23年のタイムトラベル (original) (raw)

2024年3月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

南アフリカに着いて間もないこの1月、私は友人につき合い、ショッピングモー ルにある銀行のベンチに座っていた。 モールの玄関口や駐車場で暇そうに佇んでいる人の姿は昔と変わらない。だが、 買い物に来る人はみなおしゃれで、裕福そうに見える。思わず声をかけ、写真を 撮らせてもらったほどだ。 銀行は当時より立派になっていて、多くの人が並んでいた。当時は職員といえば、黒人居住区でも大半は白人だったが、それが見事に入れ替わり、黒人かカラードがまるで何事もなかったかのように静かに業務に勤しんでいた。

2001年春にこの地を去って以来、23年ぶりの南アである。この国の貨幣、ランドのお札には当時、バッファローやライオンが描かれていたが、動物は裏面に回り、どの紙幣も笑みを浮かべるネルソン・マンデラになっていた。マンデラは私が赴任した当時の大統領で、人種隔離、アパルトヘイトと闘った英雄だ。小ぶりになったランド紙幣は「子ども銀行」のお札のようで、私はタイムマシンで近未来のフィクションの世界に紛れ込んだような気が一瞬した。

私がいまいるソウェトはヨハネスブルグの南西部にある。タウンシップと呼ばれる旧黒人居住区の中でも最大の区域で、「サウス・ウェストのタウンシップ」の頭の2文字を合わせたSOWETOが街の名となっている。私がここに落ち着いたのは、南アの友人、ケレ・ニャウォと暮らすためだ。彼は私が南アに暮らし始めた1995年からの知り合いで、新聞社の支局の助手をしてもらっていた。その人柄が同僚にも好かれ、私が南アを去ったあとも後継の記者たちのために、支局が閉鎖される2023年秋まで働いてきた。かれこれ28年の奉仕だ。

95年当時、ケレは脚本家を兼ねた舞台俳優としてデビューしたばかりだった。地元紙で彼らの囚人劇「オーラ・マチータ」を知った私は、中心街の劇場に行ってみた。そのころは引っ越ししたばかりで、助手も友人もおらず、家族の諸々など暮らしを整えるだけで精一杯だった。それでも何か惹かれるものがあったのだろう。ひとり車で夜の劇場を訪ねると、これが大当たりだった。ズールー語はわからなかったが、役者たちの全身の動き、顔の演技、変わり種の囚人が織りなすコーラス混じりのドタバタ劇に魅せられた。閉幕後に楽屋を訪ねたのをきっかけに私は翌日から彼らが暮らすソウェトのピーリ地区に通うようになる。そして、演出担当やいろいろな俳優たちと仲良くなる中、沈思黙考型だが時折饒舌になるケレと妙なほど波長が合った。何時間も一緒にいても旅をしても、互いに気を遣わず、安心や思索、スパークするような直感をもたらしてくれる相手。ケレはそんな、いそうで、あまりいない友人の一人で、今回も会うなり、すっと23年前と同じ関係になれた。

ソウェトはずいぶん発展した。かつては塀があっても低く隣近所が丸見えだったが、ケレの家も含め、いまは高い塀や赤茶色の屋根で統一され、豊かな旧白人居住区サントンを思わせる一画もある。考えてみたら、昭和30年代の東京に暮らした外国人が昭和50年代に舞い戻ったようなもの。変わっていて当然なのだ。モールには外資も入っているが、スティアーズ、ウールワース、ピックンペイなど南アの老舗が以前よりも幅を利かせていた。南アは人種政策で世界から孤立していた時期、ほぼ全てを自給できる政策を進めたことから、安価で良い商品をつくる地元産業が結構ある。それらが潰れるどころか、前よりも大きくなっていたのが私には嬉しかった。

90年代よりも何もかもが整ったように見えるが、住み分けは強まった感がある。旧白人地区は塀をより高くし、より強固な電流ワイヤーを張り巡らし、私設の検問所がずいぶんと増えた。人種隔離政策のアパルトヘイトが正式に終わったのが1991年。当時は七色が混じり合うという願いから、マンデラ政権は「レインボーネーション(虹の国)」 という言葉で自らの国を語っていたが、ケレに言わせれば「七色がよりくっきりしただけ」という話だ。色の境目、つまり「人種が混じり合う場」がかつてはまだあったが、いまは溝が深くなったという意味だ。白人、黒人、インド系らの壁が高くなっただけでなく、ナイジェリアやモザン ビーク、ジンバブエなどからの移民と南ア黒人との間の新たな壁が増えた。かつての3色が5色にも6色にも分かれて、より小さな世界で暮らしているという印象だ。

旧白人居住区の友人たちを訪ねると一様に「治安が悪くなった」「政権がひどい」と言い、海外に出た人も多い。逆に、当時危なかったソウェトがかなり安全になっている。路上強盗やギャングの争いはほぼなくなり、どこへでも歩いていける。住民たちの私的制裁の広がりや教育など理由はいろいろだろうが、少なくとも、かつてあったような緊張感がもうない。明らかに緩んでいる。

90年代当時、南ア黒人はまだ被害者の立場にいたが、いまはどこから見ても彼らがこの国の主役である。その主役の中心地であるソウェトに大学や国の施設、モールができていく中、次第に犯罪が収まっていったのは、ごく自然なことに思える。

政治は年々汚職がひどくなり、国、行政に対する人々の期待は大幅に削がれている。日本も含めた世界的な傾向だが、旧来の議会政治に対する絶望感が広がり、その代わりの制度もないまま、人々はいまいる政治家をとにかく嫌い始めている。

そんなことをあれこれ考えながら、私は1時間以上も銀行のベンチに座っていた。東洋人が珍しいのか、みなこちらを見ていく。驚いた顔でじっと見る人、ちらっと見る人、いろいろだ。

銀行の用が済んだのだろう。杖をついた初老の女性が外に出ようとしたら、片方の回転ドアが掃除中で閉鎖されていた。清掃担当の人がもう一つのドアから出 るよう促すと、初老の女性は「あら、そうだったの、気づかなかった」とでも応じたのだろうか。杖をついてゆっくりともう一つのドアに近づいたとき、私に気づくと、「ほんと大変」といった仕草をして、笑顔を見せた。人を包み込むような温かい表情、ごく自然なふるまいだった。

たったそれだけのことなのに、どうしてだろう。彼女の表情がいまの南アフリカを凝縮していると信じていい気がした。そして、この国が腕を大きく広げ私を迎え入れてくれていると強く感じた。

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)