『不食という生き方 / 秋山佳胤』 (original) (raw)
「食糧難」「飢餓」という言葉が身近になってきたので「不食」という新たな道を探ってみようと考えた。まずはこちらの本をまとめるが、第五章まである中で「不食」の話は第一章のみ。第二章より先は「心のあり方」が語られる。この記事では第一章のみをまとめることにする。
第1章 食べなくてもいい
秋山氏は弁護士であり医学博士でもある。2008年の3月から一切の飲食が不要になったという。「やろう」と思ってやったのではなく「自然にできてしまった」のだ。食事は場の雰囲気を壊さないために食事会等の時にいただくだけ。その食事もなければないでまったく問題はないという完全な「不食者」である。
秋山氏は司法試験の勉強をしていた頃(落ち続けて6年間)に不摂生な生活をして体調不良となったが氣功で驚くほどに体調が良くなった。氣功によって集中力があがり司法試験も突破できた。
その頃は毎食「肉」と「魚」をがんばって食べていたのだが、オーストラリア人のジャスムヒーンさんという不食者のワークショップに参加したのがきっかけで不食への道を歩む。正確にはワークショップの初日にお腹を壊して1週間何も食べられなかったが案外平気だったことから「自分にも不食ができるかも」と思えたのがきっかけ。
↑こちらがジャスムヒーンさんです。
「食べる量を減らすと頭が冴える」ことがわかりそこから2年間で徐々に食事の量と質を見直したそうだ。
コツは食べない生活に体を慣らすこと
秋山氏は以下のような段階を踏んだという。
1 まず肉食をやめて乳製品を減らす(徐々にゼロに持って行く)
2 次に主食を玄米食へと
3 一日の摂取を野菜と果物だけにする
4 果物だけ摂取
5 一日の摂取をフルーツジュースだけに
食事回数と食事量を減らすことを同時進行で。ポイントは「無理をしない。食べたい時は食べる。食べたくない時は食べない」こと。
不食とは要するに「空氣中のプラーナ(氣)」を摂取することである。空腹に慣れた時にプラーナだけで生きられるようになるということなのだ。食事が半分で良いときは50%のプラーナを取り込めるし、フルーツジュースだけで行ける時は70~90%のプラーナ摂取率となっている。
大事なのはリラックス
食べてしまった自分を責めると体が緊張してプラーナの摂取率が減少する。行きつ戻りつしながら気軽に楽しむことが大事。不食は断食とは違う。(断食は食べたいけれど食べないもの)
「食べてもいいし食べなくてもいい」という意識を持つ
↓
リラックスできる
↓
無意識のうちにプラーナの摂取率が増える
↓
食べる量が自然と減る
過食の原因は心の飢え
人間は、
悲しいと食べる。
つまらないと食べる。
悩みが増えると食べたくなる。
失敗しても裁かない。ちょっとずつ進めば良い。
水分の摂取と排泄
秋山氏は食事だけではなく水分を摂らなくても平気。必要な水分はプラーナから作り出すことができるからである。
そして、排泄も普通より少ない程度できちんとあるとのこと。排泄が減るとエネルギー消費に余裕ができ、すこぶる健康になる。
不食になるとどういう変化が起きるか
私たちはプラーナを循環させている、謂わばプラーナの通り道。それは周波数を持っているのだが、不食はそれを良い周波数で満たすことができ、それによって心身が正常化する。
具体的な変化としては、
1 免疫力アップ
2 アンチエージング
3 寿命が延びる
が挙げられているが、それ以外にも、「寝なくても平気になるので圧倒的に時間が増える」「感覚が研ぎ澄まされる」というメリットもある。
人間の体は飢餓に強く過食には弱いと知る事も大事。食べ過ぎると頭の働きが鈍くなるようにできているのだ。
まとめは以上
私が「不食って特別なことではない」と思ったのはTwitterの人気アカウントさんが不食になったから。何をしてそうなったかは聞いてないけれど、ある日「最近食べなくてもよくなった」「基本食べない」と言い始めた時に「これは例の"不食”というものだろうけど、こんなに簡単にできるものなの?」とちょっと驚愕だった。
その後「食料危機」が言われるようになって「備蓄」のことをあれこれ考えているうちに「不食になれば備蓄も要らない!」と思いついた。
けれど、「不食になろう」と思った途端、体が「飢餓になるぞ」と思ったようで逆に食欲は爆発。これは私には無理かな;と思っていた。
そんな状況で「一応読んでみようかな」という感じで読んだのがこの著書だった。「氣」という概念を聞いて「やっぱり」と思った。漢方を勉強しているので「氣」がすべてのベースなのは知っているので、不食は「氣の摂取」というのはわかっていた。
秋山氏の話を聞いて「これならできるかも」と思えたのは、「氣の摂取率と食の摂取率の消長」という理論がわかったから。まず食を減らすのではなく、氣を取ることを考えるのなら策はある。
というわけで、トライしてみることにした。