「見えざる」低賃金カルテルの源泉 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) (original) (raw)

なんだかまたも低賃金カルテルの話題が一部で盛り上がっているそうです。

いうまでもなく、労働組合とは市場に任せていたら低くなりすぎてしまう賃金を団結の力で人為的に高くするための高賃金カルテルであり、そうはさせじとそれを抑える使用者団体がこれまた団結の力で人為的に賃金を低くするための低賃金カルテルであることは、(純粋経済学の教科書の世界ではなく)現実の産業社会の歴史から浮かび上がってくる厳然たる事実ですから、そもそも低賃金カルテルが経済学理論上どうとかこうとかというのは筋がずれている。経済学の教科書からすればアノマリーかもしれないが、現実の産業社会ではそれがノーマルな姿であったのですから。

問題は、今現在どこにも「こいつらにこれ以上高い賃金を支払わないようにしようぜ」と主張したり運動したり組織したりする連中が見当たらないのに、結果的にみんなあたかも低賃金カルテルを結んでいるかの如く賃金が上がらないのはなぜかという話であって、それを直接的に労働者に賃金を支払っている企業の経営者の心理構造に求めるのか、彼らが財サービス市場で直面する消費者という名の人々の行動様式によってもたらされているものなのか、もしそうならその原因はどこにあるのか、というようなことこそが実は重要なポイントであろうと思われます。

現在の日本では労働組合の力が弱体化してほとんど高賃金カルテルの役割が消え失せているため、わかりにくいのでしょうが、その現代日本でいまなお高賃金カルテルと低賃金カルテルが正面から目に見える形でぶつかり合っている世界があります。数少ないジョブ型労働市場において医療という労務を提供する人々の報酬を最大化しようとする医師会と、その報酬の原資を支払っており、それゆえその報酬をできる限り引き下げようとする健保連が、中医協という場で三者構成の団体交渉する世界です。個々の診療行為ごとにその価格付けをするという意味において、個々のジョブの価格付けをする欧米の団体交渉とよく似ており、逆にこみこみの「べあ」をめぐる特殊日本的労使交渉とは全く違います。

私の子供時代には、診療報酬の引き上げを求めて医師会が全国一斉にストライキ(保険医総辞退)なんてことすらありました。それくらい医師会という高賃金カルテルが強かったわけです。

面白いのは、他の分野では高賃金カルテルとして使用者側と対立しているはずの労働組合が、こと医療分野に関してはお金を出す側、医療という労務の供給を受ける側として、使用者団体と一緒に低賃金カルテルの一翼になっていることです。連合と経団連は足並みをそろえて「こいつら(医師)にこれ以上高い報酬を払わないようにしようぜ」と何十年も言い続けてきました。

私が思うに、この労働者側が(自分の属さない他の産業分野に対しては)低賃金カルテル的感覚で行動するという現象が、医療分野だけではなく他の公共サービス分野にも、さらには非公共的サービス分野にもじわじわと拡大していったことが、この「見えざる」低賃金カルテル現象の一番源泉にある事態だったのではないか。

もちろんその背後には、労働組合という高賃金カルテルが組織しやすかった製造業が縮小し、サービス経済化が進んだということがあるわけですが、普通の労働者が金を受け取ってサービスを提供する側、つまり高賃金カルテルになじみやすい感覚よりも、金を払ってサービスを受ける側、つまり低賃金カルテルになじみやすい感覚にどんどん近づいて行ったことは間違いないのではないかと思います。

(追記)

若干言葉が足りないところを補っておきます。

上記で、医師を「数少ないジョブ型労働市場において医療という労務を提供する人々」と呼んだことに、少なからぬ人が違和感を感じたかも知れません。社会階級論的に言えば、医師は弁護士と並んで最上級知識権力を享受する人々であり、実際所得階層的に見ても金持ちがいっぱいいるじゃないか、と。まさにその通りですが、しかしその高所得の源泉がその提供する「医療という労務」であり、金のあるなしを一切捨象した労務提供側か金銭提供側かという二分法で言えば労務提供者側として市場に立ち現れる人々であるという一点において、労働組合に団結して高賃金カルテルを遂行する労働者たちと何の違いもありません。

その最上級労働貴族層の高賃金カルテルを、普通の労働組合に組織される中間層的労働者たちが、より親近感を感じているのであろう使用者側と一緒になって、低賃金カルテル的に叩くという行動様式は、上か下かという階層論的にはよく理解できるとはいえ、労務提供側の高賃金カルテル叩きを当の労務提供側がやるという皮肉であったことも確かです。

この労務提供側の高賃金カルテルを、自分も別の市場では労務提供側であるはずの人々がそこではサービスを受ける側として叩きに走るというパターンが、限りなく低賃金層まで対象を下げてきたのが、いまの姿ではないのかというのが、上記だらだらした議論の言いたいことでした。

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