宅急便』(感想はこちら)のキキの母親コキリや『崖の上のポニョ』(感想はこちら)の宗介の母親リサとくらべてみると不気味なほど無表情で、その体型もリアルな中年女性のもの。
キャラクターデザインは安藤雅司で、意図的にいつもの宮崎アニメの登場人物とは異質の造形をねらったものとみえる。
僕はこの映画を最初に映画館で観たとき以来、千尋というのはどこか無気力な女の子で、両親とのあいだもなんだか冷めている、という印象をもっていた。
それがひさしぶりにTV放映で観てみたら、多少空回りしているとはいえ父親は明るくて好奇心旺盛な人だし、母親もトンネルで怖がって身を寄せてくる千尋に「そんなにくっつかないでよ、歩きづらいわ」というところはあいかわらず冷ややかではあるが、特別冷めた家族という感じはしなかったのだ。
千尋が車のなかで憂鬱そうな表情をしていたのは仲がよかった友だちと別れて見知らぬ町に転校しなければならないからだし、その後もトンネルのむこうにあった不思議な町に尻込みするものの、「無気力」というほどではなく、ちょっと引っ込み思案なぐらい。
しかもそれも比較的早い段階でクリアされる。
冒頭部分ではアニメっぽさを抑えた写実的な描写がされているので(その後、次第に千尋はいつもの宮崎アニメらしい漫画的な誇張された表情や動きを見せてくれるようになるが)なんだか地味な印象をうけてしまうけれど、彼らはどこにでもいる「普通の家族」なのだ。
それだけに、無人の店に用意してあった食べ物を両親がことわりもなく食べはじめてしまう場面はじつに異様。
ふたりは大きな肉のかたまり*1を2口ぐらいでたいらげて、皿にとった山盛りの食べ物を次々と口に放り込んでいく。
その様子は千尋でなくてもとても尋常とは思えず、はやくもこれが彼女が見た夢なのではないかと思わせる。
両親が普段見せない異常な振る舞いをする、というのは子どもにとっては恐怖だ。
この場面ではそれがじつに強烈に表現されていて、非常に怖い。
宮崎駿は千尋の両親に子どもをもつ現在の親たちを象徴させていて、彼らにはかなり手厳しい。
この両親だって毎日一所懸命働いて娘を養っているだろうに、この映画では親は子どもを守る力強い存在ではなく、無力で食い意地の張ったブタとして描かれる。
むしろ千尋の両親に対する強い愛情の方が強調されている。
彼女を教育するのは親ではなくて、銭婆[ぜにーば](夏木マリ:二役)や釜爺(菅原文太)など祖父母のような存在。
親が活躍すること自体きわめてすくない宮崎駿作品(だから『ポニョ』の母親はちょっと新鮮だった)のなかでもずいぶんと悪意が込められているように感じられるこの『千と千尋』の両親像は、宮崎駿の若い親たちに対する不信感のようでもある。
水干のような着物を着た少年ハクが千尋を助け、彼女は両親を救うためにさっそく湯婆婆が経営する「油屋」で働くことになる。
ところで、この「油屋」は湯屋、つまり昔の売春宿である。
驚く人もいるようだが、宮崎監督自身が『千と千尋』は売春宿の話だ、と暗にいっている。
このことについては映画評論家の町山智浩さんが言及しているけれど、町山さんが資料としてあげている日本版「プレミア」2001年8月号(6月21日発売)での宮崎監督のインタヴュー記事は、僕も公開当時に読みました。
だからこのアカデミー賞長編アニメーション賞まで獲った作品が、堂々と売春宿を舞台にしていたことは事実(これについては異論・反論も存在するが、僕は映画を観て、たとえば油屋で千尋が着ている背中丸出しの下着姿の描写などからもやはり町山氏の指摘は信憑性があると思う*2)。
千尋は湯婆婆に自分の名前を取り上げられて、「千」という“源氏名”を付けられる。
ただ、別に風俗業じゃなくても接客業の経験がある人なら、この映画で描かれている湯屋の描写にはリアリティを感じるんじゃないだろうか。
この映画の前半で語られるのは「働くこと」についてだ。
湯女(ゆな)や蛙男たちはまさにサーヴィス業の人々で、風呂のボイラーを担当している釜爺は職人である。
誰もが忙しく立ち働いていて、もたもたしている者は仕事の邪魔なのでぞんざいにあつかわれるし、礼儀にも厳しい。
釜爺には「手ェ出すなら仕舞いまでやれ!」と叱られるし、千尋を指導することになったリンが「釜爺にお礼いったのか?世話になったんだろ」と注意するところなんかもよくある光景。
何度ことわられても「働かせてください」とお願いしつづけろ、というハクの言葉どおりにした千尋は、ようやく湯婆婆に取り次いでもらえることになる。
働く意欲がなければ仕事にありつくことはできない。
逆にやる気と努力、才能があれば上から引き立ててもらえる場合もある。
ハクがくれたおむすびを食べる千尋が大粒の涙をぼろぼろ流して、ついに声を上げて泣きだす場面ではおもわず映画館で落涙してしまった。
働くのは大変。そして精一杯働いたあとのおむすびのおいしさは格別。
それにしても、わずか10歳の少女に労働や社会の厳しさを教えたこの映画で宮崎監督が意図したものはなんだったのだろうか。
劇中で千尋は湯婆婆から「グズで甘ったれ」といわれていて観ているこちら側もそう思い込んでいるけど、でも映画をよく観ていると千尋がグズで甘ったれている描写はないし(両親に何度も「帰ろう」といっていたのは甘えではないだろう)、やがて自分で考えててきぱきとオクサレ様に薬湯を流したりする。
悲しくて泣いても、湯婆婆にいわれたとおり「イヤだ」とか「帰りたい」と口にしそうになる気配もない。
わがままもいわず礼儀正しく、自分の面倒を見てくれるリンともうまくやっていく協調性もある。
雨のなかで立ちつくしているカオナシに「ここ開けておきますね」というような気配りも見せる。
宮崎監督としてはきっと千尋をひ弱な現代っ子として描いたつもりなんだろうけど、でもやっぱり千尋はほかの宮崎ヒロインたちと同様に「しっかり者」なのだ。
『ラピュタ』(感想はこちら)で海賊のボス・ドーラに「グズは嫌いだよ」といわせているように、きっと宮崎監督自身がやる気がなかったり動きのニブい使えない人間が嫌いなのだろう。
千尋がいつまでもモタモタしていて仕事ができないままでは話が先に進まないから、というのもあるんだろうけど、彼女がもともと誘惑にも負けず自分の意見をハッキリといえる子であることは、カオナシに山ほどの金の粒を見せられても即座に「いらない」と答えることからもわかる。
「カオナシは宮崎駿自身のことである」といわれて、監督本人は「みんなのなかにカオナシがいる」といい返している。
じつにいいわけがましいが^_^; カオナシとは、10歳の女の子に執着する男のこと…ではなくて、“肥大した所有欲や支配欲”のメタファーだろう。
そしてこのカオナシはわがまま三昧だった巨大な引きこもりの赤ん坊“坊”と同様に、千尋の旅に同行することでいつしか癒されて無害な存在に変わる。
恐ろしくてシリアスな展開とともに随所にユーモラスなシーンもあって、千尋が急な階段をものすごいスピードで駆け下りて壁にぶつかったり、オクサレ様に触られてゾワゾワァ~ッとなったまま固まって歩く姿など、宮崎駿作品ならではの「人物や物体の動き」でみせるギャグがじつに楽しい。
映画の冒頭ではダルそうで元気のなかった千尋も、いつしか表情豊かで活発な女の子になっている。
ただ僕はこの作品を観るたびに、ここで描かれる世界はちょうど『インセプション』(感想はこちら)の夢の世界がそうだったようにやたらと独自の決まり事が多いので、けっこう混乱する。
湯婆婆がハクを使って双子の姉の銭婆から盗んだ印鑑はいったいなんだったのか。
坊がネズミに姿を変えられて、おなじくファンシーな姿に変身させられた湯バードとともに千尋の旅についていくのは映画の終盤なので、その短いあいだで彼が千尋の味方になってしまうのは唐突に感じる。
また、最初は恐ろしげなキャラクターとして登場した湯婆婆は、坊や千尋に優しく接する銭婆の登場で相対化され、やがて千尋が乗り越えるべき障害ですらなくなってしまう。
敵対していたはずの湯婆婆と銭婆のあいだにも特に決着がつくことはなく、千尋が並べられたブタたちのなかに自分の両親はいないことに気づくクライマックス(どうしてわかったのかは不明)も、なんだかムリヤリ大団円、という感じがした。
さまざまに魅力的な場面が散りばめられてはいるが、このカタルシスがまったくない後半にずいぶんと戸惑いをおぼえ、それが僕にこの映画を絶賛することを躊躇させてもいる。
理屈で話の筋を追おうとすると疲れてしまう。
やはりこの映画あたりから宮崎駿の「ストーリーの解体」がはじまっていたのかな、と(ほんとうは前作『もののけ姫』→感想はこちらですでにはじまっていたと思うが)。
安心して観ていられないのだ。
どこへ連れていかれるかわからない、という不安感がずっとついて回る。
だからこれは理屈ではなく感覚的に「観る快楽」に浸るか、あるいは映画のなかのさまざまな事象を「これはいったいなにを意味しているのか」とあれこれ考えながら観る作品といえるだろうか。
観客はあたえられた物語をただながめているのではなくて、自分自身で想像力を駆使してこの映画に参加することができるということだ。
それでも僕は従来の古典的な物語の構造から逸脱しているこの映画のストーリーになんともいえないイビツさを感じて、惹かれつつも「気持ち悪い映画」という印象をもちました。
今回、この映画の感想を書こうとしてかなり苦戦したんだけど、それは観終わった直後ですらこの映画のストーリーがなかなか思い出せなかったから。
そのぐらい物語が頭に入ってこなかった。
しかも千尋は映画のなかであれほど大活躍するにもかかわらず、けっしてわかりやすい形で「成長」しない。
これが少女の成長物語ならば、冒頭のトンネルで怖がって母親にくっついていた千尋は最後にはひとりで歩けるようになっているといった変化が必要だが、見た目、彼女がどこか変わったという描写はない(ただ、最後に千尋の髪には銭婆からもらった紫色の髪留めが光っている)。
そればかりか、おそらく彼女はあの不思議な体験をおぼえてはいない。
ハクは最後に「そなたが忘れてしまっても、私はそなたをおぼえているよ」という。*3
ハクはイケメンの少年でその正体は白い龍だが、ハク=「ニギハヤミコハクヌシ」というのはつまり“宮崎駿”のことだろう。
これは、ハクから見た千尋、ようするに宮崎駿の少女へのまなざしの物語なんである。
観客はハク、すなわち宮崎駿の目となって千尋という少女を見守ることになる。
そして、千尋を守ろうとするハクと千尋を欲して暴走するカオナシは、宮崎駿の表と裏の面といえる。
千尋が以前母親から聞かされた、琥珀川で溺れそうになって助かった話を思い出す場面で、千尋の片方の靴が川に流されていく。
『トトロ』(感想はこちら)で田んぼのなかでみつかった子ども用のサンダルが不吉な予感をおぼえさせたように、千尋もまたあのときもしかしたら助からなかったかもしれない。
かつてハクによって助けられた千尋は、いまこうして生きている。
そして今度は彼女が、自分の名前を忘れ体じゅう傷だらけになって苦しんでいたハクを救う。
千尋はハクや油屋での出来事をおぼえていないかもしれないが、彼女がいま生きているそのことが映画を観てきた者にとってはただひたすら嬉しい。
この映画は10歳の少女への応援歌であるとともに、その少女に救われたオヤジの物語でもあったのだ。
それをわざわざ売春宿を舞台にして描いた宮崎駿のブッ飛び方には、確信犯的な(←まさに正しい意味での“確信犯”)狂気すら感じる。
やがて宮崎監督は5歳の少女と「好き!」といいあっていっしょに暮らすという彼の“夢”を『ポニョ』で描くが、今年公開される最新作では、その優しそうな顔の下に渦巻くカオナシ的欲望でまたしても戦慄させてくれるのだろうか(『風立ちぬ』の感想はこちら)。
僕は宮崎駿監督の映画には、老いてなおジブリの若手監督たち(吾朗ちゃん含む)からはいっさい感じられないマグマのような熱と危険な香りを嗅ぎとるのだ。
無論、それが宮崎アニメの大きな魅力のひとつであることはいうまでもない。
※菅原文太さんのご冥福をお祈りいたします。 14.11.28
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