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〔ウズベキスタン〕最悪な日

ウズベキスタンの文化について書くつもりだったんですが、
いろいろありすぎて観光どころじゃない。。。

12日、ブハラ着。ぼーっとしていると、地元のセクシーロシアンギャルズ3人に話しかけられる。今まで会ったウズベク人と違い英語が堪能すぎて、逆に戸惑う。彼女たちは大学生で、英語を専攻しているそう。その中の一人が
「よかったら私の家に泊まらない?」
またキター
なんでここの人たちはこんなにピュアなの?
言葉もわからない観光客なのに、道に迷ってると
いきなりタクシーで目的地までつれてってくれたり、(お代は彼ら持ち)、
乗り合いタクシーはお金払おうとしたら
いいよいいよってただ乗りさせてくれるし
ていうかこの国、女性はバス代タダとかなんですか?
だれも払ってる気配ないんですけどってか私も払ってないんですけどってか請求もされないんですけど・・・

そして今回もまた好意にあずかり彼女の家に。
彼女、バザリーは19歳で、早くにお父さんを亡くしていて、家は女ばっかりで貧しいようで、
おんぼろアパートでお湯も出ないようなおうちだけど、
それでも家族は暖かくて、ごはんをたくさん出してくれて、
移動やおやつ代を出してくれて、

いまさらだけど、
人の心と国のゆたかさって全然比例してないね。。。

彼女は外国で勉強したいけど、この国の政治は未だ国民に対して厳しくて、国民の自由は未だ少なくて、
ロシアに行くのも難しいらしい。
大学に行くのも本当に苦しい家計を削ってのことだそうだ。

彼女の夢はスチュワーデスになって世界中の国に行くこと。
英語がこれだけ堪能で美しい彼女なら絶対に夢を叶えられると思う。

日本と同じ、布団で寝て、すごく居心地がよかった。

が、次の日、

バザリーと友達のリナが、旧市街を案内してくれると言うので
一緒に歩いていると、警察に呼び止められる。
ウズは警察の力が強くて、警察による観光客への賄賂要求や盗難が問題になっている国。
そして私は民泊のため、外国人が必ずホテルで毎日しなければならないレギストラーツィアをやってない!
これがばれたら連行、罰金を取られる可能性もある。
どうしようーと焦っていると、尋問されているのは彼女たちの方。
警察いわく
「ガイドの許可証も持ってないのに外国人を案内するのは犯罪だ!!法律違反の疑いがあるから身分証と、ここに連絡先を書きなさい!」
なんで?!ただ私たちは友達で、彼女たちはなんにもしていないのに・・・

結局身分証の提示で警察からは逃れたけど、

しばらくするとまた偉そうなおっさんが猛スピードで近づいてきてなんかわめいてる。
彼は政府観光局の偉い人らしく、やっぱり
「ライセンスもないのに観光案内してはいけない!ここに連絡先を書きなさい!政府に連絡する!」と・・・

連絡先を書きながらバザリーは震えていて、私は強制的にホテルを決めさせられ、彼女たちとは別れ別れに・・・

なんで友達になって、こんなに良くしてくれる人たちにこんな思いさせなきゃならないの?!
ほんとこの国の公的機関は腐ってる!!!!!

なんか盗難には合うわ、
航空券はボラれるわ(私のミスなんだけど)、
警察にびくびくしながら観光しなきゃならないわ、
正直あんまり面白くないわでさんざんです。
ウズベキスタン来なきゃよかった・・・

早くトルコに行きたい・・・。

2007.05.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

〔ウズベキスタン〕サマルカンド・ブルー

前回の日記を書こうとしたのですが
パキスタンで色々ショックな出来事があって、
旅行中なのにホント落ち込んでいます。
私の心も、ウズベキスタンのモスクのようにブルーです。。
こんなポエムなこと書いてしまうくらい感傷的です。鬱。

そんなセンチメンタルな気持ちとは裏腹に色々なことが起こります。

まず、ラホールからタシュケントへの空路の間に
預けたバッグの鍵が壊されてて
ケータイと電子辞書と鍵とスケジュール帳が盗まれました!!!!!
ケータイが大ダメージです(><)

航空機内の盗難って保険で賠償されるんでしょうか?!
もしくは航空会社が賠償してくれるの??
誰か詳しく知ってたら教えてください!!
しかもウズベク、英語がまったく通じなくて警察に被害届けが出せない!!!!!!

-ウズベク日記-

5月8日、タシケント着。

着いてまず、発展ぶりに驚かされる。バスも街も、今までいた
パキスタンとは大違いで清潔、ハイデザインそのもの。

旧ロシアのイメージが裏切られる。

しかし、今まで居た国の刺激と熱気と逞しさに比べたら、
なんだかとても物足りない。

印パ人の暑苦しさもなく、
人も街も涼やかな顔をしているこの国には、
どうしても旧ソ連らしい憂いを嗅ぎ取ってしまう。
悲しさも手伝って、まったくワクワクしない。
これが夢にまで見て、9万も払ってまで来たかった国なのか・・・とバスの中でしおれていると、

学生服を着た3人の男の子に話しかけられる。
一人がかろうじて、英語の単語を並べられる程度。
でも一生懸命助けようとしてくれて、
行きたいホテルまで2時間もかけて付き添ってくれた。
そしてホテルのレセプション前に着いたときに一言
「よかったら僕の家に泊まりませんか?」

まじすか!

一瞬警戒したけど、まったく邪心は感じられない。
この3人、軍学校の生徒で、軍学の先生を目指していて、
私と同じ21歳なのに高校生くらいにしか見えず、超ピュアなのである。

せっかくなのでお邪魔することにした。

「僕の家はとってもスモールなんだけど’’’」といいつつ
案内された家は超ビッグ!!3棟あって、部屋がいくつもある。
平均的ウズベク人はこんな家に住んでいるの??

出てきた彼のおばあちゃんと、お母さんはまったく英語が話せず、お互い何もわからないのだけど、
とっても暖かく迎えてくれて、おいしいご飯(ウズベクは
緑茶とお米の文化。南アジアと同じナンを食べるけど、まったく食感は違う)を食べさせてくれて、
バス代とかおやつ代とか全部出してくれた。服もくれた。

なんでこんなに親切なんだろうね?????
日本だったらありえないよね?????
言葉も通じない、バスで会っただけの外国人に。

今まで私は、ウルルンは所詮、お金払ってるから体験できるのだと思ってたから、
今回の旅行で全く期待してなかったんだけど、

いきなり思い込みが裏切られて衝撃的です。。。
わかんない・・・ありえない・・・
素直に感動することもできず。私がすさんでるだけ??

色々な衝撃に振り回されつつ、旅はハイスピードで進んでいき、休むヒマもありません。
ちょっと休みがほしいこのごろです。

ウズベキスタンの文化についてはまた書こうと思います。

2007.05.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

〔パキスタン〕風の谷、フンザ

パキビザを取得して、国境を越えラホールへ。
インドより貨幣価値が下がるし、タリバンいるし
どんな魑魅魍魎が跋扈する魔都だと思っていたら・・・
国境を越えるとそこは都会でした!!
ラホールめちゃ進んでる!!
人がめちゃグッド!!
国境を越えた瞬間から、なにもしなくてもみんなが助けてくれて、知らない人がいきなり車で行きたい場所まで連れて行ってくれる始末。
インドの隣の国とは思えません!!
めっちゃ外資化されてる!!

パキスタン人いわく、人々はイリーガルワークでめっちゃリッチだけど政府はプアーだからいつまでたっても国際的に悪いイメージは払拭されないんだって。

さて、そこで日本人宿に泊まったのですが、8日しかないので風の谷のナウシカのモデルになった場所、フンザに行こうか迷っていると、
宿の主人でフンザ出身のカリム君(22)が、
もし一人で行くのが怖いなら僕もついていくとか言い出しびっくり。
別に怖くないけど男女二人で旅行ってイスラム国家的にやばいんじゃないの?でもムスリムだし童貞だって行ってたし邪心は感じられないし大丈夫かな・・・と思いつつ一緒に行くことに。

ラホールからバスで30時間、切り立った崖の超細い道を猛スピードでぶっ飛ばして、車とすれ違うたびに死ぬかと思いました。時々崖の端に、お墓とか、車の落ちた形跡が。。。

切り立った真っ白な岩肌の崖をひた走り、川をジープでザブザブ渡って着いたフンザは、本当に御伽話に出てきそうな小さな村で、
石と泥でできた小さな家が山肌を削るようにして立ち並び、
遠くには雪を被ったヒマラヤが見える。
冷たい風が吹き、緑の生い茂る、本当に「風の谷」でした。飛んでそうだもんナウシカ。

人々は薪で火を起こし、堅パンを食べる一方でMTVを見て生活しています。石の家の中は意外と現代化していました。

子供につれられて岩をよじのぼり、渓流で杏の実を食べて、

こんな桃源郷みたいなところで育ったら、ラホールなんてあわただしい都会で暮らすのはカリム君には大変じゃないのかなーとか思ってたら、

その日の夜彼は密造酒を飲んで地元のヤンキーに殴られ
歯を失ってました。

こんなピースフルな場所でマッドな事件が起きた事にけっこうびっくりです。

つづく。

2007.05.08 | | Comments(1) | Trackback(0) | 未分類

〔インド〕突撃!インドの晩ごはん

4月26から29日まで、フランスで知り合ったインド人の友達の家族に招待されてお家にステイしていました。

ついたのはパンジャブ州のルディワナと言う田舎町で、日本人なんて見たことがないといったかんじの人たちばっかりで、常に注目されて、
デリーに居たときとのギャップに戸惑いました。

友達のお父さんは大学教授で、息子をフランスに4年間留学させるなんてとんでもないお金持ちで大豪邸に住んでるんだろうなぁ、と思っていたら、ぼろぼろの家でシャワーもなくてゴムホースで体を洗ってて、西洋風の生活をしているのは都市部の限られた富裕層だけなんだなぁ、と実感しました。

家は大学の敷地内にあり、夜は友達の妹のクラスメイトのいる女子寮に遊びに行ったり、昼は大学の授業を受けたりしました。
エンジニアの大学なのですが施設はうちの大学より充実してました。さすがインド。

ぼろぼろの家に住んでるんだけど、パンジャビドレス(パンジャブ州独特の服)をプレゼントしてくれたり、化粧品とかかばんとか必要なものをばんばん買ってくれて、
夜は街で一番の高級ホテル内のレストランでディナーさせてもらったり(今までお金なくてチャイとラッシーでお腹を満たしていたので途方もなく美味しかったです)、恐縮でした。
この人たち、うちより全然金持ちなんだわ。

インド人といえばターバンにひげというイメージですが、
これはインドに3%しかいないシーク教徒のスタイルで、
パンジャブ州はシーク教徒が人口の30%を占めています。

この一家もシーク教徒なのですが、
肉をバンバン食べ、お祈りとかもしてなくてかなりラフでした。

シーク教の結婚観はかなり古くて、
未だに結婚が人生の中で神聖視され、
子供の結婚相手は親が決め、
女の子は結婚こそ命で、もちろん仕事はやめて夫に尽くさなきゃいけないそうです。

私がステイしてる間にも、友達の結婚相手として
父親が選んだ女性の家族が相談のために家を訪ねてきたのですが、(息子はフランスで仕事中)
お父さんに
「美由紀、ジュジャ(息子)とフランスであったって事は
あちら様には絶対に内緒だからね。もしばれたら
破談になるからね。妹の友達って事で話あわせるから、
英語はなせないふりしてね」と言われました。

日本人の結婚観についてすごい色々聞かれたのですが
私は早々と両親が離婚していて父親がいないので、
バリバリ家父長制の家庭に3日間暮らしてみて実際結構息がつまりました。

妹はエンジニアになるためにおにいちゃんと一緒でフランスに留学したいらしく、
日本人は女でも仕事して30過ぎても結婚しないのも普通、ってこと言ったら、うらやましいと言ってました。まあそりゃそうだよね。

しかし、常にしつこいくらい至れり尽くせりで、いろんなところに連れて行ってくれて、すごく楽しかったです。
一日目の夜に、食べ物に当たって40度の高熱と嘔吐で苦しんだのですがホントにこの家族がいてくれて心強かったです。
お父さんの友達のお医者さんにつれていってくれて、インドの薬飲んだら一晩で治りました。

列車の見送りのときはやっぱりウルルンしました。
インドの生の家庭が体験できてホントによかったです。
来年家族で日本に来ると言っているのですが、全財産使い果たさせることになりそうで心配です。。。大丈夫なのかなぁ。

そんなこんなで今パキスタンにいます!!
パキスタン最高!!!!!明日フンザに行きます!!
風の谷のナウシカ!!!!

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家族の写真。妹は私と同じ学年で20歳。

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妹のルブニートちゃんが、
インドの女の子のおしゃれ、ヘナでタトゥーをいれてくれた。
右手に入れるのは、冠婚葬祭などの特別なときのみだって。

2007.05.07 | | Comments(0) | Trackback(1) | 未分類

〔インド〕バラナシ、聖なる河

4月22日、バラナシ着。さっそくリクシャーにだまされ辺鄙な宿に連れて行かれる。
文句言いまくってたら、吉祥天のような日本人女性が宿から出てきた。彼女はさやかさんと言って、宿の主人と結婚して、4ヶ月の赤ちゃんがいるそうだ。
すごい勇気!私だったらいくら相手を好きでも、一生インドに住むのは無理かもしれない。。。

宿は値切って値切って70ルピー(210円)にしてもらった。超ボロだけど、宿の屋上からのガンガーの眺めは最高。

夕方涼みにバラナシで一番大きなガート(ガンジス河の河岸に階段を作り、沐浴などができるようにしたところ。バラナシには大小87?のガートがある)へ。

ぼーっとしていると、少年が寄ってきて勝手にしゃべりはじめた。日本語ぺらぺらだ。客引きかなーと思っていると、いきなり

「俺はお金要らない。なぜなら心が金持ちだからだ。
いくらお金を持っていても、殺されたら一円も天国には持ってゆけない。
心は誰も奪えない。だから俺はお金要らない。
日本人は金持ちなのにもっとお金欲しがる。どうしてだ」
と言われる。
15歳なのになかなか言うねー、この場所で聞くと説得力あるなーと思っていたら、
二人の日本人旅行者に出会う。彼らと一緒にぶらぶらしたあと、6時から始まるプージャー(礼拝)を見に再びメインガートへ。

河岸は、巡礼に来たインド人でぎっしり埋まっていた。

階段には祭壇が設置され、礼服を着た少年たちが並び、あちこちに火が灯される。
花売りが河へ流す花と蝋燭を配り、無数の花弁が水面へ静かに広がってゆく。

夕闇が降り、儀式が始まった。少年たちが額を地に付け、何事か唱える。
男たちの、低く抑揚の無い歌声が、濃紺の闇の中へと強くのびやかに広がってゆく。
さまざまな鐘の音が大気を震わし、鮮やかな花びらと蝋燭の炎が水面を彩る。
河の闇を浸食するように、岸辺のオレンジの炎は強さを増す。
少年たちは無数の火がくべられた大きな燭台を振り回し、
そのたびに白く溶けたロウが飛び散る。
声は一段と大きくなり、鳴り響く鐘の音とともに聴覚を麻痺させる。

まるで、人の行いを持って、ガンガーを侵食し、やがて融合して一つになることを切望する祈りのようだ。

激しい歌声と、視界で踊る炎を眺めているうちに、
私の心まで蝋のように溶け出し、聖なるガンガーに吸収されていくような気がし、
不意に涙が出た。

私の抱えるやりきれない問題も、ガンガーに抱かれて無になればいいのに、いっそこの身も、
と考えたところで、はっとわれに返る。

精神病患者が、ショック療法でインドに来て、逆にやられて自殺してしまう、という話を聞くが、わかる気がする。

この場所には生と死への原始的な衝動を引き出す何かがある。

終盤、バクシーシを払って赤い染料を額に塗ってもらう。
隣のインド人の少女たちと笑いあう。
一瞬、この場にいる人たちと一つになった気がした。
私は日本人で、観光客で、あくまで気のせいだと、わかっているのだけど。

3時間以上の儀式のあと、3人でごはんをたべて、ガートを後にした。
バラナシの時間はゆっくり過ぎてゆく。

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朝のガンガー。

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沐浴の風景。私も入ったけど、けっこう普通の水でした。

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レストランにいた、インド人のあかちゃん。

2007.05.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

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