chi0228maの日記 (original) (raw)

リリアンって懐かしい、子供の頃流行ってた。別に何が出来るって訳でもないのにあの頃夢中になって編んでたなぁ。

ということで岸政彦のリリアンを読んだ。にがにが日記や断片的なものの社会学、街の人生、大阪を読んですっかりこの人のファンになってしまったのだ。

でも小説はなぁと躊躇していた。男性作家が書く恋愛小説が苦手だからだ。彼らが描く女性は大抵の場合「そんな女は存在しねーよ」と悪態をつきたくなる様な代物だ。要するに男性のファンタジーの世界の女性なのだ。リアリティがないから全然共感も出来ない。

そもそも恋愛自体にも今さら興味ないし、、、と思っていたけど取り敢えず読んでみた。結論、良かった。出て来る女性も主人公との描写もめっちゃリアリティがある。岸政彦氏は恋愛経験豊富だな、と確信した。想像だけでは絶対書けないと思う。

それにしても孤独な男女のなんでもない日常をどうしてこんなに切なく感じさせる様に書けるのだろう。ストーリーなんてほぼ無いに等しい。でもだからこそ文章の上手さが際立っているのだ。

その後図書室とビニール傘も読んでみたがやっぱり良かった。小説ってストーリーが面白いかどうかではないと思う。文章がどれだけ優れているかだと思う。優れた文章を書けるのが作家なのではないのか。

岸政彦の小説は岡本かの子の鮨を読んだ時の感動と同じものを感じた。何がどう共通しているのか言語化出来ないのだけど、、、ってこんな感想しか書けない自分の文章力がお粗末過ぎて情けない。

昔から顔を覚えてもらえないことが多い。地味で特徴がないからだ。地味なのは顔だけではない、性格も。人見知りで社交性に欠ける。友達も全然いない。

近所の奥さんとそのお嫁さん2人に道で会ったので挨拶をした。すれ違ったあと奥さんがお嫁さんに「誰?」って聞いていた。いや聞こえない距離になってから聞いてよ、私に全部聞こえてるんだけど(笑)

そのお嫁さんも近所のクリニックで会った時挨拶したらメッチャ戸惑われてたから名乗ったら気付いてくれた。因みに苗字は結構特徴があるのだ。

それ以外でも兎に角近所の人に挨拶すると誰だっけって顔をよくされる。

これは若い頃からずっとそうで地味過ぎて存在自体に気付いて貰えないのだ。

結婚して地元に戻って子育てをしていると子供の同級生の親が自分の同級生だったってことも何度かあったけど声をかけてみても申し訳なさそうに覚えていないと言われる、恥ずかしい、、、。

そんな事ばっかりなので正直挨拶とかしなくてもいいかなと思ったこともあったけど失礼な奴と思われるよりはマシと取り敢えず挨拶して結果みじめな気持ちになる。

世の中に私ってほぼ存在してないんだなぁなどと思ったりして。

でもラジオでナイツの土屋さんが全然顔を覚えて貰えないエピソードを話しているのを聴いてチョット救われた。私と同じ人がいるんだなと思って。まぁ土屋さんを私と一緒にするのは随分と失礼な話ではあるけれど。

若い頃からそこにいるのに存在してない様に扱われることが何度もあった。いじめられているとか無視されているとかそういう事ではなく気付かれていない、或いは重要視されていないってことなんだと思う。なんかどうでもいい人って位置なんだろうなぁと感じていた。

映画「ミセス・ハリス、パリに行く」を観て泣いてしまった。いつも透明人間扱いされている家政婦のミセス・ハリスが一念発起、パリにディオールの服を買いに行くのだ。普段他人から軽んじられている彼女の一所懸命な自己主張の姿に涙が止まらなかった。

私もオドオドして生きるの辞めたい。でもこの歳になってもどうしたら良いか何をすれば良いのかわからない、駄目だね自分。