千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社: 【日本文化のキーワード】第九回 歌 ~古今和歌集 仮名序にみる和歌の世界 (original) (raw)
【日本文化のキーワード】第九回 歌 ~古今和歌集 仮名序にみる和歌の世界
今回のキーワードは「歌」。音楽ではなく、和歌の「歌」をとりあげます。
いうまでもなく、和歌はすべての日本文化、芸能、芸術の基底たる“日本文化の母”です。
歌を詠むことは古来、貴人の教養であり、かつ人格の高下、感性の有無を判定される
もっとも重要な指標でした。
歌ははじめ、人が神に捧げるコトバとして、まず御代をことほぐ〔祝い歌〕として詠まれます。そして四季を通じた行事や祭祀にまつわる感情を歌に表現するうちに、いつしか思う相手に心情を伝達するメッセージとしての〔恋のなかだち〕をも担っていったのです。
このように古代の日本人が、様々な思いを託して詠んだ歌を集め、成立したのが『万葉集』。
そして時の帝が貴族たちに命じて編纂した、わが国初の勅撰和歌集が『古今和歌集』です。
その撰者のひとり、紀貫之が附した序文が、『古今和歌集 仮名序』とよばれるもの。
もうひとつ、漢文で書かれた序文、『古今和歌集 真名序』もありますが、
「和歌とは何か」、「歌の歴史と本質」について、やさしい仮名で書かれた『仮名序』は、
今日教科書でも取り上げられ、多くの人々が接する古典のスタンダードとなっています。
『古今和歌集 仮名序』には、いったい何が書かれているのでしょうか。
原文に章段はありませんが、大きく分ければ以下六章の構成となっています。
(1)和歌とは何か
(2)和歌のはじまり
(3)六種の和歌の分類
(4)和歌の歴史と代表歌人
(5)六歌仙の評価
(6)古今和歌集編纂の次第
とりわけ(3)~(5)では、代表歌と歌人の詳細な解説と評価が展開されており、
和歌の技法の研究の嚆矢、“歌学の起源”として仮名序が日本文学史に
位置付けられる重要な内容となっています。
よって、通常の序文としてはやや分量があり、現在その研究書とともに
様々な現代語訳版が出版されています。
今回、日本文化のキーワードとして「歌」を取り上げるにあたり、歌の本質を深く、
かつコンパクトに伝えるテクストとして、この『古今和歌集 仮名序』を採用しました。
原文に忠実な直訳、引用例歌の気品をそこねない【言の葉庵】独自の訳文にてお届けします。
以下、令和版最新の現代語訳全文を掲載します。
●古今和歌集 仮名序 現代語訳
原著 紀貫之
訳 水野聡
(1)和歌とは何か
やまとうた、和歌というものは、人の心を種として、そこから千、万の言の葉となったものです。
世の人は多くのものや出来事に触れることで、心中の思いを見るものや聞くものに託して言葉にしました。
花に鳴くうぐいす、水に住む蛙の鳴き声を聞くにつけ、生きとし生けるもの、いずれも歌を詠まぬことがありましょうか。
力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも感動させ、男女の仲をやわらげ、猛き武士の心さえなぐさめるもの、それが歌なのです。
(2)和歌のはじまり
歌は、天地開闢の時に生まれました。
(天の浮橋の下で、イザナギノミコトとイザナミノミコトが結ばれた時の歌である) ※1
このようにもいいますが、世に伝わるところでは、天上界の下照姫にはじまり、
(シタテルヒメは、アメワカヒコの妻である。シタテルヒメが兄神の美しい姿が
丘や谷に光り輝いて映ったことを詠んだ夷歌のことであろうか。これらは文字の数も
定まらず、歌の体をなしていなかったのだ)
下界では、スサノオノミコトから興ったものなのです。
神代の歌は、文字も定まっておらず、素朴に詠んだもので、歌の意味も
とらえ難かったに違いありません。
そして人の世となって、スサノオノミコトから三十一文字の歌を詠むようになりました。
(スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミの兄である。后と住むために
出雲の国に宮殿を建てた。そこに八色の雲が立つのをみて詠んだ歌である
八雲立つ出雲八重垣妻籠めに 八重垣つくるその八重垣を ※2)
以来、花を愛で、鳥をうらやみ、霞をあわれみ、露をかなしむ心や言葉が多く集まり、
様々な形となっていきました。
遠い旅も、出発の一歩からはじまって長い年月にわたっていく。
高い山も、ふもとの塵や泥が積もっていき、やがて雲がたなびく高みへといたる。
そのように、和歌も発展していったのです。
難波津の歌※3 は、帝の御代はじめの歌です。
(仁徳天皇が難波でいまだ皇子だった時。弟君と皇太子の位を互いに譲り合って、三年がたとうとした。それを王仁が心配して詠み、奉った歌である。木の花は、梅の花をさすらしい)
安積山の歌は、采女がたわむれに読んだもの。
(葛城王が陸奥へ派遣された時。国司の接待が粗略であるとして、宴席を設けたものの王は不機嫌であった。そこで、かつて都の采女であった女が、盃をとり、酒をすすめて詠んだ歌である。これにより王の気持ちはやわらいだという。)
安積山かげさへ見ゆる山の井の 浅くはひとをおもふものかは
〔山の清らかな泉は安積山の影までもくっきりと映すほど深いもの。田舎の人はこの泉の水と同じ、どうして客人を軽んじたりしましょうか〕※4
この二首の歌は、和歌の父母。歌を学ぶ人なら、だれでも最初に触れるものです。
(3)六種の和歌の分類
そもそも和歌の表現様式は六つあります。中国の詩も同様です。
その六種の一が、「そえ歌」。
仁徳天皇へ、意見をそえ奉った歌で、次のようなものでありましょうか。
難波津にさくや木の花冬こもり いまは春べとさくや木の花
〔難波津に梅の花が咲いている。冬を耐え、さあ春になった、と咲いたのであろうよ〕
二つ目が「かぞえ歌」※5。次のようなものです。
さく花に思ひつく身のあぢきなさ 身にいたつきのいるも知らずて
〔美しい花に心を奪われることは、なんとはかないものであろうか。鳥は今、矢で射られることも気づかないのだから〕
(かぞえ歌は素直に歌い、比喩などの技巧を使わないもの。この歌の表現はいかがなものか。意味がとらえ難いのだ。五番目の「ただこと歌」というものがこの例歌にふさわしい。)
三つめが「なぞらえ歌」。次のようなものです。
君にけさあしたの霜のおきていなば 恋しきごとにきえやわたらむ
〔あなたに逢った翌朝、霜が置き、あなたが起きて帰ってしまったなら、恋しい思いは霜が消えるように、はかなく続くのでしょうか〕
(なぞらえ歌は、ものに託して「何々のようである」と歌う。この歌はよく適しているとも思えぬ。
たらちねの親のかふ蚕のまゆこもり いぶせくもあるか妹にあはずて
〔母の飼う蚕がまゆにこもる。ふさぎこんでいるのか、恋人に逢えない私のように〕
こうした歌こそこの例歌にはふさわしかろう)
四つ目が「たとえ歌」。次のようなものです。
わが恋はよむともつきじありそ海の 浜のまさごはよみつくすとも
〔私の恋心はどれほどあるか、はかりつくせない。たとえ荒海の浜の砂粒が数えつくせたとしても〕
(たとえ歌は、様々な草木・鳥獣にことよせて、歌いての心を表現するのである。しかしこの歌には隠された思いはない。最初の「そえ歌」と似通ってしまうため、少し様子を変えたのであろう。
すまのあまの塩たくけぶり風をいたみ おもはぬかたにたなびきにけり
〔須磨の海人がたく藻塩の煙。強い風にあおられて思いもよらぬ方向へとたなびいていってしまった〕
こうした歌のほうがふさわしいはずだ。)
五つめが「ただこと歌」。次のようなものです。
いつはりのなき世なりせばいかばかり 人の言の葉うれしからまし
〔この世にうそ、いつわりがなかったならば、あなたの言葉はどんなにうれしいものでしょうか〕
(ただこと歌とは、事物が理路整然として、正しいことを歌ったものをいう。例歌の歌意はまったくあたらない。これは「とめ歌」〈求め歌〉というべきであろう。
山ざくらあくまで色をみつるかな 花ちるべくも風ふかぬ世に
〔山桜を思う存分、いつまでもながめられるものだ。花を散らせる風などふかぬ今の世は〕)
六つ目が「いわい歌」。次のようなものです。
この殿はむべもとみけりささくさの みつばよつばに殿つくりせり
〔この御殿は豊かで富貴だ。棟が三つにも四つにも広がっていく構えをみれば〕
(いわい歌は、当代を称え、神に告げる歌。この例歌はいわい歌とも思われぬようだ。
春日野に若菜つみつつよろづよを いはふ心は神ぞしるらむ
〔春日野で若菜を摘んで万世を祝う心。神はきっとご照覧くださろう〕
こうした歌であれば、少なくともふさわしいのではないか。
およそ、歌が六種に分類されることは不可能なのだ。)
(4)和歌の歴史と代表歌人
今の世は華美に流れ、人の心も派手好みとなってしまいましたので、
浮ついた歌、実のない言葉ばかりがもてはやされています。
本物の歌は歌数寄の間にのみ隠れ、人に知られることもなく、
御前にも出せないさまは、すすきの穂にも劣るほどとなりはてました。
しかし、和歌のはじまりを思えばこれではいけません。
いにしえの代々の帝は、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、お付きの人を
召しては、ことにつけ歌を詠み奉らせたものです。
ある時は、「花を詠め」と見知らぬ土地をさまよわせ、
またある時は、「月を詠め」と地図さえないところをたどり歩かせた。
このようにして、人々の心中をみては賢愚を推し量られたのでしょう。
それだけではありません。
永遠の御代をさざれ石にたとえ、筑波山の木陰に誓って君に願い、
喜びは身にすぎ、楽しみは心に余り、富士の煙になぞらえて人を恋い、
松虫の音に友をしのび、高砂、住之江の松が相生であるかのように感じ、
男山の昔を思い出し、女郎花のひとときを恨みかこつ。
このようにして人は、歌に思いを詠んではなぐさめられたのです。
そしてまた、春の朝に散る花を見、秋の夕暮れに木の葉の落ちる音を聞き、
あるいは年々鏡に映るわが面の白雪とさざ波を嘆き、草の露、水の泡を
見て身のはかなさに驚き、あるいは昨日まで栄え権勢を誇った者が落ちぶれ、
世を隠れて親しかった人とも疎遠となる。
あるいは、末の松山の波に愛を誓い、野中の清水を汲み、秋萩の下葉をながめ、
暁の鴫のはばたきを数え、あるいは呉竹の憂き節をうったえ、
吉野川にたとえて愛のはかなさを恨み、歌に託したのです。
そして今は、富士の山の煙もたたず、長柄の橋もなくなってしまったと耳にするたび、
人は歌の世界だけに心をなぐさめられています。
このようにして古代より伝わってきた歌は、奈良時代に普及しました。
この時代の帝が歌の心をよく理解されたからでしょう。
当時、歌聖とよばれたのが、正三位柿本人麻呂。
まさに君臣一心の時代といえましょう。
秋の夕べ、龍田川に流れる紅葉は帝の目に錦と映り、春の朝、吉野の山の桜は
人麻呂の心には湧き上がる雲を連想させました。
そしてまた、あやしくも妙なる歌人の山部赤人。
人麻呂は赤人の上に立ち難く、赤人は人麻呂の下に立ち難い。そうした評価です。
・奈良の帝の御歌
龍田川もみじみだれてながるめり わたらば錦なかやたえなむ
〔龍田川に紅葉が乱れ流れている。もしも川中を渡ろうとするなら錦の帯は
真ん中で断ち切られてしまおう〕
・人麻呂
梅の花それともみえずひさかたの あまきる雪のなべてふれれば
〔せっかくの梅の花がほとんど見えぬ。空一面、霧のように覆う雪の下では〕
ほのぼのとあかしの浦のあさぎりに 島かくれゆく舟をしぞ思ふ
〔ほのぼのと明けゆく明石の浦。朝霧をわけて今、島にかくれそうな舟をじっと見つめているのだ〕
・赤人
春の野にすみれつみにとこしわれぞ 野をなつかしみひと夜ねにける
〔春の野原へすみれを摘みに来た。野原の景色があまりに美しく、ついここで一宿してしまったものかな〕
わかの浦にしほみちくればかたをなみ あしべをさしてたづ鳴きわたる
〔和歌の浦が満ち潮となり干潟がなくなってしまった。そこにいた鶴たちも今は蘆辺へと鳴いて渡っていく〕
(5)六歌仙の評価
この三人の他にも、なおすぐれた歌人が呉竹の※6世々にきこえ、
片糸の※7よりよりに絶えず出てきました。これより先の時代の歌を集めたものが
『万葉集』と名付けられたのです。
その時代には、いにしえのことも、歌の心もわきまえていた人はわずか一人か二人でした。とはいうものの、かの者たちの間にも長所・短所は互いにあったのですが。
万葉集の時代より時は百年余り、御代は十代を経ました。
いにしえのことと歌のことを知り、歌を詠んだ人はそう多くはありません。
それらの人々の評価をしていきますが、高位の方々については恐れ多いため
ここでは触れません。
近頃、名の聞こえた歌人は、すなわち僧正遍照。歌の姿はみごとですが、
まことが少ない。たとえば絵に美人を描いて、いたずらに心を動かそうとするようなものです。
あさみどり糸よりかけてしらつゆを 玉にもぬける春のやなぎか
〔浅緑の糸をより合わせたような春の柳の枝。そこに置かれた水滴はまるで糸を通した水晶の玉のようだ〕
はちすばのにごりにしまぬ心もて なにかはつゆを玉とあざむく
〔蓮の花は池の泥にも染まらぬ清い心をもつという。それなのになぜ、葉の上にのせた水滴を玉のように見せて人をあざむくのか〕
さが野にて馬より落ちてよめる
名にめでて折れるばかりぞ女郎花 われおちにきと人にかたるな
〔女郎花よ。その名にひかれて手折っただけだ。われがそなたのせいで地におちた、などと口外してはならぬぞ〕
在原業平は、心はみちあふれるほどなのに、言葉が足りません。まるでしおれた花が色を失っても匂いだけが残っているようなもの。
月やあらぬ春やむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして
〔月は去年の月ではないのか、春も去年の春ではないのか。わが身一つだけが取り残されてもとのままとは〕
おほかたは月をもめでじこれぞこの つもれば人の老となるもの
〔おおかた月は愛でぬようにしよう。まさにこの月がつもり重なれば、人の老いとなるものだから〕
寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば いやはかなにもなりまさるかな
〔あなたと明かした一夜がまるで夢のようにはかなく思われる。宿に戻り、せめて夢でもう一度会いたい、とまどろめば、一夜のことはますます夢のようにはかなくなっていってしまった〕
文屋康秀は、言葉は巧みですが、見た目が中身にそぐわない。いわば商人が高貴な装束を身につけた、とでもいいましょうか。
吹くからにのべの草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
〔吹くとたちまち野の草木がしおれてしまう。なるほどそれで山風と書いて嵐というのだなあ〕
仁命天皇の一周忌によせて
草ふかきかすみの谷にかげかくし てる日のくれしけふにやはあらぬ
〔草深いかすみの谷にお隠れになった。光り輝く陽がくれてしまったのは、そう、まさに今日のことではなかったか〕
宇治山の喜撰法師は、言葉が微妙で始めと終わりがはっきりしません。
いわば秋の名月を見ているうちに、暁の雲がおおってしまったかのようです。
わが庵はみやこのたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり
〔わが庵は都の東南にあり、心静かに暮らしている。それなのに世を憂し〈宇治〉
山だと人はいうそうだ〕
喜撰の歌はさほど多くないため、照らし合わせて検討することができませんでした。
小野小町の歌は、いにしえの衣通姫の系統です。しみじみとした情感で強さはありません。
いわば高貴な女御が病に苦しむような風情。強くないのは女流歌人の歌だからです。
思ひつつ寝ればや人のみえつらむ 夢としりせばさめざらましを
〔あの方のことを思って眠ったので、夢の中で逢えたのでしょうか。まさか夢だとわかっていたなら、目を覚まさなかったものを〕
色みえでうつろふものはよのなかの 人の心の花にぞありける
〔花の色は目に見えて変わっていきます。世の中の、人の心の花は、外には決して表れず、知らぬ間に移っていってしまうのですね〕
わびぬれば身をうきくさのねをたえて さそふ水あらばいなむとぞおもふ
〔侘び住まいの憂きわが身。浮草のように根を断って、誘う水さえあればいっそ一緒についていってしまいましょうか〕
衣通姫の歌
わがせこがくべきよひなりささがにの※8 くものふるまいかねてしるしも
〔わが夫は今宵きっと来てくれるに違いない。笹の根に蜘蛛が巣をはっているので間違いはないはず〕
大伴黒主は、歌のたたずまいがひなびています。いわば薪を背負った山人が、しばし花の陰でやすらうかのような。
思ひいでてこいしきときははつかりの なきて渡るとひとはしらずや
〔あなたのことが思い出されて恋しい時は、初雁のように泣いて、あなたの家のあたりを歩いていると誰が知っていようか〕
かがみ山いざ立ち寄りてみてゆかむ としへぬる身は老いやしぬると
〔さあ、鏡山に立ち寄ってわが身を映し見ていこう。年を取った自分は本当に老いて見えるのか〕
そのほかにも歌名の高い人々は、野辺に生える葛のように這い広がり、林に茂る木の葉のように多くいます。
しかしただ、歌を詠みさえすれば歌だと思っている程度、本当の歌を知らぬ者たちです。
(6)古今和歌集編纂の次第
このような次第ですが、今上陛下が国を治めはじめてより、四季を重ねて九回目となりました。
帝のあまねきご慈愛の波は、大八島の外まで流れ、広大なご恩恵の影は筑波山のふもとの樹林よりも色濃くおおっています。
よろずの政務をお執りになる間に、諸事ぬかりがあってはなるまいと、
いにしえのことを忘れず、古い記録ももう一度検めたいと思われたのです。
よって今ご自身が見るために、また後世にも伝えんと、延喜五年四月十八日、大内記紀友則、御書所預り紀貫之、前甲斐少目河内躬恒、右衛門府生壬生忠岑らに命じ、
『万葉集』に入らぬ古歌とわれらの歌をも選び、奉らせました。
さてそうした歌の中から、梅花を頭に挿して遊ぶ歌からはじめ、郭公を聞く歌、紅葉を折り、雪を見る歌まで。
さらには、鶴亀に託して君を思う歌、人の長寿を祝う歌、秋萩や夏草を見て妻を恋い、逢坂山にて手向けを祈る歌、加えて春夏秋冬に分類されぬ雑歌などをわれらに撰ばせたのです。
歌の総数は千首、全二十巻。名付けて『古今和歌集』といいます。
このようにこのたび選び、集められたので、歌は山のふもとの流れのように絶えることなく、浜の真砂の数のごとく多く積もって、今や飛鳥川の淵が瀬になるなどという恨みも聞こえず、歌が永遠にさざれ石の巌となった喜びばかりがあふれています。
さてわれらの歌が、春の花として香り乏しく、空しい名ばかりが秋の夜長のように続くことを嘆いています。
一方では人の耳を恐れ、他方では歌の本旨に対し恥じらっているのですが、
立ち居、起き伏しにつけ、われらがこの同じ時代に生まれ、古今和歌集編纂の場に
出会えたことにひとしおの喜びをかみしめているのです。
人麻呂は故人となりましたが歌の道は残されました。
たとえこの先、時が移りものごとが改まり、楽しみや悲しみが過ぎ去ろうとも、
この歌の文字だけはずっと続いていくでしょう。
青柳の糸が途絶えず、松の葉は散り失せず、まさきの葛が長く伝わって、
砂上の鳥の跡は久しくとどまるはず。
歌の形を知り、歌道の心を得た人はあたかも大空の月を見るように、いにしえを
仰ぎ見て、古今和歌集の時代を恋焦がれるに違いありません。
※1 ()
()内は後世に加えられた仮名序への古注。注者は藤原公任とする説がある。
※2 八雲立つ出雲八重垣
このスサノオノミコトの歌が日本最初の和歌とされる。
※3 難波津の歌
次章(3)冒頭の「難波津に咲くや」の歌。
※4 〔〕
〔〕内は訳者による鑑賞。
※5 かぞえ歌
かぞえ歌は名詞を羅列し、数え上げる歌。この歌には「つぐみ」「あぢ」「たづ」の鳥の名が詠み込まれる。
※6 呉竹の
「くれたけの」、は「世」の枕詞。
※7 片糸の
「かたいとの」は「より」の枕詞。
※6 ささがにの
「ささがにの」は蜘蛛の枕詞。もとは「ささがね」であった。蜘蛛が巣をかけるのは想い人があらわれる予兆、とする言い伝えがあった。
■言の葉庵HP【日本文化のキーワード】バックナンバー
※「侘び」については以下参照
2019年10月17日 18:11
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