『キャプテン・マーベル』 遥かなる飛翔 (original) (raw)

アンナ・ボーデン、ライアン・フレック監督、ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ジュード・ロウ、ベン・メンデルソーン、ラシャーナ・リンチ、リー・ペイス、ジェンマ・チャン、アキラ・アクバル、マッケナ・グレイス、ジャイモン・フンスー、クラーク・グレッグ、アネット・ベニングほか出演の『キャプテン・マーベル』。

“スターフォース”に所属するヴァース(ブリー・ラーソン)は、6年前にクリー人の司令官ヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)に助けられた時以前の記憶がない。宿敵スクラル人の司令官タロスに囚われ過去の記憶の断片を調査された彼女は、脱出して惑星C-53に墜落する。そこは1995年の地球だった。ヴァースと接触したS.H.I.E.L.D.(戦略国土調停補強配備局)のニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は、彼女によって地球外の超人的な力を持つ者たちの存在を知ることになる。

マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース(MCU)の1本。スーパーヒーローチーム“アベンジャーズ”が誕生する以前のエピソードが描かれる。

まだ頭に毛があって「アイパッチのおっさん」になる前のニック・フューリーが主人公ヴァースと出会い、彼女との共闘によって「アベンジャーズ計画」を思いつく。

この感想はこれまでMCUを観ていないとなんのことだかさっぱりな文章なので、意味がわからないかたは大変申し訳ありませんが、今回は飛ばしていただいてよいかと思われます。

いつもお断わりしているように僕はマーヴェル・コミックの原作は読んでいないので今回映画に初登場となる「キャプテン・マーベル」のキャラクターや設定等についての予備知識はまったくなかったんですが、予告篇でなんかいかにもスペースオペラっぽいコスチューム着て空飛んだりしてる彼女の姿にちょっとDCコミックスの『グリーン・ランタン』(って僕は映画本篇を観てませんが)を連想したりした。

正直、CGで描かれたキャラが派手に飛び回って宇宙船と撃ち合ったりする映画には飽きてきているのであまり興味をそそられなかったんだけど、来月公開の『アベンジャーズ/エンドゲーム』でキャプテン・マーベルは重要な役割を果たしそうだし、事前の予習のつもりで観ることに。

すでに観た人たちの評価は大絶賛はあまりなくて、DCの『ワンダーウーマン』と比較してあちらの方を好む意見が多かった。別に無理に観なくてもいい、という辛口の評価も。

一方では、『エンドゲーム』の前にぜひ押さえておくべき、と主張する人もいる。

『ワンダーウーマン』は僕は結構厳しい評価をしたんですが、女性のスーパーヒーロー映画には惹かれるものがあって、できることなら応援したい気持ちはあるんですよね。

ルーム』でアカデミー賞主演女優賞を獲得したブリー・ラーソンが演じる女性ヒーローってどんなだろう、という興味はあった。『ルーム』の内容を知っている人なら、その主演女優がマーヴェル最強の女性スーパーヒーローを演じることにどんな意味が込められているのかもわかるでしょう。

ブリー・ラーソンについては『ルーム』の時に感じた目ヂカラの強さが気になっていたんだけど、その後の『キングコング:髑髏島の巨神』(サミュエル・L・ジャクソンと共演もしている)での怪獣から走って逃げる時の男前な表情からも、もしかしたら結構アクション系がイケる人なのかも、と思ったし。

ただし、『エンドゲーム』の予習のため、という目的は果たせたから観たことは後悔していないけど、この映画が好きだったりこれから観ようと思っているかたには申し訳ないですが、ぶっちゃけ僕も「無理して観る必要はない」という意見に同意です(冒頭のスタン・リーおじいちゃんしか出てこないマーヴェルのロゴは泣かせますが)。

女性監督(共同監督)が女性の単体ヒーローを描くことの意義と作品の評価はまた別なので。

演出中のアンナ・ボーデン監督

『ワンダーウーマン』が神話的な島から人間の世界にやってきたヒロインが活躍する姿を描く、わりと単線的な物語だったのに対して、この『キャプテン・マーベル』はまず過去の記憶を失った主人公の正体をめぐる謎が提示されるミステリーの要素があるために物語が入り組んでいて、ハッキリ言ってわかりづらいし、終盤で彼女の正体がわかったところで別に感動とか驚きに繋がらないので、勿体つけて引っ張ったオチがこれかい、という苛立ちも感じた。

そしてまたあとで語りますが、ヒロインが発揮するスーパーパワーの描写に納得いかないところがあって、それは『ワンダーウーマン』にも感じた不満なんだけど「強さのインフレ」に辟易してしまうところも。主人公が発する超常的な力にどこかで説得力がなければ、それはただの茶番劇になってしまう。現実へのカウンターにもならない。

もしもキャプテン・マーベルがアベンジャーズの最新作でこの映画のクライマックスのような大活躍を見せるのだとすれば、それは宇宙規模の超人大乱舞大会となるはずで、先ほど僕が「飽きた」と言った「CGで描かれたキャラが派手に飛び回って宇宙船と撃ち合ったりする映画」そのまんまだ。

もはやまともに地面に立ってすらいないスーパーヒーローには僕はあまり興味が湧かないので、ちょっと不安なんですよね。今回初めての出番となるキャプテン・マーベルが「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」よろしくいきなりアベンジャーズにぐいぐい割り込んでくる作劇は果たしてどうなんだろう、という懸念もある。

まぁ、『エンドゲーム』は一応「アベンジャーズ」シリーズの一つの区切りっぽいし、場合によっては僕はシリーズの見納めとなる可能性もあるから(などと言いつつ、またズルズルと観続ける可能性も^_^;)、10年以上続いてきたお話がとんでもなく壮大に膨れ上がって爆ぜて終わる、というのもそれはそれでありかな、とも。

だから気になる人は観てみたらいいんじゃないでしょうか(なんか投げやりな言い方だけど(;^_^A)。

追記:ただし、『インフィニティ・ウォー』のあと、この映画を挟まずにいきなり完結篇の『エンドゲーム』を観ると、なんでキャプテン・マーベルがアベンジャーズのメンバーたちと一緒にいるのかまったくわからないので、話の流れを充分に理解するためには確かに必見。

では、これ以降はネタバレを含みますので未鑑賞のかたはご注意ください。

映画が始まってしばらくはちゃんと背景の設定が説明されないままどこかの星で主人公のヴァースが仲間たちとともに敵と戦ってて、なかなか物語に入っていけなくて困った。

地球に降り立ってからは電車の車内でのおばあちゃんとの乱闘なんかは楽しいんだけど、しばらくすると再びヴァースは宇宙で戦うことになる。全体的にキャプテン・マーベルが地球で戦う場面はごくわずか。あのユニフォーム姿で街なかをウロウロするとか、ほんとはそういうのこそもっと観たいんだがな。宇宙で大バトルなんてのはどーでもいいんで。

コスプレねえさんの強烈ガン飛ばしにヒきまくる乗客の皆さん

ヴァースが属するクリー人と敵対するスクラル人との間には戦争が続いていて、やがてスクラルについての真実と、ヴァースの記憶の断片の中のローソン博士=クリー人マー・ベル(アネット・ベニング)が開発した「ライトスピード・エンジン」がヴァースが持つことになった超人的な能力と関係していたことが判明する。

その「ライトスピード・エンジン」の源であるエネルギー・コア=四次元キューブをめぐって、彼女たちは敵と戦うことになる。

…と、ここまで書いた話を理解できるまでに物語がずいぶんと蛇行を重ねるので、誰が味方で誰が敵なんだかよくわからない状態のまま観続けることになる。

それはミステリー的な手法のためなんだろうけど、僕は監督たち自ら書いたというシナリオがあまり巧くいってないと思いました。

たとえば、映画の中盤でクリーのA.I.「スプリーム・インテリジェンス」がヴァースの前にローソン博士ことマー・ベルの姿で現われる場面があって、そのせいで僕はヴァースの憧れの存在であるマー・ベルが敵の黒幕なんだと勘違いしちゃったんですよね。

だけど、そのあとでヴァースことキャロル・ダンヴァースが「マー・ベルの遺志を継ぐ」とか言ってるので、ちょっと何言ってるのかよくわかんなくなってしまって。

こういうすごく紛らわしい描写がいくつもある。

原作を知ってる人はこのキャラクターが誰で、誰の味方で、みたいなことはわかるのかもしれないけど、完全に初見の僕には設定とストーリーをちゃんと理解するのが難しかった。

台詞でチョロッと説明だけされてもよくわかんない専門用語がたくさん出てくるし。

単に主演女優への好みもあるのかもしれないけど(僕はワンダーウーマン役のガル・ガドットもブリー・ラーソンもどちらも好きですが)、『ワンダーウーマン』が世界中で大ヒットしてファンが大勢いるのに対して、この作品がそこまで盛り上がっていないように見受けられるのは(全世界興行収入はすでに『ワンダーウーマン』を上回っているそうだが)ストーリーのわかりづらさもあると思う。

で、最初に述べたように、そんなに勿体つけるほどの謎じゃないんだよね。

確かに映画の中盤で、最初は敵だと思っていたスクラル人が実は家族や仲間を大切にして、彼らの信条に従って戦っている誇り高き種族だということがわかり、逆にヴァースの命の恩人であるはずだった司令官ヨン・ロッグはマー・ベル殺害の真犯人で、スターフォースやクリー人たちこそ陰謀と虐殺のおおもとだったことがわかる展開では「正義」が相対化されていて、その部分では無邪気に「正義」のために戦っていたワンダーウーマンの戦争観よりは深いと思った。

味方だと思っていた者が黒幕だった、というのは『ワンダーウーマン』と同じ展開なんだけど、最初はいかにも悪役然として主人公の前に現われた者たちと最後は心を通わせ合う、というのは、タロスを演じているのがここのところ悪役づいてるベン・メンデルソーンなだけに、巧いな、と。

そして、「女の子だから」という理由で幼い頃から男たちに見下され排除されてきたヴァース=キャロルの悔しさの描写にはとても実感がこもっていて、ヴァースを自分よりも劣る者と見做して常に上から目線で指導していたヨン・ロッグを一発で吹っ飛ばす場面で(前の席で観ていた外国人のカップルがウケてた)溜飲が下がった人もいるだろう。

「戦うのではなく、戦いを終わらせる」という彼女の言葉は、キャプテン・マーベルというスーパーヒーローの存在理由を示唆している。

どーでもいいけど、ジュード・ロウはあの髪型をずいぶん長く保ってるなぁ。来日した時にビートたけしに「あいつハゲじゃん」と言われてからもうずいぶん経つと思うんだが。

実は散々文句を言っておきながらも、キャロルのキャプテン・マーベル覚醒の場面では僕もちょっとグッときたんだよね。涙ぐみそうになってしまった。あれは『ワンダーウーマン』でダイアナを演じるガル・ガドットの雄姿に理屈を超えた感動を覚えたのに似ている。

そして、キャプテン・マーベルやワンダーウーマンが世界中の多くの女性たちを魅了した理由もちょっとわかった気がした。

現実の世の中で抑圧されていて、そのことで日々多大なストレスを感じているからこそ、ワンダーウーマンやキャプテン・マーベルの超常的なパワーとその飛翔に胸が熱くなるのだ。

それはかつて僕がクリストファー・リーヴが演じるスーパーマンの強大な力とその飛翔にワクワクしたのと同じ感覚なんじゃないだろうか。

子どもの頃から男たちに仲間はずれにされて「お前には跳べない」と嘲笑われてきたキャロル(少女の頃のキャロルを演じているのは、『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』でもヒロインの子ども時代を演じていたマッケナ・グレイス)の屈辱。現実の世界では努力しても超えられない壁がある。映画の魔法はその壁をいとも簡単に乗り越える。

そこに「強さ」への渇望や生まれながらにして持っている能力の限界への納得いかなさと苛立ち、自分を見下す者たちに対する怒りなど、とても共感できるところがある。

キャロルの心の師のような存在であるマー・ベルも女性だし、空軍時代の同僚で親友だったマリア・ランボー(ラシャーナ・リンチ)とその娘のモニカ(アキラ・アクバル)など、この映画の主要キャラクターたちには女性が多い(ネコの姿をした“フラーケン”のグースも雌)。

また、キャロルは誰とも恋には落ちない。ピンチを男性によって救われることもない。

だから『ワンダーウーマン』がそうだったように、これは女性たちへの応援歌として観られてもいるんでしょう。

ただ、その「悔しさ」からの“飛翔”にちょっと飛躍があり過ぎてついていけなかった。

キャロルはローソンと一緒にライトスピード・エンジンを搭載した飛行機のテスト飛行中にヨン・ロッグに攻撃を受け墜落、ローソンともども殺されそうになってとっさにエンジンを破壊するが、そのエネルギーを全身に浴びてキャプテン・マーベルとしての超能力を身につける。

両手からフォトン・ブラストを発射して攻撃したり飛行することもできるようになる。

終盤の逆転劇はもうパンパカパーンッ!って感じで、ウルトラセブンみたいなモヒカンのマスク姿で敵の宇宙船から発射されたミサイルを一人でことごとく破壊して親玉のロナン(リー・ペイス)を撤退させる無双ぶり。

まったく勝負になっていないんだよね。その圧倒的な強さに感動で震えるか、それともシラケるか。

『ワンダーウーマン』のクライマックスの“かめはめ波”合戦にノれなかったように、あまりに強過ぎるスーパーヒーローの闘いには僕は燃えようがないし、今回のキャプテン・マーベルに至っては彼女がかつて感じた屈辱の克服が彼女自身の努力とその結果得られたものとして感じられないので(というか、あまりにチート過ぎる力を与えられているから)、その勝利に素直に喝采を送れない。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でスター・ロードたちと戦った敵ロナンが出てきたり、若かりし日の(でもすでにおっさん)ニック・フューリーやエージェント・コールソン(クラーク・グレッグ)が登場したり、MCUをずっと観てきた人にはエピソード1的な楽しさはある。

ジャイモン・フンスー演じるコラスも『GOTG』に登場していた。フンスーはDCの『シャザム!』にも出演

また、ミン・エルヴァ役は『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』にも出演していたジェンマ・チャン

ともかく、『インフィニティ・ウォー』でニック・フューリーが信号を送った相手がどういうキャラクターなのかこの映画でわかるので、続く『エンドゲーム』鑑賞前の準備としては万全ですね。

だけど、あんなに強いんならもう無敵じゃん、と。彼女一人でサノスにも勝てるのでは?^_^;

まぁ、このシリーズはめっちゃ強いと思ってたキャラクターが(ヴィジョンとか)あっさり殺されてしまったりするので、なんかもうその辺の力関係がよくわかんないんだけど。

ヨン・ロッグたちスターフォースの面々とロナンが同じ種族には見えないし、クリー人たちの強さも、直接攻撃を食らったらダメージをどのくらい受けるのかなどいまいちわからないので、なんだろう、スーパーヒーローが悪を倒す、というごくシンプルなカタルシスが得られなかった。

あるいはもしかしたら、この映画で最強なのは“ネコ”なのかもしれませんがw サミュエル・L・ジャクソンが岩合さんみたいにネコを可愛がってたら大変な目に遭うという話

やっぱり主人公が最後に知恵と力をふりしぼって戦ってぎりぎり勝利を収めるからこそ、そこに本当の感動と涙がもたらされるのだと思う。

偉そうなこと言って恐縮ですが、『ワンダーウーマン』も『キャプテン・マーベル』も無敵の幻想に酔えた1作目ののちには、いずれヒロインが本当の苦難と対峙する必要があるだろう。

それこそ、現実に女性たちを苦しめている者たちを象徴するような敵でなければならないはず。

立ちはだかる“敵”に彼女たち自身の知力と体力の両方を使った技で見事に勝利を掴み取ってほしい。

痛みを知る者が立ち上がり、最後に手にする勝利こそ弱き者の勇気を奮い立たせることができるのだから。

今後は、スーパーヒロインを描く映画はぜひシナリオをもっと頑張ってほしいです。

主演女優たちが素晴らしい存在感と演技を披露してくれているのに対して、まだまだ物語の方は発展途上にあると思う。

それが揃った時、まさしくキャプテン・マーベルの飛翔のように映画は誰も追いつけない地平へ僕たちをいざなってくれるだろう。その時が訪れるのを楽しみにしています。

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