2024年8月18日(日)の日録。 (original) (raw)
さておき雑談のメモ(1)
きちんと筋道たててまとめる気力がないため、8月10日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。
やっぱり弱い者が損をする。
実は、同じ共和党の有力上院議員であるグラハム氏が「アメリカがウクライナに固執する本当の理由」を明かしてくれました。
それによれば、アメリカがウクライナへの経済、軍事支援を続けているのは、巷間言われているような「自由と民主主義を守るため」ではなく、「ウクライナに眠る膨大な地下資源をロシアや中国に横取りされないようにするため」とのこと。
グラハム上院議員曰く「ウクライナには重要な鉱物資源が大量に確認されている。金額にして12兆ドルに達する。これをプーチンに渡すわけにはいかない。中国もこれを狙っていることは間違いない」。
(略)
すでにウクライナの誇る大穀倉地帯の半分以上がアメリカの巨大投資会社や農業資本によって買収されています。
ウクライナは欧米から武器や資金を提供されていますが、無償援助ではありません。
農地を含む国土を担保として差し出しているのです。
「浜田和幸さんなんで、読むときもともとアメリカに批判的という点は差し引いておくべきではあるんです。とはいえ、これが世界の現実なら、そりゃあ先進国の大使は平和祈念式典に来ませんよ。「日本の地方政府ごときがなにさまのつもりか美味しいビジネスの放棄を訴えているらしい。イスラムも露助もみな平等とは恐れ入る」「誰に歯向かってるかわかってんのか日本政府責任もって黙らせんか」くらいにしか思ってません。青臭い馬鹿くさいと鼻で笑ってたでしょうね」
「この記事教えてもらって読んで思ったんです。本当ならウクライナは2024年は選挙イヤーなんだけど、戒厳令下で選挙を執行停止してるから、ゼレも彼の与党も国民の審判をうけることはありません。ロシアとダラダラ戦争やってるかぎり、彼らは永遠に政権に居座ることができる。むしろ戦線拡大大歓迎ですよこれ。
しかも戒厳令下でたいていの命令は議決なく下すことができる。国土や鉱業権を外国に売り飛ばすったって、その地べたの持ち主は居るわけです。国民が死ねば死ぬほど接収はかんたんになる。いったい誰が悪玉なのか、笑うしかない」
「いちばんの悪玉はバイデンなんだろうけど、彼はもう利権の窓口から降ろされて、今度は終戦後の利権分捕りあいがはじまっているわけでしょ。
これ、ウクライナという国だけの話だと思わないほうがいい。どこの国も政治家なんてこんなもん。自分と家族の懐にたんまりいれるのが仕事で、他人は使い棄てくらいに思っている」
「でも、こういう記事を読んでも、汚職まみれの可哀想な外国の話としか思わないんですよね。日本人はホント基地外レベルで善良過ぎる。ウクライナにかぎらず、汚職まみれで当たり前な国のみなさんを労働者として招こうとしている点を、もう少し考えるようにしたほうがいい」
「しかし、ホント他人の生き血を吸ってのうのうと生き延びるこいつらに天罰がないってのは、どうなんだろうなと思います。これでも神を信じるひとが居るってのが、不思議」
「だってインマヌエルですよ。神は我らとともに在り。悪いことをやってもバレないのは神のご加護。他人の命を粗末にしても許されるのは神のご加護。十字軍でイスラム殺しに行っても神のご加護。神は正義を保証するわけではありません。神の名のもとになにをやっても許される。神ってそういうもんなんです」
「この発想って、たぶん日本人にはないよね」
「一神教の発想はふつうに日本で生きてると理解できないと思います。
内村鑑三じゃないけど、神が我を選んで信徒にするんです。国家神道という擬似一神教は日本にあるけど、仏教とかほかをぶっ潰すまえに終戦になって中途半端で終わってます。日本の一般庶民の思考レベルではきほん多神教、八百万の神だから、あっちの神様は競輪にご利益がある、あっちの神様は眼病に効く、あっちの神様は宝くじが当たるで、あっちこっち行ってまったく不思議に思わない。神を選ぶのは我であって、我あっての神だから。役に立たない奴はあってもなくてもどうでもいいんです。道端のお地蔵さんに神を感じる者もいれば、ただの石と思ってもかまわない。だから言うでしょ「鰯の頭も信心から」って。
その意味で金光教のいう「あいよかけよ」くらい、わかりやすい多神教の概念はないんです。神がひとに生かされるってのは、一神教やそのパクリな国家神道では考えられない。
キリスト教もイスラムもユダヤもそうじゃないです。啓典宗教は、神の思し召しでひとは生かされる。気に入らなかったら殺していいんです。だって神のものだもの。信者は神に選ばれた「選民」なんです。ここが国家神道の場合は「日本民族」という枠になります。願いを聞き届けるかどうかは神の決めること。そして」
「そして」
「信者でない人間は、人間ではないんです。人間らしき動物でしかない。ともに神に選ばれた存在ではないから、信者になれない。だから信者は、人間らしき動物から土地を奪っても金品を奪ってもいい。犬を車で敷いても器物損壊罪です。ああいう感覚です。異教徒はしゃべって2本足で歩く犬くらいにしか思ってない。神がともに在るのは我々で、彼らは神の慈悲の対象ではない。
ここはね。平和教育をするときよくよく考えておいたほうがいい。これ抜きの平和教育になんの意味もありません。
世のなか無信仰が世界的に拡大しているといっても、多神教の信者が考える「人間」と、一神教の信者が考える「人間」、違うという点を。そしてどっちが多いか。どう考えても向こうは、キリスト教+イスラム+ユダヤで人口差、影響力の差は歴然です。
世界に出てやっていこうと思えば、どちらの思考を身に着けるべきか。
少子高齢化でこのまま日本に居ても、ジジババのためにがっぽり搾取されるだけ。未来のある若者こそどんどん日本に見切りをつけて世界に打って出ていかないと、ジジババ介護に人生もカネも奪われて夢も希望もなくなります。まぁ、世界に出ていくような知能も度胸もないやつは日本で、私のような負け組となかよく頑張るしかないんですけどね」
「むしろ、逃げないように囲い込みすらはじまってるよね。国公立大学の学費を私立並みにしろとか。知恵をつけて逃げないようにしているとしか思えない」
朝から値引き弁当。
昨日久留米から戻る途中、駅前のイオン系列のお店に立ち寄りました。値引きシールが貼られた弁当を買い求め、翌朝、電子レンジで温めてからいただいています。
油淋鶏弁当です。
いくら売れ残りでほかに選べなかったとはいえ、朝からこゆいタレの唐揚げ弁当はなかなかこたえます。貧乏ゆえの罰だとあきらめるしかありません。
高良山に登る(038)
「いつかお百度参り達成を目指そう 高良山登山第38回」です。
午後から用件はないので、今週中にもう1回稼ごうと高良山に登ることにしました。
いちおう現地で事故に遭ったりしないよう方位だけは確認するようにしているのですが、南西方面、7~9時は「庚庚:戦格」です。互いが武器をとり戦うので「戦格」。軍人やスポーツ選手、893をはじめ勝ち負け白黒はっきりさせないといけないかた以外には、最凶です。しかも五黄ですから、残忍、陰険、根絶やしを意味し、性悪さまでにじみ出ます。9~11時は「丁庚:火錬真金」で、屑鉄を溶かして純鉄を取り出すこととされます。問題は途中「(溶けるまで)炙られ苦しむ」という点で、占い師により吉凶の判断がわかれます。とはいえ、山登りはカチコミではありません。戦格ででかけるよりかはマシのはずです。
10時4分発の電車に乗るため、甘木駅にやってきました。
西鉄久留米駅で乗り継ぐ路線バスの発車時刻まで20分ほどあったので、駅の1階にあるうどん屋さんで、昼飯をすませてしまいます。かつ丼とセットの小うどんをいただきました。
さすがに気温が高くなってからの登山となるため、今回もなるべく歩く距離が短くなるよう工夫します。
今日は後谷登山口から登りはじめます。すれ違うかたが何人かおられ、全員、夜が明けるころに山に入ってこれから帰るかたでした。(暑くなって今から登るん……馬鹿?)と目が笑っておられるかたも居ますが、気にしてはいけません。
今回も奥宮にむけて最短コースとなるよう、経路を選びます。
とにかく、アブやら蚊やら(たぶん)ミツバチやら、まわりがブンブンブンとうるさいことこの上ありません。途中から頭が煮えてきたのか、ブンブンブンがホワホワホワンと聞こえてきます。
そのむかし、出口王仁三郎という新宗教のひとが居ました。このかたが書き残したものによれば低級霊との遭遇はハチの羽音のような音がするそうです。黒いものが飛び回っているのが見えていますから低級霊だとは思いませんが、聞こえてくる数と周囲を飛び回る数がズレている気もします。もしかするとついてきているのかなと思わなくもありません。
頭が煮えてきたのでベンチで休憩します。お茶でもコーヒーでもがぶがぶ飲んで水分補給すればすぐおさまるのですが、飲んで数分でじゃんじゃん汗をかき、身体がびっちゃりになってしまいます。水分補給を加減しておかないと、恥ずかしくて道を歩けません。
今日は奥宮にだれも居ませんでした。
湧水を引き込んだ手水で、手を洗うついでに顔を洗います。
昨日はなかったシーバスリーガルやにごり酒がお供えされていました。そういえば以前角瓶をみかけてブラックニッカを持参したことがありましたね……。シーバスリーガルのこの瓶3,000円以上しますから、さすがに……。
頑張ってダルマかな……そういえばコスモスで角瓶の横に売ってましたね……。
以前はもっと目立たないところに打ち付けられていた気もするのですが、毘沙門天の御真言がいつのまにか目の高さに貼り付けてありました。
つつじ公園の売店と休憩所に着きました。いつもはゼロコーラを自販機で買い求め、お賽銭用の小銭をつくります。小銭入れを数えると圧倒的に10円玉が足りません。今回は小銭の枚数を稼ぐため「いろはす」つまりミネラルウォーターにしました。
今日はいつものココアビスケットとゼリーを忘れずに持参しました。柱にもたれかかって休憩し、汗がひくのを待ちます。
今日は気温が高いせいか、奥宮の湧水で洗顔したせいか、タオルを絞るとなかなかデカい水たまりが出来ました。
アメダスを確認すると、平野部で36.1度とのこと。山中なのでもう少し気温は低めのはずですが、それでも風がないためぐったりします。
汗が止まったので高良大社に向けて下山することにしました。
ペットボトルを棄てに売店に戻ると、一匹は暑さで床にへばりついています。先日「暑いから毛モジャは近寄るな、あっち行け」と追い返した猫からにらまれます。どうやら餌でも献上しないかぎり許してはもらえそうにありません。
さきに高良会館でトイレを借りてから、高良大社にお参りしました。
ひさしぶりに正面参道の石段を下ります。大学を卒業してからも、初詣など折にふれて高良山にお参りするようにはしていました。初詣だったかほかの祭事だったか記憶は定かではありませんが、ハイヒールでこの坂を下っていた女性が尻もちをつき、目の前でゴロゴロと転がっていったことがありました。私はよく事態を呑み込めず眺めているだけでしたが、ほかのかたが救急車呼だりしていたのを思い出します*1。
あの記憶があるため、ハイヒールを履いているわけではありませんが、この石段を下るのはいそぐときのみです。
今日も高良山茶屋でいちごのかき氷をいただきます。
左が旧車道、右がほんらいの参道です。いつものとおり旧車道から神籠石コースに合流して、放生池を目指します。
放生池までたどり着きました。前日に駅前のイオン系列のお店で買った焼き麩をとりだします。
小さい鯉やカメは暑さでうだっているのか、焼き麩を投げ入れても飛びついてはきません。「あるなぁ、なんか」といった感じでふらふらと寄ってきているうちに、大きな鯉がかっさらっていきます。すぐ2袋なくなりました。
交番前の一の鳥居は車の往来が激しく、よほど早朝か深夜でもないかぎり、歩いてとおれません(鳥居の横をすりぬけて歩く必要があります)。今日は珍しく、鳥居を歩いてまたぐことができました。
全体で5.7km歩きました。
なお、電車で久留米から戻る途中、落雷の影響で停電し信号が現示しなくなり15分ほど延着しました。駅に到着後、合羽を着ることもせず、ぽつぽつと濡れながら自転車で帰宅しました。
いかともやしの焼きビーフン
帰宅して日記をまとめていたら、20時を過ぎていました。晩飯をつくります。
ガラス瓶入りの「赤玉スイートワイン」を買うと、資源ごみ回収の日に空き瓶を持参しないといけません。面倒なのでとうとう紙パック1.8Lを買ってしまいました。少しレモン果汁を加えて炭酸で割り、赤玉パンチにします。
2割引きの値引きシールが貼られ安くなっていたイカともやしを炒め、焼きビーフンをつくります。**暑いときこそ熱いものを食えとよく言われますし、漢方の世界ではじつは鉄則扱い*2**ですが、残念ながら焼きビーフンや焼きそばのようにすぐ冷めるものでないと、とてものどをとおりません。理想は理想ですね。