『メッセージ』 この子どもどこの子 (original) (raw)
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、ジェイディン・マローン、アビゲイル・ピニョフスキー、ジュリア・スカーレット・ダン、ツィ・マー出演の『メッセージ』。2016年作品。
第89回アカデミー賞音響編集賞受賞。
原作はテッド・チャンの短篇小説「あなたの人生の物語」。
突如世界各地に現われた巨大な飛行物体の内部にいる生命体とコミュニケーションをとるためにアメリカ軍のウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)に協力を求められた言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は、数学者のイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)とコンビを組み、宇宙人との対話を試みる。「ヘプタポッド(七本脚)」と呼ばれる彼ら宇宙人が描いた文字らしきものを調査するルイーズたちだったが、各国の足並みは次第に乱れてゆき、やがて宇宙船への攻撃が検討される。
以前、映画評論家の町山智浩さんの解説を聴いて気になっていたのと、特徴的な宇宙船の形が「ばかうけ」や「柿の種」にそっくり、と話題にもなって、すでに観た人たちが「SF映画の傑作」と褒めてたりクリストファー・ノーランの『インターステラー』と比較していたりと一部でとても評判がいいので鑑賞。
実は僕はこの映画を観る前に町山さんの解説やいくつかのレヴューでその内容とオチを知ってしまっていて、だからその意外な結末に驚くことはなかったんですが、逆に前もってある程度の予備知識があったおかげであまり戸惑うこともなく観られて、この映画の狙いも掴めたところはある。
【ネタバレあり】町山智浩『メッセージ』徹底解説 miyearnZZ Labo
ほんとに何も知らずに観ていたら、この映画のキモの部分をちゃんと理解できたかどうか自信がない。
どんな映画なのか何も知らずに観た方が驚きと感動は大きいかもしれないし、でも事前に知っておいた方がいい知識もあるのでジレンマがあってなかなか難しいところですよね。
「サピア=ウォーフの仮説」とか「非ゼロ和ゲーム」などは映画を観る前に知っておいてもいいかも。
僕のTwitterのTLでは高評価の人が多いんだけど巷での評価はまちまちのようで、中には映画ライターや一般の人たちの中でも「物足りなかった」「ラストがカタルシス不足」などと言ってる人たちもいる。
また、原作小説を読んでいる人と僕のような未読の人との間でも評価に差があるみたいで。
僕自身は観ながらちょっと涙ぐんじゃいました。結構好きな映画です。
それではこれ以降は重大な礻夕八゛乚がありますので、映画をご覧になったあとでお読みください。
宇宙船の内部に入って透明な壁越しに宇宙人(2体いるそれらはイアンによって“アボット”と“コステロ”と名づけられる)とコンタクトをとったルイーズだったが、彼らが地球にやってきた理由を知るためにまず意思疎通を図らなければならないので、文字でのやりとりを始める。
その間に疑心暗鬼に陥った者たちによって爆破工作が行なわれたり、中国が他の国々との協力をやめて宇宙船への攻撃の準備を始めたりと緊迫の度合いが増していく──。
何かただならぬ街の様子からいかにも“ファーストコンタクト物”といった感じで始まり、地球人の言葉を話さない宇宙人たちとどうやってコミュニケーションをとるのか、試行錯誤が重ねられる。
そこにしばしばルイーズの回想らしき場面が挟まり、宇宙人たちの文字と彼らの時間の概念が映画の構造と合わさって、悲しくも美しい、そして儚くも力強い結末を迎える。
この映画を観ていて、僕はほんのちょっとジャコ・ヴァン・ドルマル監督の『ミスター・ノーバディ』を思いだしたんですよね。
意外と観てる人が少ないので、よろしければぜひご覧いただきたいですが。
あの作品は人の出会いについての「もしも~」という選択肢がどんどん枝分かれしていって、様々な可能性の世界が並行して描かれる映画だったんですが、主人公にとってはそのどれもが現実に存在した世界だった。
そして次第に時間の感覚すら曖昧になってきて、子ども時代も青年時代の想い出も彼の中では同時に起こっている出来事のようになってくる。
人生の不可思議さを感じさせるとともに、未来で老人として生きている主人公がインタヴュアーに語る形で描かれているように、それはあまたの「物語」についてのメタファーでもある。
で、僕が今回やった「オチを知っている映画を観る」という行為は、まさしく『メッセージ』という映画そのものと重なるのです。
↓ラストのルイーズの「選択」は本当に「選択」であったのか?という疑問など、なかなか興味深い論考があったので参考にさせていただきました。
スクリーンの中のスクリーン ヘプタポッドと人間を隔てているもの 那珂川の背後に国土なし!
最近ではネタバレがやかましく言われてたりして神経質な人も多いですが(だったら人の感想なんか読まずにさっさと映画観りゃいいのに)、確かにオチを知ってしまうと面白さが半減してしまう映画というのはある。僕だって今回はたまたまそうだったけど、映画を観る前に積極的にそのオチを知りたいとは思わない。
では、オチを知ってしまったらその映画はもう観る価値はないのか。
だけど、好きな映画を繰り返し観たり、あるいは好きな本を何度も読んだりすることがあるように、オチを知っててもオッケーな、オチを知っているからこその心地よさというのもある。
それに映画をよく観る人にはわかっていただけるでしょうが、まったく同じ映画でも観るタイミングや年齢などによって違う印象を持ったり、以前は気づかなかったところに注意が向く時もあって新しい発見がある場合もあるし、他の人の感想を読んだうえで観てもまた違う面白さがあるので、内容をすでに知っている映画を観ることは僕はけっして無駄だったり無意味なことではないと思っています。
好きな本を繰り返し読んだり、好きな映画を何度も観るのは無駄なことじゃないんだよね。そのたびに僕らは新たな出会いをして時に未来を“回想”しながら笑い、涙を流すのだ。 #メッセージ
映画って別にオチに驚くためだけに観てるわけではないし、何度も観ているうちにそれまでわからなかったことが理解できることだってある。
この『メッセージ』に関しては、多くの人たちによるいろいろな解釈、意見があるんだけど、僕にはまず「ワン・アイディアの映画」として映ったんですよね。
映画の最初が最後に繋がる円環構造を持った物語で、要するに観客がヒロインの回想だと思っていた娘の誕生からその死へと続く断片的な描写は、実はこれから彼女に起こる“未来の記憶”だったということ。
ルイーズと別れた“夫”とは、劇中で彼女が出会い、ラストで想いを告げられたイアンだった。
“フラッシュバック”ならぬ、“フラッシュフォワード”という奴ですか。
まずそういう形式の話自体が好みでもあるので、それだけでも惹かれるところがあった。
この“未来の記憶”と最初と終わりが繋がった書道の墨で書いたような円形の文字、「過去・現在・未来」が同時に存在する宇宙人との組み合わせ。
これらの要素を使ったSFでありながら、最終的には親子や恋愛、人生などについて語っている。
また、それは先ほど述べたように映画を観たり本を読むことの喩えでもある。
ルイーズはヘプタポッドとの接触やその文字から受けた影響で時間を越える能力に目覚め、未来に自分が書いた本を読んで、そこから宇宙人たちの秘密を探るヒントを得る。また、中国の人民解放軍のシャン将軍(ツィ・マー)のなき妻が最期に遺した言葉を未来で将軍本人から聞いて、そのおかげで危機を脱する。
終盤の展開がかなり駆け足でルイーズがあっという間に問題を解決してしまったり、宇宙人たちが地球にやってきた目的である3000年後のエピソードも描写や説明が雑すぎるとか、将軍の妻の言葉がなんだったのかもわからないままだったりするのも、それが物語の核心ではないからでしょう。
ハッキリ言って、世界の平和を維持するためには各国の協力が必要なんだ、というメッセージっぽいものすらもオマケというか、あのオチを隠すためのミスリードにすら感じる。
あの終盤の性急な展開に「カタルシス不足」と感じた人がいるのもわかるんですが、これが宇宙人とのファーストコンタクトの形を借りた「運命」や「選択」についての物語なのだとわかれば、僕は充分にカタルシスを得られると思うんですが。
てゆーか、ルイーズと娘のハンナ(“HANNAH”は前から読んでも後ろから読んでも同じ)の映像は、もうあれだけで泣けるじゃないですか。なんか鉄拳のパラパラアニメみたいでさ。
わざと被写界深度が浅く撮られている美しい映像で時折インサートされるハンナ(ジェイディン・マローン、アビゲイル・ピニョフスキー、ジュリア・スカーレット・ダン)との親子の描写は、普段映像に映っているすべてのモノや人物にピントが合っているパンフォーカスを見慣れていると、手前のものはハッキリ映っているが背景がボヤケているこの映画の映像は視野が狭く窮屈な感じもするのだけれど、この内容を表現するにはとても効果的でした。
あと、けっして時間は長くはないけど、防護服の息苦しさの描写は観ているこちら側も呼吸がしんどくなってくるほどでしたね。エイミー・アダムスの苦しそうな呼吸音なんかも閉所恐怖症だったら堪えられないような。
批判、というわけではないけど、原作との違いを指摘したレヴューも。
ハリウッド・映画・西洋──映画『メッセージ』が明らかにする3つの限界:池田純一レヴュー
僕自身は上の評者の「映画はノンリニアでインタラクティヴ的なものが苦手」であることが、何か表現媒体として欠陥ででもあるかのような意見には同意しかねますが。
何度も繰り返すけど、すでに筋立てや結末が決まっている物語を読む、という行為は無駄なことではない。
重層的なことが必ずしも最高だとも思わないし。映画は「時間芸術」で、限られた時間の中で連続的に観るものだからこそ、そこで描けるもの(観客が理解できるもの)もまた限られている。それでいいじゃないか。
たとえば美術館に展示されてる絵画を作者のコンセプトを無視して勝手に並べ替えたり作品をコラージュしたりすれば、それはまったく別のモノになっちゃうでしょ。
僕たちは作者の考えや手法を楽しんでるんであって、「映画」は観る者が自分勝手に操るただの素材ではない。
その映画を楽しんで観たあとに、あれこれと自分流にアレンジしてみたりするのはありでしょうけど。
映画の感想を書く、という行為だってその一つかもしれない。映画の感想は「映画」そのものではないのだから。
僕たちには僕たちのまた別の「作品」があって、最初にリンクを張ったブログの書き手さんの指摘のように、映画=私たちのこと、だと捉えることもできるかもしれない。
一人ひとりの人生が「映画」のようなものだということ。
人の解説や感想、オチを知ったあとで映画を観るというのは本来なら邪道かもしれませんが(僕はしょっちゅうやってますけど)、この映画に関してはそういう観方もありなんじゃないかと思いました。
劇中のルイーズと同じように、ところどころ前もって“未来”を知りながら僕はこの映画を観ていたわけですね。それが“未来の記憶”をめぐる映画の内容と重なっててなかなか面白かったです。
主演のエイミー・アダムスとジェレミー・レナー(僕は時々彼が「劇画調の濱田岳」に見えてしまうんですがw)は以前『アメリカン・ハッスル』でも共演しているけど、そこでの彼らの役柄が互いに今回の作品とはまるっきり違うのが面白い。
特にエイミー・アダムスはすっぴんの地味めで真面目な役も峰不二子系の“イイ女”の役もできてどちらも違和感がないのがスゴいですよね。
今度、ディズニーの『魔法にかけられて』の続篇もやるみたいだし。
スーパーマンの恋人を演じている彼女が今回も宇宙人とコンタクト、というのも「またかい」って感じでちょっと可笑しかった。
正直、映画を観ていてもジェレミー・レナーが演じるイアンがなんの役に立ってるのかイマイチよくわかんなかったんですが、なんか憎めない感じだからいっか。
いろいろ数学的なことで協力していたんでしょうが、頭悪いんでそのへんはよく理解できず。
SFファンや原作のファンの人たちにはいろいろと不満もあるようですが、事前に想像してたほど難解な映画ではなかったし、数学オンチな僕でもこの映画は楽しめて感動もした。
最近「家族」について描いた映画を観る機会が多いですが(まぁ、昔からそういう映画はいくらでもあるけど)、これもその一つではある。
こういう傾向の背後にどんな意味があるのだろうと気になっています。
「ばかうけ」な宇宙船のデザインはユニークだったし、ヘプタポッドがまるで『アダムス・ファミリー』の“ハンドくん”に見えたりして、シリアスな題材だけどどこか奇妙な味のある映画でした。
こういう作品を撮ったヴィルヌーヴ監督の最新作『ブレードランナー 2049』が楽しみです。
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