大分・下郡で出会った客車 オハ47 (original) (raw)

ネガを振り返るとナンバーが読めるオハ47は5輛を撮っていた。分オイ車3輛、門モコ車2輛がたまたま出会ったオハ47であった。

オハ4789を手持ちの配置表で探すと昭和48年は鳥栖、昭和53年は門司に配置されていた。一般形客車を門司と門司港で別々に配置されていたのはたぶん、門司は九州島内の急行用、門司港筑豊本線日豊本線普通列車用と思われる。昭和53年3月、10系寝台車と旧形客車で運転されていた“かいもん・日南”は20系+12系に置換えられたので門司の一般形は門司港に移ったのでないだろうか。 525レ オハ4789〔門モコ〕 大分 S59(1984)/1/28

オハ47は、スハ43形のTR47台車を古い客車の下回りを使って10系軽量客車オハネ17とオシ16を作る際に種車のTR23やTR34と交換して重量が軽くなったために生じた形式である。撮影時九州管内には門司港12、門司2、竹下1、鳥栖5、大分12、熊本5、八代6、鹿児島5、都城3の計51輛が稼働していた。 オハ47126〔分オイ〕 下郡 S51(1976)/3

豊肥本線は大分~豊後竹田間唯1往復の客車列車が運転されていた(748レ-727レ)。豊後竹田駐泊のこの編成は朝大分着の後夕方の発車まで日中は下郡に留置される。客車のサボが区間標記になったのはいつ頃からだろうか。列車到着の度にサボを付替える作業は拠点駅での風物詩であった。

客室窓枠がアルミサッシ化、トイレ窓がR付Hゴム支持、出入扉はプレスの無い鋼製ドアで近代的イメージが漂う。 オハ4749〔分オイ〕 下郡 S51(1976)/3

木製窓枠とアルミサッシとでは印象が大きく異なる。遠目から見ると車体色にアルミ色がアクセントとなって目立つ存在であった。

キャンバス屋根の模様は何だろうか。かなりくたびれているようにも見える。トイレ流し管はさまざまな形状があるのがわかる。白サボ「門司港」行はフックではなくてはめ込み式のようだ。 オハ4790〔門モコ〕 524レ 大分 S56(1981)/2

昔ながらの琺瑯引きのサボ「大分行」が下がっている。日豊・豊肥・久大本線何れかの編成と思われるが、下郡基地一番外側の留置線に押込まれていたところを捉える。 オハ4770〔分オイ〕 下郡 S48(1973)/4/8

換算標記積3.5、空3.0はオハ47もオハ35も同じである。どちらかの台車ではあるがはっきりしない。TR23とTR34との相違もわからないが外観は同じに見える。軸箱が角形ではなくて丸形(これをコロ軸受と呼ぶのだろうか)なのでTR34なのかもしれない。