千葉/山武 成東の街あるき - トラベルとかナントカ【日本全市訪問】 (original) (raw)
千葉県山武市、JR成東駅からの歩き旅です。
(2011年2月当時)
●山武散策
という看板がでていましたが、「山」の字が山の形で書かれていました(笑)
電車の線路は市内をV字形に横切る格好となっていて、下の部分が分岐しています。現在地である成東駅はこの交差している部分にあります。
しだれ桜のきれいな所や、荘厳な仏像のある所や、いちご園も少なからずあり、自然に恵まれた観光資源が多いと感じました。
また、作家・伊藤左千夫(1864-1913)の生家や記念公園もあります。 『野菊の墓』の作者ですね。松田聖子さんをデビュー時から知る人は、「野菊の墓」の民さんをイメージする方も少なからずいるかと思います。映画デビュー作でもあるので。
●駅前広場
成東駅前の広場です。
タクシーが数台停まっていて、ちょっとした教育施設が並んでいる、という感じでした。
●わが街ご案内処
観光案内所でしょうか。
駅を出て、駅前広場右隅にありました。
そしてそこにバス停がありました。
●駅前通り
駅前感もなく、ただの道路としか思えずでした。
両サイドに高い建物など皆無で、それどころかろくに建物もないような状態でした。
●関東ふれあいの道
として、ハイキングコース的なものが紹介されていました。
「城跡をたずねるみち」とありました。
関東ふれあいの道とは、関東1都6県をぐるっと一周する長距離自然歩道で、千葉県では29のコースがあり、その29番目がこのコースです。
成東駅から成東城跡公園まで、距離にして5.3kmということで約100分とされています。その途中で長勝寺(波切不動)からの眺望はすばらしいとありました。すぐ近くに成東城跡があり、現在は公園となっていますが、成東城は応永年間(14C末~15C初頭)に築かれ、1620年には廃城になったといいます。途中1530年には千葉勝胤が入って、それまで廃れていたのを再興し、その子が成東氏を名乗ったといわれています。
この時の成東訪問では、駅の前をちょこっと歩いただけなので、とてもこのような所へは行ってはいませんが…。
●老舗感
溢れるこの景色、という感じですが、手前のコンクリート色そのままな感じが特にいいですね。
今のご時世でミシンというものがどれだけ出回っているのか?と思ったりしますが、ミシンの生産台数を調べてみると1970年前後がピークで年間400万台ほども出ていたものが、2009年には60万台余りとなっていました。
管理人が子供の頃はどこの家庭にもあって、学校でも家庭科で必ずミシンを(男でも)使っていたものですが、今ドキはどうなのでしょうか…。ミシンメーカーのCMも昭和期はTVでよくやっていて、ブラザーなんてドラマの提供で冠がつけられるほどであったのに、最近はミシン業界も不振で他へ業種転換を余儀なくされているようで、厳しいのかなと感じたりします。
●成東駅入口
といっても成東駅真ん前ではなく、駅から200mほど進んだ所にあるT字交差点です。
駅から直進する道路としては、この左側の建物辺りで突き当りになりますが、ここと交差する道路には神社がちょこちょことあります。
●月極駐車場
の表示がありましたが、なんで、建物の玄関部分の所に貼ってあるのかな??と思います。塀とか柵に貼ってるなら分かりますが、なんでこんなところに??と。というか、そもそもこの建物は使われているのか??色々よく分かりませんでした。
●五郎神社
上述のような神社がちょこちょこあるという事でそのひとつがここ五郎神社です。
実に小さな神社ですが、夜泣きの完治、学力の向上に祈願成就されると伝えられている、と傍の説明板にはありました。
●商店街の雰囲気
が色濃く感じられる通りです。
上の方の「駅前通り」の写真の通りと平行に、成東駅前広場から出ている通りです。
商店が立ち並んで色濃く感じる、というより、独特の街灯が立ち並んでという意味での色濃く感じる、そんな通りです。確かに商店の看板が並んでいますが、やっていないところもありそうで、そして建物の立っていないところもありで。やはり人の気配としては寂しいかなと。この時が日曜日の朝方であいにくの天気であった事もあるでしょうが。
●伊藤左千夫碑
成東駅に戻ってきてのカットです。
郷土の偉人である伊藤左千夫の句碑と記念碑です。
大変茶道に造詣が深く、師事していた正岡子規からは「茶博士」と呼ばれていたそうです。また「野菊の墓」は夏目漱石に評価されたといいますが、彼のかなり晩年に発表された作品で、また自身初の小説であったそうで、元々歌人であったところからのこの作品を執筆/発表となり、それで後世にもこのように名を残しており、実に素晴らしいと思いました。
あと個人的に成東で連想するのは、元中日ドラゴンズで先発に抑えにフル回転した鈴木孝政氏、この存在を忘れてはいけないとも思っています。100勝以上100セーブ近く(96S)をマークした元祖守護神で、面白い記録として長嶋茂雄、一茂の両方と公式戦で対決した唯一の投手であるそうです、これを実現する条件は「昭和49年まで、かつ63年から現役としてセ・リーグに在籍すること」になるので、なかなかに難しい事です。
名所らしい名所へ行こうと思えば、駅から離れた所へ行く必要がありますが、それが分かっただけでも、ここを旅して良かった、と勝手に思ってます。