あまのじゃく: 極東ブログ (original) (raw)

2018.03.22

あまのじゃく

来年改元される。どうでもいいと思う。そもそも「平成」なんていう年号は使ってないし、人生の時間をそれで意識することもなかった。お役所で元号記入しなければいけないときは、「ええと、12を足してぇ」とつぶやく。2018に12を足して、頭の20を取ると、30。だから、今年は平成30年。来年は平成31で新元号だと大作元年になる。ってギャグ面白い?
とか言いつつ、自分も昭和の人だと思う。自分が生まれたのは、スプートニクが地球から投げられた1957年だが、同時に昭和32年でもある。あいつは永遠に宇宙をさまよっているんだろう。
こうしてみると、我ながら、すっげー爺さんになった気がする。が、人によってはそう爺さんでもない。佐川君とか同い年なのを最近知ったが、髪もふさふさして若々しい。そういえば、高校の同級生で、浪人しようなと言ってたのにすべり止めで成蹊大学に入って公務員になってどっかの大学の教授さんになったのがいたが、あんな感じだったか。
何が言いたい? いや、自分、昭和の人だと思う。昭和の真ん中あたりで生まれて、驚くんだけど、いまだに昭和の人生のほうが長い。で、いいかな。っていうかだいたい半分に来たか。いずれ、自分は昭和の人であるなと思う。明治34年生まれの草田男が明治を遠く思ったのは、学生時代のことだから、そう年食ってたわけでもなく、明治生まれの自分というものを思ったものでもないだろうが、自分についていえば、最近、なにかと昭和は遠くなりにけりと思う。
ふと、昭和言葉が頭に浮かぶときがそうだ。というのでふと思いついたのが「あまのじゃく」である。今でも使う?
ぐぐってみたら『あまのじゃくな氷室さん』というのが出てきたので、まあ、今の人でもわかる言葉なのだろうし、思うに、氷室さんはあまのじゃくなんだろう。ツンデレの言い換え? ツンデレとあまのじゃくは違うか。
漢字で「天邪鬼」とやってみても、まあ、そう死語でもなさそうだが、地方とかおっさんとかが使ってそうな印象はある。
でもなあ、なんとなく、あまのじゃくっていう言葉を聞かなくなった気がするんだよな。っていうか、自分、よくあまのじゃくって言われたものだが、そう言ってくれる人が周りにいなくなったってことか。
「あまのじゃく」というのは、考えてみると、そういう捻くれた心性の人をそのまま受けれいる言葉だったような気がする。少し、あまい響きがある。「あいつ、あまのじゃくだからなあ」、みたいに。そして、こんなふうに続く。「そうはいっても、無理矢理でも誘えば、きっと嬉しがるよ」。ないなあ。それ、ない。今、そういうのないんじゃないか。
あまのじゃくという心性は、まだ、日本にはあるんだろうか。よくわからない。自分はあまのじゃくとして取り残されて、石になって、宇宙を漂っているのかもしれない。そして、そのうちカーズは考えるのをやめた的ななにか。

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