DisGOONie「chill moratorium」感想 (original) (raw)

先月のブログにも書きましたが、私は西田大輔さんという演出家が作る演劇が私の演劇観の土台になっていると感じている。西田さんの作る演劇が好きだ。……とはいうものの、映像で見てはいたが、観劇は随分ご無沙汰になった。西田演劇を観劇しなかった理由はちゃんとあって、あえて書く必要は無いが、前回の「chill moratorium」に理由があるとだけにしておきます。

……というわけで、今回のブログは「数年の蟠りを経て、満を持し、敬愛した西田演劇に再会した」というだけの日記です。

https://disgoonie.jp/stage/vol14/

DisGOONie Presents Vol.14 reading mindfulness「chill moratorium」

作・演出:西田大輔

チャーリー:佐藤永典
ヤコブ:鈴木勝吾
クラウン:西田大輔、田中良子

COOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇。お隣WWホールはよく入りますが、TTホールは初めて。WWホールより若干小さいぐらい、小綺麗で新しい劇場の匂いがした。役者陣の熱演っぷりが良かっただけに、平日の夜遅めの大阪なのもあるけど、客席があまり埋まってなかったのが悲しい。

※一回だけの観劇なので、物語の内容に触れてはいますが、考察はもちろんきちんとした感想はありません。見に行ったことを文字に残したいだけの日記です。

世界は続いているか

西田さんの演劇、特にオリジナル作品は、固有名詞や史実を背景を用いつつも台詞の抽象度が高く、場面時間軸が前後し、本作に至っては舞台上には4人しかいないのに、劇中には沢山の人物が登場する。とてもじゃないけど、一回の観劇では整理しきれない。「難しかった」「よくわからなかった」と感じる作品だ。一回の観劇で「わからない」が占めてしまう場合、己の読解力の乏しさ、または作り手側のわかりいくさを問うことがあるが、こと西田演劇に関しては、「わからなさを愉しむ演劇」だと感じている。加えて、「よくわからなかったけど、この空気感が好きだ」を肯定する演劇だとも感じている。

劇作家の中には、劇作家が考えるテーマ以外のものを想起させない、明確に解答の設置されたものを作る人がいるが、西田さんに関しては、観客に委ねる想像の余白が多く、明確な答えを用意していない。強いて外してほしくないものは、そこに生きる人間の生き様を見届けてほしい……というぐらい。こう書いてしまうと、中身がないのかと誤解を与えてしまいそうだが、むしろ逆で情報量は多い。その情報量の多さから、何を汲み取って余白を埋めるかといった愉しみができるのだと思う。

しかし、西田演劇は大抵ド初っ端に大方の座標は決まっている。本作の座標の一つは「世界は続いているか」だ。 世界と一言に言っても沢山あった。世界とはなんだ。向かい合わせに話すチャーリーとヤコブか、クラウンの二人に見えた研究の場所か、東ドイツと西ドイツか、それとももっと広義に人と人か。その他エトセトラ。すべてに対し「世界は続いているか」と問いかけ、「ビューティフル・ワン」を獲得する。

……と、なんとなくそれっぽい着地をしてみたが、全く腑に落ちてない。あんだけ組み合わせがあったのだから、もう5回ぐらいは見たい。けど、本作男女バージョンと男男バージョンでだいぶ雰囲気変わりそうだし(思ったけど女女バージョンがあってもよくないか?)、そもそもペアが変わればそれだけで得るものが変わりそうなので、いっそ同ペアのみで5回ぐらいは見たい。佐藤さんと鈴木さんは一回こっきりでしたが笑

— ディスグーニー (@disgoonie) 2024年9月27日

ポヤンちゃんに集約されるとは思わなかった

いやほんとに。なんとなく掴めてきたかなという終盤、ヤコブが「マーカス・ポヤンスキーさん」と言われたところで、もう1回最初から見せてくれないか?と思わずにはいられなかった。ヤコブもまた別人格で、マーカス・ポヤンスキーが主人格だったってこと? マーカス・ポヤンスキーが事件の目撃者であるならそうか。あと、チャーリーとその父親のくだりもいまいちわからなかった。これもいつものことだが、わかりそう!と思ったところで、強烈なギャグが容赦なく突っ込んでくるので、全部忘れる。鈴木勝吾さん渾身のビアンカ・キスケ「年頃よー!おさげー!」で、大体吹っ飛んだ。私の掴みかけた考察を返してほしい。

— ディスグーニー (@disgoonie) 2024年9月28日

入場と同時に配られたカードが、実際に舞台上で使われるとは思わなかったなあ。この演出が始まったと同時に、私のカードは「チャーリー」だったので、私はクラウンに回収されないやつだなとは悟ったけど笑 冒頭に五感のレクチャーをするクラウンの場面で、西田クラウンが客席に降り、ハンディファンで触角をレクチャーしてたのがうらやましかったですね。位置が逆だった。そう、五感の演出で照明音響のカットアウトが入るたびに、西田演出だ~を噛み締めました。変わらぬ演出個性を感じた。

さて、チルモラの宣伝ビジュにもありましたキャッチコピーであり劇中台詞。

「私があなたなんだとしたら、あなたは、私よ。」

既視感!君僕僕君!三浦涼介さんはまさにトゥルリバ上演だ!……私は見たいよ、西田vs末満(何をもってvsなのか、対バンでもするのか)。これはまた私が深めに深めたら論文にでもしたいですが、「似て非なる西田大輔と末満健一」を明文化したい。