anehako’s diary (original) (raw)
酔言 50
相手に主張するその内容が正しいからといって、もちろん人はそれをそのまま受け入れ納得するとは限らない、ということはいったい何を意味しているのだろうか? なぜなら、正しさを伝えることがまさに相手を納得させる唯一の有力な手段と考えるのが常識だからだ。3×3=9になる正しさほどにも、責任や道徳上の考え方が相手に達したためしはないのではないか。
兵庫県知事に再選された斎藤氏やアメリカのトランプ氏、事情をそれほど知らない私から言わせれば、その選択した民意がおかしいと言うのは簡単だが、それでも投票の参加者が増えれば、この国はまともになるというリベラル派的な考えもまたユートピアに見えてしまう。正しさは主張する側に当然あるのだから、そこは水が砂に滲みこんでいくように相手方へ必ず伝わるはずだと、しかし、これは実はなんとも傲慢な態度ではないだろうか?
正しさとは、相手側に納得され受け入れられて効力を発するものである。科学上の法則でさえ、それが正しいことと周知されるまでには、紆余曲折を通ってたくさんの人の検証を必要とする。もちろん民意が間違えることは、歴史上無数にあるわけだが、多数のフィルターを通過させることで彼らの意思をその選択された代表者に委託するこの民主主義のシステムを変えない限り、この時点では正しいことになる。
私はサラリーマンだからよく分かるのだが、現場の処世術、生き残るための鉄則とは、いかに責任を取らされるようなことをしないかにある。これは我々の行動原理としてはかなり深いものであり、業績を増したい、たくさん稼ぎたい、地位を上げたい、周りの印象を良くしたいに比べ、まさに条件反射的であり、手の込んだそれぞれの行動基準がそこから決められていて、しかも無意識に各々の判断の正しさを導き出す。宿痾のような責任回避という行動規範は、逆に言えば安定した生活にこそ価値を置くことであり、保守ということの根の深さがこのあたりにもある。
ルールにないことをやって重大な損害や犠牲を払ったときは責任を取らされるだろう。ルールに従ってそれでも損害や犠牲を出したときは彼の能力を疑われ、なんらかのペナルティを課せられかもしれない。逆に、損害を出しても、ルールに従っていたことは責任を逃れる武器にもなりうる。ルール制作者自身の帰責性が生まれるからだ。
機器が経年劣化し新しいものに更新した場合、少なくとも1年間はその故障に対する補償期間がある。メーカーや設置工事業者は契約でそうした取り決めをしているのが普通だ。しかし、補償期間中に設置工事業者の修理の発注が遅れたとき、実損が発生する。我々のような設備のメンテナンス業者は更新自体の責任はないが、与えられている設備を使っての保守運用は契約である。その限りでは故障した場合の修理の義務と経費を負う。では、その時の責任分担はいかようになるか?明確な手続きを決めておかないと現場は混乱するのである。
更新前の機器はもちろん、新しい機器の補償期間が過ぎれば、当然、故障の修理は日々運用している我々の責任になる。しかし、患者と直接向き合っている病棟にはそんな事情は分かるはずもない。病院の休日に新品の暖房機器が故障で停止したとき、だれがどこに連絡して修理を頼むのか、我々メンテナンス業者は客と常に顔を合わせている。壊れるはずがないとたかをくくっていた病院側も、連絡網を現場の我々に示していなかった。
夜の寒い気温を考えると、暖房のない病棟は一部の建物だとしても、かなりのリスクを患者にもたらすだろう。我々の負担でメーカー修理を肩代わりすることはできるだろうか?しかし、病院側や設置工事者とコンタクトできない状況では、修理代金を請求されたとき、当然にその代償を彼らに求めることができるのだろうか?我々の上司は否定的態度を示した。下手に動くと我々の責任分担ではないのに、新たな問題を起こす恐れがあるということだ。
しかし、患者のリスクは高まる。メーカーに修理依頼をしてもすぐに来るとは限らない。病棟側からは我々に修理依頼の催促が来るだろう。補償期間という契約上の取り決めがネックになって、予め細部の取り決めを明確にしていなかったため、責任分担に現場が混乱するのだ。事実、患者をほったらかしにして、身動きができなくなる。
当事者だろう病院側の担当者や設置工事者とコンタクトがとれない場合、現場を預かる責任者としてはどう行動すればいいのか?どこの承諾を受けなくとも修理メーカーに依頼することはできただろう。最悪のときは個人で代金を払うルール違反もありだったのか? この考え方は、ルールを破ってあえてその責任をとっても、行動しなければならない場合があることを示しているのだろうか。しかし、これは一般サラリーマンの行為規範に真っ向から対立するだろう。
戦時中の日本人外交官杉原千畝のように、ルールを破って人命を助けたことは、彼の個人的な価値観が世間一般の常識と鋭く対立したとき、前者が遥かにまさったためと思われる。そのときの彼が思う正しさは、日本政府には説得的ではなかったが、時代を超えて人々を次第に納得させてきたものではないか。まさに、人が受け入れることで正しさが形成されたのである。しかし、私個人は彼を英雄にすることに興味はないし、彼ほどの個人的な価値観があるわけでもないのだ。
酔言 49
私にはインドは未知な土地で遥かに遠い。しかし大気は無窮に広がっているのだから、その神々は瞬時に、こんな東京郊外の高尾の近くまでもやってくるのかもしれない。いや、そもそも神々にとって、時空などは存在しないだろう。
八王子の住まいからそれほど遠くないところ、しかも自転車で行ける程良い距離に、小さなインド料理店があって、南インド料理を食べさせるという。店は以前の蕎麦屋の店舗をそのまま使っているから、中も外も蕎麦屋のままだった。最初に前を通りかかったとき、ここがインド料理店とは気がつかなかったほどだ。
しかし、入ったとたんそこはまさしく私の想像する混沌のインドだった。子供が大きな声で店内を走り回っている。母親が笑顔で答える。かしこまった日本の食べ物屋ではない。客と彼らとは同等だ。奥の厨房からときどき父親が子供をしかる。インドのリズミカルな音楽が流れている。そこに有線だろうか、意味はまったくわからないが、インド人のインタビューの声がさらにうるさく重なる。
チャーミングな日本語の話せる奥さんは、そんな中で甲斐甲斐しく私たちにメニューの説明や、南インドのことを話してくれる。日本で食べられるインド料理の9割は、実は北インドのものだという。そんなものかと思いながら出てきた料理を食べた。なるほど美味しい。そして安い。
インディカ米はカレーによく合う。日本の白米よりも軽い感じで舌触りがよく、重いカレーにはこちらがいい。蒸しパンのようなものをヨーグルトのソースに浸して食べる。香辛料が効いたこくのあるカレーは食べれば風邪などすぐに治りそうだ。泡立ちがよくなるのか、店主が私たちのテーブルの前で、振り上げた容器からチャイを糸のようにカップに流し落として入れてくれた。
この蕎麦屋の姿を残した店中に、すべてが混沌として渦巻いていたように見えたのだ。それでいてなにか日本にはない圧倒的なものがある。音楽も言葉も洪水のように店内に満ち、店内に貼られた写真も、店の人の優しさや喧騒も、美味しい料理も、一つに混在して、皆、インドの神々の顔をしているような気がした。『レジ
酔言 46
札幌の北高校を卒業したのが約半世紀前だった。記憶の彼方へあらかたを閉じ込めて、できる限り振り返らないよう努めてきた私であったから、その当時のクラスメイトのことをほとんど忘れていると思っていた。が、実際会って顔をみたらそんなことはなかった。皆、当然ながらそれなりの歳を重ねて私の前にいた。
情報が少ない中、記憶の中のおもかげの残る表情を見つめて、それぞれの身に流れた時間を、盃を片手にそっと盗み見しながら想像するのは楽しかった。皆が何をやってきたかはそれほど関心はないが、それでもひとりひとりの表情に刻まれた印は、私の心に確実に何事かをうったえかけてくる。それは懐かしさや戸惑い、あるいは気まずさではなく、長い分断のおかげでかえってもろもろの彼らとの予断を排除することができ、時の純粋運動を目のあたりにできたことだった。
その一つ一つの表情に、経過したかけがえのない時間そのものが結晶化している。これは誰にでも言えることだ。夢のように過ぎていく限られた一生のスパンに、我々の自由意思がどれだけ格闘することができるか、その人間にだけにかせられた必然の法則のようなものの証言が顔の上に現われているのだ。時の本質は人がつくる。半世紀の時間の隔たりはそのことを改めて浮きぼりにさせる。
昨日、誘いがあって生まれて初めてクラス会なるものに参加した。東京在住のクラスメイトたちだった。
酔言 44
この透き通った秋空の下の曼珠沙華の花に、私の投げかける言葉はけして届かないだろう、と思った。なぜなら言葉は私たちそのものであり、親しい下草や観葉植物ならいざ知らず、曼珠沙華のような神秘的で異界の発現には、その私のささやきの射程は及ばないだろうからだ。だから、私たちの目には彼らが人目をさけて咲き匂い、ただ涼しげに風にそよいでいるようにしか映らないのだ。
たくさんの曼珠沙華の花が川辺に咲いていた。八王子の高尾山に近い浅川の河岸を、つれあいと自転車に乗っていたときである。川瀬の音が清らかだった。その姿があまりに美しく、彼女が自転車から降りてその一房を摘んでこようとしたとき、私は不意に彼女を止めたのだった。自分でも自分の突然の振る舞いに驚いた。
その夢の中の何かのおもかげのように、見事に咲き乱れる一群れの曼珠沙華のひと枝が手折られて、そのまま家の中にいつのまにか入ってくるのを想像した途端、私は急に不安に襲われたのだった。
天界に咲くこの花の、紅い粉が私の家の中に散じて、カーテンや衣服の襞に、テーブルや食器棚の木目にその紅い斑点が滲んでいく映像が視界の中に浮かんできたのだった。それはまた堰を切ったように、彼岸からの見ず知らずの死者たちを呼び交わし、目路のそこいらにざわざわと湧き立つことで、なにか取り返しのつかないことへの兆しとさえ思えてきたのだ。
地下から枝も葉も節もなく突きでたその花茎が、そんな私にはおかまいなく、風に吹かれていつまでも私たちを誘うように揺れている。山川草木悉皆成仏。しかしながらこの天界の花は妖しいほどに美しすぎた。一切が空であるのなら、まさしく私は虚空の中の空華とたまたま出会ったのだろうか。
彼女は、私の表情の翳りを見て怪訝そうな顔をしたが、大人しく手を止めて河岸から上がってきた。
松沢日記 46 ①
解剖台の下には専用の排気ファンがついており、腑分けされた臓器や体液の臭気を、床に埋め込まれた縦穴のようなダクトを通して強制的に吸い込むと、建物の屋上からその臭気を外に逃している。私は幸運にも解剖台で人を切り刻むことも、また切り刻まれたこともまだない。
まもなく昼食どきというときだった。警備より、一階の歯科診療室の天井からぼたぼたと水が漏れていると連絡が来た。なぜ警備から水漏れの連絡が来たのかはわからなかったが、どちらにせよ設備員だから見に行かなければならない。脚立とウエスをもって現場に駆けつけた。先日の大型台風の到来以後、解決しない雨漏りが何ヶ所も残っていた。
建物の水漏れはやっかいだ。なぜなら、その水がどこからやってくるのかはっきりと原因が特定されることが少ない。外の壁にできたクラックやひび割れ、屋根の防水切れ、窓枠のシールの劣化、破れた配管、侵入した水は屋根裏を、壁の内側を、そして配管の隙間を自由自在に水筋をつくっては流れていく。私の人生もこうなればいいなと思うが、こうした水の自由闊達さにはとても及ばない。
歯科診療室の診察台に治療中の患者は座っていなかったが、歯科医師や看護師が不安そうに天井を見つめていた。天井石膏ボードと丸いスピーカーの隙間からけっこうな量の水滴が落下している。この天井裏に何かの配管が走っているのだろうか、図面を見なければわからないが、近くの天井点検口を開けようとして落下地点に近づくと、看護師に危ないと止められた。
はて、なんであろうか、そばの診察台になにかの異常があるのだろうか。私の怪訝な表情を見た看護師が言うには、同じ場所からの水漏れが何年か前にもあり、その時と同じ原因ではないかと話す。私には知らないことであった。嫌な予感が頭に浮かんだ。ちょうど階上の部屋が解剖室であったのだ。解剖室から出た水であれば、想像をしたくもないが、もしかして衛生上の問題があるかもしれない。看護師が私に近づくなと言った意味がすぐにわかった。
天井点検口を開けると、暗がりの中、目の前に立ち上がりのダクトが迫り出しており、その下部から水滴が流れ出していた。配管ではなくそれがダクトなら、何かの空調である。中には部屋の換気の空気が流れているはずである。怖る怖る見上げた屋根裏のダクトは、階上床下の剥き出しになったコンクリートの躯体に薄気味悪く消えていた。嫌な予感が増した。
水漏れの養生を同僚に任せて、二階の解剖室に急行した。現場に着いたが扉を開けるのにはばかれた。もし、解剖中だったらどうしようか、医師でもない私が勝手に入ることは許されないだろうし、解剖されている人の死体など見たくもない。しかし、緊急事態でもある。中でいったい何が起こっているのだろうか。私はしばらく入口の扉を見つめながら、長い廊下の突き当たりにある解剖室の前でもじもじしていた。
私はサラリーマンだから、残念ながら人様からお給金をもらう身であり、その意味で現社会の大多数の一人である。これは私を一方から強く条件づけているものであり、考察に値することである。肯定するか否定するかはまた別の話しだが。だから、そのシステムの中で生きている事実から目を逸らすことはできない。大多数の人たちの側にこそ間違いも、その思い違いも、独りよがりも、そして社会改革の動機も、あるいは現実もあると信じる。しかも、おそらく私の根はアナーキス的であり、同時に兵士の血流が流れているからこそ、そこの分裂は、見果てぬ夢を追いかけて、あるいは理想だけを追うものにはけして分からないだろうと、思うところもある。つまるところ、他人の気の利いた言葉を寄せ集めては思想と定義し、しかも己れの生きてきたことへの手の込んだ自己弁明にだけはしないようにと思う。
松沢日記 45
同じ会社の警備責任者と、意見の対立があった。彼は立場の違いを認めず、報告こそがすべてに優先すると言って私を批難、冷笑するのだ。もっともこの見解は企業に、あるいは組織に広く行き渡った集団的な行為規範であり、職人系の世界にはなじめないものである。
警備と設備管理は同じ施設管理の仲間であり、その仕事の目的は結局は同じである。もっとも、厳密に分ければ当たり前ではあるが、警備は現状維持と報告が要諦であり、設備は報告ではなく故障や不具合を治すことがその柱であろうか。そして我々設備員には、緊急時に管理者やオーナーに細かい報告をしている余裕がない状況が必ず起こるのである。
設備が故障して、被害が刻一刻と拡大しているとき、なんとかそれを食い止めなきゃならない場面に、この仕事ではいつか遭遇する。しかも、その異常の原因がわからない、どうしていいか皆目わからない、しかしマニュアルにはないことが起きているのはたしかだ。取扱説明書をだしてのんびりと調べている時間などない。目の前の現象は原因のほんの一部しか現れていないことも多く、科学の実験のように、裾野から再現性を繰り返す帰納的なアプローチをとることも困難な場合がある。そんな時、その切羽詰まった孤独さと、己れの不甲斐なさに嫌というほど立ち会うことになる。
水が天井から噴き出している、突然停電になる、ガス漏れ探知器が発動する。冷蔵庫が壊れ冷凍臓器が溶け出す、機器が止まってけたたましく警報が鳴っている。断水が最上階から次々と拡大していく、稼働中の熱源機器の圧力計が危険ゾーンにまで達している。だが、見ただけでは原因がわからない。
しかし、ここで何かの手を打たなきゃ大変なことになることだけは肌でわかる。このままではとんでもない影響が出てくる、ただ時間だけがどんどん過ぎていく、助けてくれーと周りに叫ぼうにも誰もいない。今、とりあえずここで目の前の設備に一番詳しいのは私しかいない。手を差し伸べてくれるやつなど近くにいないのだ。そんな時、なんとか踏みとどまることしか頭にはない。我々設備員にとって、リスクが最大のときとはそういうときだ。当然ながら、施設にとってもリスクの時だ。
企業でもリスク対策は盛んだ。当然、研修や教育、リスクマネジメントは花盛りである。オーナーや社会から要求されているからである。あるいは事故や人身災害、それに対する企業の代償が大きくつくからであろう。もし経済的な代償が少なければ、企業はそんなことに時間と金は使わないはずだ。
現代の企業はリスク発生からの対応者の行動フローチャートを徹底させて、緊急連絡網を整備し、危険な状況を洗い出す。そしてまず報告、報告である。いやはや、たいへんな労力の積み重ねである。そして、上司や関係者に、委託者に、オーナーに現状報告しなければ、当然ながら後日、その時点で異常の責任の一端を負わされることになるだろう。
警備員だって、ある状況で踏みとどまらなきゃならないことは当然ある。しかし、最後は警察官やオーナーに状況を投げればいいのである。いや、そうしなければならない。強制力をもった警官と違い、警備員は一般人の資格を持って行為することが義務ずけられており、そこからの逸脱は許されない。だからこそ、権利者、関係者への報告とかけ渡しが最重要になる。
施設警備員は、民法206条の所有権からもたらされる、謂わゆる施設管理権のオーナー代行にその仕事の法的根拠があり、またその施設管理権の範囲内で行動しなければならない。逆に言えば、代行であるからにはオーナーとは一体ということだ。ということは、一体であるオーナー等には状況の逐一報告は必須のことになるだろうか。
しかし、我々設備員は、業務委託契約、委任契約にその仕事の根拠があり、あらかじめ仕事の内容は契約で決められている。保守管理はその中の一つであり、契約遂行の義務は当然あるが、オーナーとの一体感などは必要がない。法的には常識の範囲で報告すれば済むことであり、報告の内容が、例えば自然災害に於ける対応義務のように、交わした契約に書かれていなければ、契約に関する善管注意義務の、信義則上の遂行義務に限られるべきである。そして、あくまでも故障した機器との対応を優先させるべきではないだろか。
私の言いたいことは、実は単純なことなのだ。異なる立場を理解するには想像力が必要であり、その想像力こそが、こうした危機状況には一番求められることになるのではないかと。規定外の、既存にはなかった未知なるものに出会ったとき、その一線を越えるためには、まさにこの能力の発動が要になる。危機的状況にはまず想像力を全開にしての結論があり、そこから演繹的に思考が流れていくしかない。自分の考えを押し通し、他者の立場を一顧だにしない硬直した者は、その想像力の欠如であり、おそらく、だからこそリスクには弱いに違いない。