日光脇往還とは 地理の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

日光脇往還

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地理

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にっこうわきおうかん

千人同心街道

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散歩の途中2年前

利根大堰を渡り利根川堤防を川俣へ歩く見沼代用水路を起点の利根大堰へ歩いたあとの記録です。 利根川にかかる利根大堰の管理橋、武蔵大橋を渡って群馬県に入り、利根川堤防を下流方向へ川俣宿跡を通って東武伊勢崎線川俣駅まで歩きました。 最初は利根大堰付近から利根大堰で取水された水が堤防の外へ流れてきていくつかの水路に分岐する(大分水工)手前、ここは含まれる砂などを沈殿させる沈砂池でもあります。 利根川右岸堤防から見下ろして 利根川方向こちらが利根大堰全景 全部で11の堰柱が立ち、各間に門扉(ゲート)が10あって利根川水位の調整を行います。 水位がやや上がった大堰上流側、手前側に見える取水口と堤防に設けられた樋管を通って分水工へ水を通します…

#利根大堰#利根川#日光脇往還#川俣宿

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今へ続く街道を歩くと3年前

今へ続く日光千人同心街道を歩くと今へ続く日光千人同心街道を歩くと このブログの目的の一つは、今へ続く街道の様子を備忘録として残すことにありますが、脇往還になると名所・旧跡は少なく、どうしても「こっちの道に入って」とか「この坂道を上って」などの表現ばかりになってしまいます。ひょっとしたら、自分の家の前の道が、昔の街道筋だとは知らない人も多いのではないかと思ったりします。 この街道は、日光脇往還とも呼ばれ、江戸時代を通して、千人同心で構成された日光火の番が往復していた街道ですが、多摩地区と北関東の物資を繋ぐ道であり、大山や富士山詣での道でもあったようです。一里塚があったのかはよく分かりませんでしたが、旅する人々にとっては道標が重…

#日光千人同心街道#日光脇往還#日光火の番#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(6)茂林寺前から佐野 その32015年12月5日 田島 日光千人同心街道は県道7号を横断します。かなり交通量の多い道ですが、左手の信号機のある交差点に横断歩道があるのでちゃんと渡れます。県道を横断して、並走する東武線の踏切を越えるとすぐに、道は突き当たるので左折します。用水路の脇を進むと国道50号の下をくぐります。

#日光千人同心街道#日光脇往還#天明宿#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(6)茂林寺前から佐野 その22015年12月5日 館林城 館林女子高前のT字路を右折すると、右手は市役所、左手には広場が広がります。この広場は二の丸跡で、その向こうに見える石垣から向井千秋記念子ども科学館のあたりが本丸跡と言われています。

#日光千人同心街道#日光脇往還#館林宿#館林城#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(6)茂林寺前から佐野 その12015年12月5日 青柳 今年の4月に、ここ茂林寺前駅を訪れて以来、約8か月ぶりとなります。今日は日光千人同心街道の最終区間である天明宿まで歩く予定です。茂林寺前駅に電車で着いて、9:10から歩き始めます。まずは、本日のスタート地点である茂林寺入口交差点を目指します。

#日光千人同心街道#日光脇往還#館林宿#館林城#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(5)行田市から茂林寺前 その32015年4月18日 川俣宿日光口 川俣宿を歩き始めて5分強、邑楽(おうら)用水路を渡る手前、右手にある広場には川俣宿碑と説明板が立っています。説明板によるとこのあたりが川俣宿の終わりになっています。利根川を渡る川俣の渡しは、別名、富士が見えたことから富士見の渡しと呼ばれていました。また、この地は宿場町のみならず、利根川を利用した船運によっても栄えていました。

#日光千人同心街道#日光脇往還#川俣宿#茂林寺#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(5)行田市から茂林寺前 その22015年4月18日 荒木 日光千人同心街道は荒木交差点を右折します。しばらく荒木地区を歩きます。天気は快晴です。だいぶ暑くなり、少々、汗ばんできました。

#日光千人同心街道#日光脇往還#新郷宿#川俣宿#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(5)行田市から茂林寺前 その12015年4月18日 忍宿 行田市駅に8:00頃到着しました。花粉の時期を避け、2か月ぶりです。天気は晴。風もなく暖かいです。8:05からTシャツ+シャツ+ソフトシェルの恰好で歩き始めます。桜はすでに散ってしまい、ハナミズキの花の季節になりました。

#日光千人同心街道#日光脇往還#忍宿#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(4)東松山から行田市 その32015年2月11日 鎌塚 鎌塚交差点まで迂回して国道17号を横断し、日光千人同街道の続きの道まで戻ります。左折して街道に入ります。

#日光千人同心街道#日光脇往還#忍城#街道歩き

今へ続く街道を歩くと3年前

日光千人同心街道(4)東松山から行田市 その22015年2月11日 大芦の渡し 県道66号の側道に入り、その先の荒川の土手に立つと、右手に水管橋、左手に大芦橋を見渡すことができます。河川敷は広々としています。 このあたりには大芦の渡し場があり、かつては、渡し舟で荒川を渡っていたそうです。

#日光千人同心街道#日光脇往還#吹上宿#街道歩き

すごいぞ 関東平野6ヶ月前

八王子千人同心が駆け抜けた街道 武蔵高萩の日光街道杉並木タイムスリップしたみたい…? 今回は、埼玉県日高市にある、武蔵高萩駅に来ました。川越駅からJR川越線で西に4つ目の駅です。 現在は鉄骨造の橋上駅舎に建て替えられましたが、旧駅舎にはなんと貴賓室がありました。昭和天皇が陸軍航空士官学校(現在の航空自衛隊入間基地)に行幸する際に、当駅をご利用されたのです。 ホームの高さにご注目 普通の地上駅では、「線路の高さ≒地面の高さ」なので、駅前ロータリーからプラットホームへの移動は多少の段差が生じます。 しかし当駅は写真の通り、駅前ロータリーとプラットホームの間に段差はありません。原宿駅の宮廷ホームと同じように、賓客に上下移動をさせないように配慮した、格式の…

散歩の途中7ヶ月前

立川崖線に沿って歩く その4 昭島拝島町から羽村羽中まで昭島市拝島町から多摩川上流方向へ崖線沿いを歩きます。現在地付近からは小さな段丘が複数段重なり崖線も複雑になってきます。もはや立川崖線と一意に定まらないので単純に『崖線』を使うことにします。 最初に崖線位置を示した例の地図〈ちょっと改良したつもり版〉を 《地理院地図を使用してカシミール3Dで加工しています》 前回の続きとして、階段部分を崖線が通っている拝島山普明寺大日堂前 最初の地図では中央やや右下の赤まる位置になります。今回はここからスタート。 大日堂の両隣りには普明寺薬師堂、日吉神社本殿が並びます。その東隣りにある拝島大師(本覚院)など付近の寺院はここ大日堂の子院として建立され、別当寺だった…

今へ続く街道を歩くと7ヶ月前

鎌倉街道上道(10)入間川から西大家 その22024年1月7日 女影 鎌倉街道上道の石碑から、住宅団地の中を道なりに直進して10分くらい歩くと霞野神社の前に出ます。 鎌倉街道は霞野神社手前で、二手に分かれます。東回りの道は途中で右折して住宅団地の中を通り、県道15号を横切って、JR川越線の鎌倉街道踏切を越えます。西回りの道は霞野神社の前を通って、女影交差点で県道と交差して、その先で女影踏切を越えます。 今日は西回りの道を通って霞野神社へ寄り、神社の脇から東回りの道へ入ります。

(元)野田線担当のガラクタ置場1年前

鴻巣市の街区(地名)表示板 [365・369-01]鴻巣市です。人形で有名なはずの鴻巣市です…後述しますが、人形という町丁があります。ちなみに近代関東三大ひな人形市は鴻巣・越谷・十軒店(日本橋室町)だそうですが。いま雛人形といえば、岩槻とか浅草橋ですかね? 中山道の宿場町で、1602年に今の北本市から移転してきました。移転後も熊谷宿との間は16.4kmあったため、あいだに吹上宿が間の宿として、また日光脇往還(千人同心街道)の宿場町として発展しました。 住所的には、街区符号に数字以外を用いる数少ない自治体です。市内に6か所あります。 はい、上でいろいろ語りましたが、多くの埼玉県民はこう思っているはずで、また、これの町としてしか知名度が無いというか…