HIU公式書評ブログ (original) (raw)
著者は、国立大学の大学院を修了した後、サラリーマンとして25年以上勤務する技術者。母子家庭に育ったため経済的支援を得ることができず、学費の多くを奨学金で賄って大学院を卒業したが、同時に600万円の返済義務を負うことになった。
社会に出たあと、奨学金を完済したのは30代半ば。返済に気を取られている間、家族に何もしてあげられなかったことに気づき、後悔の気持ちでいっぱいになったという。
その思いを払拭するために、著者は貯金生活に切り替えた。
貯金を積み上げる傍ら、資産を増やそうと、自社株の購入、安定性から鉄道会社株を購入したが、いずれも下落時に我慢できず、「狼狽売り」で大きな損失を出した。
この経験から、「個別株投資はインデックス投資に勝てない」、「値動きの激しいものは買ってはいけない」ことを確信し、個別株投資を諦めて投資信託と実物資産投資にシフトした。
本書では実物資産投資先を10種類紹介しているが、この中にワンルームマンション投資を入れていない。
過去に「絶対儲かる」といった怪しい勧誘を何度も受けたことと、奨学金返済の苦労からローンを組むことを避けたいと思ったからである。
その代わりに、米国と英国の不動産に投資する理由は、ローンを組まずに買える価格帯であり、管理などの手間がかからず、高利回りを狙えるからである。
国内不動産の投資先として、勧めているのは借り手が日本政府で、滞納や空室リスクがない軍用地投資である。
著者が考える投資を成功させる秘訣は、「自分に負の影響を与える人と距離を保つこと」である。具体的には、「飲み会やゴルフを強要する人」、「自慢話や説教が多い人」、「お金を使うことを強要する人」であり、このような人が近くにいると貯金も資産形成もできなくなるので、「ためらわずに距離をおく」ことが重要と説く。
一見華やかに見える投資の世界も、このような泥臭い一面を持っていることを伝えている。
今から投資を始める人、あるいは、個別株投資をしている方で、投資先を投資信託や不動産投資に切り替えたい方は参考になる内容なので、一読してほしい。
著 者:松田二朗
発売日:2024年6月30日
メディア:朝日新聞出版
著者は、発展途上国の子供たちに映画を上映するNPO法人の代表。
若い頃に映画監督を目指して、日本大学芸術学部映像学科を専攻するも、結局は夢を諦めて事務員の職に就く。
30歳を過ぎたとき、人生の転機にぶつかり、行ったことのない、地縁もない「カンボジアに映画館をつくりたい」想いが湧いてきた。
映画館もテレビもない、下手をすると電気も通っていない村で暮らす子供達に映画を通して将来の夢を抱いてもらう、「夢の種まき」がしたくなったのだ。
著者が初めに取り組んだことは、上映させてくれる学校へアプローチすることだった。
紹介により、上映を許可してくれる日本人学校が見つかったが、上映する作品選定、上映許可の取得。発電機やスライドプロジェクター、スクリーンの代用品探しなど、多くのことに翻弄されることになる。
初めての上映会が実施された場所はカンボジア北部の「シェムリアップ」。
現地で働く日本人教師の協力のお陰もあり50名の子供に日本の映画を届けることができた。
著者のエゴから始まった活動だが、準備を手伝う人、モノを提供してくれる企業、クラウドファンディングで支援してくれる方々など、多くの人の助けを借りることで、60回、延べ6000人の子供たちに映画を届けることができた。
この本の一番の見所は、2000万円の支援金を受け取れる「夢AWARD3」に出場して、数千人の応募者の中から優勝を勝ち取るところである。
テレビも洗濯機もない6畳1間に住む、中年女性の奮闘に心踊らされる良書である。
著 者:教来石 小織
発売日:2016年3月1日
メディア: センジュ出版
著者は、大学卒業後、出版業界を渡り歩いた編集者のプロ。
同業界で実績を積んだ後、会社役員を務めた経験を生かして、自分の出版社を立ち上げた女性経営者でもある。
この本は、著者の人生の苦悩と気づき、起業後の活動をまとめたものである。
本書を読んで、心に刺さったところを紹介する。
著者が2008年に大手出版社に転職したとき、年20冊の書籍を外部委託せずに発行していたという。
その頃は、朝5時まで職場にいて、タクシーの中で仮眠をとりながら帰宅し、シャワーを浴びた後に再び仮眠をとってから午後に出社。
夫がいるのに、部屋はぐちゃぐちゃ、リビングの机は常に原稿の束が積み上げられ、散らかり放題だったという。
会社に大きな貢献をし、個人としてもチームとしても何度も表彰を受けた著者。しかし、成功の喜びを感じていた矢先に、その足を止める出来事が訪れる。
血尿が出て通院すると「肝不全の一歩手前」と診断されたのである。
著者は仕事一辺倒の生活を改め、家のことや夫婦の会話を大切にできる働き方に切り替えた。
東京都足立区千住に設立した出版社名前は「センジュ出版」。
起業と同時に開店させるカフェの改装に多くの運転資金を使ったことで、残った資金は本1冊分の制作費だけだった。
自分の報酬はもちろん、多くのことを切り詰めなければならなかったが、税理士や印刷会社、インターン生、カフェのお客さんなど多くの応援者に支えられて、苦難を乗り切った。
出版した本はすべて重版され、中には映画の原作になった作品もある。
長年、出版業界を歩んできた編集のプロの書く文章は言葉選びのセンスが光り、場面ごとの情景が頭に思い浮かぶ小説風のテイストでまとめられている。
そういう意味では、文章力を高めたい人、本を出版したい人の参考になる一冊である。
著者:吉満 明子
発売日:2020年2月10日
メディア:センジュ出版
端正な目次を眺めていたら、胸のぐじゃぐじゃが、すーっと腰まで降りていった。それぞれの生活を、己の精神で踏ん張っている、彼女たちとの連帯を感じられたからだ。
本誌は、2023年春に創刊したばかりで、本号で漸(ようや)く3号目。数ある同人詩誌の中でも珍しく、商業詩誌として創刊した。電子書籍・ペーパーバックでも購入可能だ(下記リンク↓)。
私も本誌のネットイベント「ポエラヴ」に参加して、向坂くじらさんの作品に返詩を寄せさせていただき、おかげさまでvol.2には拙詩も載せていただきました。その後、向坂氏は初の小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)で直木賞候補となりました。ここで何かが起きてます。
修辞を突き詰める「現代詩」は、読解が難しく、大衆向けではないだろう。しかしパラパラと眺めているだけでも、「こんな表現のし方もあるのか」と、新鮮さは感じるのではないだろうか。
詩は、音楽やスポーツと同じで、読むよりも、自分で書いてみた方が楽しめる。原稿用紙の使い方も、論理性も関係ない。日常のことばから少し離れて、あなたも飛翔してみませんか?
しろねこ社
発行人 雪柳あう子
著者は、広告代理店勤務の経験を活かして、ひとり広告代理店を立ち上げた主婦。
そんな、ひとり社長が提唱する副業は、「看板広告」。
看板の設置までは手間がかかるものの契約後は、毎年、請求書を発送するだけで売り上げが立つという。
もちろん、広告のデザインや設置、権利関連の手続きは自分でするのではなく、プロにお任せ。
代理店が実施することは、看板を必要とするお店に適切な看板設置の提案をすること。
といっても、「デザイン」「大きさ」「どこに設置するか」で効果が変わるので、センスある提案が必要。
一口に看板と言っても、さまざまな種類がある。
電柱に取り付ける「電柱看板」、畑や空き地に設置する「立て看板」、建物の壁面や屋上を利用した「建物看板」。
宣伝したい内容にマッチした看板を適切な場所に設置する提案をして、クライアントの売り上げアップにつなげることが大切。
現在は、情報化社会。広告というと「動画広告」「アフィリエイト」「リスティング」「ライブ配信広告」・・・・・・など、Web関連を思い浮かべるが、実社会において看板は今でも有効な手段。
アナログチックな手法であるが、店にも社会にも役立つアイテムであり、そこから権利収入が得られることは盲点だった。
広告代理店に勤務している人、していた人は、一読すれば始められる副業と考える。
老後の年金作りに看板広告、検討する価値は十分にある。
作者:小宮 絵美
発売日:2024年10月29日
メディア:あさ出版
「今までに書いたものの中で最高だし、どうしてこんなものが書けたのか、自分でも見当がつかない」
ディック本人がそう語る本作は、ディック後期の傑作とされている。
三千万人もの視聴者を誇るマルチタレントのジェイスン・タヴァナーは、或る事件で瀕死の状態となるが、目が覚めた時には見知らぬ場末の安ホテルに居た。
昨夜まで超人気タレントだったのに、その世界では誰もタヴァナーを知らない。
IDファイルも、出生記録すら無い、この世に存在しない男になってしまったのだった。
一体、彼はどうなってしまったのか。元の世界を取り戻せるのか。
偽造IDを作ることを考えたタヴァナーは、街へと赴く。そこから様々な人々と出会っていき、やがて、フェリックス・バックマン警察本部長と邂逅するのであった。
巻末の解説によれば、執筆当時の1970年にディックは4人目の妻と子供に逃げられた人生最悪の時だったということだ。その結果、自伝的要素を排除できずに、自らが望んだ訳ではないにしろ自伝的な内容になってしまったらしい。
そして、速書きで知られるディックにしては稀なことに、幾度も推敲を重ね、本書が発表されたのは1974年となっている。
なかなか独創的というか抽象的な作品で、ディック作品なのでSF小説ではあるのだが、全体的にサスペンス色に包まれており、SF的な設定や社会的な背景は存在するものの、それらについて殆ど説明も無く、内容的には人間感や愛について登場人物たちが語る部分が印象に残る、文学的要素の強い一作である。
流れよわが涙、と警官は言った
作者: フィリップ・K・ディック
発売日:1989年2月15日
メディア:文庫本
先日、10月16日掲載の書評で、冒頭の「ドア」の節は要らず、「おくるみ」から、私なら始める、と批評した。つまり、「おくるみ」の節が、ほんとうに見事なのである。詩人らしく、一言一句全て整い正確で、それゆえ破れている。読み進めない理由はない。
つぎの「産着」の衝撃も強い。私も、次女のお産では破水が先で、産婦人科まで送ってくれる夫の車が揺れるたびに冷や汗が出た。羊水が全部出てしまうと、感染症を起こして赤ちゃんに危険が及ぶと聞いていたからだ。運転する夫も、緊張していた。夫の車に乗っていても、なおかつ2回目のお産でも、あれだけ心許なかったのだから、誰一人頼れない状況での初産で、その状況…は、想像を絶する。絶するのに、この文章を読むと、目の前にありありと様子が浮かんできた。
私にとって、「ドア」の節は、読み始めるための枷になった。しかし、作者にとっては、この「ドア」が不可欠なのだろう。自分にとっての、大きなトラウマに触れるとき、通常は安全弁が必要だ。私のように全開にしてしまっては、この世とうまく繋がれなくなってしまう(笑) しかし私にとっては、このドアは不要だし、資本主義でタイパコスパ重視の消費者たちにとってもまた、おそらく同様であろう。
文学の畑に足を踏み入れたばかりの頃の私は、「文学の役割は終わった」、「文学が果たすべき役割は、すべて精神医学がやってしまった」と感じていた。しかし、私は精神医学に、不完全さがまだ多々あり、文学のーーとりわけ女性の精神についての文学が、人間界をよりよくするために重要な役割をもっている事に気が付いた。それは、ハン・ガンが取り組んでいる"トラウマの癒し"を中核となしている部分だと思われる。私もまた、トラウマ治療を手探りでおこなっている。私のトラウマ治療は未完である。未完であるが故に、この「ドア」の存在を、否定してしまったのだろう。この「ドア」には大切な役割がある。
私は、文学に足を踏み入れたことで、自分が修めた臨床心理学よりも、文学の方が高い位置にあることを学んだ。心理学がまだ新しい学問で、文学の歴史の、足元にも及ばないことから、それはまあ、さもありなん、ということなのかもしれないが…。文学が、まさか科学を牽引しているとは、思ってもみなかった。
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それにしても、ノーベル「文学」賞を、受賞者の原文で読めないとは、文学を志す者として、なんたることだろう。それでも、その美しさを再現してくださった、訳者の斎藤真理子氏の偉業を讃えたいです。
韓国語はおそらく、他のどの言語よりも、感覚的な面で日本語と近いはずだ。ノーベル文学賞受賞者の感覚に近い文章で読めるということは、日本語を母国語とする私達にとっても、良質の文学を味わう良い機会になる。
出産は、男性の身には起きないことだけれど、かならず男性もお母さんのお産を経てこの世に生まれたのだから、その事実と無関係ではいられないはず。お産は、全人類にとって、自分事である。
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「白い街」の節は、ワルシャワのことであるらしい。世界史については"履修漏れ世代"のため、私には残念ながらあまり地理的な実感が沸かない。それにしても、履修漏れ問題のなんと恥ずべきことか。世界史も倫理も未履修で、学士を気取って恥ずかしい。
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筆者は、生まれて2時間で死んだお姉さんの影に取り憑かれて生きてきた。似た境遇をもつ詩人が、日本にもいる。やはり似たような雰囲気の文体で、安定的に少し宙に浮いた、安定的に詩的な文章を書く方だ。彼女らの文章には、死が常にそこら辺に、ナチュラルにふわふわと浮いている。2人とも、「もう1人」を、サバイバーズギルトの上に載せ、二重の五感で生きている。しかしハン・ガンの文章からは、より力強さがーーどうかすると愉快ささえ滲み出ている。
ああ、
この力強さは、第一章第一節の、私が要らないと言った「ドア」の印象が支えているものなのだろう。作者はこの説で、日曜大工を行っている。この節がないと、著者のイメージを、非常に弱い人として、読者に届け兼ねない。その意味で、読者に対する重要な意味をもっていたのだ。私は浅はかだから、その節の存在の意味を、全く予測できなかった。
それにしても2人とも、自分自身を突き離して、ずいぶんと遠くから眺めている。その視線がもう既に、詩的なのだ。
本書の節の区切り方は、たくましい女性のそれらしく、非常に潔い。冒頭の「おくるみ」もとても短い節だが、負けず劣らず短い「乳」の節も、私には衝撃的であった。
赤ん坊の存在を感じると、おっぱいが張る。自分の人生とは一切無関係な、生命の本能を、自分の中にじんじん感じる瞬間である。およそ人生などというものを、相対化させてしまうあの瞬間が、こんなにも厳しく女性の精神を打ちのめす。
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第2章の「雪片」は、私は好きではない。小説家の父のもとで育った筆者に、資本主義のにおいが染み付いているのを感じた。孤独は、ぞっとすると書くほどのものでもない。筆者がぞっと感じたのはほんとうだろうし、読んでいる私もぞっに感染した。だが言葉を持たない方が優れていることもある。あなたは本物の孤独を感じたことがない。
では、目に映る全てを詩にしているあなたの行動に、どれほどの生産性があろうか。それは無駄な時間ではないのか。たまたま、あなたには天賦の才能があり、あなたの作品が評価されることになり、売れて消費される品物となったかもしれないが、彼がもしその瞬間、詩をつくっていたらどうする。あなたが過ごした時間と、本質的には同じではないのか。
生産性がある行為といえば、例えばブドウ球菌が増殖するのは生産性があるだろうか。子孫を残したら生産性があるのだとすれば、ブドウ球菌業界では「評価」されるのだろうか。確かに彼はあなたを不快な思いにさせたかもしれないが、それはあなたの感覚でしかない。何の危害も加えてこない、別の認識世界を生きている、国籍も違う1体のオスのホモサピエンスの時間を、「無駄」と推し量るのはいかがなものだろうか。
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「万年雪」と「砂」、そして「白く笑う」が好きである(「白い石」「灯たち」「ハンカチ」「息」「レースのカーテン」も。迂闊に好きとは言えない苦しい推し節もある)
共通したテーマをもつ散文詩の作品群は、内容的にずいぶんとバラエティに富んでいても、心地良い通低音が絶えず流れている。その洞察の発露は、かなりの長い期間、拘りを持ち続けた筆者によって書かれているので、繊細かつ発見に満ちている。
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「糖衣錠」の節に、急に堂々と顔を出したトラウマに対する脱皮には、あっと驚かされた。その次の「角砂糖」では少し明るささえ湛えている。この引っ込んではひょこりと顔を出す、行きつ戻りつの過程こそが、トラウマの根本的な性質なのだ。
私がそう精神医学的な解説を加えてしまうと、するりと皆の目の前を通り過ぎていってしまうけれど、これほどの質量の作品群からは、彼女の過ごすひとつひとつの時が、ゆっくりと読者の胸に降り積もりながら、読者のこころの奥に堆積してゆく。
作品群のひとつひとつが、筆者がトラウマを乗り越え、自己を象(かたち)造っていく癒しの道だった。心なしか、読み進めていくと、だんだんと著者の文体に、元気を感じるようになる。
それでもトラウマは、しつこく、ねちねちとことあるごとに顔を出す。
だけど私達読者がこの道をなぞることで、さらに確実に、彼女の傷は癒えていくだろう。そして彼女の傷は、人の倫を造るだろう。
著者は、外資系の証券会社を20年間渡り歩いた日本人女性。
現在は、将来のお金に不安を抱いている方々に、お金の管理や増やし方について教える学校を主催するお金の先生。
2019年に世間をざわつかせた「老後2000万円問題」、老後資金が足りなくなる根拠は下記の通り。
年金の受け取り額22万1227円、月の支出27万円。
不足する月額5万円×12ヵ月=年間60万円。
65歳で定年退職したあと、100歳まで生きると60万円×35年=2100万円。
「毎月不足する5万円は自助努力で何とかしてください」
著者は、以下2つの理由により倍の老後資金を準備することを推奨している。
① 総務省の公表している支出額に遊興費が含まれていない上に全国平均を採用しているため、都会で生活する人はそれ以上の生活費が必要となる。
② 月22万円の年金を受給できる人は、現役時代に相当な高所得者であり、厚生年金の平均受給額は男性17万円、女性11万円弱。
現状と乖離している金額であるため、現実はさらに厳しくなる。
これに対抗するための対策は以下の2つ
① 日本年金機構から送付されてくる「ねんきん定期便」で自分の受給できる年額を確認する。
② 不足分を補うために、できるだけ早く「米ドル建て終身保険に加入する」。
毎年、保険料控除を使うことで支払う税金を軽減しながら、基軸通貨である米ドルで資産を形成する。
本書では、米ドルに資産を預ける理由はもちろん、引き出すとき、ドル安だった場合の考え方などが分かりやすい言葉で書かれている。
個人的に読み応えがあったのが、4章「何が為替を動かすのか」である。
為替の仕組み、価格が変動する要因、金利と為替の関係など、外国為替の仕組みがとても理解しやすかった。
老後の準備は早ければ早いほど、有利にことが運ぶ。
まずは、現状を知るためにも一読し、対処する方法を頭に入れておきたいものである。
作 者:浦井 麻美
発売日:2021年3月1日
メディア: かんき出版
先週、2024年10月、韓国で初のノーベル文学賞作家が誕生しました。日本では村上春樹の受賞が長年期待されてきただけに、隣国のライバルである韓国人の受賞は、私たち日本人にとっていくらかモヤる結果だったと推察されます。SNS上では急に村上春樹の作品批判が始まり、作家志望者としては胸が苦しくなりました。
しかし、作品の批判はむしろ作家の存在感を照らすので、村上作品はしばらくこの逆風の中で読まれるでしょうし、村上氏がその現象にインスパイアされる流れを私は期待します。
ハン・ガンの受賞を聞いたとき、私個人としては、韓流POP文化が世界のエンタメを席巻していることと合点が行き、答え合わせができたような気持ちになりました。また、同じアジア人女性として勇気づけられました。ここ最近、ノーベル文学賞は女性の受賞が続いています。私もぜひそれに続きたいです、笑。
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本書を手にとったものの、どなたかの書評を読んで、既に満足してしまった感があり、すぐには、入ってゆけませんでした。でもさ、購入したから、読んでなくても書評を書くことを許して欲しい。これからはさ、一を聞いて十を知っちゃうスピード感が必要な時代なんだし、私は「積読書評」を推進していきたいと勝手に思っています。
読むより、積読が大事じゃない?!
白にすら、なる前の。
購入は、読むことよりも、作家にコミットしていると思うから。
===
って、書いた後に、ご本人のノーベル賞受賞インタビュー記事を読み、彼女が子供の頃から韓国文学に囲まれて育ち、またこの作品が自伝的小説であることを知りました。そしてこの本の題材は、日本で今、ケアの声が広がりはじめたばかりの「周産期喪失(ペリネイタルロス)」です。これらの認識を踏まえて、もう一度スタートをきって、読んでみました。
「ドア」は要らない。
「おくるみ」から始めればいい。
その次に「私」。
私なら、そういう風に置く。
初学者の、初見の、感想。
これから、ゆっくり滋養(あじ)わいながら、読みたい作品です。