島根/飯南③ 24年ぶり赤名へ! - トラベルとかナントカ【日本全市訪問】 (original) (raw)
島根県飯石郡飯南町、島根/飯南② 頓原Ⅱ・街の核心に迫るに続く飯南町の旅記事第3弾です。
(2016年8月当時)
最初の2回では旧頓原地区についてのお届けでしたが、今回は頓原を発って赤名地区へ。ここは、平成の大合併で現在の飯南町になる前は、赤来町という自治体名でした。町内の「赤名」地区と「来島」地区の合名町名だった訳ですね。
そして、ここ赤名へは1992年に寄った事があり、写真記録は残していませんが、当時寄り道した所のレシートは持っていました。そんな赤名の写真記録を残してみたい、と今夏24年ぶりに訪ねた格好となりました。
●赤名地区入り
先の頓原へ向かう際に、広島の三次駅からバスでここを通って頓原へ行き着いた訳で、頓原から戻る形でバスでここまで来ました。
三次から頓原へ行った時のバス(備北交通)とは全然違っていて、戻りに利用したこのバスは飯南町の町営バスです。頓原-赤名間は備北交通だけでなく、町営バスも利用できます。
こんな感じですね↓
三次→(赤名経由)→頓原 備北交通のみ
赤名→頓原 備北交通、飯南町営バス
かくして頓原のバス停から町営バスに乗りましたが、20分ほどの道中、全くの音なしでした。運転手が何もしゃべらなければ、次の停留所をアナウンスする訳ではなく、また運賃は両替機もなく、そのまま運転手に払って、小銭がなければお釣りをもらうような形式でした。とにかく降車ボタンも押しづらくどうしようかと思っていましたが、ここ赤名が終点であったこともあり、終始無言で降車の時を迎える事となりました。
頓原から赤名は、所要時間20分、料金は200円でした。
バスの車体は「いーにゃん」とよばれる飯南町のゆるキャラがそこかしこに散りばめられたカラフルなものでした。
●赤名バスターミナル
上の写真でバスの向こうに写っているのが、まさにこの赤名バスターミナルの建物で、実にこじんまりとしたものでした。
建物の前にバス停標識がありますが、その下の部分に時刻表が貼ってありました。三次からのバスとして八栗口行き(頓原へ向かう便)が1日に4便、加えて飯南町営バスでは赤名吉田線として、ここ赤名を起点に頓原を経由する便がやはり1日4便あり、赤名からであれば頓原へは計1日8便あります。どちらにしてもダイヤはよく確認しておかないと、他に交通手段はないので要注意です。
入口付近に路線図がありましたが、随分前のものではないかな、という感じでした。一番上は「JR」バスと書かれていたのでしょうか、先頭部分が隠されています。建物も今はてっぺんがフラットになっていますが、前までは「JRバス赤名駅」の看板が出ていました。JRバスとして機能しなくなり撤去されたのでしょうね。
建物の真ん中部分は電機店が入っていて、待合スペースは右端(標識寄り)部分のみです。その左隣は職員の方の詰所ですが、おばあさんが1人でやっておられるようで、ここを発つ時にバスを待っていたら、その方が声をかけて下さり、バス待ちの間、その詰所内でテレビを見ながら、バナナにパンに…といろいろ頂きながら話をしていました。かなりご高齢のように見受けましたが、おばさんその節は本当にお世話になり、ありがとうございました。テレビを見ていた時に高校野球がやっていて、鳴門が智弁学園に勝って2人して驚いた事は忘れません
まぁそんな出来事が赤名での旅をより色濃くしてくれました。
旧赤来町時代のマンホールです。
真ん中に町章と、町の花であるボタンが4つ並べられていました。
●さんのあストアー
赤名バスターミナルの向かい、少しずれた所にこのようなショッピングセンターがありましたが、これはどうみても廃業してるな…と思い、見てみました。
このあたりはこじんまりとしたスーパーが近くにありましたが、こういう目立つ形の大型商店は見当たらず、赤来では街のシンボル的存在ではなかったかと思います。しかし調べてみても、いつ閉店になったのか等情報がサッパリ掴めずでした。中身は閉店後そんなに長期間たってるような感じではなかったですが、建物の褪せ具合は結構なものですね。
すぐの地点で、国道54号頓原方面のカットです。
左向こうに見えているのは「道の駅赤来高原」で、バスターミナルが正直廃れていく感の中で、赤名の、ひいては飯南町の交通の要衝的存在といえます。
その道の駅の手前に左へ分岐する道路があり、これを進んでいくと、飯南町役場に行き着きます。
●飯南町役場
分岐した道の坂をのぼった先にこの役場があります。
また道の駅からでも階段をのぼると、直接ここに行きつく事ができます。
この役場、ことし5月23日にこの地に移転したばかりで、前の役場もこの近くですが、道の駅を頓原方面へすぐの所にありました。
●旧飯南町役場
ことし5月まで使用されていた旧の飯南町役場です。
この手前の坂をのぼって行くとすぐに、現役場に行き着きます。
●道の駅 赤来高原
1996年に道の駅として登録されてから20年になる、赤名の交通要衝であり、情報拠点でもあります。それまではドライブイン赤名54というドライブインが要衝的存在でしたが、2011年頃に閉鎖になった模様です。いつの間にか、ドライブインという言葉すら死語になってきている感があります。
建物の向って左側が主要な施設で、観光案内所があって、地元および各地の案内書類があったり、TVもこちら側にあります。また土産物売り場や軽食コーナーもあり、
●古今 赤名宿絵巻
道の駅の施設の向かって左端に、赤名に関連する地図や歴史的背景を紹介するコーナーがあります。
あまり知られていないかもしれませんが、赤名は石見・出雲・備後の国境を接する部分で中世は城下町として、近世は宿場町として栄えたといい、その様子が偲ばれるコマがこの絵巻看板の近くに並んでいます。
●赤穴瀬戸山城 登山道案内図
中世は城下町として栄えたという事ですが、その一面を最も垣間見られるのが、この辺りかと思います。
今のように赤名ではなく「赤穴」と表記されており、赤穴氏が14世紀後半に築いたとされています。1615年頃には既に廃城となっているようですが。
登山道として、現在地からのアクセス方法が地図にて示されています。標高631mの山のてっぺんに主要どころがあるようで、現在地(道の駅赤来高原)から登山口までが徒歩10分、更に登山口から本丸までは徒歩約30分、との事で、行くにはかなり時間が欲しいところですね。
●石見銀山街道
近世になると赤穴城は既になく、宿場町の要素が強くなる訳ですが、石見銀山街道に含まれ、各国の国境付近にある事から要衝として栄えたといいます。御用銀を運ぶという大事な役目を背負った街道で、兵庫県の姫路から北上する「生野銀山ルート」と同じような「銀の道」な訳ですね。
街道随一の難所といわれる赤名峠が境にあり、進んでいくと一里塚やら道しるべやら宿場を思わせるアイテムが現われてきます。
●ぼたんの郷
建物のほぼ中央部分は、「ぼたんの郷」という事で単独のコーナーが設けられていました。
また農作物直売所として表示もありました。
●軽食コーナー内外
道の駅の主要機能は向かって右側に集中していますが、そんな中の様子はあまり撮れておらず、軽食コーナーで一服していた時のカットのみです。食べ物類は無くなり次第終了でもあり、この時はもう夕方であったので基本飲みものだけの状態、マンゴージュースを買って、あとは出発の為バスターミナルへ向かうのみという状態でした。
道の駅を中心にお届けとなりましたが、他にも色々この赤名では見てきましたので、それらの様子も伝えられればと思います。