藤原章生とは 読書の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

藤原章生

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読書

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ふじわらあきお

(1961年 - )
日本のジャーナリスト、毎日新聞記者。福島県いわき市生まれ。北海道大学工学部資源開発工学科卒業後、住友金属鉱山に入社。1989年、毎日新聞社記者に転じる。長野支局を経て1992年より外信部。ヨハネスブルグ特派員、メキシコシティ支局長。メキシコシティ支局長時代の2005年に、『絵はがきにされた少年』(『遠い地平』を改題)で開高健ノンフィクション賞を受賞。2008年3月からローマ支局長。

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関連ブログ

ururundoの雑記帳 22日前

ブルターニュ人のパテ 藤原章生著「絵はがきにされた少年」(2)朝と夜には 一番上にフリースを着る様になった。 蒸し暑くて 苦しいような一週間前が遠い日のようだ。 百日草は 気がつくと枯れている。 私はそれらを何本も引き抜いた。 その後に 綺麗な赤やピンクの鳳仙花が 去年の零れ種から 花を咲かせている。 今日のおやつ。 ブルターニュ人のお土産の 帆立貝のパテを クラッカーに塗った。 割けた貝柱が クリームの中に豊かに入り クラッカーのサクッとした食感も 旨みの内だと感じる。 ワインと共に食べるのが フランス風だとか。 藤原章生の「絵葉書にされた少年」も後少し。 ヨーロッパの宗主国から独立した アフリカ大陸の国々。 その後の 内戦 差別 貧困 暴力 偏見。 …

#ブルターニュ#パテ#藤原章生#絵はがきにされた少年

ネットで話題

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51ブックマーク[書評] 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生(藤原章生): 極東ブログfinalvent.cocolog-nifty.com

38ブックマーク記者の目:危機にひんするギリシャの「緩さ」=藤原章生 - 毎日jp(毎日新聞)◇貸した方が悪いと笑う人々 借りる側と貸す側のどちらが悪いのか。ギリシャでそんなことを考えた。欧州債務危機の震源地ギリシャの首都アテネで、こんな話をよく聞くからだ。「もちろん貸した方の問題だ。仏独の銀行やブリュッセル(欧州連合=EU)は、ギリシャがつぶれたら困るから必死。だから貸し続けるよ」(小学...mainichi.jp

16ブックマークブルターニュ人のパテ 藤原章生著「絵はがきにされた少年」(2) - ururundoの雑記帳ururundo.hatenablog.com

13ブックマーク「絵はがきにされた少年」 藤原章生著 - ururundoの雑記帳ururundo.hatenablog.com

12ブックマーク特集ワイド:藤原章生のコロナになりました/上 ホテル着から急転、入院に | 毎日新聞mainichi.jp

12ブックマーク作家・高村薫ロングインタビュー:希代“の観察者” 日本に潜む「絶望の光景」/1=藤原章生(毎日新聞編集委員) - 毎日新聞mainichi.jp

11ブックマーク今週の本棚:中島岳志・評 『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』=藤原章生・著 - 毎日新聞mainichi.jp

10ブックマーク発信箱:どうして捕りたいのか=藤原章生(ローマ支局) - 毎日jp(毎日新聞)「僕たちが見てないと、日本人が来て食べちゃうからね」。数年前、メキシコで鯨を保護する男性がそんな冗談で人を笑わせていた。調査捕鯨への反感は米英豪に限らず、中南米でも根深い。陰でずるい事をしていると思われているふうだ。 鯨といえば、60年代、薄暗い魚屋にあった毒々しい色の切り身を思い出す。子供の味覚...mainichi.jp

7ブックマーク藤原章生 著『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』より。絵葉書ではなく、物語にしてもらえた先輩。 - 田舎教師ときどき都会教師www.countryteacher.tokyo

関連ブログ

田舎教師ときどき都会教師1年前

藤原章生 著『差別の教室』より。一方的な見方はやめろよ、違うんだよ。計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。(藤原章生『差別の教室』集英社新書、2023) おはようございます。雨です。晴耕雨読です。藤原章生さんの『差別の教室』を読み返しつつ、以前、藤原さんの講演会に…

#読書#教育#藤原章生#差別の教室

自分が変わること1年前

よくわからない仙人とお化け(その4)2011年11月号掲載 毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時) 孫俊清さんの言う通り、あの土方焼けのオヤジたちが本当に仙人なら、なぜあのとき私の前に現れたのか。天川村の座敷には私のほかに3人いたのに、どうして、私にだけ見えたのか。何か理由があるはずだ。 孫さんも「仙人は普段は姿を現さないけど、相手を選んで、自分を見せたり見せなかったりする。多分、そのときはあなたに見せたかったんでしょ」と言う。 思いつくのは、「仙人」と呼ばれる山口先生にインタビューしにきた私の前に現れ、「俺たちが本物だ」という彼らの自己主張だ。録音の中で彼らは、山口先生が「神さん」「社長」と言ったり、大きな力について語るときに…

#仙人#気功#藤原章生

田舎教師ときどき都会教師2年前

藤原章生 著『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』より。絵葉書ではなく、物語にしてもらえた先輩。これは目標の喪失にもつながるが、常に最先端を意識していた永田さんはいつの間にか、登る動機が、高校時代に吉川智明さんと登ったときのような、「山の中にいる、ただそれだけの喜び」から、メディアへの評価へと変わっていった面もあったのではないだろうか。評価されない以上、登っても仕方がないと。K7から下山後、記者会見を開いても誰も来てくれなかったことを嘆いたのも、その傍証だ。(藤原章生『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』山と渓谷社、2023) こんばんは。教員を長く続けていると、子どもにせよ大人にせよ、この人はおそらく発達障害なのだろうなぁと思うことがしばしばあります。藤原章生さんの新刊に登場する故・永…

#読書#教育#藤原章生#酔いどれクライマー 永田東一郎物語

漢方医の日記3年前

【書評】還暦前のおじさんの物語 『ぶらっとヒマラヤ』60歳前のおじさんはどんなことを考えるのか?なぜ、いきなりヒマラヤへ?ぶらっとヒマラヤへ行けるのは若者じゃなきゃ無理じゃないのか? なんて事を考えながら読みました。山に登る人多いですよね。私も高校は登山部でした。 ぶらっとヒマラヤ 作者:藤原 章生 毎日新聞出版 Amazon 私は現在40歳。60歳まで生きていれば20年後だ。20歳の時に20年後を想像することは全くできなかった。この20年を振り返ると、ついこの前のように思い出せる。 このペースでいけば、人生最後の時には「ああ、あっという間の人生だったな」と思うに違いない。 著者の藤原章生さんは58歳の時に、登山仲間の斎藤明さんに誘われてヒマラ…

#藤原章生#ぶらっとヒマラヤ#生を感じたい

田舎教師ときどき都会教師4年前

藤原章生 著『ぶらっとヒマラヤ』より。老いは敵ではない。だから老いて旅するのも悪くない。変化、つまり加速度を書きたいのだ。一定の速さで時間が過ぎていくのではなく、遅くなろうが速くなろうが、そこにある加速度。つまり、ヒマラヤに行くという特殊な体験、60前という年齢経験が自分自身に何らかの変化、加速あるいは減速をもたらすか、ということに興味がある。それは私への好奇心だけではない。人間の一つの代表である私自身の変化を知ることで、人間を知ることができると思うからだ。(藤原章生『ぶらっとヒマラヤ』毎日新聞出版、2021) こんばんは。今日は土曜授業でした。年度末の繁忙期なのに、雪崩のごとく押し寄せてくる仕事に息も絶え絶えなのに、休みの日にも授業だなんて。通知表も指導要録も何もかも放り投げて…

#読書#教育#藤原章生#ぶらっとヒマラヤ

田舎教師ときどき都会教師4年前

401回目の投稿。猪瀬直樹さん、中原淳さん、藤原章生さんに感謝。他にもたくさん感謝。世界は贈与でできている!いま僕が文芸家協会の会員にさせてもらい助かっているのは、健康保険である。文芸美術国民健康保険組合という形の国民健康保険への団体加入で、一般の国民健康保険よりかなり安い。遡れば、菊池のおかげになる。(猪瀬直樹『小論文の書き方』文春新書、2001) こんばんは。ブログ記事、401回目の投稿です。直近の100記事(301~400記事)を振り返ってみると、書くことを継続できたのは、猪瀬直樹さんや中原淳さん、藤原章生さんを始めとする「贈与の差出人」のおかげだなって、これまでと同様に勝手に感謝しています。 www.countryteacher.tokyo 小論文の書き方 (文春新書) 作者:猪瀬 直樹 文…

#猪瀬直樹#中原淳#藤原章生

田舎教師ときどき都会教師4年前

映画『天国にちがいない』(エリア・スレイマン監督作品)より。わかりやすい授業よりも、わからなさを基調とした授業を。主人公はこうしてナザレに戻って来る。退屈で凡庸な隣人たちの顔を毎日眺めながら、生きていくしかない。結局、世界のどこにいっても、パレスチナに真面目に関心を持っている人などいない。その癖、誰もがパレスチナ人と同じように、監視され、見えない抑圧のなかで生きている。全世界がパレスチナになってしまったかのようだ。自分はどこでもよそ者だし、人々はお互いによそ者どうしで、理想郷なんてどこにもない。このフィルムのなかで主人公は最後まで科白らしい科白を口にしないが、心のなかでは「やれやれ」と、諦念と落胆の入り混じった気持ちを抱いている。世界のどこに足を向けようが、どこも同じだ。(劇場版パンフレット『天国にちがい…

#映画#教育#天国にちがいない#エリア・スレイマン#藤原章生

田舎教師ときどき都会教師4年前

藤原章生さんと高野秀行さんのトークイベントに参加してきました🎵 その「個」はどこから始まっているのか。するとほどなく、朝日新聞にこんな論調の記事が載った。テロの原因は貧困にある。武力による報復ではテロを根絶できない。テロをなくすにはまず貧困をなくさなければならない。 それを見たとき、私の中から自分でも驚くほどの怒りが湧いてきた。 机上の空論だけ繰り返しいい気になっているエリート記者がわかったふうなことをぬかしやがって。貧困がテロの原因だと言うのなら、もしそれが本当なら、なぜアフリカ人は爆破テロを起こさないんだ。なぜなんだ。(藤原章生『新版 絵はがきにされた少年』柏艪舎、2020) こんばんは。今週の火曜日の夜に藤原章生さんと高野秀行さんのトークイベントに参加してきました。場所は青山ブックセンタ…

#読書#教育#藤原章生#高野秀行

田舎教師ときどき都会教師4年前

藤原章生 著『絵はがきにされた少年』より。土曜日も日曜日も働くなんて、大したものだと思いますよ。仮に我々に、お金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう。普段と大して変わらない暮らしをしている気がします。あの山の向こうのことを知りたいとも思いますが、それより、家族や友人たちとうまいものを食べ、話をしている方がよほどいい。(藤原章生『絵はがきにされた少年』集英社文庫、2010) こんばんは。土曜授業が立て続けにあって、なかなか疲れがとれません。今日も日曜日なのに仕事をしていました。仮に暇があったら、とりあえずゆっくり休みたいところです。具体的には、絵は…

#読書#教育#藤原章生#絵はがきにされた少年

自分が変わること16時間前

予感とは、体の叫び2024年10月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 この夏、お盆休みの長い山登りでちょっとした事故に遭った。50cm四方、厚さ20cmほどの岩が左頭上から落ちてきて、その下を歩いていた私は瞬時に左足を引っ込めたが間に合わず、足先に激しい痛みを覚えた。「ガッ」と一撃された感じだった。声が出ないほどの痛み、という表現があった気もするが、数メートル前 にいた仲間、マッチャンこと松原憲彦は「声を聞かなかった」と言うので、声をあげなかったのだろう。だが、痛みは存外味わったことのないものだった。 足先が切れたような感覚があった。すぐに地下足袋と軍足を脱ぐと、前に向かって声をかけた。「おーい、足、やられた!…

自分が変わること4日前

原稿書きと友情と2024年9月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 新聞記者になりたてのころだから28歳の年、長野市に暮らしていた私はのちのちまでつき合うようになる友人2人と出会った。ひとりはトモさんという少し年上の人で当時、長野外国語センターという英語学校の講師をしていた。もう一人は長野市内の印刷会社で働いていた工員で、詩人の浜田順二さんだ。この人は一回りほど上である 。 長野には身よりもなかったので、ゼロからの出発だったが、若かったせいもあっていろんな人に会った。そんな中、いまも濃い関係が続いているのはこの二人だけだ。 職場はどうだろう。支局長の曽我祥雄さんは当時50をまわったくらいだから私より二回り上で、…

自分が変わること8日前

レクイエムの月(下)2024年8月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 先輩記者、岩橋豊さんの訃報を聞いたとき、「えーっ」と声を上げてしまったのは 、数日前から彼のことを思い出していたからだ。普段は思い出さないのにそのときは立て続けだった。 私は今年4月6日、南アフリカから東京に戻った。昨年11月からニュースをほとんど見ていなかったため、何があったのかと振り返っていたら、脚本家、山田太一さんの死を知った。木下恵介監督をテーマに話を聞いたことがあり、記事が出たあと、丁寧な手紙をいただいたことがあった。「あー、亡くなったかあ」と残念に思い、彼の随筆を読んだり、テレビドラマ「岸辺のアルバム」などを見返していた。 そんな中…

自分が変わること11日前

レクイエムの月(上)2024年7月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 5月、立て続けに先輩記者たちの偲ぶ会が開かれた。一人は昨年末に亡くなった元ソウル、ワシントン特派員の中島哲夫さんで、享年66。50代半ばで若年性アルツハイマーを発病し、社説を書く仕事ができなくなり、人とも会わなくなっていた。最後は家族に見守られひっそりと逝かれたという。 病気が病気だけに、生前会いに行けなかった人も多く、有志たちがどうしてもと東京・大手町の広いレストランで偲ぶ会が開かれた。 中島さんとは、私が毎日新聞の松本支局大町駐在から東京の外信部に異動してきた30歳の春に初めて会った。会社の寮も同じで、近所づきあいもした。彼はその1年前に九…

自分が変わること15日前

欲望が消えたのか2024年6月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 先日、久しぶりに東京の神保町で麻雀をした。きっかり午後5時半に到着すると、すでに3人は勢ぞろいしていて、あいさつもそこそこに勝負が始まった。こちらは半年ぶりだし、アフリカから戻ったとみな知っているのに、誰も何も聞かない。「アフリカ、どうだった?」「面白かった?」と聞いてくれると思い、小話をいくつか用意していたが、何も聞かない。そもそも関心がないのか、目の前の勝負に夢中なのか。 3人は70代の前半から末で、私よりも一回り以上上の男たちだ。2人は元新聞記者 、もう一人は援助団体の役員をやっているが、特段、アフリカには関心がないようで、私は少しがっか…

自分が変わること18日前

東京人のけなげさ2024年5月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 南アフリカから22時間かけて成田空港に着いた途端、すでに「日本モード」に なっている自分に気づいた。飛行機から降りると、いそいそとチケットを買い京成スカイライナーに乗った。土曜日の午後9時。普段はガラガラの車両は珍しく混んでいる。30代半ばに見える男性の隣に、「失礼します」と言って席についた。が、男性は返事をしないどころか、こちらを見上げもしない。 そうだ。そうだった。私は日本モードをさらに強め、日暮里駅まで無言ですごした。車内には結構外国人もいるが、話し声一つしない。チリ一つ落ちていない。 日暮里で山手線に乗りかえ、車中の人々の顔をさりげなく…

自分が変わること22日前

ズールー語と和歌2024年4月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 南アフリカに3カ月という長い日程を組んだのはズールー語を学ぶためだった。西アフリカを旅行中、人の家に泊めてもらううちに、現地のアフリカ言語を自分のものにしたいという欲がでてきた。そのためには、まずは取材の拠点となる南アフリカの代表的な言語、ズールー語を学ぼうと思ったのだ。 ムザマーネ、通称MZという名の元高校教師の元に週3日通い、毎回20ほどの構文を録音してもらい、それを繰り返し朗読している。私が寄宿しているソウェトの友人宅は、裏庭が飲み屋のようになっている。といってもビールだけを売りツマミも何もない店で、現地では「シェビーン」と呼ばれる小さな…

自分が変わること25日前

23年のタイムトラベル2024年3月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 南アフリカに着いて間もないこの1月、私は友人につき合い、ショッピングモー ルにある銀行のベンチに座っていた。 モールの玄関口や駐車場で暇そうに佇んでいる人の姿は昔と変わらない。だが、 買い物に来る人はみなおしゃれで、裕福そうに見える。思わず声をかけ、写真を 撮らせてもらったほどだ。 銀行は当時より立派になっていて、多くの人が並んでいた。当時は職員といえば、黒人居住区でも大半は白人だったが、それが見事に入れ替わり、黒人かカラードがまるで何事もなかったかのように静かに業務に勤しんでいた。 2001年春にこの地を去って以来、23年ぶりの南アである。こ…

自分が変わること1ヶ月前

アフリカ人を前に変わった自分2024年2月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 アフリカ大陸の旅もあっという間に2カ月。昨日、西アフリカのコートジボワール最大の都市、アビジャンに着いたところだ。もう少し先に進んでいるはずだったが、ずいぶんと長居してしまった。 スペイン、モロッコ、モーリタニアまでは、出会った人の家に長くても3泊ほどで順調に下ってきたが、マラリアにかかったのも手伝いガンビアに10日、その南のセネガルのカザマンス地方にも長居し、ギニアビサウやシエラレオネでもいい知り合いができ、日にちがたってしまった。 こんなペースで南下していたら、南アフリカに着く前に帰国予定の4月がすぎてしまう。そう気づいて、ここアビジャンか…

自分が変わること1ヶ月前

ガンビアで目にしたシスターたち2024年1月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 アフリカ旅行を始めてそろそろ1カ月になり、西アフリカの小国、ガンビアでこんな光景を目にした。 しばらく路上で待っていると、目当ての行き先に行く大型のワゴン車が客寄せを始め、10人ほどが一斉にバスにかけていった。私も加わり、スライド式のドアから乗り込むと、すぐ前にいた若いカトリックのシスターが後部左隅の座席の収まり、私もその列の右端に座った。するともうひとり、赤ちゃんを抱えたシスターが懸命に乗ろうとして、中にいる乗客に赤ちゃんを受け取ってもらっていた。身が軽くなった彼女はもう一人のシスターが確保した後部座席に収まった。 赤ちゃんを受け取った乗客が…

自分が変わること1ヶ月前

無目的な旅は人を寂しくさせるか2023年12月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 珍しく感情が波打った。割とすれっからしで、感情の上下が乏しい方だが、日本を出るとき、寂しい気持ちになった。スペイン経由でアフリカへ半年ほど行くため、この11月6日、妻と羽田空港に向け車を走らせていた。そのとき、彼女と離れる寂しさを覚えた。 寂しいだけではない。虚しい感じがそこに加わっている。虚しさはどこからくるのか。言葉にすれば、自分が何をしようとしているのかよくわからない不確かさに、足元がゆらゆら揺れる不安感が加わったような気持ちだ。 こんな気持ちになったのはずいぶん前のことだ。25歳、1986年の中米行きだった。結婚前、つき合って半年あま…

自分が変わること1ヶ月前

心の恩人、中村寛子シスター2023年11月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 猛暑の終わりのころ、シスターの中村寛子さんを訪ねた。この方に会うのは2001年1月以来なので22年半ぶりである。当時、彼女はコンゴ民主共和国、旧ザイールの首都キンシャサにある修道院にいた。私は5年半のアフリカ駐在を終える直前、新大統領の就任式でこの地を訪れた際、彼女を訪ねた。初めてお会いし、3時間ほど話をした。それを新聞の「ひと」欄という小さな記事にしただけの関係だ。 コンゴでは暴動に巻き込まれ怖い思いをしたこともあったが、私は懲りずにその地に通っていた。結構自分なりに疲弊していたのだろう。質素な修道院の部屋に案内され、お茶を飲みながらシスタ…

ururundoの雑記帳 1ヶ月前

「絵はがきにされた少年」 藤原章生著綺麗な空だなと 西の空を見る。 夕方6時過ぎの 淡いピンク色に染まった雲。 見上げれば 真綿を伸ばしたひとひらの雲。 山間の狭い空に 作為のない雲の姿を しばらく立ち止まって見る。 心の中の 少しのわだかまりが 軽くどこかへ 吹かれていけばいい。 毎日新聞を購読している人には きっと馴染みの名前の記者「藤原章生」 友達が運んできた去年の毎日新聞の記事を読み それが興味深く 図書館に一冊予約した。 その本「絵はがきにされた少年」を受け取った。 『報道の現場から平易な言葉で深く問いかける。 未だ貧困の意味すら知らず 無知のまま淡々と生きる市井の人々の 生きざまを 新聞社のアフリカ特派員として 5年…

自分が変わること1ヶ月前

アフリカ本を読む 田中真知さんの本大当たり2023年10月号掲載 毎日新聞契約記者/藤原章生 この夏は前よりも時間ができたので、仕事以外の本を結構読んだ。コロナで入院したちょうどその日、2021年5月1日に60歳になり、毎日新聞社を定年退職したのだが、年金がもらえるまで、パートのような形で働ける仕組みになっている。社内ではそれをキャリアスタッフと呼んでいるが、なんのことかわからないので、私は「契約記者」と名乗っている。現役時代の3分の1の給料で、9時から5時まで働くという奉仕的な条件だが、現役時代のように必死に働かなくてもいい、ほどほどでいいという暗黙の了解がある。 それでも、同僚たちの口ぶり、日々の紙面には、できるだけ働いてほしいと…