海外でサバゲをやってみた Ninja St☮g plays Airsoft in the world (original) (raw)

映画「ルックバック」をレイトショーで観た。繊細で素晴らしい、元の良さを損なうことのない原作リスペクトに、プラスアルファの余白が加えられた、これまた傑作だった。

まず、秋田と山形が舞台だったことは初めて知ったし、引きこもりだった京本の訛りが絶妙にかわいかった。 藤野の折々の感情もとても瑞々しく描かれ、原作を読んだ時のように何度も涙ぐんだ。これは涙活にもオススメ。

藤野が浮かれてスキップしながら家路を辿るのも、まるで自分のことのように嬉しく感じた。

そしてポイントとなる、 藤野の四コマ漫画が動くアニメならではの演出が、 実に効果的だった。そしてエンドロールで、 その子どもの落書きレベルの絵柄の四コマ漫画に、 男女大物声優が二人も起用されているのを見て、ひっくり返った。 これは良いサプライズ。

ところで、 とても素晴らしい余韻を楽しみつつこの感想を書いているが、 原作にないプラスアルファの部分は世間でどう捉えられているのだ ろう?

自分は、原作ファンを救ってもくれるような、粋な“余白” をアニメ制作陣が付け足してくれて、ほぼ100%満足している。 唯一、ツルハシでは12人も、通り魔的には殺せないだろうことを除いて。

これは「夏目友人帳」「ゴールデンカムイ」以来、久々に聖地巡りをいつかしてみたい作品となった。

調べると、原作者藤本先生は秋田県にかほ市出身で、 山形県美術大学に進学したそうで、両方が聖地として認定されているとのこと。

個人的に、 山の風景が特に印象的だったが、ネットの意見では鳥海山という声もあるし、にかほ市からの山の景色との声もある。これは行ってみてのお楽しみだろう。

最後に、今の若い10代20代のZ世代のことはあまりよく分からないものの、「ルックバック」が彼らの心に刺さったのは、 とても喜ばしいことと思える。

Z世代は達観しているとよく言われているが、達観しているだけでは、この作品の良さには気付くことは出来ないだろうから。

おそらく時代を超えて愛される「ルックバック」が、 原作も映画版も愛されることを、これからも1ファンとして見届けていきたい。

ということで、2021年に「ルックバック」を読んだ時に書いた、『自己実現』と『自己表現』の違いを、尾崎豊の曲「シェリー」をヒントに検証した文章を再掲したい。

というのも、これが自分にとっての「セーブポイント」であり、見返す(ルックバック)ために、自分自身に必要なものなんですね。

『ルックバック』怪物級ヒットはなぜ? 藤本タツキ氏の“異能”な作風 | 映画ライターSYOの深掘りポップカルチャー

〇 「ルックバック」は宝石のような短編マンガ

#ルックバック#マジすげえ

漫画「チェーンソーマン」の作者藤本タツキ氏による読み切り作品「ルックバック」に衝撃を受けた。

そして途中まで読んだその熱で、自分の文章を完成させることが出来た。

「ルックバック」リンク

https://crea.bunshun.jp/articles/-/32080

わずか一日で250万閲覧とのことだが、ホンモノが持つ力はすごい。若者であるZ世代にも刺さる力。

漫画を描くのが好きな二人の少女を通して、“創作”すること自体の、おそらくは人が得れる最上のよろこびが、見事に描写されていた。

そして、絶望の淵からまた立ち上がり、新たな創作の力を得る二人の絆に、久しぶりに泣くことが出来た。

挟まれる四コマ漫画も、ジワジワくるというか、実に良い味とアクセントになっている。藤本先生、ユーモアのセンスも相当ある。

控えめに言って、傑作である。青春時代の輝きと蹉跌が、切ないほどによみがえってくるようだった。

そして尾崎豊の曲「シェリー」に、深い部分で通じるものがあると感じたので、後で触れていきたいと思う。

そんな傑作、「ルックバック」で瑞々しく描かれていた創作のよろこびを、一言で端的に表現するなら、「自分自身への手応え」ということになるだろう。

主人公の藤野は、勝てないと思っていた京本に先生と認められることで、失いかけていた創作意欲を二度取り戻していく。

また、引きこもりだった京本も、自分を藤野に発見されたことで、居場所を見つけ、さらには社会へ出る生き方を選んでいく。

二人の原点は、創作による自分自身への手応えであり、それぞれの道が別れて悲劇を迎えても、帰ってくるのはそこだった。

とても繊細な物語ですが、短編なのですぐ読み終わります。

しかし、よい創作物は、人間というものがよく描かれていて、心を耕してくれるということが感じれてオススメですね。

さて、藤野も暗黒面に落ちかかったように、自分自身の“重量”を感じられないと、人は簡単に心を病んでしまいがちである。

そのため世間では、いつの頃からか「自己実現」という、自分探しのクエストが、ポジティブな言い訳として使われるようになっていった。

しかし個人的に、「自己実現」というのは、他人から認められることを期待して横目でチラ見しているようで、好きな言葉ではない。

自己実現自己実現といいつつ、実際は他人の評価軸に照らし合わせた、“恥ずかしくない”自分を認めてもらいたいだけの、承認欲求を多分に感じてしまうのだ。

それは「自己実現」で想起されるものが、あくまで羨望の対象でしか語られないことからも明らかである。

さらに言うなら、分かりやすい立派な肩書きがあるかどうかが、その人の価値を大きく左右するという、現代資本主義の欠陥にも繋がっている。

みんなそれぞれ、見えない階級章と値札をぶら下げているようなものなのだ。見えなくても、そこには明確な上下関係と貨幣価値が存在している。

自己実現」を果たして、誰もがうらやむようなストーリーを手に入れないと、社会的にはほぼ無価値と見なされるのが、かなしいかな現実である。

特に、就活は残酷な儀式だ。一握りの例外を除いて、嫌でもそれを思い知らされる。

が、就職して、幸運な側になっても、就職そのものは「自己実現」なんかではないと、強く感じる。

しかし皆、社会の階級を上がるために、よりレア度の高い肩書きと報酬を手に入れようと努力し、手に入れた者は勝ち組、そうでない者は負け組と、たちまちラベル分けされていく。

さらには、結婚自体もそれに大きく左右されてしまう世の中だ。

しかし言うまでもなく、それはその人本来の価値を反映したものではない。

コーネリアス小山田圭吾の例を引くまでもないが、どんなにクズであったとしても、自己実現して階級が上がれば、世間的には立派な存在になってしまうのだ。彼は馬脚を現して粛清されることとなったが。

思うに、自己実現なんてものが本当に存在するなら、それは誰かにとっての「かけがえのない自分」同士であることを、お互いに認め合える関係性においてだろう。まさに「ルックバック」における、藤野と京本のように。

繰り返すが、人は本来、他人との関り合いにおいてのみ、自分の存在の重量、つまり“自分自身への手応え”を感じ取れる生き物であると思うからである。

そして、その本質的な関わり合いが成立した時、本当のその人に触れ合えるのであり、どちらが上とかは、本来まったく関係ない。

しかし、現代社会は、これだけ人が増えているにもかかわらず、そうした人として最も大事であるはずの、心の遣り取りがどんどん難しくなっており、自分の存在の軽さや、孤独に苦しむ人ばかりとなっている。

それは、「自己実現」で得られるものが、人の獲得する新たな“面”の一つに過ぎず、その人自身の本来の価値や重量とは無関係なのに、それを得ると幸福になれると錯覚させられているからである。

そしてそれこそが、自己実現の落とし穴であり、善いものと見なされがちな、自己実現のマイナス面、もっと言うならば、暗黒面だろう。

何故なら、他人との関わり合いでしか自分の重量を実感できない人という存在は、キラキラした自己実現を身にまとってないと、他人から必要とされていないとすぐ錯覚してしまうからである。

自己実現と自己表現の違い

そんな百害あって一理なしの「自己実現」なんて、みんな忘れてしまえば良いと思う。

もっともっと大事なのは、自分らしく生きられるための、“自己表現”だからである。

では、“自己表現”とは何か?

ひと言でいうなら、創作そのものだろう。

創作することで得られるものは、単に消費者として日々過ごすのと違った、「生きる力」を得られることにあると感じる。

それは、“心を耕す”という、忙しいと忘れてしまいがちな大事なことを、無駄なように見えて、実は一番効率よく叶えてもくれるからだ。

与えられたものをただ受け取る(消費)だけではなく、自ら生み出す(創作)ことで得られるよろこびは、何にも代えがたいと言えるのである。

コトバンクによると、創作の定義は文学や絵画といった、主にアート関連のこととなるが、ここはちょっと強引に、あらゆる自らつくり出せるものとしよう。

野菜作りだってそうだし、最高にうまい料理が作れた時のよろこびも格別なものだ。

そして自分にとっては、こうして自分オリジナルの文章を書けることが、最も純粋なよろこびを感じれるということになる。

それは多分、野菜作りも文章書くのも根っこの部分は一緒。

ショーン・コネリーの「小説家を見つけたら」という映画で、老小説家役の彼が、「自分のために書く文章は、他人のために書くそれに優る」というセリフがあったけれど、まさに箴言であり、誰でも何かしら創作したら感じ取れるものはあると思う。

もちろん、創作活動自体が“承認欲求”の発露そのものな一面はあるものの、創作物は例えるなら「セーブポイント」みたいなものと思える。

つまり、たとえ自分に手応えがなく、自分の重さそのものが感じ取れなくなった時でも、100%の“自己表現”でつくりあげた創作物は、いつでもその時の想いなんかを、鮮明に思い出させてもくれるからである。

その点、与えられたものだと、何の役にも立たない。

いや、創作物でなくてもいい。大事なのはそれこそモノではなく、たとえば家族や友人そのものだという人だっているだろう。

それが依存でないならば、自分を取り戻す立派な「セーブポイント」となる。

自分の場合、思春期に海外を経験したことで、生き辛く苦しんでいた日本に、「外側の世界」があることを“発見”したことが最初だった。

そして、ニュージーランドで暮らした9年間で、サバイバルゲームのプレイヤーとして、南島で一番ユニークな存在として有名となり、英語で電子出版もできた。

心理学的サバゲー戦術論日本語版仮 - 海外でサバゲをやってみた Ninja St☮g plays Airsoft in the world

それは“自己表現”の確かな記憶と共に、大事な「セーブポイント」となっている。

そういったものを、心の中にたった一つでも持っているかどうかでも、何かがあった時は大きな違いとなる。

たとえ自分を見失ったり、たとえゲームオーバーだと思ったとしても、その「セーブポイント」に戻ってくればいいのだから。

そうした、「かけがえのない自分」を持った時、ようやく他人に“消費”も“左右”もされない自分を手に入れるのだろうし、他人を本当に受け入れる余裕も出来るものだろう。

その上で、誰かとお互いを認め合うことが出来れば、それはとても得難いものであるし、幸運なことだ。

人の一生の内で、いったい何人の人と本当の意味で出会い、手を繋ぎ合えるか考えると、結婚する人とだってそれが錯覚であることも多分に起こり得るのだ。

最後に、尾崎豊の名曲「シェリー」の歌詞にうつろう、尾崎ならではの「自己実現」と“自己表現”の狭間での迷いについて、私見に過ぎないが触れてみよう。

尚、JASRAC管理楽曲の歌詞掲載が認められているブログサービスにこのはてなブログも含まれているため、著作権的なチョメチョメは心配ご無用である。

https://www.jasrac.or.jp/smt/news/20/ugc.html

シェリー』

歌:尾崎豊

作詞:尾崎豊

作曲:尾崎豊

シェリー 俺は転がり続けてこんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮しさ

転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる

シェリー 優しく俺をしかってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから

シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに

シェリー 見知らぬところで 人に出会ったら どうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば 孤独すら恐れやしないよね
シェリー ひとりで生きるなら 涙なんか見せちゃいけないよね

転がり続ける 俺の生きざまを
時には涙をこらえてささえてる

シェリー あわれみなど 受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いて行く

シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい

シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う愛すべきものすべてに

シェリーいつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに

いかがだろう。シェリーの歌詞を自分なりに色分けしてみたのだが、9割近い青色の部分の歌詞は、一度は成功して「自己実現」したものの、何もかも失ってしまったネガティブな感情が根本にある。

対して赤色は、まるでパンドラの箱に最後に残っていた希望のように、『真実へと向かって歌い続ける』ことが、尾崎に出来る唯一のことであったことが窺える。

そして、そのシンプルな“自己表現”こそが、ドン底だった尾崎に立ち上がる力を与え、こうして永遠に歌い継がれるであろう「シェリー」という楽曲として実を結んだ。

改めてみてみると、ほぼ全てネガティブな歌詞ながら、「シェリー」にこんなに心を揺さぶられ、同時に、こんなにも力を貰えるのはどういうことなんだろう。

まだまだ尾崎豊には、単なる歌手ではない未知の可能性があるような気がする。

さてここからは、「ルックバック」を読む前からずっと書き進めていた自分史みたいなもので、とりとめのない自分語りなので、違和感のある人はここで読むのをやめてもらっても一向にかまいません。自分にとって備忘録みたいなものです。

尾崎豊研究会の思い出

自分の中で、創作が与えてくれた力の原体験みたいなのがある。社会人になって二年目くらいの出来事だった。

当時、下関のちんまりした公立大学を“五年”掛けて卒業し、地元岡山の町の商工会で働き始めていた。

商工会は商工会議所の小さい版で、商工業の手伝いをする準公務員となる。繁忙期以外はほぼ九時五時の仕事で、まあ言ってみれば気楽な公務員業務だった。

商工関連のことは何でもやる仕事だったので、祭りでは虎の着ぐるみを着て、子どもに蹴られたり、婦人部担当だったので、調整に気を使ったりと、細かい気苦労はそれなりにあった。

が、決して嫌いな仕事ではなかった。

メインである経理の仕事も、自分一人で数字の世界に没入していって、その流れや原理が見えてくると、とても魅力的に感じれた。

給料は多くはなかったけれど、二年で辞めてしまうには、楽しいことも多かったし、今考えるともったいない職場環境だったと思う。

なんなら、地元以外に住んだこともなく、生まれ育ったその地域で結婚し子育てをし、そして何の疑問も抱かず死んでいくことは、農耕民族としての日本人のDNAに、最も馴染んだ生き方かもしれないと感じる。

自分も、当然のように地元に帰って就職し、働き始めた。

しかし、いつの頃からか、そこに自分の未来はないと感じるようになった。

学生の時に体感した、海外という「外側の世界」への憧れが段々と大きくなったこともあるが、直接的な理由の一つに、上司がみんな仕事が出来過ぎて、自分はそこまで必要とされる存在にはなれないと挫折したことも大きい。

何かしら、自分にしか出来ないことを見つけたかった。青臭いが、自分自身に手応えを感じたかったのだ。

おそらくそれは、高校の時に初めて海外へ行って強く感じた、「自分の言葉を得たい」という、“自己表現(自己実現ではなく)”の欲求が、解消されないまま燻っていたからでもある。

そんな当時、ひょんなキッカケから、岡山県立大学の児玉助教授が主宰の、尾崎豊研究会に顔を出し始めた。

歌手尾崎豊の功績を、主に教育の視点から研究してみようという、ゼミやサークルのような同好会で、教育シンポジウム主催やラジオ出演の他、出版もしたりしていた。

左翼や宗教とかの変なヒモ付けもなく、とてもオープンな議論や話し合いの場が心地よかった。

関係のあった孤児院に慰問に行ったこともあった。その時の出来事が、創作そのものが自分に与えてくれる力を感じた原体験となっている。

成りゆきから慰問の責任者にされてしまっていたものの、なんと前日までほとんど形にはなっていなかった。

プログラムは出来上がっていて、ヤマハから寄贈された電子ピアノを、寸劇でプレゼントするというものだった。

劇とは言っても、ナレーション以外はほぼ自分の一人芝居で、手元には安物の怪獣ブースカのかぶりものしかなかった。

しかし、劇なんか小学校以来やったことなんてなく、人前でしゃべるのも苦手だった。いや今でも苦手か。

先生や他の研究会メンバーとも何度も話し合ってはいたものの、何しろシナリオが出来ないことには話にならない。

そして、夏休みの宿題が八月末になるまで山積みだったタイプの自分は、ギリギリにならないとやる気が出ないという、典型的なスロースターターだったのである。

この時も、前日になってようやく火がつき、ほぼ徹夜でやっとシナリオを書き上げた。

当日、岡山市内の山の上にある孤児院で打ち合わせとリハーサルを済ませる。

が、子どもがよろこんでくれるかは自信がなかったし、自分にとって初めてとなる孤児院という場所で、どう振る舞うのが正しいのか、戸惑いがあった。偽善なのかという葛藤があったのだ。

でもそれは、最初の児童との出会いで、見事に打ち砕かれることとなった。

渡り廊下ですれ違った自分に、小学校3年生くらいの児童たちが、底抜けに明るく挨拶をしてきたのだ。

その瞬間、心の底を打ち抜かれたような錯覚に襲われた。知らず知らず、壁を作っていたのは自分の方だったのだ。

しどろもどろになりながらも、こっちも元気よく返事を返す。

何というか、その瞬間から目の前の子どもたちを楽しませることに、ただ集中出来た。

すねて外に出ていった怪獣ブースカを、子どもたちの声掛けで呼び戻すシナリオだったか。

プリキュアの映画とかでは、スクリーンに向かって児童が応援するのが定番らしいが、そんなものもなかった時代に、よく思い付いたと思う。あ、いや、仮面ライダーショーとかではあったのかな。

まあとにかく、頑張った甲斐あって予想以上に盛り上がり、最後は先生の尾崎豊の曲の演奏で締めくくり、無事に贈呈式も終わった。

途中で、さすがに馬鹿らしいと思ったのか、高学年のお兄さんで出ていく子もいたが、ブースカのかぶりものをとって迎えに行くと、何も言わず帰ってきてくれた。

この時の実体験が、自分の生み出したもので、他人をよろこばせることが出来ることを知った、身体に雷が落ちたほどの忘れられない経験であり、今でも心の糧となっている。

0から1を創り出すことは、とても骨が折れることだけれど、確実にその人の血肉となるのだ。

またその後、研究会でまとめたメンバーそれぞれの尾崎論文の出版の時は、一晩で、何万字もの複数の論文やエッセイを仕上げることが出来た。

あれは今思い出しても不思議な感覚だった。
それまで、まとまった量の文章を書くことはなかったのが、まるで自分が自分ではなくなったように、いくらでも構想が浮かび、必死で文字化していくような、途轍もなく充実した時間だった。

没頭できることは他にもあるが、創作する瞬間の集中は、比べるものがあまりないように思う。

イジメっ子が背負う業

ということで、25歳の時に書いた、自分の原点であり、核ともなっている「尾崎豊論」を備忘録としても残しておこうと思う。

自己嫌悪と自己否定の違いについての一文は、今読んでも中々面白い着眼点だった。

久しぶりに読み返してみて、未熟な文章で、しかもそれがいつ、誰に伝わるのかも分からないものの、その日“自己表現”できたよろこびは、ありありと思い出すことが出来る。

自分の場合は、小学校時代に受けたイジメから、“自己表現”することに大きな枷を掛けられたままだったのだ。

自分だけハンデを背負ったつもりでいたが、“業(カルマ)”の観点からすると、それは必ずしもマイナスではないことに気づいた。

簡単に自分を肯定できない代わりに、様々な角度や目線からものごとを見る習慣がついた。

傾いた、バランスの悪い自分を自覚することも、表現者には必要なはずである。

自らの傾きを自覚し得ない個性なぞ、壊れた人間がただ壊れているだけの寒々しい景色でしかないからである(これは二十年以上前の自分の文章より引用。原文ママ)

しかし一方、気にいらないといって他人を簡単に否定してしまう強者は、きっと簡単に様々なものを手に入れたからの反動に、いつか向き合うこととなるだろう。

小山田圭吾の例を持ち出すまでもなく、業とはそういうものだ。プラスもマイナスも、報いは必ず受けるものだからだ。

最後に、このエントリの冒頭に戻るのだが、「自己実現」は、やはり他人というか、世間一般のモノサシが、無意識の内に意識された言葉だと感じる。

自己実現」を果たした後に、それによって他者の称賛や、何らかの報酬を期待している空気感があるウサンクササも、それを増幅している。

対して、“自己表現”は、自分の納得のいく表現が達成された時点で、自己内で完結するものだ。

例えが間違っているかもしれないが、タイタニックの楽団が、演奏しながら船と運命を共にしたのも、それが「自己実現」ではなく、究極の“自己表現”であったからのように感じる。

一字しか違わないが、その差は大きい。

経験者は誰でも知っていることと思うが、オリジナルのものをつくれたこと、つまり“自己表現”から得られる愉悦は、消費することで得られる悦楽などとは比べものにならない。

それに触れる度に、自分の芯に存在するものを思い出させてくれ、励ましてもくれるものだからだ。

その点、他人の評価でどうとでも左右されがちな「自己実現」とは、重なる部分はあっても、やはり根本的には異なるもののように思われる。

尾崎豊研究会発表論文(2000年出版)

『尾崎の一つの可能性』
自己否定と自己嫌悪の深層心理をライトとして

一、今なぜ尾崎なのか

八〇年代、尾崎は反逆のシンボルでしかなかった。しかし彼の死後八年の時が流れ二十一世紀に入っても、尾崎は色褪せることなく何かを訴え掛けてきている。彼が今なお若者の心をとらえ、多くの人々の心を揺さぶり続けるのは何故か考えてみたい。

ニ、否定することと嫌いになることの違い
この二つの違いをまず強調したいのは、とりもなおさずこの二つの言葉が混同されがちのように思われるからである。

そして尾崎を知る上で把握しておくべき点と感じたから最初の問い掛けとして挙げておくことにした。

ではその違いは何かといえば、それは一言で表すなら「思考停上をするかしないかの違い」ということになる。

嫌いになることは理由付けが必要なのに対し、 否定にはその先がない。

例えば否定を端的に表した「ダサい」という言葉があるが、この言葉には「無条件」に相手を自分より下に組み敷くことで安心できるという、心のバランスをとるための防衛機制が働いている。

この “無条件”という点が大事な所で、そうすることでもう相手の存在によって、心を乱される心配がなくなるのだ。

が、一方言われた側にとって無条件に否定されることは、自覚できなくとも確実に心にダメージを受けることになる。自分の心を“ゴミ捨て場”にされたからである。

心の防衛機制は誰しも自分の存在の確かな現実感を感じるために必要なもので、他人にそれを揺るがされることは本能的に人は避ける。中には人を傷つけることでしか心のバランスをとれない人もいる。

この場合、自分を守る自己保全のため先に「思考停止」した方が強者となり、否定される側は一方的に心の排泄物を押し付けられた形になる。

それは痛みとなって否定された者の心に突き刺さる。たとえそこに悪意はなかったとしても、無条件に否定されるということは、全人格を否定されることに等しい。

暴力というものは、常に受け止める側によってそれと判断されるものなのだ。

余談だが、イジメの根本にある上下関係のヒエラルキーには、否定することでいじめる側にとっていじめられる側は絶対的に下でしかないという強者の驕りが見て取れる。

否定することは実に簡単なことなのだ。 相手を認めなければそれで済むのだから。

そこに存在するのは「思考停止」 つまりは相手の痛みに対する圧倒的な無関心でしかない。 否定する側にとって否定される側のことなどどうでもいいことなのだ。

そして、 残るのは得ることも失うこともない希薄な人間関族である。

が、否定することと嫌いになることの違いが、致命的な違いとして現れる状況が存在する。

それはそれらが自分に向けられた時である。

三、自己否定と自己嫌悪の違い

否定の怖さは実はその思考停止の便利さにある。無条件に相手を自分の下に組み敷けたその便利さが一度自分に向けられた時、大きな矛盾としてのしかかって来ることになるのだ。

今まで組み敷くことで“安心”してこれた構図が根底から揺らぐことになるからだ。
人は誰も自分の心を最終的なゴミ捨て場にすることには耐えられない。

その時、自分の何を信じることが出来るだろうか。おそらく人としてのバランスをとることさえ危くなってくるのではないだろうか。

何故なら自分で自分を否定した場合 「自分は何物だ?」という己の存在への問い掛けに、何ら有効な答えを、自らの中に見出し得ないはずだから。

では、自己否定と自己嫌悪の違いは何かといえば、“存在”の概念を哲学で突き詰めていった人、ハイデガーによって興味深い指摘がある。

彼は、嫌いになることは自分の存在と対比し、よりよい自分に向かう心の働きであると考えている。

一方で否定は、その対比するものの希薄さにより、目の前の希望に向かうからこその存在に、プラスになることはないと言っている。

つまるところ、自己嫌悪はモチベーションになり得るが、 自己否定で終わってしまっては何も得られないということなのだ。

今の世の中、そして若者の心の闇はその一見ささいな、 しかし重大な違いにひとつは根差しているように思われる。

四、尾崎は自分を否定しなかった

尾崎は全面的に自分を好きではなかった。むしろ嫌いであったと思われる。

その理由が単純なものではないからこそ誰よりも深い苦悩を抱えていた。

しかし、自分をただ否定したりはしなかったはずである。

別の言い方をすれば、否定を結論にはしなかったということだ。答えを捜し求めつづけた彼は、否定は決して答えにはならないことを直感的に気付いていたに違いないのだ。

彼は「存在」のなかで、自分らしさに打ちのめされてもあるがままを受け止めようと歌っている。

Exislence (存在)のExには狭い自我を出て、本来の自己に向かう意がある。自分を否定しそうになりながら、自己嫌悪の闇に取りこまれそうになりながら、その結論に辿りついた所に、尾崎の強さと、人としての輝きがあるように思われるのだ。

五、尾崎の歌の力、そして可能性

否定することで思考停止してしまうのは、結局弱い自分を守るためである。しかし自分を否定したら自分は守れない。

だから自分を嫌いになることはあっても、 自分を否定してしまってはいけない。

否定からは何もプラスのものは生まれはしない。語弊はあるが、むしろ自分を嫌いになることをすすめたい。何故なら自己嫌悪に陥る心の働きこそ、よりよくありたいと願う健康な心を持つ証であるから。

決して万人受けするものではないが、尾崎の歌には言葉だけでは伝わらないものを伝える力がある。言葉だけでは反発さえ買ってしまいかねないことでも、尾崎の歌は人の心の不可侵領域すら包み込み、溶かしていく。

幸運な人は、そこで尾崎と向き合い、自分の本当の姿と向き合う。 尾崎を通して。そして心を揺さぶられ、今のままの自分でいいのかという疑問を持った時、人は変わるための動機を手に入れるのだと思う。

その内省することで人として成長することを、強要ではなく自然な心の働きとして、 特に若者に促がせられることこそ、尾崎の歌の力であり、これから伝えていくべき一つの尾崎の可能性ではないだろうか。

『自己嫌悪と自己否定についての追想

自分さえ否定してしまう者は、何者も肯定することは出来ない。しかし、自分すら否定したこともない者もまた、何者をもほんとうに肯定することは出来ないのではないだろうか。

ヘーゲルは「精神現象学」で「人間が真理を突き詰めていこうとするとどうしても『自分の否定』になってしまう。 これはとても受け止めがたいことだが、それをしなければ真理の追求はできない」ということを言っている。

弁証法 は“正”でもななく“非”でもないところにある、“合”を 追求していくことに意義がある。やはり否定で終わってしまってはならないということなのだ。

『自由と絆 尾崎豊が追及したもの』

今教育の場でも家庭でも、そして社会全体も大きな問題を抱えて、皆何処へ向かうべきかわかりかねている状況だと思います。

それは同時に自分の価値の拠り所になる、それまで機能していた基準が無力化し、自分の価値を自分で確かめなければならない時代になったということだとも考えられます。

特に今の時代は子どもにとって大変生きづらい時代と言えます。大人達は誰も子ども達の真の苦しみ、つまり「自分の生きる価値」にまともに向き合おうとしていません。

何故なら大人もまた「自分の生きる価値」についての危機には目を向けようとしないからです。

そうした中、子ども達はますます自分の存在の不確かさばかりが増し、ある者はキレ、 ある者は不登校になったりしています。

そこでは豊かになった現在、失ってしまった大切な何かを取り戻すことが重要であることを感じさせます。

では、その失ってしまった大切なものとは何でしょう。実はそこにこそ尾崎が今なお影響力を持ち続けている秘密があります。

一般的な尾崎のイメージでは「自由を求め続けた」といわれています。 しかし、それと相反するようなものも彼は追求しています。

例えば、「ロックンロールは人間と人間との絆の意味を模索する、一つの表現方法なんだ」という言葉は、彼が“絆”という、“自由”と対立するようなものを、どれだけ大事にしていたかの表れです。

彼は歌を通してどれだけ多くの人と繋がれるか、絆を持てるかということを追求していたのです。

“絆”はある意味では“鎖” です。それは自由にとって重りにもなり得ますが、人と人を繋ぎとめておく手段になる。

自分の存在に繋がるものの希薄さから、自分の確かな手応えをつかめず、人としてのバランスを崩してしまうのが今の時代の風潮ではないでしょうか。

しかし、しっかりした絆さえ持っていたら、心が壊れてしまうはずはないのです。

失ってしまっていた大切なものとは、絆に他ならなかったのです。

そして、尾崎が今なお影響力を持ち続けているのは、尾崎の歌を聴き尾崎と出会うことによって、尾崎との絆をまず実感できるようになるからなのです。

尾崎の歌は、彼がぎりぎりの所まで自分を追い込んで作られたものばかりです。そのため、同じくぎりぎりの所まで考えたことのある人の心に届きます。

それは理屈ではありません。心の感度の高い人は、瞬時にそれが嘘であるかどうかを見抜くことが出来るのです。

そして、尾崎が自分のような深い苦悩を抱えていたことを知った時、自分一人で苦しんでいた世界から一歩前進することが出来るのです。

つまりその尾崎を理解するというのではなく、尾崎に理解してもらえるという感覚が一の“絆”となっているのです。

またこの構図は尾崎に限らず、HIDE等のカリスマ的な存在には多かれ少なかれ見られるものです。しかし、殊、尾崎に関して他の歌手とまったく異なる点があります。

それは簡単には自分を肯定してはくれないという点です。 ただ単に背中を押してほしいだけなら、他にいくらでも歌手はいます。

いや、歌手に限らず信頼を置けるものだったら何だってあるでしょう。それこそ宗教であっても、当人にとって価値のあるものなら、人は全面的にそれを受け入れることで肯定してもらおうとします。

肝心なのは興味あるものしかその人の心に入ってこないということです。そして人がそういう行動をとる背景には、それがその人にとって心地よい自己肯定感を得るためという事情があるのです。

しかし尾崎に興味を持った人でも尾崎は簡単には苦しみから解放してくれません。

尾崎は言っています。「まず自分と戦え」と。「鉄を食え。飢えた狼よ」と。

尾崎は誰のせいにもしていません。「卒業」 で反抗しながらも「俺達の怒りどこへ向かうべきなのか」 と歌っているのも、「存在」で「背中合わせの裏切りに打ちのめされても それでもいい」と歌っているのも、同じく心をズタズタにされるような状況に陥っているにもかかわらず、誰も責めてはいません。

しかしそれでもすべてを背負って生きていこうとしているのです。「愛してる。他に何が出来るの」と、なお愛そうと、与えようとしているのです。

誰にでも出来る生き方ではありません。そして愛を受け取る側にとっても、尾崎の愛は重いのです。何故なら尾崎を知っていくことは、 尾崎の苦しみを知っていくことに等しいからです。

だから尾崎を知れば知るほど自分の姿を知ることとなり、 自分を揺さぶられるのです。

そこから始まる自分との戦いはしかし、尾崎がそばで一緒に戦ってくれているという絆を感じれる点で、今までのそれとはまったく異なるのです。

『尾崎と業について思うこと』

----背負うもの背負わされるもの----

“業”という言葉がある。サンスクリット語で「行為」 を意味し、未来に報い(果)を引き起こす因となる善悪の行い、とされている。

最近よく、業的に見たら結構みんな平等なんじゃないか、と思うことがある。

つまりカルマ (行為) という視点で見ると、結局みんな自分に返ってくるものだし、それに気付くとしても気付かないとしても、トータルじゃそれぞれ相応のものを得るか失ってるかしているように感じる。

例えは悪いが、世間を以前よく騒がせていた、身体を売ることで金を手にし、「だれが迷惑するの」と言ってみせる援交少女も、 金を得ることで変わってしまったもの、失っ てしまったものにいつか気付く時が来るだろう。

もちろん因果応報という言葉は悪い意味ばかりではない。

が、しかし哀しいことに人はそうやって葉を積んでいくものなのだろう。

この“業”について誰よりも、少なくともどの歌手よりも深くコミットしたのが尾崎じゃないかなと思う。尾崎は自分の背負わされているものについて誰よりも深く苦悩し、にもかかわらず自らそれを背負っていった。

『誰もが目をそむける汚いものそれを見ていたい』

尾崎はそういう言葉で自分の精神の汚物から目をそらさないことを語った。

「生きること それは日々を告白していくことだろう」という彼の言葉は、背負った“罪”と“業”を意識できるか、という尾崎の問いかけのように聞こえるのだ。

同時にそれは業の克服のための闘いに、自覚的に尾崎が身を投じたことを感じさせる。

自由を追い求めていった尾崎は業からも自由になってみせること、最も容易な らざるそれが本当に自由になることだと思ったように僕は感じてならないのだ。

『人を自分の鏡とすること』

「人を自分の鎖とすること」

尾崎のその言葉は、尾崎をカガミにすることで初めて自分の姿を認識した人にも確実に変わるキッカケを与える。

それを知っていくことは時に苦しみでも ある。己の酸い部分や心の闇に向き合わなければならないから。

しかし、生きる意味、本当のやさしさとは何かを求めることは、今の時代最も困難なことで、かつ最も大切なことであるはずだ。

人はもう自分が傷ついてきた本当の意味(理由ではなく)、に気づかなくてはならないのだろう。 そしてその上で新しい人間関係を模索する必要に迫られているのではないだろうか。

『尾崎の真髄』

尾崎の真髄、それは彼を偲んでファンが集まった時にこそ現れる。それまで面識のないファン同士が心を一つにして尾崎の歌を歌う時、そこには尾崎が求めてやまなかった人と人との愛が満ちていると感じるから。

だから、その確かに分かち合えたと思える至福の瞬間は尾崎からのプレゼントなんだろう。

求めるのでも与えるでもない、ただ心を重ね合わせること。互いを貴重に感じ自分も貴重に感じること。分け合ったの に満たされ解放されたような感覚。家族の絆でも難しいその瞬間を、錯覚かもしれないにしろ共有することが出来る。それは理屈を超えたすごいことなんだと思う。

『尾崎の求めた世界、人間関係』

尾崎が求め続けていた世界は、 自分一人さえ幸せになればそれでいいという世界ではない。

でも尾崎はみんなの幸せを願いながら本当に分かち合える人を見つけることが出来ず、 命を枯らしてしまった。

それを思う時、残されたファンにとって尾崎にできる最大の恩返しは、尾崎の求めた世界を、ファンである自分たちが手を繋ぎ合わせることで、一人づつでも実現していくことなんだと思う。

僕は自分の居場所いるべき場所を求めて生きてきた。 本当の意味で尾崎を知ることができたのは一番苦しかった時ではなかったけど、自分の生きることに苦しんできた生き方は決して間違ったものじゃない。

たとえ間違っていたとしても、無駄なものじゃないと認めてくれたような気がする。 尾崎ほんとにありがとう。僕はもう自分の価値なんかで迷わない。

『年表資料』1998年

第一回尾崎豊研究会ミニシンポジウムレジメ "Live confession"

今回から始まるこの企画はメンバー自ら考え発表する点で、これまでのシンポジウムとは性格を異にしています。

個人の持つプリミティブな部分が露わになるカラオケを、 尾崎の残した言葉「生きること それは日々を告白していくこと」を実現していく場として捉え、それぞれのもつ尾崎を持ち寄って共有することで尾崎を知る手がかりとし、 尾崎の可能性を皆で探ろうというのが主旨です。

内容としては発表し話し合うことが中心となり、最終的に研究会誌か、あるいは発展性のある資料としてまとめる事を目標としています。

各自が持ち寄る尾崎なので、尾崎に結びっくことなら何でも話題になります。尾崎が影響を受けた歌手、八〇年代のライフスタイル、最近の歌との対比など様々考えられます。

そして “Live confession (告白)”のタイトルのように、自分にとっての尾崎を告白し共有することで、尾崎という共通体験が年代を超え、時代を超えて、果たしてどのような普遍的な意味、そして価値を持ち得るのかを検証してみるのも意義あることと思われます。

いろんな尾崎を持ち寄って話し合うことで、尾崎の可能性を皆で探しましょう。

【2024.06】『飛行機好きなら必見』
ブレナム航空博物館第二次大戦期館25NZドル約2500円弱

https://goo.gl/maps/WcwYvdf1KTF4JXzb8?g_st=ac

2024年6月頭から、二週間だけ久々にニュージーランドへ行ってきた。ネルソンで開かれていたインタークラブゲーム(サバゲー交流戦)に参加して、ピクトンの友人宅に泊めさせてもらい、念願だったブレナムの航空博物館へ行ってみたレビューです。

ここには第一次大戦期の航空博物館や、ヒストリックカー博物館も併設されているんですが、ヒストリックカーはともかく、第一次大戦にはまだそれほど興味がないので、第二次大戦期館しか見学してません(入場料倍かかるし、時間もなかったの🙀)。

後でキウイの友人に教えてもらったが、ロード・オブ・ザ・リングのピータージャクソン監督の元保有機が多いそう。道理で、世界的にも希少であろう機体が多いと感じたのにも納得。

まず入ってすぐに、何か見慣れたカラーパターンの偵察機みたいなのがあると思ったら、Me108という型式番号から分かるように、あの名機Me(メッサーシュミット)109の前身となった機体らしい。
三人乗りなのでコックピット周りは膨らんでいるが、確かに水平尾翼に独特の支えが入っていて似ている。

知っている人には当然の機体なのかもしれないが、第二次大戦が始まる前にドイツがトラクターで戦車の技術を蓄積していたように、民間機でも高度な技術的課題に挑戦していたのを初めて知って、面白かった。

他には飛行可能なコンディションまでレストアしたFW(フォッケウルフ)190A8や、スツーカ、モスキートも素晴らしい。

そして、これも初めて見ることになった、旧ソ連のYak(ヤコブレフ)3の由来とか実績もとても興味深かった。驚くことに、世界一のエアレースであるリノエアレースで、複数年ゴールドメダルを保持していた機体そのものもいうこと。

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リノエアレースで勝っているのは、P51マスタングといった西側の機体だけと思っていたので、東側のYak3が記録を保持していたのは驚きで、よりじっくりと観察してみた。

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素人なりに感じたのが、主翼直線翼ではなく、少し後退翼気味になっている点と、翼面積の狭さ。

そして、主翼そのものも見たことないほどテーパー状に翼端が薄くなっていて、まだ戦後にドイツの設計思想が入ってない状態で、ソ連の技術レベルがこれほど高かったのかと、実機を見て初めて実感できたのは意外な発見だった。

さらに驚くことに、お金を払えばYak3の後部座席に乗って飛行できることで、3,200NZ$(約32万円弱、)は庶民には決して安くはないものの、第二次大戦期の戦闘機の、レプリカではなく実機に乗る値段としては、逆にリーズナブルと言える。

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アメリカから来た大富豪にはバーゲンプライスだろうから、もっと高くして博物館を末永く運営できるようにしてもらいたいくらい。

ボランティアをしている退役軍人の皆さんに、スターリングラードの映像が始まると促されたので行ってみる。

別室のスターリングラードの映像コンテンツは、かなりお金が掛かっている様子だった。戦場の臨場感から再現されている。

スターリングラードの戦いは、戦史ではターニングポイントになった激戦で、地獄の消耗戦に引きずり込まれたドイツ軍は、戦略的に致命的なダメージを負った。

対してソ連兵は、有名な「この機関銃は貴様らを援護するためのものではない!敵前逃亡する者は即座に射殺する!」という政治将校のセリフを背に、二人に一丁とも言われる銃を持たされ、ピクミン並みの突撃を強要された。

今現在も進行中のウクライナでも、ロシア兵はその命を使い捨てされているが、第二次大戦でも「兵士は畑で採れる」とされた、ロシアの人的損失がとんでもない数字なのが、積み上がるアイコンで実感として分かるのは感慨深い。

これが戦死者だけではなく、戦前のスターリンの大粛清や、ウクライナ大飢饉で亡くなった数を合わせると、四千万人以上が第二次大戦期のロシア人の死亡者数と言われている。

敗戦国の日本やドイツでも死亡者(戦死者と民間人の犠牲者)がそれぞれ310万人(日本)、515万人(ドイツ)なので、常識だと到底考えも及ばない。おそロシアなことである。

あと個人的に面白かったのが、ルーデル大佐をフィーチャーしてあったのと、川崎製のトニー(三式戦)の計器盤があったこと。

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特にルーデル大佐のキャッチコピーとしてあった、「Only he is lost who gives himself up for lost(道に迷ったと諦めたものだけが道に迷う)」は、ルーデル閣下の不屈の精神を、過不足なく表現した見事な一言だった。

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最初は30分くらい見て、早めに切り上げるつもりだったが、説明してくれた退役軍人のロンさんの興味深い話もあり、二時間以上もたっぷり楽しめた。

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これほど質が高く内容の濃い航空博物館が、おそらくほぼ民間によって維持されているのは驚きであり、地域の宝物と言って差し支えないだろう。二年に一度開かれるオマカエアショーもいつか来てみたい。

2018年以来の岩国基地オープンデイに岡山から参加。前回を参考にするため読み返してみたが、ほとんど参考にはならなかった🙀

が、一応次回のために記録を残しておくことにする。

ご飯を食べてお握りを作り、6時過ぎの始発に乗って出発。荷物はいつも通り最小限だが、写真付き身分証明書と凍らせた水だけは忘れないようにする。

お握りはステーキとかのおかずだけあった場合に、ちょうど良いから。

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予定どおり、糸崎乗り換えで岩国駅9:43着。途中で尾道サバゲー仲間のカピさんに久々に連絡すると、やはり基地祭に向かっているそう。これは電車で合流できるかもと思ったものの、彼は新幹線とのこと。アテクシの方が遠いんですがが。。

岩国駅到着後、基地での合流を目指して駅から2kmの道を急ぐ。徒歩だと約30分。

10時前にカピさんから連絡。ゲートを入ったがすごい行列で、セキュリティチェックまでまだまだとのこと。写真付きIDを持っていなかった人が帰らさせれたそう。思わず免許証があるか再チェック。

10時半前に岩国駅から真っ直ぐの歩行者用ゲートに到着。

ここまではヨユーだったが、そこからセキュリティチェックまですし詰め行列が数百メートルあり、何度も止まって動かなくなるので、昼までに入れるか心配になってくる。体力もゴリゴリ削られる🙀

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途中、米軍基地の消防車が出動したこともあり、セキュリティチェックが終わったのは、並び始めて1時間強の11:35になっていた。

セキュリティチェックを終えるとようやく流れがスムーズになり、ちょうど始まったブルーインパルスの展示飛行を楽しみながら急ぐ。基地のゲートから滑走路までは余裕で1km以上ある。

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並んでいる時にF35の展示飛行もあったが、フライトレコーダーで確認しても何も映ってなかった。

が、ブルーインパルスもそうだったので、ステルス機だからという訳ではなさそう。

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が、カピさんと連絡を取ろうとして、携帯が圏外なのに気付く。マジで?!これは想定していなかった。楽天だから??

その後、再起動しても海外ローミングにしても通信は回復せず、結局カピさんとも合流できなかった。痛恨。。

ともあれ、まずは腹ごしらえで何が売っているかをざっと見てみるが、ステーキやターキーのような手の掛かるメニューを出している、軍関係者の屋台が一軒も見当たらない。あまり美味しくはないけど、あれがオープンデイの醍醐味なのに。

代わりに、手抜きの極みみたいなメニューが売っていた。ドリトスのミニパックの袋を開け、おそらくタコス肉とチーズをそのまま掛けた品。スプーンで袋から直接食べる様子。

この皿にも盛られていない、一品とも呼びづらいメニューが、驚くことに千円もする。アイデアはなかなか良いとは思ったが、さすがにボッタクリでは。
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ちょうど昼前ということもあり、そのタコスの店以外は大行列(さすがにコスパ悪いとみんな思ってたんだろう)。

となりの下士官将校クラブのホットドッグの店が列が少なめだったので並んでみる。ハンバーガーが単品でグルメバーガー並みの1500円くらいな感じだったので、ホットドッグ600円はまだ良心的。

とはいえ2018年の時には、ホットドッグの最安値の定価は200円で売っていたので、物価の高騰は隔世の感がある。

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が、残念ながらその場で焼き立ての様子ではなく、玉ねぎも入っていない、冷えた素ホットドッグだった。

ただ、自分にとってラッキーだったのは、2018年に食べておいしかったホットドッグの味とほぼ一緒だったことで、くそ旨いジョンソンビルと対極のチープな味ながら、良いお握りのお供となった。

腹ごしらえ後、駐機している展示機体を見てまわる。

が!一番楽しみにしていた漢(おとこ)の機体、A10ワートホグがいない。愕然のあまり、適切な顔文字も見当たらないほどショック。

いやもう何度も実機を見てはいるものの、A10の独特の存在感は決して見飽きることはない。

人類で最もパーフェクトソルジャーに近づいた一人である、旧ドイツ空軍のタンクキラー、ルーデル大佐がコンセプトから作り上げ、人が乗る近接航空支援機では、おそらくこれ以上の傑作機は絶無なはず。

F35へと近接航空支援(CAP)は近々引き継がれることになっているが、被弾率が格段に高く、損耗の激しいCAP任務に、高価なステルス機が耐えられるとは到底考えられない。

そんな規模の戦闘が起こるようになれば、もはや第三次世界大戦レベルだろうが、そうなると引退したA10を求める声が再度高まり、モスポール化されたA10様が復活するどころか、ドローンに改造されて未来の戦場を飛び回っているかもしれない。

まあ、そんな妄想はさておき、今回の2024年の岩国オープンデイのプログラムから、いつも来ていた三沢の米空軍のF16の名前が消えていたのも、数日前に調べて大ショックだったのだ。

三沢の米空軍の展示飛行専門チームのF16は本当に凄腕で、運動性能でもピカイチのF16の限界性能を、さらに追い込むような空戦機動(ACM)は、一目でそのキレッキレさが分かるほどだった。個人的には、ブルーインパルスよりずっと好きなくらい。

今日は、代わりに海兵隊のFA18がバンバン飛んで、アクロバティックな飛行展示を見せてくれていたが、それでも2018年に三沢のF16がやっていたナイフエッジやコレhttps://youtu.be/FUA7RyMIUl0?si=53FMzzr6XvVFKMtAみたいに、意味不明な超絶マニューバはなかったように思う(あ、でも空母機ならではの機首上げ低速フライパスは、100km/h以下という速度もあり、凄かった)。

そんなF16が来ない上、A10すら居ないとなると、この時点で自分にとっての2024年岩国オープンデイは、ほぼ終了してしまったと言っても過言ではなかった。

が、それでも気を奮い立たせ、各飛行隊のブースを見ていく。ロービジ(低視認性塗装)のグレーのステッカーがないか、しらみ潰しに見てまわったが、やはりない。

ハデなのは悪目立ちするから、クルマにも貼りにくいのよ。小さめのロービジステッカーどっか作ってくんないかな~。

あ、でもこの飛行隊(イエロージャケット?)のミサイルが描かれたステッカーはシャレっ気があったので買っとけば良かった。

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「Come and take it」「掛かってこいよ。これ(ミサイル)食らわしてやるから」ってとこだろう。

他に面白かったのが、トラ模様のFA18スーパーホーネットと、AH1攻撃ヘリコプターの日米比較、C130ハーキュリーズ輸送機内部の警告サインだろうか。

まずはトラ模様(シマウマ模様?)のスーパーホーネット

今でも定期的に読み返す、傑作戦争マンガである「エリア88」の好きなキャラである、グエン・バン・ヒュー(青野武さんの声で脳内再生)のタイガーストライプの機体みたいで実に良い。

日米AH1戦闘攻撃ヘリ比較

陸自AH1Jコブラ

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アメリ海兵隊AH1Zバイパー

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海兵隊のバイパーは双発なので、各部(特にスタブウイング)がボリュームアップされている印象です。

アパッチも展示されてましたが、ウクライナ戦争で攻撃ヘリが完全に時代遅れになったので、日本はアパッチを大量導入しなくて、結果的に正解だった。

ライセンス生産のために、大赤字を出したスバルにはマコトに申し訳ないが。

C130ハーキュリーズ輸送機内部の警告サイン

もうこの時点、13時半くらいで一番大規模な海兵隊の飛行展示は終了してしまっていたが、とりあえず滑走路に向かう。

途中で連絡路沿いに、初代シーマとFD3S型RX7が誇らしげに駐車していて、米軍か自衛隊の人のかは分からなかったが、クルマ好きだな~とホッコリした😊

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メイン会場である滑走路わきは、さすがにすごい人の数

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二式大艇の直系の子孫であるUS1や、C2の大型機の存在感が目を引く。

岩国で最初にF35を受領した、随一の老舗飛行隊であるグリーンナイツの、F35ビーストモード(フル兵装状態)。

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まだ14時になっていなかったが、帰りの人の行列が目立つようになったので、予定を早めて撤収することに。カピさんとの合流もケータイが圏外のままなので絶望的。後で知ったが、何しろ来場者11万人もいたらしい。

帰る人の波も相当だったが、おそらく地元民だろう来場者もまだかなり来ていた。

16式機動戦闘車を見つつゲートへ向かう。この部隊マークカッコ良い。

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そういえば2018年のオープンデイに来た時は、鉄のくじらさん親子とM2やM240Bの実銃にさわって楽しめたのだが、あまり歩き回ってないこともあり、彼らも実銃も見つからない(>_<)

滑走路わきの駐機ゾーンに、簡易ハンガーに覆われた沢山のFA18が駐機してあった。ほぼ雨避け程度の簡易天蓋といった感じで、米軍といえども有事の際はどうするんだろうと思った。ドローン飽和攻撃を受けるとひとたまりもなさそう。

呉の丸見えの潜水艦停泊地もだが、平時に持ち込んだ数千、数万のドローンに一斉テロ攻撃されると、たとえ撃沈や撃破まではされなくても、すぐには戦線復帰不能な損傷を受けるのは必至。

そうなると、最大の抑止力も失う訳で、沖縄くらいすぐ占領されてしまうかもしれない。

レッドブルエアレースでチャンピオンにもなった室生選手のアクロバットが始まり、時おり立ち止まって見上げる。

ロック岩崎氏の乗機だった複葉機ピッツとは、飛行特性が全然違う感じがして、軽い上にエンジンの馬力も相当あるような動きだった。12.7mm機銃を連装でもすれば、二次大戦期のレシプロ機とのドッグファイトだと無双だろう。

あ、でも最高速は400km/hだそうなので、600~700km/hは余裕で出る大戦後期の戦闘機の一撃離脱戦法には苦戦するか。

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これまた傑作機であるA4スカイホークに見惚れつつ基地を後に。昔はドワーフみたいであまり好きではなかったけれど、今は好きな機体の一つ。

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14時ちょうどくらいに、基地の歩行者用の西ゲートを出ると同時にケータイが圏内になった様子で、送信がやっとなされてカピさんからの返信も入ってくる。

が、もはや合流しようにも手遅れで、14:24岩国発糸崎行きに乗れるよう急ぐ。

しかし、ちょうどその電車に間に合ったと思ったのだが、駅に入る階段からあふれる行列に遭遇。駅の入場制限がかかったようで、駅員さんが下りてきて説明している。

まさかこんな早い時間に、帰りのラッシュがあるとは大誤算。これなら暗くなるくらいまで基地でのんびりしておく方が良かったかも。カピさんと合流できたかもしれないし。

それにしても、今回の岩国オープンデイは、

10時半基地着→11時半セキュリティチェック終了→13時半帰り始め→14時半前に岩国駅

と、正味2時間ほどしか滞在時間がなく、これまで何度も行った中で最短だった。ほとんど弾丸ツアー。

まあいよいよオッサンになり、体力が尽きる前に帰りの電車に乗れたのは良かったとしよう。

あと、どうやら岩国駅の入場制限は、基地側の出入口である東口だけっぽかったので、少し遠回りになるが、反対側の出入口まで帰りは歩いた方が、スムーズに入れるっぽい。

その旨をカピさんに連絡したら、どうやら常連組には常識だったっぽい😚

ちなみに、後から教えてもらったカピさんの帰宅スケジュールによると、

16時44分(イベント幕の掛かった)ゲート出→岩国駅から広島行き快速17時半頃→広島18時20分頃着→新幹線乗り換え18時38分頃→三原から車で帰宅は19時半前とのこと。うーん、スマート。

ちなみに、広島三原間の追加の新幹線運賃は片道900円ほどだそう。一時間は短縮できる感じかな。

さてそれに対し、青春18キップでふらりと旅するのが好きな自分はどう帰ったかというと、14:24発の電車に乗れなくて絶望したものの、時刻表にない14:39発の臨時列車に乗れ、数駅先の大野浦駅で降りてすぐ出発の始発に乗り換え、糸崎駅を目指すことに。

臨時列車は満員だったが、大野浦駅からは始発だったのもあり座れ、そのまま帰ろうと思っていたものの、三原駅到着のアナウンスを聴いて、思わず飛び降りてしまう。

前に食べた、三原駅すぐのタコ天がどーしても食べたくなったのだ。

ということで時間も調べず下車したのだが、ラッキーなことに小一時間後の17:37に岡山まで帰れる便があった!

これぞ旅の醍醐味と、勇んでタコ天を売っている「おはぎのこだま」まで歩く。一応調べると、月曜休みで7:00~16:00まで営業となっている。

このタコ天値上がりして900円もするが、絶対それ以上の満足感を得られる逸品なので、勝手に宇宙一ウマいタコ天と認定させて頂こう(笑)

Google マップでの「おはぎのこだま」のクチコミを共有します
https://goo.gl/maps/kgt32yB9kEYxs5ty9

いや~、タコ天やっぱ絶品じゃわ。やはり天ぷらというより、分厚いステーキの食べ応え。そして、とり唐揚げ初めて食べたが、衣の味付けが異なり、少し甘めでこれまた独特の味。いや、これも旨い🍴😆✨

最近唐揚げ専門店が全国で増殖したが、どこも似たり寄ったりの味で、しかもなぜかどれも金賞受賞店ばっかで実につまらない。

が、地元民に愛される、そこでしか食べれないB級グルメには、この店のタコ天のように、思わず二度見してしまうほどおいしくて、わざわざ来るだけの価値のあるものが多い。

19時過ぎに岡山に帰り、ひと風呂浴びてから頂く、こだまのほぼフルコースはより一層おいしかった。イカ天も違う衣の味で、甘さ控えめの二色おはぎもかなりの出来。

天ぷら類は、トースター弱火でじっくり温めると、衣もカリッとなり、ほぼ出来立てに近い味となるのでオススメである。

ということで、2024年岩国基地祭は、朝6時過ぎの始発に乗り、夜19時過ぎに帰るまで、長時間の鈍行と、それとは比較にならないほど疲れた行列で大変だったが、トータルではミリタリー成分も久々に摂取でき、大満足だった。

来年も行きたいが、忙しくなりそうだし、年々年寄りにはハードになってきているので、厳しいかもしれない。ノーズアートのバスツアーで行くのが一番楽だが、早く予約しないとならないのがネック。

とはいえ、日本国内で海外旅行気分と、稀有なミリタリー体験を同時に味わえるのは、中々ないことなので、損はないと断言しておこう。

前に行った2018年の岩国オープンデイ

https://cheerio.hatenablog.com/entry/2018%E5%B2%A9%E5%9B%BD%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A4

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【2024.03】『ロングレンジフィンファンネル運用論とガンダム実物大立像にみる、現代の大仏信仰について』

お台場初代ガンダムユニコーン、そして横浜ガンダムと見てきて、ようやく福岡にν(ニュー)ガンダムを見にこれた。

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2007年の30周年お台場初代ガンダムの時は股くぐりが出来たが、2017年40周年お台場ユニコーンからは出来なくなり、当然というか横浜ガンダムも福岡νガンダムも無理だった。

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しかし、20m超の存在感はやっぱり圧倒的で、ガンダムのことを知らない、通りがかりの一般客も立ち止まっては見上げていた。

それにつけても、この巨大サイズならではの“ただならぬ感”こそ、各地にある大仏が人を惹きつけ、観光地化する根本的な理由と通底しているだろう。

信仰心などなくても、人は大仏などの巨大建造物に畏怖の念を感じ、不思議とつい見に行ってしまうのである。

大仏ではないが、尾道で実物大の戦艦大和が公開されていた時は、短期間で百万人以上の老若男女の見学客が押し寄せたが、行ってみると驚くことに、むしろ女性の方が多かった印象がある。これはマーケティング論としても面白いテーマであるだろう。

それにしても、大仏そのものが美意識と直結していた千年前は、現代人が大仏を見るのとはまた違った感慨もあったかもしれない。

当時最先端のデザインとして、千年以上前の日本人に新鮮だった、仏像をはじめとする仏教への憧憬は、現代人が仏像を見る目線とはおそらく異なるだろう。

しかし、現代工学デザインの一つの最終到達点としてνガンダムを見る我々の目線、そしてそれが巨大化した実像を目の当たりにした、言葉にならないような畏怖感は、確かに重なるのではないかと感じるのである。

要するに、現代人で大仏や仏像見てハアハアする人は限られるが、ガンダムのデザインに心踊らされてしてしまう人は、世界各地にも自分を含めて一定数いると思われる。

時代時代の武器や兵器のデザインは、その時代を代表する機能美の極致でもあるからだ(ちなみに、ガンダムはアニメでありオモチャであるのは重々承知している)。

まあ、このあたりは心の平和や安寧を願って作られた仏像とは異なって、人を殺す道具を賛美するのはバチ当たりかもしれない。

しかし、たとえば古備前の日本刀は、千年経った今でもその美しさと、再現不可能なロストテクノロジーで、人を惹きつけてやまない。

現代の文明が衰退した遠い未来に、発掘されたガンダム実物大立像が、まるで巨大恐竜の化石のように、未来人の好奇心をくすぐるのを想像するのは、少し愉快でもある。

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そういえば、このガンダムパーク前で、ナチスSS帽みたいなサイクロプス隊?の帽子を被り、ジオン軍のパーカーを着た、40代くらいの南米系っぽい顔つきの外国人がいたが、話しかけて友だちになっておけば良かった。

自分も、物語としての完成度と、誰でもみれるという間口の広さでは、「0080(ダブルオーエイティ)」が一番と思うからである。

まあそれはさておき、最後にロングレンジフィンファンネルについての「勝手に考察論」を一つ。

⚫️ ロングレンジフィンファンネル運用論を勝手に考察

実は、最初にロングレンジフィンファンネルを装備したνガンダムffをネットで見た時は、あまり好きにはなれなかった。

今まではガンダム実物大立像ができると、割とすぐ見に行っていたものの、それもあって福岡までνガンダムを見にくるのが年単位で遅くなってしまった。

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というのも、劇場版の左肩だけにアシンメトリー(非対称)に装備したフィンファンネルと黒のカラーリングの組み合わせが、足し引きしようのない、シンプルにして最上であると思うからだ。青のカラーリングも違和感が半端なかった。

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実物を見てみて、ようやくカラーリングはしっくりしたものの、機能的にも「つっかい棒」に見えてしまうロングレンジフィンファンネルは、ディテールはともかく、オリジナルのフィンファンネルの方がはるかにカッコイイ。

とはいえ、現実的に台風対策とかを考えると、マント型の劇場版フィンファンネルはリスクが大きかったのだろう。

しかし仮に、こと実戦での運用に限っては、このロングレンジフィンファンネルという特殊な兵装こそ、アムロが本来必要としていた装備であり、アムロならその性能すべてを引き出していたのではないだろうか。

というのも、アムロがギュネイのギラドーガを撃墜したトリックショットが、ハイパーバズーカを利用して気を逸らした、アムロらしい一撃が大きなキッカケだったことにある。

相手が一瞬気を取られさえすれば、本命の攻撃が生きるからである。

この時、アムロはオトリでハイパーバズーカと損傷した楯をパージしているが、“そういう使い方”を予め想定していたことにまず驚かされる。

となると、まるで遠隔操作できるスナイパーライフルのようなロングレンジフィンファンネルは、アムロにとって願ったり叶ったりの武装だったのではないだろうか。

それに、ゴテゴテするのを嫌ったアムロは、戦闘前の早い段階でロングレンジフィンファンネルを射出して使用していただろう。

フィンファンネルよりも、はるかに大きいジェネレーターを内蔵しているので、無人の遠隔モビルスーツのようなものでもあり、推進剤も多く稼働時間は長い。

つまり、アムロは自身の分身であり、スナイパーでもある移動砲台を手に入れたようなものなのだ。

しかもそれは、相手に認識されない距離でも自在に使用できる点で、最上の切り札(ジョーカー)となる。

となると、アムロなら戦闘前から探知されない最適位置に置いていたはずで、どんな装備より心強かったに違いない。

なんなら、自分が直接戦わなくても、アムロならロングレンジフィンファンネルを単独先行させて、敵の痛いところを狙撃だって出来た。シャアだってサザビーに搭乗する前を狙われたら、イチコロだったろう。

もちろん、それでは物語としてはちっとも盛り上がらないが。

⚫️ 改めてのアムロの恐ろしさ

話は少し戻るが、ニュータイプ同士の戦いは消耗戦になりがちなのを理解して、アムロはハイパーバズーカを遠隔操作できるようにしたはず。

そして実際、バズーカの分離が、予想外の行動だったことに目線を奪われてしまい、ギュネイは一瞬の時間差で放たれたビームライフルの一撃をよけられず、即死している。

まるで達人どうしの剣戟が、素人では理解の及ばない、一瞬で決まるのと似ている。

アムロの恐ろしさは、達人相手にも、“初見殺し”と“ハメ殺し”のダブルコンボを成立させてしまえる、本能としか言いようのない戦闘センスにある。

正規兵でも習わない、よしんば習っても身につけれないレベルの極めて高度な戦闘センスを、自然と身につけている上、それを自身のニュータイプ能力と、これ以上ない相乗効果で使用できるのである。

そして、その気になれば、いつでもそんな鬼畜レベルの戦闘マシーンになれるという恐怖。

「背中にも目をつける」という次元の戦闘を、当然のこととして実行できるのはアムロだけだろう。

ニュータイプ能力では最高と富野監督に言われたカミーユでさえ、そんな戦闘は一度も披露してはいない。むしろ、いつの間にか背後に取り付かれるばっかりだった。

νガンダムは伊達じゃない」とアムロは言っているが、『連邦の白い悪魔』というアムロ自身の通り名こそ、ダテでも何でもなく、目撃した生き残れた幸運な敵パイロットの本音を、最も過不足なく表現している。

⚫️ ネオジオンの赤いカニ

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あ、そういえば、νガンダムのロングレンジフィンファンネルと対になる装備で、サザビーの両肩に、メガビームランチャーとしても手持ちサーベルとしても使える兵装が追加されていた。

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サザビーの赤色もあって、目を細めればほぼ茹でガニというか、まるでスポンジボブに出てくるカニ店長だったものの、それぞれの追加兵装のサーベルを伸ばして対峙するνガンダムサザビーはカッコよかった。

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アムロが近接戦闘になるまで、そんな重たい武器を装備したままかは疑問があるものの。

でもまあ、なんだかんだ言って、こうやってそれぞれ好き勝手妄想してしまえるのが、ガンダムというコンテンツの面白さであるし、奥深さだろう。2027年のガンダム放映50周年には、どんなことで驚かされるのか、今から楽しみでもある。

それでは最後の最後に写真を一通り。

人間サイズのνガンダムサザビーのライフルが売り出されたら絶対買うのにな〜。電動ガンを仕込んでサバゲーで使いたい。。

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#金子みすゞ#中原中也#種田山頭火

金子みすゞ中原中也種田山頭火山口県の生んだ三人の詩人は、自分が歳を取るに連れ、その味わい深さが、まるで彼らの肉声を聴いているかのように、心にその詩や句の全く古びない普遍性を響かせてくれている。時にはささやくように。時には慟哭するように。そして時には飄々とした風のように。

ファインアートの定義を仮に、「それを受け取った人の常識と捉えていた地平を揺るがし、新たな価値観を提示してみせること」だとすると、優れた詩人というアーティストは、例外なく新たな価値観を内包した世界観をもって、読者を魅了してくれるものだ。

現代詩人で私が好きな、谷川俊太郎や住宅謙信も、その世界観に触れた時のシャッフル感というか、自分の中の認識が新たな目線を獲得するのが、何よりもまず第一に心地いいのである。

それは金子みすゞ中原中也種田山頭火も同様で、彼らが時を超えて愛され、これだけの存在感を保っているという事実は、彼らの目線や世界観が少しも古びていなく、私たちの心を新たな地平に誘ってくれるからだろう。

「永遠に通じるものこそ常に新しい」という小津安二郎監督の言葉は、“普遍性”はどういうものかをもっとも平易に表したものだろう。それにつけても、彼らの言葉の力はやはりすごいものである。

地上の星

その「線」を引いてグーグルマップで確認した時の興奮はちょっとしたものだった。まるで、見えなかった星座が突然それと認識できたような、ひそやかな感興があった。

いや、実際それは地上の星座そのものだった。近代詩人の中でも、今なお際立った存在感を感じさせる金子みすゞ中原中也種田山頭火の三人が、山口県のわずか半径25km圏内、驚くことに三人の生家が、縦ぴったり50kmの直線上に並ぶという事実。何度も計測してみたが、縦横ともに誤差は1kmもない。

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それにつけても感じるのは、みすゞ(1903〜1930)・中也(1907〜1937)・山頭火(1882〜1940)が直接の交流はなかったにせよ、明治期の山口という片田舎で生まれ育ったという不思議についてである。もはや奇跡と言ってもいいだろう。

金子みすず記念館から山頭火生家跡への直線がちょうど50km強で、そのほぼ直線上に、中也生家跡にある中原中也記念館があるのだ。グーグルマップで検証してみて驚いたが、「才能は群生する」という極め付けの一事例のように感じる。

東京では根津神社の近くの同じ家に、森鴎外夏目漱石が前後して住んだり、マンガ黎明期の手塚治虫や藤子不二夫などの巨匠たちが住んでいたトキワ荘の例もある。

しかし、みすゞ・中也・山頭火の場合、あれだけの巨大な才能たちが、互いに影響を与え合った直接の事情もなしに(以後研究が進むかもしれないが)、“ほぼ同時期に”、しかも“自然発生的に”この世に存在した事実は、もう身震いさえ感じるくらいなのだ。

明治維新でまさしく、ホットポット(るつぼ)だった長州藩、今の山口県で起こったと思われる、歴史上まれに見る、著しい民意等の上昇。
高エネルギー帯で次々と新星が生まれるように、時代のそんな熱い空気の中、みすゞ・中也・山頭火の、今なお光を放つ恒星たちが生まれたのではないだろうか。

維新もう一つの雄、薩摩藩では、藩閥を考慮したとしても、軍事的な異才を多数輩出したことから、その土地ならではの才能の鉱脈みたいなものがあるのかもしれない。

さて、ここから長くなってしまうが、少し文章観を述べさせて頂くことになる。

例えば、詩や句を創る時に陥ってしまいがちだが、詩情という「清」を表現しようとするあまり、誰もが持つ「邪」を無意識の内に排除した、言葉遊びに終始してしまうことが多々見受けられるように思う。

むろんそれでも観察力が新たな刺激を獲得していた場合、人の心に残るということはあるが、ほとんどは物事の表層をなぞっただけで、同じく人の心の表面を、何の引っ掛かりも残さず滑落していくものが多いように思う。

つまりは、ナルシスティックな表現は、文学作品、特に詩作に関しては、ほとんど評価に値しない場合が多いと思われる。

・・・のだが、困ったことに中原中也はおそらく、というよりかなり重度のナルシストである。
それでいて永劫に輝きを失わない、誰かしらの心には刺さり続けるであろう言葉を獲得しているのが、中也が手に入れた普遍性と言える。

それこそ、「永遠に通じるものこそ常に新しい」という小津監督の定義する普遍性そのものではないだろうか。永遠につながる普遍性を手に入れたからこそ、常に誰かにとっては新しいのだ。

おそらく今後、ここまで思春期の共感を得れる詩人が現れる可能性は、ほぼないであろうとさえ感じる。
中也以降にいたとするなら、歌手の尾崎豊が唯一同じ種類の力を感じさせるが、それはまた別の機会に触れることにしたい。

ではなぜ中也はナルシストでありながら、人の心を揺さぶる力を手に入れることが出来たのかだが、徹底的なナルシストでありながら、苦悩もまた容赦ないものであったからだと私は考える。

黄昏の淡い光の中、音もなく青い炎に灼かれているようなタナトス(死そのもの)への希求。

もっと言えば、掛け値なしの希死念慮が透けて見えるからこそ、同じくそこまで考える思春期の苦悩がシンクロ率を高めるのだ。

私もまた若い頃、中也が囚われた、永遠の牢獄に共感を覚えた一人である。

金子みすゞは、やわらかな感性こそが最大の魅力であるが、子を持つ親の、真理に触れたかなしみ、あるいは子を喪った親の、かなしみを通り越した何か。主観でしかないが、そんな深さをみすゞには感じる。

そして何だろう。どこか寂しさを感じるのに、力をもらえる不思議。それは、母が子に伝えたかったことでもあったのかと、ふと感じさせてくれる。

そして最後に、実は三人の中で最も好きなのが、種田山頭火である。「酔うて こほろぎと寝ていたよ」と「朝焼け夕焼け 食ふものがない」の二句は、まともな人間では逆立ちしたって創ることはできない。

よしんば書けたとしても、必ず作為的なものが入ってしまうだろう。なぜなら、この二句は山頭火の、どうしようもないダメ人間の「面」をも表しているからだ。

そこまで晒していながらも、なお山頭火の句に惹かれるのは、山頭火のそんな「面」ではなく、「人」としての魅力によってではないだろうか。

優れた芸術家は例外なく、独自の宇宙を持っており、またその世界観の唯一無二の魅力によって、人々の心に灯をともしていく。

だが、いくら技巧が優れていようと、それだけでは大して人を驚かすことは出来ないし、心を動かされることも少ない。

自らが傾いていることを自覚できない個性の発露なぞ、闇をタレ流しているに過ぎず、極論すれば、壊れた人間がただ壊れている、寒々しい景色しか見えないからだ(ここでは自分のことは棚に上げさせてもらおう)。

私は金子みすゞ中原中也種田山頭火の三人が大好きである。

まだそれぞれの詩や句を、味わい尽くすまでには至っていないものの、間違いなく彼らは、自らの業や痛みを背負った天才である。

そんな彼らが東京から遠く離れた山口で、巨大な三連星のように同時期に生きていた事実に、この上ないロマンを感じてしまうのだ。

時間と心に余裕のある方は、のんびりと三人の生家巡りの旅に出てみるのをオススメしたい。

きっとまた違った彼らの詩句の、味わい深さに出会えることだろう。歴史と同じく、その地に行ってみることで見えてくるものが、多々あるからだ。

私?もちろん行きましたよ。中也の実家に行って初めて、中也と宮沢賢治との接点を知ったことは大きな収穫でした。

そして何より、山頭火が中也の実家を訪れて、中也の母親と会っていた事実は、驚愕と共に、とても良い発見になりました。山頭火なりの、中也へのリスペクトだったのだと思います。

そして、彼らが見ていた風景を、実際に目にできたのは、のんびりした旅の思い出と共に、今でも心を温めてくれています。
彼らの遺した言葉そのものが、古びれず、あたかも熟成していく芳醇さを感じさせるように。

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ブラックホールをとらえた一枚(ナショナル ジオグラフィック日本版) https://u.lin.ee/EC1Rwwv?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none

ジェームス・ウェブ宇宙望遠鏡が稼働し始めてからかは分からないが、とにかく最近の宇宙の解明の研究は加速してきているように感じる。

ブラックホールの形が、百年前に相対性理論で予想されていた姿と一致しているのも、最近分かったことらしい。まあ、文系としては、宇宙スゴイ、アインシュタインスゴイとしか感想が浮かばないが。

で、そのブラックホールの形だが、初めて撮影された写真で判明したのが、ドーナツ形であったのが、日本の研究者も関わった2019年のこと。

ドーナツ形なのは、ブラックホールシャドウといって、光を吸い込んでしまうブラックホールの性質によるもの。

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今回、異なる観測結果により、さらに詳しい構造が判明し、どうやらドーナツでもオールドファッションではなく、表面がねじれた**フレンチクルーラー**に近いらしい。

フレンチクルーラー好きとしては、宇宙グッジョブ👍とコメントさせて頂こう。

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それにしても、宇宙スゴイ写真は本当に絵になる。巨大プリントを額装して、壁に飾りたいくらい。

ピカソの絵の高尚さはサッパリ分からない朴念仁だが、この超巨大ブラックホールの写真なんかは、まるで前衛芸術のようでもあり、実際にはこの写真のまま見えないにしろ、宇宙の果てに“コレ”があると想像すると、とてもロマンがある。

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さて、宇宙スゴイのは異論の余地もないのだが、ミクロの世界もまた驚異に満ちあふれている。

ナショナルジオグラフィックは本当に良質の科学コンテンツであり、ドキュメンタリーも秀逸でずっと観ていられる。

人間の脳のニューロンの構造と、宇宙のほとんどを占めるブラックマターに浮かぶ星たちの構造が、ほぼ同じにしか見えないのを知ったのもナショナルジオグラフィックである。

そう、ミクロの世界の写真も、最近撮影技術が進歩していて、宇宙にも負けず劣らずの美しさや凄絶さで魅せてくれる。

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最優秀賞は「ネズミの目の中」、ミクロの驚異をとらえた顕微鏡写真コンテスト2023(ナショナル ジオグラフィック日本版) https://u.lin.ee/ksXJPA6?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none

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まるで金子みすずの詩みたい

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◯【動画】トリックなし! 巨大な月が沈む動画

https://youtu.be/afHfMMC-MJE

驚愕の美。そして素晴らしいBGM。ずっと見てしまう。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/060800252/?ST=m_news

ということで、ナショナルジオグラフィックの記事をシェアします。合成じゃない事実に、ホント驚愕する他ない。

もし本当に肉眼でこんなに見えたなら、きっと人の精神にも、はるかに大きな影響を月は与えるに違いないだろう。

英語の表現にある、ルナティック(lunatic)は、まんま「気がふれた」とか「狂った」という意味で、オオカミ男が月を見て変身するように、西欧では月に対してネガティブなイメージが中世から定着している様子。

しかし日本人は、月が昔っから大好きで、短歌や俳句の季語としても多数詠まれ、名前に月の付く人も一定数以上いる。

日本人の月に対する、極め付けのイメージを表していると思うのが、「月が綺麗ですね」という表現で、英語の「I love you」を、よくぞ日本人らしい感性で訳したものだと、夏目漱石先生の業績には改めて感心させられる。

せっかくのナショジオの記事ですが、しばらく経つと読めなくなるみたいなんで、一部引用させてもらいます。

元動画ももともとはNASAのものということで、一部引用なら問題はないと思われます。

以下引用部斜体

「この人たちに危険が迫っているわけではありません」。NASAのWebサイトに載った動画説明は、こんな一文で始まる。

2018年6月1日、NASAがある動画を公開した。映っているのは、巨大な月が山の尾根に立つ十数名ほどの人々にぐんぐん迫ってくる光景だ。月は、まるで空から落ちてくるように、山の向こう側に沈んでいく。(参考記事:「宇宙からしか見られない『地球と月』のツーショット8点」)

SF映画にありそうな光景だが、これはネットで見かける加工された映像ではない。100%リアルな映像だ。(参考記事:【動画】本当に美しい月を見ると人はこうなる)

動画を撮影したのは、スペインのカナリア諸島を中心に活動する写真家のダニエル・ロペス氏。異世界を思わせるような光景は、2018年5月30日の朝、テネリフェ島のテイデ火山に近い高台から、太陽が昇り、空に浮かぶ満月が地平へと沈むときに撮影されたもの。

ちなみに、5月最初の満月は、「フラワームーン」「コーンプランティングムーン」「ミルクムーン」など、様々な呼び名が世界にある。(参考記事:「人はなぜ、月に顔を見るのか」)

撮影された動画は100%現実で、加工もされていないとすれば、これは望遠レンズが引き起こす現象だ。

巨大な月の種明かし
月が巨大に見える理由はシンプルだ。ロペス氏は、望遠レンズを使って撮影したので、前景と背景との間の見かけ上の距離が大幅に圧縮されて見える。

いわゆる望遠レンズの「圧縮効果」だ。カリフォルニアの海岸から遠くを泳ぐクジラを撮影するときにも使われる撮影テクニックで、クジラが岸のすぐそばの水面に浮かび上がっているような写真が撮れる。

動画で、豆粒のように見える人々は、15キロメートルほど先にある火山に立っている(月は約38万キロ先にある)。動画では、火山の山頂がちょうど輝く満月にかかる配置で撮影されている。

月が早く動いているのは、タイムラプス撮影や動画の早回しに思えるが、これも違う。

そう見えるのは、地球の自転だ。地球の自転速度は、時速約1700キロ。地表でくらす私たちは、地球が回転していることをふだんは意識しない。

でも、上空の天体、あるいは地表の影を観察すれば、自転していることがわかる。月の動く様子も圧縮効果によるものだ。地球と月の距離が極端に圧縮されて見えるため、肉眼ではわずかな動きも、望遠レンズなら刻々と動き続けるさまを撮影できるのだ。